今回はさりげに密告である。 このタイトルを見て、あぁアレだな、とわかった方、その人は凄い。 ……え、わかんない?? そりゃそうだ。 じゃあヒント、繋がりは「ゴミ鳥」。 これでも、わからない?? えーーー、確か96〜98年頃明菜のコンサートの物販であるとか、ファン会報とかで扱っていた謎のキャラクタ―「ゴミ鳥」の存在はコアな明菜ファンのみなさんならご存知でしょう。 まぁ、いたのよ、そういうキャラが。 私がこれを最初に見たのは前ファンクラブ「アルテラシオン」会報の2号なんですけれど、どうもこれは、以前から明菜が落書きなんかで筆すさびに書いていたキャラらしくって更に以前のファンクラブ「ミルキーハウス」の会報であるとか、そういったところにさりげなく登場していたらしい―――事実確認はしていないのでファンの人フォローお願いします、のだが、 このキャラクター元ネタがある。 で、それが倉多江美の漫画に出てくる「ゴミドリくん」なのである。 「ぼさつ日記」「一万十秒物語」「どっちライン」等に出てくるキャラクターなのであるが、これ、明菜さん、ぶっちゃけ、モロパクだよね。 ―――事実確認したいファンの方は、ちくま文庫から1997年に出版された「一万十秒物語・上巻」が一番容易なのでそちらでどうぞ。 ちなみに左が倉多江美の「ゴミドリくん」、右が明菜デザインの「ゴミ鳥」。 ま、別に私としては「パクる/パクらない」は気にならない人間なので、そこを追求するつもりはないのですが、何故明菜がこのキャラクターを気に入ったのか、そこは気になるわけである。 「ぼさつ日記」が1978年、「一万十秒物語」第1巻が1979年、「どっちライン」が1980年の初版であるから、ちょうど明菜が中学生の頃となる。 多分、リアルタイムでこのどれかを明菜は見たのだろう。 そして、きっとその作品は彼女の心の中に深く落ちていく何かがあっただろう。 がゆえに、こうして筆すさびの何かにこのキャラクターを書いて、その絵を見たスタッフがこのキャラクターいけるんじゃないといって商品化して、と、まぁ、こんな流れなんだろうな。 ということで、じゃあ、元ネタの「ゴミドリくん」ってのがどういうストーリーかというと、実はいうと倉多江美の本、今「エスの解放」以外手元にないから、はっきりとはいえないのだが、確か、ゴミ箱が棲家の孤独な鳥――ゴミドリくんのちょっとシュールでちょっと物悲しい童話という感じだったと思う。友達を探しに旅に出たりとかしていたんじゃないかな。 確か鳴き声が「キルケゴール」だったと思う。(――と、この辺が大変あやふや) うすぐらーく、一見楽しげなところもあるが、さみしいお話だよなぁ、と、初読で私は思った。 それになんといっても、ある少女に眠っていた内面世界の不条理の外世界への発露を描いた「エスの解放」の倉多江美だし、それで鳴き声が「キルケゴール」なのだから、「実存的不安」「死に到る病」などといった言葉がちらちらと脳裏を掠めるような童話だったと思う。 と、そんなゴミ箱が棲家でいつもひとりきりで実存的不安に怯える「ゴミドリくん」に中学生の明菜は共感したのである。 彼女はこの頃から晴らすことの出来ない深い翳りを持った自閉症気味の少女なのだな、ということは容易に想像できる。 そしてその自閉のあり方というのを突き詰めると、私が再三提示している仮説にここでまた辿りついてしまう。 ――恋愛至上主義で実存主義者、中森明菜――という仮説に、である。 明菜の本質とは何か。 ゴミ捨て場に捨てられて雨ざらしになっている壊れたレプリカントのように、ただ、恋によって自分が生まれ変わるその時を「ありえない出来事」と思いながらもひたすら待ちつづけている、冷感症の眠り姫である。 これが歌から想定できる「少女期の中森明菜という存在」の私なりの分析である。 彼女は恋をしていない時はレプリカントのように心の芯が醒めている少女だったのではなかろうか。 ちなみに、平岡正明氏もこのような意見をさらっとのべている。 ―――この娘は夜は鉄屑のように眠って夢は見ないのではと思うほどだ。明菜が倉多江美の「ゴミドリくん」に共感したという事実をこの分析に照らし合わせるなら、それは実に適っている、といえるだろう。 ちなみに、明菜の「ゴミ鳥」であるが、誰かからの忠告があったのか、明菜自らが「これパクリキャラだし」とスタッフに告げたのかどうだか知らないが、今ではもちろん使われていない。 ちなみに、ゴミドリの大元のネタって、やっぱりこれだよね。 |
2004.01.16