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萩尾望都 「銀の三角」

全てが夢幻のように流れるSF巨編


(1980〜82年「SFマガジン」初出/早川書房・白泉社文庫・小学館)


これは1980〜82年に「SFマガジン」誌上で連載された長編SF作品である。

萩尾望都は少女漫画家のなかでも一層詩的な作家であるが、その中にあってより美しい作品、鉱物の結晶のような美しい作品と問われたらわたしは「銀の三角」を推したい。 この漫画はまるで輝石のつくる光の反射のように、天上の音楽のように、言葉が絵が紙の上に鮮やかに展開していく。

「あそび玉」以降「11人いる !」「百億の昼 千億の夜」「スターレッド」「ウは宇宙船のウ」などSF作品群は彼女の主流の1つである。 そのどれもが薫り高いロマンと冷徹な理知によって高次の世界を構築しているが、そのなかにあって「銀の三角」は未踏の霊峰のような輝き持っている。 この作品だけは特別だ、という意識が私に強い。

系譜からいえば、「百億の昼 千億の夜」(光瀬龍 原作)の世界観や「ウは宇宙船のウ」(レイ・ブラットベリ 原作)の抒情性を土台にさらに萩尾望都独自の世界観へ引き寄せた作品といえるかもしれないが、それらの系譜はほとんど無意味といってしまっていいほど、この作品はひとつで構築されきっている。 SFがひとつの美的な意識をもつとしたらそれは「銀の三角」のような作品であろう、と私は思う。 日本のSF界が得た1つの至高といっていい作品だ。
理知的に構築された圧倒的な世界観は、子供のころに見た悪夢の心地よさに近いものをわたし達に与える。

物語は様々な謎が散りばめられている。わたし達はその謎の領域に主人公であるマーリーと共に踏み入っていく。小さな謎解きの果てにしかし、無限かつ偉大な「謎」の存在にわたし達は気づくはずだ。 謎を解き明かそうとしながら、そこでわたし達は、その謎を了解はしなくてはいいことにもまた気づくのだ。
この物語は「謎解き」の物語などという低次のものではない。この物語は強いていうなら「謎」そのものということに気づくのだ。
それは安易な整合性で征服することなど決して出来ない世界である。
わたし達ができうることは「謎」を微分化して解明することではない。「謎」を「謎」のままとしてそのままの形で受けとめ、世界全体をそのままの形で了解することのみである。 つまりわたし達は「謎」を抱きしめ、楽しみ、一緒にダンスを踊ればいい。わたし達は「謎」と遊戯する。

画面を占領するこの美しさにただひたすら酔うことのみがこの物語の正しい読み方である。 わたしたちはただひたすらにここに描かれている圧倒的な「美」にひたすら酔えばいい。 重層的なイマジネーションの嵐をあたかも五線譜の波をたゆたうかのように戯ればいい。


狂王のわが父に何度も殺されては甦るル・パントー。
物忘れの吟遊詩人。
金虹彩の玲瓏な銀の三角人。
革命と辺境へ流れついた歌姫。
「じき 宙港です」「じき 宙港です」の止まないリフレイン。
「老サ……黒い大鳥が空から降りてきたよ」
「私をチグリスとユーフラテスの岸辺へ返して」……。
――金銀の三角 四角 無限角 民人たちは朝を待つ…… 


三万年の時を駆け、彼方の星星を渡り歩く壮大な物語であるが、それはまるで夢のように、全てが過ぎていく。
科白の1つ、コマの1つに至るまで余分なものが1つとしてなく、そしてそれが全て一編の詩のように、一幅の細密画のように美しいということなどあるのだろうか。しかし、ここにあるのだから認めるしかない。
この作品そのものが、萩尾望都が仕掛けた華麗な罠である。物語を支配するラグトーリンは作者そのものといえよう。 この本に触れるものは、手品師の手捌きに翻弄されるように一時の確かな幻を必ず見るだろう。

この作品の後も萩尾望都は「モザイクラセン」「A−A’」「マージナル」「海のアリア」などのSF傑作を描くことになるが、「銀の三角」のような作品は少ない。 そのどれもが人間ドラマとロマンと家族と愛が主軸であり、読後の感触が熱いものが多い。
緻密なモザイクを見るような繊細かつ華麗でありながら、冷え冷えとして人を拒むような印象をもつ硬質な萩尾望都のSFを今一度読んでみたい。


ちなみにのトリビアでいえば、この作品は短編の依頼からプロットを立て始めたらここまで大きくなってしまったとのこと。 代わりにと編集に渡した短編が「ラーギニー」だとか。


2005.01.07
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