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中森明菜 『NEW AKINA エトランゼ』

志の低いアルバム

(83.08.10/32XL-95/ワーナーパイオニア)

1.さよならね 2.ビーナス誕生 3.少しだけスキャンダル 4.感傷紀行 5.ルネサンス 6.モナムール 7.ストライプ 8.わくらば色の風 9.時にはアンニュイ 10.覚悟の秋


アイドルというのは資本の結集であり、その象徴である。
これを会社単位で微分すれば「レコード会社とプロダクションの組み合わせ」になり、楽曲単位でみれば「作詞、作曲、編曲家の組み合わせ」である。
もちろんこれは、例えば、彼女らがテレビ番組に出る時には、その番組のスポンサー、またそのスポンサーのCM、さらにそのアイドルが着ている衣装やアクセサリーのブランド、化粧法やそのメーカー、また髪型、さらにトークなどでの話題に出ててきた商品、―――1アイドルがメディアを通じてただあるということでそれは無辺に広がるのだが、ひとまず、それを最小単位まで戻すと、そうなる。
であるから、簡単なことを言えば「アイドルは可愛いから唄が上手いから性格がよさそうだから売れるわけではない、あくまで工業的政治的に優れた『ブランド』であるがゆえに売れるのである」ということになる。
が、時としてそうしたブランド力を打ち破るアイドルというのも出てくる。
(これが芸能という水モノジャンルの面白さである)
その一人が中森明菜であった。

「研音=ワーナー」という政治力も楽曲制作ノウハウもない決定的にマイナーブランドの明菜であったが「少女A」という、これまた「売野雅勇=芹澤廣明」というこれまた実績なしの新人コンビによる楽曲でどういうわけか、一気にスターダムにのし上がる。
もちろんこの「少女A」という楽曲の戦略性というのももちろん評価するべきではあるのだが―――それに関しては『ヴァリエーション』の回にしたい、やはりどこか偶然というか、運命的としかいいようがないものがある。

この時点で人気・レコード売上げの面では同期アイドルを軽く飛び越し、先行していた河合、柏原、岩崎、三原の80年組をゴボウ抜きにし、一気に、引退し神格化した山口百恵と現役アイドル頂点に君臨していた松田聖子に肉薄した。
ちょうど手元に昔の明菜の記事があるのだが82年11月号のGORO誌で「巨星MOMOEを越えるのは聖子型か、明菜型か」と題して松田聖子と中森明菜の比較記事、翌83年3月号「中森明菜 スーパーヒロインは俺たちに何を語るのか!?」では山口百恵の比較記事が掲載されている。
かように、芸能マスコミはポスト百恵の頂上決戦としての「明菜対聖子」という構図をこの時点で既につくりあげていた。

が、はたしてここまでのブレイクをスタッフを予測していたのだろうか。
ひとまず大橋純子の「シルエット・ロマンス」の次曲として用意していた「セカンド・ラブ」を来生姉弟から幸運にも手にし、また「少女A」の続編的にあらかじめ用意していたであろう、「1/2の神話」(―――仮タイトルは「不良1/2」だったとか、これだけでこの曲が「少女A」の後追いというのがわかる)でつないだがはてさて、その後のヴィジョンはスタッフは考えていたのだろうか。

予測もつかないスピードでブレイクし、成長し、肥大してしまった「中森明菜」というイメージにこの時点のスタッフはようようついていたという感じだったのでは、と私には見える。
それはこの時期のシングル「トワイライト」「禁区」、そしてこのアルバム『NEW AKINA エトランゼ』を聴いていただければ、わかる。

ということで、『NEW AKINA エトランゼ』の話。
見出しにも書いてあるが、このアルバム、はっきりいって志が低い。
「NEW AKINA」などと名うっているが、どこも新しくない。
この段階での明菜のライバル(として周囲が見ていたの)が「百恵・聖子」であるのは前述の通りである。
その百恵陣営、聖子陣営の作家を新たに迎えたというだけなのだ。しかも各曲を見るにかなりぬるい発注がかかったと見られる。

百恵陣営からひとまず阿木燿子と谷村新司、聖子陣営からは財津和夫、細野晴臣。いつもの明菜陣営ということで売野雅勇、来生姉弟。また百恵における宇崎竜童としての役割を期待したのか、ダウンタウン・ヴギウギ・バンドがメジャーとの契約を敢えて蹴って人形浄瑠璃とのコラボや路上ゲリラライブ、堕胎や売春、薬物など過激なテーマの唄にうって出た頃合を見計るように出てきた程度の低いパクリバンド、横浜銀蝿が参加。という布陣。

でもって、阿木ー財津。売野ー細野とカップリングさせて、それぞれ作家は各二曲担当。しかも一曲はハード、アップテンポだとしたら、もう一曲は甘め、バラードとわかりやすいったらありゃしない。
これを巴里で録音して、ついでにアイドル雑誌とのタイアップの撮影もして、でもってイメージビデオも作って、なんて、もう、田舎モノ丸出し。
思いもがけずに大金が舞い込んで浮かれているスタッフの顔が見えるって話だ。
当たり前の話だが、金があるからって、有名作家に発注しなくても、意味のない海外録音しなくても、いい。
こんな安い企画書そのままの仕事なんて、さすが弱小事務所と鼻で笑うしかない。
(今の「研音」はごっつ大手だけどね)

え、ベタな発注でも仕上がった歌がよかったならいいんじゃない??というあなた。
今からその楽曲を虱つぶしにするから。
泣くなっっ。読めっっ。


まず来生姉弟「さよならね」「ストライプ」。
今までのシングルからいってバラードのイメージが強いので今回は「バラードなし」という縛りがあったのだろう。なんてったって「NEW AKINA」だから(笑)。
ということで強めのツッパリロック歌謡「さよならね」とアップテンポで明るめの「ストライプ」ということになったのだろう。

「さよならね」
「トワイライト」「禁区」時のシングル候補であったそうだが(明菜が推したらしい)、これじゃ弱いでしょう。
いわゆるツッパリ歌謡なのだが、作詞の来生えつこ嬢、あまりにもツッパリ歌謡に対して研究不足じゃありませんかね。―――ま、本人の素質というのもあろうが……。
「やさしさを売り物にするのはいいけれど  やさしいだけならばテレビドラマだわ」
ここが、サビのフックになる部分なのだろうが、やっぱ、弱い。もっとハッタリ効かせないとね。
それにまあ、なんだかんだいって来生たかおのメロも優し過ぎ。
素質にないことをやらせるものではない。失敗作。
ちなみに「静かなあなた」「手も握らなくて」「コーヒーだけ飲みすぎてうつむくムード」というのは「セカンド・ラブ」の「あなたのセーター袖口つまんでうつむくだけ」、「舗道に伸びたあなたの影を止めたい」の世界観とまったくといっていいほどパラレルであろう。
だから、無理なんだってば。

「ストライプ」。
こりゃ、河合奈保子だ。
「今度の夏の奈保子の勝負シングル、これなんだってさ」といわれれば納得するぞ私は。
朗々としていてアップテンポで翳りがなく伸びやかで、どこまでも河合奈保子。
悪くないが、明菜より河合奈保子が歌うべき。
「セカンド・ラブ」もらった明菜が聴くなり「こんないい歌、岩崎宏美さんに持っていってくださいよ」といったのなら、これも「奈保子さんに持っていってください」と明菜はいうべき。

つぎ、阿木ー財津作品。「ヴィーナス誕生」「時にはアンニュイ」。
前者がバラードで、後者がツッパリモノ。

「ヴィーナス誕生」。
阿木センセ、手ぇ抜いてない???
ま、出来のよし悪しのレンジがやたらひろい阿木せんせですが、これは、いまいちというか、いまに、いまさんぐらい。
ただ、明菜もよくない。
「もしもあなた望むのなら 白い蝶になって死んでもいい」
「恋は女を素直に変えてしまう」
この部分などもっと上手く歌えるはずなのに、「そんなこと思ったことないわよ」といわんばかりにしれっと歌っている。
作家と演者の精神交流のようなものが作品から感じられない。
ただ、今ならもっと上手く歌えるだろうと思う。

「時にはアンニュイ」
可もなく不可もなく。
ただ、遊びに誘われて派手なドレスで朝まで踊ったり、アンニュイに足など組んで疲れた仕草をしたりなど、この延長に「Desire」の歌詞が書かれたことは間違いないだろう。
と、この辺までは愛すべき失敗作、凡作といった感じで、許せるのだが、こっから先、かなり雲行きは怪しくなる。

横浜銀蝿作品、ツッパリ歌謡の「少しだけスキャンダル」とバラードは「わくらば色の風(ラブ・ソング)」

まず、「少しだけスキャンダル」
げ・ひ・ん。
三原順子にあげてください。明菜は間奏で「OH Yeah」と合いの手を入れているのだけれど、これがほとんど二日酔いの「オエーーーッ」。
後の「十戒」にも通じるやりすぎ感が漂っています。

「わくらば色の風(ラブ・ソング)」
なんだこのリリカルはっっっ!!!。なんつーかYoshikiが時々作るデロ甘のラブソング並に不愉快なんですけれど……。
つっぱりあんちゃんの理想的女性ってどっかドリームはいっているんだよなぁ。まったく。
曲自体悪くないんだけど、なんか横浜銀蝿が作ったと思うときもいんだよね―――。
だいたい「風」に「ラブ・ソング」というルビをふる自体、まぁよくも阿木耀子とか売野雅勇のいる目の前で出来るな、お前。
でもって「そうね……SAYONARAはただの言葉よ……」って。おっさん。
岩井小百合あたりで、勘弁してくれ。

谷村新司「感傷紀行」「覚悟の秋」
で、で、でたーーーーーっっ。
ついにでやがったな。
これはひどい、ひどすぎる。
スタッフは「『いい日旅立ち』と『秋桜』でお願いします」て、いったろう、絶対。
明菜に百恵の物真似をさせるな。減点100だよ、こんなの。

「いい日旅立ち」が「感傷紀行」で、名も知らぬ駅の改札抜けて心細さに胸震わせたり、すれ違う子供や遠くで聞こえた汽笛に物思いに耽ったりしてます。
あなた、セルフ・イミテーションって言葉、知ってる??
大体巴里録音でなんでここまでドメスティックなのさ、と。
しっかし、「脆い午後」でも思ったが、明菜には国内旅行が似合わんなぁ。

でもってなぜかさだの「秋桜」イメージで「覚悟の秋」。
母子愛がメイン・テーマ。さすがに結婚を出すのは明菜には早過ぎと思ったか、「秋桜」でうなりまくっている「結婚」のガジェットは抜いて作っている。
明菜は涙混じりに歌っていて、がんばっているのだが、あまりにも重く、百恵的であるし、(83年として考えても)アナクロい。
なにしろ、心の汚れたわたしにはその向こうにしてやったりと得意満面の谷村のにやけ顔が見えて、不快。
ただ、この曲、母を亡くした今の明菜ならよく歌えるかもしれないと思う。アレンジを変えてトライしてみる価値はあるかも??

で、最後になんとも評価しがたい売野ー細野作品は打ちこみ歌謡ロックの「ルネサンス 〜優しさで変えて〜」とアンニュイフレンチ風味歌謡の「モナムール 〜グラスに半分の黄昏〜」

まず「ルネサンス 〜優しさで変えて〜」。
とにかく明菜陣営と細野サウンドというのは決定的に食い合わせが悪いのか、シングルでも「禁区」という怪作を生んでしまうが、この「ルネサンス」でもまったく同じ問題にぶつかっている。
いわく、ここにあるのは「打ちこみと生楽器のサウンドの決定的な齟齬」。
萩田光雄のある意味ベタな歌謡ロックサウンドと細野の打ちこみが徹底的に喧嘩をしているのだ。
これは聖子作品「ガラスの林檎」「ピンクのモーツァルト」などと比べると如実。
ま、歌謡ロックとテクノの融合点ってのは難しいだろうし、明菜と聖子だと音色というか音自体も方向性が違うともいえるからなんともいえないが、なら打ちこみなしですりゃいいじゃんよ、と思われるわけで。

で、そんなちぐはぐなサウンドにまた、詞がなんとも、変。
売野センセは前アルバム『ファンタジー』でも「思春期」という「あなたいいのよ したいのなら 甘えてもいいのよ したいなら」というサビが「女の子の一番大切なものあげるわ」(「ひと夏の経験」)バリのはぐらかしで不愉快な作品をもってきたり、となんとも「アルバムで手を抜いてない???」な感じなのだが、この曲も腑に落ちない。
他人に合わせて生きられない私があなたに出会って変わった、って詞のテーマで、
「好きなように変えて私を愛されたいの 悪いことがあれば叱って 直すから」
と、このあたりのベースは奥村チヨ「恋の奴隷」なんだろうなぁ。
ここまでは有体ではあるが、気にならない。
が、最後に「もしもダメなら仕方ないわ なかったことにするわ」と唐突に突っぱねる。
ここで歌がぐしゃっと潰れる。
おいおいおい、とつっこまずはいられない。
最後の最後で着地に失敗したって詞だな、これは。

「モナムール 〜グラスに半分の黄昏〜」。
これは、もったいない。
唯一巴里録音の意味がわかる楽曲でオケは全編細野の淡々とした打ちこみで、「鏡の中の十月」とかYEN時代のコシミハルあたりのテイストに近く、詞作もいわゆる雰囲気モノなのだが外していない。
これは良い。楽曲としてはものすごく良い。
が、いかんせん、明菜が歌いきれていない。
絶対今ならこの数倍、上手く歌える。これは歌いなおすべき。
もったいないなあ、まったく。


ということで、『NEW AKINA エトランゼ』収録の楽曲はどれもこれも失敗作、凡作、駄作、下司作ばかりで到底成功したとは見えない。
それは、谷村新司、横浜銀蝿、財津和夫、阿木燿子、細野晴臣と、ここでの明菜班への新規参加の作家たちが以後ほとんど起用されていない(阿木が「Desire」で一回、細野はこの時同時録音した「禁区」が後日発売、また『ANNIVERSARY』で一曲書いている、それ以外の作家の起用は以後まったくない)ことからも明白だろう。

振りかえってみるに、この時期はもしかしたら明菜にとってはかなりやばい時期だったのかもしれない。
シングルもインパクトが薄くオリコン1位を逃した失敗作「トワイライト」、前述したように打ちこみとの齟齬が激しい怪作「禁区」と続いた。
大体、シングルリリース順もデビュー時から来生姉弟のバラード作品、売野作詞の歌謡ロック作品とが安易に交互になっているだけでマンネリに陥りかけていた。
で、アルバムもこの様子であってはセールスの失速も遅くはない状態であったろう。

それを一気に払拭したのが翌年頭のシングル「北ウイング」である。
ビートが効いているが甘く、強く歌っているがやさしい。ちょうど来生路線と売野路線を止揚したような作品―――これは林哲司自身が意識してそう作ったと自身の著書で述べている、となっている。
林哲司、えらいっっ。
でもってここで林哲司に発注した明菜も偉いっっ。
これも林氏の著書によると明菜本人の指名による発注であったらしい。またこのタイトルの「北ウイング」も「夜間飛行」「愛はミステリー」などの仮候補が出たものの決まらないなか、明菜が提案したタイトルなのだとか。
アルバムも寄せ集めアルバムであるが『ANNIVERSARY』『POSSIBILITY』と安定する。この頃がアイドル期のアルバムとしてはベストであろう。

ただ、この「エトランゼ」での失敗から、明菜の楽曲制作手段は「無名作家たちを集めてのコンペ」(―――ここでFUCCI QUMICOや国安わたる、都志見隆、許暎子などの人材が発掘される)、または「メジャーではあるが歌謡曲作家としての活動履歴の少ない作家の起用」(―――松岡直也、高中正義、吉田美奈子、久保田真琴、加藤登紀子など) という流れになったわけであるし、そう考えれば一度通らなければならない道だったのかもしれない。

2003.09.19

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