新居昭乃 「エデン」
1.New World
2.虹色の惑星
3.ルビーの月 ヒスイの海
4.Roundabout Drive
5.Pool
6.N.Y.
7.バニラ
8.夜気
9.パンジー
10.レインフォレスト
11.神様の午後
12.Tune
昇華できないアダルトチルドレンたち (2004.09.08/ビクター/VICL-61214) |
アニメ界の歌姫、新居昭乃の3年ぶりのオリジナルアルバムである。 「エデン」というタイトルであるが、これはパラドキシカルな意味合いがあると見える。 このアルバムで表現されているのは、「エデン=楽園」そのものではなく、エデンを遠くに望み見るもの、―――つまり楽園を追放されたものから見たエデンの輝かしい姿とそのエデンを失い漂い、孤独な旅に生きる者――それはイコールわたし達でもある、を表現したアルバムといえる。 「エデン」はあるが「エデン」は私のもとにはない。エデンは彼方で黄金の光を放っているが、われわれはそこに辿りつくすべを持っていない。この痩せた地上で生きる虚しさだけがここにある。 新居の近年の作品(―――主に「降るプラチナ」以降)は「うつ病患者の目に映る鮮やかな外界の風景」といったところがあり、今作でもそのテイストは更に強調されている。 精神が鋭敏な時のみ目に飛びこむ鮮やかな風景がこのアルバムを聴くと一瞬だけ幻視することができる。 それはなんて美しい、はっと息をのむほど美しい光景だが、しかしそれは見る者に遠い。どんなに近くで輝こうと、見る者にとってははてしなく遠い光景である。 手に届かないところにある輝き。それは心を病んだ者にだけ許される幻のエデンの風景である。 同業他者の先輩(といったらお互いに失礼か)の谷山浩子と比べると、谷山はどんなに自己が悲劇的・破局的状況でにおちいろうとも、希望へカタルシスへと昇華し、他者との共存というポジティブな方向にシフトしていくのに対して、 新居は常に自己の周囲をぐるぐると回っているようなところがあって、なにか問題らしいものがあろうにもその全体の姿は茫洋としてはっきりせず、ゆえに「苦悩する自己」という曖昧な実体のみがクローズアップされ、いつまでたっても他者が歌に存在しない。 それが「エヴァ以降」のアニメマニア達の心象風景と一致し、彼女の支持につながっているのでは、というのが、私の見立てである。 とはいえ、それはしかし「彼女の限界性」を表しているともいえる。 自己名義の作品のリリースがあたわずアニメ関係の歌をぽつぽつ歌っていた時代―――「懐かしい未来」のデビューからアニメソングのコンピレーションアルバム「空の森」発表までの10年間、のようないかにもアニメユーザー向け然とした無国籍RPGファンタジー風雰囲気モノソングを歌っていた頃の彼女と比べると、今表現しているものは自己に近いと見えるがこのままでは袋小路である。 確かにトラウマを撫であげるような彼女の詞やつぶやくように歌う彼女の声は生温かい羊水の中で泳ぐように心地よく、聴いているともうこのまま全てがなくなってもいいかもしれない、という気持ちになるが、現実はアニメのように全ての人間がドロドロに溶けて原初の海に帰るようなことなど、ありえない。 過去を、自己を、あらゆる矛盾を昇華できないエヴァ以降のアダルトチルドレン世代の神さま探しの袋小路をそのまま象徴していて、それはきわめて現代的とはいえるだろうけれども、 結局、彼女は何を失い、何を取り戻したいと願っているのだろうか。ひとまずそれだけを知りたい。 「時には激情にかられたっても、いいんだぜ。本当のことを言ってもいいんだぜ」というのが彼女への私からのひとまずの処方箋である。 |