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2009.06.27 ■ 追悼・マイケルジャクソン 彼のことを思う時、まず、みっつの映像が頭の中をよぎる。 ひとつが、人類の領域を完全に超克した驚愕のダンス。もうひとつが、パフォーマンスの終わったその次の瞬間に彼の見せる、まるで生まれたての赤児か、あるいは天使のような無垢できらきらとした微笑。そして最後のひとつは、それを見守る恍惚とした観客たちである。 舞台の上に今、確かに、奇跡がおこっている。美しき舞踏神がこの地上に舞い降り、わたしたちに微笑んでいるのだ。 あるものは号泣し、あるものは狂喜に歓声をあげる。見るものすべてが、彼に陶酔せざるを得ない、彼を愛さざるを得ない、それほどまでに舞台の上の彼は圧倒的だった。 そして、彼をして全ての人は、この美しくも繊細な舞踏の若き神の、無力な庇護者になってしまう。その微笑の瞬間のために彼を守ってやりたくなるのだ。 彼がどのようなゴシップやトラブルに見舞われ、整形と奇矯な私生活を繰り返したとしても、「仕方がないな」「馬鹿だな」「面白い奴だな」と呆れたりすることはあれども、その根底にある愛は決してゆらぐことはなかった。子供のたわいのない悪戯を肩をすくめて許す親のように、全てのファンが彼を許した。 彼が舞台の上で見せた奇跡で、すべての真実が垣間見えたあの瞬間で、全てがチャラになる。全ての世界が白く溶けて、そして再生される、あの一瞬、それを絆に、彼と世界中のファンは繋がっていた。 しかしそれは、ある面においてカルトの教祖と信者の関係とほとんど同じといってもいい。 「舞台の上の彼を見ればわかる」 あの瞬間を体感したものなら、そう云うだろう。だが、その瞬間を知らない者にとってその構図は恐ろしい異端のミサと映るに違いない。その時彼はファンの云う「大天使・ミカエル」ではなく「異形の怪物」である。 全世界の人々の魂を魅了し、骨の髄までとろかせて堕落させ、食らいつくす、飽くなき欲望の魔性。白人になるために過激な整形を繰り返す、少年愛の、歪んだ、孤独な、スーパースター……、「デンジャラス」以降の20年弱、連綿と続いた彼の様々なスキャンダル・ゴシップは、彼が異邦の神としてサクリファイスされた、その歴史といっていいのかもしれない。 はたして彼はわたしたちのために祝福の笛を吹く天使だったのか、それとも悲しき見世物小屋の怪物(フリークス)だったのか。実際どうだったのかは、わたしはどうでもいい。様々な噂の事実も知ろうとも思わないし、そもそも知りようがないだろう。 ただひとつ云えることは、彼は、世界中の全ての人を愛そうとし、そしてそれ同等かそれ以上に、世界中のひとり残らず、全ての人から愛されようとしていた、地球上の全ての生きとし生ける者すべての愛を、抱擁の暖かい腕を、求めていたのだ、ということだ。 そのあまりにも途方のない愛を何故彼は求めたのか、私のような凡人にはわからない。とはいえそのように生きた彼は、人間として生まれながら、人間になれずに「マイケル・ジャクソン」という名の天使、あるいは怪物として、自らの生を閉じた。 彼の存在そのものが現代の奇跡だった。 さようなら、そしておやすみ。 次は人として生まれてこれたら、いいだろうね。 2009.06.25 ■ 中森明菜「ムード歌謡」 中森明菜本・第二弾でしっかり書きあらためたいけれども、ひとまず発売日にざっと聞いての感想。 「明菜でムード歌謡!?」 最初その話を聞いた時にイメージしたそれより、ずいぶんいい。全篇村田陽一によるホーンセクションの充実したビックバンドアレンジは、これまでの千住明のそれとはまた違った良さもある。60〜70年代のそのもののというより、それをオマージュした現代風といっていいだろう。半田健人なんかが喜びそうなサウンドだ。 とはいえ、豪華な「夜もヒッパレ」という感も、また、ある。中森明菜の血には、やはり、ムード歌謡のサウンドは流れてないのだ。 中森明菜が自我を確立させ、歌手を目指そうと奮闘する70年代後半には、民放地方局の開局をはじめとするテレビの視聴チャンネルの拡大、カラオケの登場、ディスコブーム、フォークブームの到来など、様々な要因をもって、音楽を発信する場としてのナイトクラブ・キャバレーは急激にその地位を失い、キャバレー文化の音楽であったムード歌謡もほぼ完全に死滅している(――余談だが、成功を夢見たクラブ歌手だった私の伯母も、そのマネージャーだった実母も、この時期にその夢を断念している。そして母はレコード会社のスカウトマンだった父と結婚し、私が生まれた、というのはもっとどうでもいい余談だ。ともあれテレビやプロダクションのオーディションや、またライブハウスもない当時の、歌手を夢見る者の登竜門がナイトクラブやキャバレーだったのだ)。 ただ、このアルバムは、他人の歌を自己のドラマに引き寄せてみずからの内面をシリアスに吐露していたこれまでのカバーアルバム「歌姫」シリーズとはまったく違う。小泉今日子の「ナツメロ」(88年発売のカバーアルバム)に一番近いアプローチといえるかもしれない。 中森明菜の歌声は千変万化しながら、しかしなんとも無邪気に、カラオケ感覚できゃっきゃと楽しげに歌と戯れている感じなのだ。ここにいるのは「清瀬の中森さんちの明菜ちゃん」だ。 中森明菜の実母はバイトで地元・清瀬のキャバレーで歌を歌ってもいた、その姿に幼時の明菜は強い憧憬を抱いたという。「おかぁちゃん、カッコいい」このアルバムはその母の幻影の再現なのではなかろうか。 母を愛し、母の導くその先を盲信して歌手を目指した少女の中森明菜、その姿の30数年後のアルバムと、私は聞いた。 2009.06.22 ■「選別の中のロマン革命――中島梓・栗本薫論」 基本、自分のことを頭がいいとも、文章が上手いとも思っていないし、読み手の気楽さのなかにありたいと思っているので、書かなくって済むなら、それに越したことはないかなと思っている。 なのに、なんで書くのか。それはもう単純に、自分が読みたいと思っているものがないから、それにつきるわけで、だから「自分が読みたいもの」というハードルをクリアしない限りは、自分にとっての書く意味はないわけで、とはいえ、そのハードルをクリアするのはスペックの低い自分にとっては並大抵のことでないわけで。 ――そんなこんなで最近は「私にとっての栗本薫・中島梓」でなく、客観的に「栗本薫・中島梓」という作家についてきちんと書きたいなぁ、でもできないなあ、と、もやっとしていた。涙に濡れたり怒りに震えたり、みずからの感情によって彼女を語るテキストはたくさん読んだし自分も書いたけれども、そうじゃないのがほしかったのだ。 というところに、このテキストは、とブログのコメントで紹介された。 http://noririn414.g.hatena.ne.jp/ending/ 「選別の中のロマン革命――中島梓・栗本薫論」 彼女のふたつのデビュー作「ぼくらの時代」、「文学の輪郭」を支点にして、彼女の、時代の、文学の、それまでとそれからがきちんと真正面から評論されている。凄いっ。素敵っ。天才っ。 栗本薫・中島梓が、当時の、どのような文学思潮、時代背景によって見出されていったのか。また彼女は現代から文学から、何を見出し、何を表現しようとし、挫折していったのか。栗本薫・中島梓なるものは、いかなる作家であったか。彼女のしめした可能性と時代の予兆。そしてその後の彼女の迷いこんでしまった、しかし必然でもあった樹海。それらがきちんと冷静に分析されている。もちろん著者への愛もオマージュもある。 と、これらは「YMOコンプレックス」(――この本も好き)の著者の円堂都司昭さんの文章。こういうのを待ってたのですっ。これでわたしの書く意味はなくなったね。うん。よかったよかった。 てわけで、栗本薫・中島梓をよりよく知りたい人は、読んだほうがいいと思うよ。 2009.06.04 栗本御大追悼・コンビーフ炊き込み御飯のために買ったものの、結局投入できなかった分のコンビーフをフツーに食べる。 コンビーフに浅漬けしていたきゅうり・葉セロリ・プロセスチーズをみじん切りにして、マヨネーズとひとたらしの醤油でまぜまぜ。それをアツアツごはんにかける。うんめー。ごはんがすすむわぁ。 食パンとかフランスパンの上にのせてオープンサンドでもアリだね。アリ。納豆とか海苔の佃煮とか、ああいうちょっとした感じで使えるね。 ポイントはセロリの清涼感と、きゅうりのしゃきしゃき感。かなり野菜は多めがいい感じ。レタスもあったら使っちゃうかな。 とはいえ食べた後やっぱり胃もたれした。コンビーフ炊き込み御飯のように、一日中吐き気にのた打ち回るような事態にはならなかったけどね。 三十路にはいって胃腸、弱くなってるなぁ。 ※ 明菜本の通販、銀行振込にイーバンク銀行も使えるようになりました。通販開始前から申込みしていたんですけれどもね、やっとという感じで。振込済ませていない方で、イーバンクへの振込みのほうがいいという方はご一報ください。 2009.05.31 明菜本を出すわ、猫と暮らし始めるわ、栗本御大はオーバーザレインボーするわ、怒涛の五月がようやくおしまい。超ド級のイベントが起きすぎだよ。全て警告通り計画通りのことではあったのですが、なんかもう、この一と月で老けた。元々老けてるけど。 そうそ。明菜本に関して、色々と感想・お礼・激励・進言、その他諸々ありがとうございます。色々と「ああしたいなぁ、こうしたいなぁ」というものを今の自分の手におえる範囲内で全てやり尽くしたものなので、気に入っていただけたならこれ幸い。 老眼なので字の小ささが辛いとおっしゃられた方がいましたけど、それはまったく考えの及ばなかったところっ。昔の文庫本や新聞のようにみっしりと小さい文字のつまった紙面の方が好きだな、頁数少ない方が印刷代安く済むし、って感じでこの大きさにしたのですが、そうか、明菜世代の上の方は、もう、そういう領域にはいってるんだな。 国立国会図書館にも納本したので、これで百年後に昭和の歌謡曲を研究してみようという人にも勘違いさせることができるってものです。 2009.05.24 明菜本届いたぞおぉぉぉっっ。 凄く綺麗に製本されていて、まこ様ご満悦。 ふぅ、やっちまったねっ。中森明菜本で日本一だね、こりゃ。これを超える明菜本は、今はないね。 って、調子に乗ってる? まぁ、今日くらいはいい気にさせてくださいな。 そんなこんなで、土曜日は一日中発送作業してました。100通以上を一気に発送作業というのは、さすがに死にます。 5/22までに入金確認取れたは全て発送済みです。 関東・甲信越・福島県・北陸・東海地方へは月曜、それ以外の遠方の方は火曜日には、それぞれポストに投函される予定です。 きちんとビニール包装しましたので、雨で汚れるということはないと思いますが、もしなにかありましたらご連絡ください。 2009.05.22 ■ 猫日記 5/12 夕方。近所のスーパーに買出しに行く。スーパーの向かいのほか弁屋で張り紙を見る。 「子猫が産まれました。里親探しています」 その下に電話番号が書いてある。 一瞬立ち止る。迷う。ひとまず家に帰る。食材をしまいながらも、まだ迷っている。迷う自分が鬱陶しくなってくる。面倒くさい、もう引き取られてるかもしれないじゃないか。電話だけでもかけてみよう。 「まだ一ヶ月くらいなんだけれどもねぇ、見てみる?」 「じゃ、今から行きます」 見るだけだから、そう言い訳しつつも、エコバックに使い古しのバスタオルを敷いてまた出掛ける。五分で着く。 「さっきの人? 早いねー」 飼い主さんに驚かれる。もしかして自分、がっついてる? 「昨日張り紙出んだけれどもすぐ決まっちゃってね、四匹のうちの最後がこいつ」 三毛猫がバスケットのなかで眠っている。小さい。というか小さ過ぎる。しかも両目の周りにかさぶた状のものがあって気がかり。一瞬ひるむ。 「本当はもうちょっと面倒見たほうがいいんだろうけれどもね、みんなすぐもらいたいって、連れてっちゃって」 どうやら飼い主さんは、迷い猫の面倒とかをついみちゃう系の人っぽい。細かいことはさほど気にしなさそう。 「他に引き受けたいって方とかいるんですか?」 「写メ撮って、家族と相談って人とか。電話も何人か」 うぐっ。すぐ近くに動物病院とペットショップと幼稚園があるものなぁ。こりゃ、即決しないと、多分うちの子にならないな。ってか、ここまで来たなら答えはもうひとつしかないはずだろ。 「じゃ、もらい受けてもいいですか?」 バックに子猫様を入れさせていただく。おとなしい。 「一ヶ月くらいしたら写メ見せてね」 「はい」 帰りがけに子猫用の缶詰を買って帰る。家に着いてバックを広げる。熟睡しておられる。 ダンボールを組み立てて使い古しのフリースを敷く。そこに寝かせる。 猫欲しいねと云いあっていた友人に「猫ゲットしちゃった−っっvv」とメールを送る。 猫、お目覚めになる。水と猫缶を与えようとするがお食べにならない。緊張しているのか。 慣れていただくために、部屋に放してみる。うろうろする。かなり元気。でも足腰がしっかりしてない。ガニマタでよろよろ歩く姿はまるでモモイロトカゲのよう。そしてやたらめったら狭いところに入りたがる。 本棚のなかがご満悦だったのか、そこに入ってじっとこちらをご覧になる。時折、こちらに歩み寄ってもこられる。 猫サイトで色々と調べる。そろそろ寝つかせた方がいいかなと、ダンボールに戻す。 子猫様あっけなくダンボールを飛び越えて、本棚にもぐりこむ。そこがいいのか、そこが。ダンボール、意味ないやん。解体して、本棚にフリースを敷く。本棚で子猫様ご満悦。 5/13 猫トイレ一式セットと猫ミルクと爪とぎボードを買い出す。 猫トイレは成猫用だと大きすぎるので大きめの鉢植えの水受け皿で代用する。 さてどうしてトイレットトレーニングすればいいのか。ひとまず猫トイレに子猫様をお運びする。と、早速そこでお出しになられる。大成功。 食事は猫用ミルクと缶詰をぐちゃぐちゃにして離乳食っぽくしたのを出してみる。目の前に皿を置いてみる。食べ物だと認識されないご様子。 「おら、食え」 お顔を無理矢理お皿に押し付けさせていただく。食べ物があると認識した様子。ガツガツ食べだす。 それにしても目の周りがやっぱり気になるなぁ。両目がきちんと同じように開かない時がある。左眼がちょっと半開きになりがちで涙目っぽくもある。目やにも気になる。 5/14 健康診断ついでに動物病院に連れて行く。バックから不安げにこちらをみる。手を差し入れるとぺろぺろと舐められる。子猫様はこちらをかなり信頼してくださっているご様子。 大きな通りに面していて、待合室にはさんさんと光の入る、ちょっとお洒落なカフェ風の内装な動物病院、何も狙ったわけではない。一番家から近いのだ。 「まぁ、大丈夫ですね。爪でみだりにひっかかないように爪を切ってあげて、あと塗り薬も一応出しますね」 ふむ。家に帰って爪切り。こちらはおとなしくされるがまま。傷薬を塗る。染みたのか、ふぎゃとはじめての威嚇。 さてお食事。お皿に置いた食べ物をカツカツと勝手に食べて、食べ終わったら、スタタタタとトイレに直行される。マーベラスっ。 5/15 朝。気づくと同じ布団でわたしの太ももあたりを引っかいている。痛いよ。と、子猫様のご尊顔をよく拝見する。アレ? かさぶただかなんだか、かなり取れてない? 指の腹で強く撫で付けてみる。あ、取れるわ。あっけなく完治。一段と美猫ぶりに拍車がかかる。 5/16 猫様の、んこした後の砂の被せへの執着は異常。 必死になりすぎて目測見誤り、子猫様、後ろ足で自分のんこをふんでしまう。 うんこ、ついた……。子猫様ありえないほどブルーになられる。 もう、拭くって、拭かせていただきますってば。 5/17 子猫様は完全にこちらを飼い主と認識されたご様子。 布団で寝っ転がっていると布団に入り、モニターの前にいるその隣に座りだし、ソファーいると乗ってきて、と常にこちらを意識したご行動。 寝起きにはやたらちゅっちゅと顔を舐めまくる。まったく魔性の激プリっぷりであられますな。 5/18 深夜の大運動会。 かまってやらないからといって、おもいっきり助走をつけて寝てるわたしの顔面にダイブしないでくださいお願いします。 だってあんた、いちいちが本気噛みでいたいんだもん。 5/19 家に帰るとむくりと起きだして甘えた感じでこちらにご挨拶。 あーん?自分が可愛いと思って調子に乗ってんじゃないのぉ?ちょっと媚売りゃ上手い飯が食えるしぃ?みたいな? ったく、こんな可愛い生物がこの世にいてよいものなのかねっっ。 子猫型のエイリアンが地球に侵略してきたら、多分、人類はあっけなく負けると思うね。 5/20 もうそこらじゅうでリラックスしまくっている。 お股をぱっかーんと広げたまま、だらしなく熟睡。 あんたそんなところで寝てたら危ないって。踏むわ。 5/21 アレ? なんかあんたでかくなってない? 来て二、三日目には通れたところが通れなくなっているし、初日に引きこもった本棚の中もめっきり入らなくなってるし、トイレもなんか、最近狭そうだしな。 毛艶もつやつやして、表情も自信に満ち満ちた猫っぽい感じで、足腰もしっかりしてる。前はもっとあんた、しょぼくれてたよね。 料理用の測りに載せてみる。700gだとーっ。一週間前に病院ではかったとき500gだったよな。仕方ないのでトイレを二倍サイズのものに新調する。 2009.05.16 某作家が簡単でうまいと自讃するマーガリンおむすびにトライしてみる。ごはんに塩と味の素を混ぜ、醤油も少したらす。具には、マーガリンをひとかけら。食べる。人生の敗北者の味がした。ひと口ごとに切ない……。脂モノ大好きだけれども、脂そのものはオカズになるまいて。 次はコンビーフの炊き込みごはんにトライしてみよう。米三合でコンビーフ三缶使うらしい。ある種戦いだな、脂肪との。 一方で、某漫画家が、手抜き料理の作り方を紹介していた。 「まず作り置きしておいた鰹節のだし汁を使って――」 おいっっ。料理に手を抜きたい人はまず、だし汁を作り置きしてないだろって。それぞれ、元々立っている地点が違うんだろうなぁ。食い物の話って、個人差がありすぎて面白いよね。 2009.05.15 中森明菜ファンブックへの早速の申込みありがとうございます。メッセージもありがたく拝見してます。 中森明菜さんのこの夏の新譜情報もざくざくと出て来ましたねっ。色々と動き出してるなーっ、と。 ところで。 通販お申し込みに際して、メールアドレスの間違いがいくつかすでにあります。 単純に打ち間違いの方、あるいはmakorin-tsuhan@hotmail.co.jpからのメールの受信を拒否かなにかの設定にされている方、などなど。 お申し込み時に自動返信でメールが即時にそちらにも送信されているはずなのですが、それが送信不可ということで、舞い戻ってきてしまっています。特にケータイからの申込みの方に多発しています。 申し込み受付のメールが数時間経っても届かないようでしたらそのような事故の可能性がありますので、まず迷惑メールフォルダをご確認の上(――そちらにまわされているようでしたら速やかに設定の変更をお願いいたします)それでも見当たらないないようでしたら、打ち間違いの可能性が極めて高いとおもわれます。 再度の申込み手続きか(――備考にその旨必ずご記入ください。住所・お名前を確認し、以前のものは破棄いたします)、お名前・ご住所・メールアドレスを明記の上、こちらへのご連絡をよろしくお願いいたします。 2009.05.14 入稿したっ。 中森明菜本のデータは印刷所に行きました。 ひとまずアンケートに答えてくれた人数分は確実に行き渡る部数を印刷かけました。――けど、はたして、どうなるか。 どういう感じで刷り上るのか、自分もドキドキ。自宅のプリンタでチェックした分にはフツーだったけれども――、初めての印刷屋さんだし、初めての一からのデータ作成だし、どれほどの申込みが実際に届くのかもわからないし、ちょっと不安。色々な面において今回は試金石という感じなので、ヘンテコだったらごめんなさい。次への反省材料にします。 ってわけで、通販予約サイトも公開します。 通販・インデックス (for PC) (for ケータイ) ご購入の流れは―― 申込み→銀行振込→入金確認→発送 ヤフーオークションや同人誌の通販に慣れた方ならいつもの感じです。 通販サイトの説明をご覧になって、それでもわからないところがありましたら、連絡おねがいします。 6/1から順次発送とありますけれども、印刷が早く仕上がりこちらに届いた場合は繰り上げての発送となります。うまくいけば5/25には発送できるかも。 2009.05.11 ひっさしぶりにマジ風邪をひいている。G.Wの外出しまくったのがいけなかったのか? 喉いたーい。体だるーい。立ちくらむー。座っているのもしんどいー。 ってわけでおとなしく布団の中で養生していればいいものの、薬が効いてちょっと調子良くなったのに、明日は紙ゴミの日だからと、天袋にしまったままのもう読まないだろう本の処分なんかはじめてしまう。 だって次は二週間後だし、なんて、思いつきで取りかかったら、これがもう、悪い汗が出まくる出まくる。 こういう時ってどうしてじっとしていられないんだろ。自分にとって何もメリットないのがいやなんだろうね、きっと。ただじっと時間が過ぎるのを待つだけっていう、この非生産性に耐えられないというか。 ボーっとするのも大好きだけれども、それは「何もしない自分」を楽しんでいるわけであって、こういうじっと我慢するだけの時間というのは、とてもたえられない。なにかしていた方が気がまぎれるんだよ。 ってわけで今も今とて、日記の更新しているわけである。嗚呼。 きっと死病にとりつかれたら、悪あがきするタイプだろうな、自分。泰然と最期の時を待ったり、身辺整理したりってのもなく、最期の瞬間までわたわたとなんかしてそう。あれやってない、これやってない、と。 2009.05.07 ■ 明菜本アンケートFAQ み・な・ぎ・っ・て・き・た・ー・っ。 明菜本、もう出します。出すことにします。6月頭にはおそらく、多分。印刷所の予約もしちゃったもんねっ。色々と正式に決まったらおいおい。多分一週間ほどしたら通販予約ページ用意できると思いますので、詳細はそこで。 ってわけで、明菜本アンケートに関してFAQ。 Q. 1000円以下になりませんか? A. ごめんなさい。無理です。小部数印刷の同人誌だと一頁10円換算くらいがぎりぎりの相場なんです。スポンサーになってくれる方や、大部数買取してくださる方がいれば、その分価格を下げられますが……。商業出版の新書・文庫と比べると高価ですが、本書はツメツメのレイアウトで、原稿用紙換算だと350枚を越えてますので、ハードカバーの一般書籍と同程度かそれ以上のコストパフォーマンスと考えていただければ……。 Q. 海外発送は受け付けていますか? A. 日本語対応が可能で、入金・発送が可能であれば、時間は大幅にかかると思いますが、できうる範囲内で対応したいと思います。が、ケースバイケースだと思いますので、通販開始時にひとまずご一報ください。 Q. 新作はどれくらいですか? A. 後日アップする通販概要を見ていただければある程度わかると思いますが、年表を含めれば完全な新規テキストは半分弱です。とはいえ、ほぼすべてのテキストを大幅に改稿していますので、全部新規とも。 Q. 90年以降の明菜についてもお願いします。 A. 今回がうまくいけばもちろん考えています。ってわけで今作を応援してください。 Q. アンケート、ケータイだとぽちっとできないんですけれども。 A. あれは発行部数に関しての指標という感じなので、お気持ちだけで充分ですよ。 2009.04.29 ■ 中村克「最後のパレード」盗作の件 中村克「最後のパレード 〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話〜」という本が今年の二月末に発売して、出荷ベースで50万部のベストセラーになっていたそうだけれども、その内容のほぼすべてが2ちゃんねるの書き込みやらオリエンタルランドの社内報やらのそのまんまを丸写し状態で無許可に盗用したということが発覚して大変なことになっているらしい。 ↓ まとめサイト http://www42.atwiki.jp/parede/ ↓中村克・本人のサイト http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/ んでもって、当の作者は第一報を報せた読売新聞を名指しで罵倒しまくったエントリを書いたと思ったらを急いで削除したりしているらしい。今日は今日とて、読売新聞社の前で焼身自殺してやるとかおっしゃってるらしい。 なんかもったないなぁ。 盗作がよくないのは大前提だけれども、二ヶ月でそこまで売れるということは、このコンセプトには莫大な需要があったってことでしょ。謝罪はもちろんだけれども、今回の失策を糧にして次のためにもっとなんとかできないものかな、と。 それに「ディズニーランドだいちゅっきっ、もう、こんなところやこんなところやこんなところも素敵なんだからぁっ」ていうそれを心底数多くの人に知らしめたいというのなら、逆に今回のトラブルは文章書きとしては大きなチャンスだと思うんだけれどもな。なんで? だって色んな人と会って話ができるじゃん。 これだけ話題になっているのだからオリエンタルランドの各関係者はもちろん、2チャンネルに元ネタを書き込みした人とかもさ、お詫び行脚という名目で、探し出して会うことができるでしょ。 そしたらネットの文章の転載でなく、生のリアルな声が聴けると思うんだよね。わざわざネットでディズニーランドに好意的な文章を書く人なら、絶対他にもいいエピソード持っているはずだもの。それを知るということは絶対宝になるはずなのに。自分が本当にディズニー大好きッ子ならば真摯に対応を重ねれば絶対向こうも心を開いてくれるはずで、そういうのを青眼で拾い上げてちゃんと了承を取って次の本にっていう展開も考えられると思うんだよね。もちろん今回稼いだ印税分なんて軽く吹っ飛ぶとおもいますけど。 この件に限らず、いいモノを作りたいと本気で思っているなら、トラブルってある面では自分を理解して次の飛躍につなげるいい機会でもあるはずなんだよな。ちゃんと逃げずに真面目に対応すればいいのになぁ。もったいない。 ――て「ディズニー」も「本当にあった〜」も「感動する話」もどうでもいいわたしがいうのもなんなんですが。 2009.04.28 中森明菜本、ひとまず上みたいなレイアウトです。年ごとに大きく分けて、それぞれ本文、と。 アンケートも、回答ありがとうございます。 同人誌で出すなら、在庫過剰で赤字にならないくらいの需要はありそうですね。 ちょうどワーナー時代の完全シングルコレクションが六月に出るので、もし同人で出すならそのタイミングがベストかなと今は考えています。 ひとまずG.W終えるまで同人誌を請け負う印刷屋さんは忙しいので(――そうなんですよっ)頼むにしてもその後かな。 つかもー、こういうオフセットの同人誌制作をひとりでやるの初めてなので、右往左往。 2009.04.27 印刷屋さんに電話で質問してみる。時期が悪かったのか、要領を得ないおねぇちゃんが電話に出る。明らかに第一声からダメ臭い。声が小さい。覇気がない。まともに社名すら聞こえない。 「印刷頼もうとサイト拝見したのですが、不慣れでわからない点がいくつかあったのですが、対応できる方お願いできますか?」 「はぁ」 電話を代わる気がない。あなたなの? あなたじゃダメだろ。まぁ、いいや。色々質問してみる。 なぜか「困りますぅ」とかいわれる。萎える。 困りますぅって、あんたが困られてもこっちは知ったこっちゃないっつうの。金払って仕事依頼しようかなぁって思っている人間相手なら、なにがどうダメで代わりにどうすればいいのか、きちんと説明してくれよ。更に続ける。 「A5で120頁、紙はノベル紙、喉空きは10ミリで足りますか?」 答えられずに黙られる。印刷屋のプロなら、そんなに難しい質問でもないだろ?わかんないなら、ちゃんとした人に代わるなり、後で折り返しなりにすればいいものを。 「20から25ミリあれば」 こういう人ってのはたいてい適当に答える。そんだけありゃそりゃ足りるだろうよ、文庫とか新書とかフツーの本が大抵15ミリくらいだもの。薄いノベル紙で120頁前後の厚さならどうなのか、っていうそこが聴きたいんだっつーのに。 あんね、わたしが同人系で関わっていて一番うんざりするのは、こういうところね。電話応対すらまともにできない社会人失格なダメ女(――と、ここは言い切るね)が同人作りの感覚の延長でアホ面下げて、平気で「お仕事」してんのね。電話応対なんて基本中の基本だろうがっ。せめて会社名と自分の名前くらいちゃんとはっきり言えよなーっ。 全部とは決していわない。しっかりした人も無茶苦茶多いんだけれども、こういうどっしょもない人が一定数いるのも事実(――しかも書き手自身よりも、その周辺――アンソロジー編集のとか、書店の委託担当とかに多いイメージがする、なぜか)。 別に同人誌作りはいいのよ、友達やらなんやらできゃわきゃわいいながら作れば、買い手も共犯関係の仲間みたいなもんだし。でもあなたとはそういう関係じゃないだろ? 俺は、てめぇの飯の種を運んできた大事なお客さまだっつうのっっ。「お客様」の権利を傘に着るつもりはないけれどもさ、それなりに意志があって赴いているのをやる気のないしょぼくれた接客受けると本当に萎える。 そこでわたしも「あなた相手だととても仕事任せる気になれないから、ちゃんと物事のわかる人いないですか?」なんてピリッとした一言を言えればいいんだけれどもね。言わないの? 言えませんよ、私は。 ――てわけで、中森明菜本に関してちまちま動いてまっす。校正、だるいいい。もう自分の文章読みあきたぁぁ。 2009.04.19 ■ 中森明菜本アンケート 疲れてたのか、4/13の日記でうっかり吐露したこと、ある程度しっかりアナウンスしなきゃなと思ったので、もう一度言いますね。 中森明菜に関するテキストをここ二ヶ月くらいずっと書いてます。ただそれらはこのサイトにアップしようという心もちは今のところありません。書籍と言うまとまった形にしたいのですね。web上でなく、紙媒体がいい、と。 もちろん商業出版がベストなんですけれども――そのためにお話を伺ったりもしているのですが、同人誌でもかまわない、自分がとことん納得いく形にするならそれも道かなと一方では、思っているところなのです。 んで、実際見切り発車的に書いて、既にWEB上にあげたものは手直しも大幅にして、編集もしている、と。中森明菜の82〜89年の全作品のレビューの本という形であれば(――ここまでで原稿用紙換算で400枚位なんですが(苦笑)、進捗率は八割はもう超えている状態なのですね。 んで、同人誌を作った経験のある方ならご存知でしょうが、オフセット印刷って大抵100部単位での印刷なんですよね。 100部刷って自分だけ満足して99部デッドストックを作るというのは、これ、物凄く哀しいわけで。とはいえお金かけて刷ったものをタダで配るのはもっと虚しい。そもそもうちのサイト、閲覧者は馬鹿みたいに多いけれども、わざわざお金出してまで買ってくれる人ってどれだけいるのかまったく読めない――。 ――というわけで、アンケートを設置します。 「私の作った中森明菜さんのファンブック、買いますか?」 ↑上のリンク先にある程度この本のスペックが記載しています。便宜上ふたつ選択肢がありますけど、どっちも同じです。 もちろん100票はいったら即時刊行決定というわけでもないですし、これがその予約というわけでもないです。 ただ原動力になることは確かですし、実際何部印刷するかという参考にもなりますので、もし「出来たら買うよ」という方は是非ぽちっとしてやってください。ちなみに投票はひとり一回のみ。 他、この件に関してなにか思うところありましたら、いつものようにメールでも拍手のコメントでもしてやってください。 もちろん「同人もいいけど、うちで出さない?」という奇特な出版社の方もいらしたら、是非ご連絡ください。 2009.04.10 ■ 久米宏の話 彼の、いちいちもっともらしいことを語りつつも、「でもそんなことはどうでもいいんですけれどもね」と一瞬で全てをちゃぶ台がえししてしまいそうな姿勢、色んなことに本気で興味を持ち首を突っ込みつつも、一方で本当はそれらが平等に無価値であるという態度を崩さない、それがいかにも「本来の」ジャーナリズムらしく、私は好感を覚える。 百恵ちゃんの尻を触るのも、黒柳徹子や横山やすしの暴走を止めるのも、そのへんを歩いている人にインタビューするのも、政治家やスポーツ選手と対談するのも、全て平等に心から楽しく心からどうでもいい。どこどこで紛争がおこっているとか、こんな法律が国会で審議されているとかそういう深刻な話題も、八神純子がちょっと太ったとかどうでもよさげな話題も時間の流れとともに綺麗に全て流れさって、ほとんどの人が忘れてしまうという意味では全て等価、だから、なんでもかんでも出来うる限り今を知り、今を楽しんでしまおう。 マスメディアなんてのはご立派だと思うのが勘違いで、本当はただの無邪気で無責任な知りたがりなのだ。それを彼は体現している。 この陽気なニヒリズムとでもいうべき姿勢は、しかし、なかなか出来そうでいて、出来ない。久米宏の成功とともに、数々のアナウンサーが久米宏を目指したけれども、ゴルフしたいとか、銀座のおねぇちゃんの乳をもみしだきたいとか、あるいは後々は政治家になって理想の世界を創造するぞ(笑)とか、世の矛盾を糾弾するぞ、とか、当人の余計な自意識が滲み出て、なんだか決まらない。権力志向が強く、いちいちに「意味」を付与させようとして、彼ほど軽妙洒脱で無責任でいられないのだ。まあ、人というのは、大抵ある種の理念であるとか欲望に固執してそれが正義だと信じて行動してしまうものだがら、仕方ないことなのかもしれないだけれどね。 ――と、いうわけで、マスメディアにおいてもっともマスメディアらしい久米宏は「ニュースステーション」という、テレビという箱の中で治外法権といってもいいような場を築きあげることに成功したわけだけれども、はたして「ニュースステーション」という場を解体し、現在のテレビの現場に降り立った時、彼は古臭い化石になってしまったのかもしれない。「Nステ」以降、何度も立ち上がりながらもいまいち成功しない久米宏の新番組の第三弾「クメピポ」を見てみた。 様々な関係各所に気をつかい、叩かれたり騒がれたりしないようにそろりそろり作りつつ、一方でそれでも無理にでも盛り上げようという妙な気概が出演者をはじめまわりにただようという、実に今のテレビ番組の作りらしい部分がことごとく彼の持ち味とバッドチューニングしているところが、なんだか悲しい。 彼が面白くない。それは翻っていえば、テレビというマスメディアはマスメディアらしくなくなってしまったということでもある。 彼の盟友的存在を想起してみると、黒柳徹子は、「徹子の部屋」というテレビ内治外法権での活動がメインだし、大橋巨泉は、セミ・リタイア以降時々ゲストに出てきては横柄な顔をするおじいちゃんとという役割、横山やすしは自滅し、萩本欽一はテレビから距離を取り欽ちゃん劇団と趣味の野球が中心だ。 メディアの意味が変わり彼らが勇退したのと同じように、もう久米宏はメディアでの役割を果たしてしまったのかなと思ったりもするが、テレビという場を離れたとき、やはり彼は面白いのだ。 TBSラジオ土曜日の「久米宏ラジオなんですけど」。一定の見識を持ちつつもベースはいい加減でいいっぱなしで適当で調子がいいだけで、何より本人が楽しんでいるという姿勢に、こちらも楽しくなってしまう。 もちろん滑舌や抑揚も抜群で千変万化しながらも聞きやすく、この人はアナウンサーとしても最高クラスのプロなのだなと、改めて感心してしまう。 彼ってもともと役者兼アナウンサーのようなところもあるんだよな。「今はニュースキャスターの演技しています」「今は歌番組の司会の演技しています」っという姿勢。演じているだけなので、舞台が跳ねたら、さっき言ったことなどすべて忘れてけろりとしている。 ――というわけで、つまりは今度の土曜の「久米宏 ラジオなんですけど」は黒柳徹子スペシャルで、2時間久米×黒柳で押し通して、さらに俊ちゃんも飛び入りでやってくるよ、ネットでも聞けるし、過去の回もダイジェストで聞けるよ、という。興味あったら聴いてみてみて。そんだけなのである。 2009.04.13 ここ一ヵ月半くらい、ずーーーーっっっっと、中森明菜のことを書いている。頭おかしくなるんじゃなかろうかというくらいに、中森明菜のことばかり考えている。この労力、いつか報われるのかしらん? 「セカンドラブ」「バリエーション」「1/2の神話」「本気だよ」「禁区」「メモワール」「十戒」「ミ・アモーレ」「SAND BEIGE」「赤い鳥逃げた」「1985ツアー Bitter And Sweet」「MY BEST THANKS」「BEST」「ジプシークイーン」「不思議」「Fin」「ノンフイクションエクスタシー」「TANGO NOIR」「BLONDE」「Cross my palm(ビデオ)」「BEST 2」「LIAR」は書いたっ。 え、今抜けているもののほとんど、書いてない? そうです。ほとんど書いてます。ワーナー時代だとあと「Stock」と「TATTOO」くらい。これも書き途中。なんかもう、頭溶けそう。 だれか私に中森明菜の本を出させてください。企画書用意してます。 2009.04.10 ■ 文オタ 「どんな人がタイプですか?」 よくよく自分の内面を照らしあわせてみるに、性格とか容姿とか、あんまり考慮に入らない。どうもわたしは文章が素敵な人が好きらしいのだ。 理路整然としているとか、色んな知識を蓄えているとか、率直であるとか、ユニークであるとか、情念が強いとか、テクニックがあるとか、そういう諸々全てひっくるめて、素敵な文章を書く人。それだけで、男女の別なく、どんな人だろう、お近づきになりたいなぁと思ってしまう。 書かれている内容に同感するというのもそうだけれども、そうでなくぜんっぜん自分の価値観とあわなくっても、それが気にならないくらいに上手いと、いいなあ、凄いなあ、綺麗な文だなぁ、素敵だなぁと、憧れてしまう。 もちろんその逆で、退屈でありきたりで糞つまらん文章を書いている人に対しては、別にそんなもので人間の優劣が決まるわけではないとわかっていても、どこか適当にあしらってしまう。よくこんなセンスの文を書いていられるものだ、と思ってしまう。 顔オタならぬ文オタ。これはもう仕方ない。業なのだ。たとえ中森明菜が「まこりんさんとお友達になりたい」と言ったとしても、彼女の言葉がビビットに私の感性に響かなければ、無理なのである。心底は敬愛できないのである。 って、ここで勘違いして欲しくないのは「あてくしは鴎外や芥川レベルの文章でないと満足できないですの」みたいな、傲慢な権威主義とは違うのよ、ということなのだ。 もちろん鴎外も芥川も素敵だけれども、そうでなくって、まだ右も左もわからない子供の言葉がストレートに心に刺さる時ってあるでしょ、そういう風に、自分の今のありようにみあった素敵な文ってのは、本当は誰でも書ける可能性は秘めてると思うのだ。 とはいえ、それがいつでもできる人ってのは、やっぱりなかなかいないわけで、しかもそれは、スポーツのようにこの練習を続ければ必ず上達するというものはないわけで、だからそれができる人を凄いなあ、と私は憧れてしまうのだ。 2009.04.10 ■ いじめが初めての人に教えてあげたいちょっとしたこと ちょっと今日はいつもと違う話。人間関係の暗部「いじめ」の話をしてみようかなと思う。 新年度ってのは、新しい職場や新しい教室での新しい人間関係の構築をしなければならない時期でもあって、今まさしく「いじめられやしないかな?」ってどきどきしている人も、いるかもしれない。 「いじめ」について特に私が深い知見があるというわけでもないのだけれども、例えば「そんなものは昔からあった」とか「今の若者は心が弱い」とか石原慎太郎みたいなおじさんが、ごりごりの保守的マチズモで精神論をぶるのは、なんだかなあ、全然解決にならないなぁと、私は感じる。 とはいえ、いじめ体験者がよく語る「私はこんなひどい目にあわされた」とか、「こんな風に見返してやった」って話も、なんか被害者意識が強くって、あんまり気持ちのいいものでもなくって、妙な距離感を感じるのだ。 「いじめられる方も問題がある」――たしかにそういう面もあるよな、と思う。 「いじめる方が悪いに決まっている」――そりゃそうだよな、と思う。 「いじめを見過ごしているのも加担者のひとりだ」――そういう言い方もできるよなぁ、と、思う。 「いじめてるつもりはなかった。ちょっとした悪ふざけのつもりだった」――そういう時もあるよなぁ。え、そんなつもりじゃなかったのに、みたいな。 「嘘だろ。そんなわけないじゃん」――たしかに、あからさまな言い逃れっていうのもあるよなぁ。 「いじめは昔からあった」――まぁ、そうだよな。 「でもこんな事件にまでならなかった」――そうかもしれないよなぁ。 うん、それぞれの意見は、ある面を言い表しているのだろうけれども、なんだかもどかしいのだ。 「いじめは人間関係の病気」なんだと私は思っている。 病気。風邪とか頭痛とか虫歯とか、そういう私達が普段かかる病気。でも、ひどい風邪でもこじらせると命を落とすように、些細な偏頭痛が死病のシグナルだったりするように、油断すると死に到るかもしれない病気。 だからまず第一に、それは決して恥ずかしいことじゃないと、人が集まる場所ならどこでも誰でもかかる可能性はあるのだと、患者もそれを見守る周囲も、そういう意識を持つのが大事なんじゃないかなと思うし、「自分が全部悪い」と変に卑屈になったり、あるいは「私は全然悪くないのに」と被害者意識を高める必要もないと思うのだ。 風邪にかかるのに色んなパターンがあるのと同じように、いじめにあうのも、色んなパターンがある。劣悪な環境にいてまったくかからない時もあれば、隣でゴホンとしただけでかかってしまう時もある。一概にこれのみが原因と決めてかかるのは早計だし、原因探しをして攻撃対象を見つけるよりもまず、適切な対処で治すのが、第一。 それを「風邪は気合で治せ」みたいなマチズモで叱咤などはただのいやがらせで、なにも意味はなさないと思うのだ。今、結核や天然痘で死亡する患者はいないけれども昔は死病であったように、もしかしたら「いじめ」は昔と比べると威力を増したのかもしれないのだから。 それに対処法だって簡単なもので、人間関係の病気なのだから、どんなに重篤な状態になっても全部の人間関係をリセットしてしまえば、それで完治してしまう。 単純に学校も会社も、やめてしまえばいいのだ。なにちょっと収入がなくなるなんて、大したことでもない。学校なんてなにをかいはんや、転校でもなんでもすればいい。高校なら単位制の学校とか、夜間部、通信制、いくらでもある。いくらでもリカバー可能だ。 「心が弱い」いう人もいるかもしれないけれども、命あっての物種。自殺したいとか、誰かを殺したいとか、そういう黒い欲望を募らせて人間が腐っていくなら、スパっとリセットが絶対いいにきまっている。自分の命を捨ててまでして守らなければならない大切なものなんて、愛する人の命以外、この世にはひとつもないんだから。 世間様とか体面とか、そんなものはいい機会なんだからさっさと捨ててしまえばいい。自分にとってなにが大事なのか、わかるいい機会になるはずだ。 ただ、もしその症状が軽いのなら、風邪でいえば「体育は見学だけれども学校には出れるかな」くらいの症状なら、急いでリセットせずに、ちょっと頑張ってみるのもいいとおもう。 愛煙家が気管支炎になりやすいように、酒飲みに肝硬変が多いように、神経質な人が癌にかかりやすいように、病気と同じく「いじめ」にかかりやすい日々の生活習慣や日常の言動や意識というのはあると思うし(――そういう意味ではいじめられている方にも多少なりとも原因はあるとわたしは思う。風邪をひかないため、あるいは早い段階で治すための対処があるのと同じで、「いじめ」にかかりにくい、かかっても速やかに完治できる対処はあるとは思う)それを好機として自分を知り、自分の性質を少しばかりかえるのも、いいかなと私は思うのだ。 「元気に挨拶をする」とか「普段話さない人に興味を持って話し掛ける」とか、なんでもいいから変えてみるのだ。 だってさ、ただ逃げるだけってのも、なんか癪じゃん。はい、被害者でしたね、で、終わってもいいけど、それもひとつの経験だと思って、後で振りかえった時に「あの時しんどかったけれども、あの部分について学んだからいいかな」みたいな感じで自分の中で「儲け」の部分も出したいじゃん。あれは無駄じゃなかったな、あの時頑張ったなって、思いたいじゃん。 もちろん無理に頑張って症状をこじらせてしまったらダメだし、ゆすりたかりや暴力の被害者になっていたら、もうこれは「いじめ」でなく明らかに犯罪の領域なので、回避と告発に向けて可及的速やかに全ての対処を行うべきで、こんな時に「頑張る」のは、42℃の高熱の状態で「体が弱いから風邪に負けるんだ」とかいって寒空で乾布摩擦しているのと同じで、頑張るぶんだけ死に近づくというものだけれども、そうでなく、なんか居心地悪い、軽くいじめられている、馬鹿にされている避けられている空気だ、という段階なら、そうしてみる価値は大いにあると思う。 ――って、理念ばかりだと上滑りなので、自分の体験を話す。 小学生時代、わたしは学年一の成績で、明るく友達も多く、級長もこなしクラスをまとめ、教師の覚えのいい、そういう生徒だった。物凄い「いい子」だったのだ。大人の言う事を、言外の意味すら全て汲んでそれに素直に従う、純朴を装った如才ない優等生。はっきり言って調子に乗っていた。 はたして私は県内の公立中学でなく、通学に一時間をかけて都内の高偏差値の私立中学に通うことになった。わたしは昔と同じようにふるまった。教師の吐く言葉をコピーしたような正論で相手をやりこめる。成績もクラス上位。目立っていてもいた。 反抗期初期の、しかもこまっしゃくれた、都会のいいとこの中学生にとっては、気分の悪い生徒だったのだろう。気がつくとなんとなく孤立するようになり、なんとなくいじめの対象になっていた。 今までのセオリーがまったく通じず、一転、私はびくびくおどおどするようになった。こうなると全てが悪いほうに転がっていく。びくびくするのが面白いから余計回りがからかう。いちいちひとつひとつの言質をあげつらう。そうなるとよく知らない有象無象も尻馬に乗って収拾がつかなくなる。 もう学校なんていきたくない。といっても、暴力とかそう言ったのは、もちろんまったくない。せいぜい、気がつくと椅子がないとか、なんか変な奴が興味本位でからかいに来るとか、「好きな人」でチームを作るとあまりがち、とか。 それでもこんな辛いのは生まれて初めてだった。うちの実家は決して裕福ではなかったのだが、両親が教育熱心なのとそれに私は応えて、私立に進学することになったのだが、時代がバブル全盛というのもあったろう、着ているものなどの身なりから、その裕福でなさ(――物凄い貧しいというわけでもなかろう)や、それでも通学に一時間もかけて通うという「田舎の苦学生」っぷりをあげつらわれ、それが何よりも私の劣等感を刺激した。 昼休みが特に辛くて、毎日、クラスメートのまず訪れないだろう、立替寸前の人気のまったくない旧校舎によくもぐりこんだりした。遺書めいたものも書いた。それが半年あるか、ないか。 どうすればいいのか、どうにもならないのか。12歳の私は連日本気になって考えていた。ある日、ふと、気づいた。 「『いじめる』という行為って、一種のコミュニケーションだよな」 コミュニケーション。これがその時わたしに浮かんだキーワードだった。 つまり相手はなにかしら自分に興味があるなり、思うところがあって、コミニュケーションをとろうとしている、しかしそれは私の視点から見た時に相応しい形ではない。だから「いじめ」と映っているのだ、と。だったら私の望むコミュニケーションの形に、組みかえればいいじゃないか――しかしわたしは昔っから小難しい理屈ばかり頭の中でひねくりまわしていたのだな。 それからわたしは「私をいじめている」クラスメートに対して努めて積極的にアプローチすることにした。びくびくおどおどしない。かといって喧嘩腰にもならない。冷やかしやあげあし取りにたいしてもフランクに対応する。まるで、気安い友達のように冗談めかしていなす。 「なんだよ○○、そんなに俺のことが気になるわけ?」 「――ったく、俺のことで頭いっぱいだな」 嘘でもいいから、そういうつもりになって対応する。自負を持って強気で、かといって怒らず嫌がらず、笑顔でおおらかに融和的に、相手を受け入れるように。自分を誤魔化し誤魔化しでとてもしんどかったけれども、少しずつ山を切り崩すように、ひとりひとり普通のクラスメートにしていった。 わたしは彼らよりも貧乏でオタクでKYかもしれないけれども、その分、成績はいいし、押し出しはあるし、根は明るいし、おしゃべりなのだ。よくよく考えてみれば、びくびくする必要なんてなんにもなかったのだ。 そうしているうちになんとなくわかってきたことがまたあった。わたしが「いじめ」と感じていた部分の一部は、わたしが彼らに対して頑なになって、心理的な壁を作っていたからこそ生じたものだったのでは、と。つまり、思い過ごしも多かった。たわいのないことで勝手に傷つき「いじめ」と感じていた部分も結構あったのだ。私も私で随分なものだったのだ。 ひとまずこの段階で、わたしは「まこの中学一年・いじめ問題」をひとまずクリアすることが出来たのだが、ただ、ここには大きなひとつの問題が残っていた。 結局「学校」というコミュニティーが自分にとって居心地のいい空間であるためには、常にクラスメートの関係性の網の中に囚われていなければならない。これが大問題だ。 はっきりいって、わたしは生まれた時からの根っからのオタクなので「ただ意味もなくみんな仲良くつるんでいる」というのが死ぬほど面倒。「趣味のあわないつまんねー奴と一緒に盛り上がりもしないだるい話してなんになるの? そんなことより早くおうちに帰って明菜のCDで萌え萌えしたいにょっっ」と思いながら、適当にあわせるのがだんだんかったるくなってきたのだ。実家の事業が傾き、14歳に四国の松山に転居することになり、人間関係がそう入れ替えになったのもあってか、もはやその面倒くささはMAX。 高校にはいった私は「自分、オタクだし―キモイしー。ってか、別にクラスで孤立しててもいいしー。そもそも学校とか、そういう場所自体興味ないんだよねー。好きに扱えばー」という超無防備戦法にでることにした。イタリアもかくやの無防備都市だ。 これが見事に大成功した。本当にほっとかれた。勝手にバシバシ学校サボるし、休み時間にやおい本読むし、クラスで浮きまくるし、でもまあ、そういう人なんだから仕方ない。 自分の扱いを自分も気にしないし、まわりも気にしない。あ、なに? これでよかったの? よかったのだ。 その時わたしは思った。 あ、そうか、いじめってのは、所属するコミュニティーを維持しようと努める人たちのしめすアレルギー反応みたいなものなんだなって。だから異物が異物のままで無自覚で内側にはいれば激しい反応が起こるけれども、わたしみたいに異物ですよ、だから外部にいますよ、あなた達の中にははいりませんよ、ってスタンスを明確にすれば問題ないのだな、と。 そして思った。 いじめている人って、自分でいっぱいいっぱいで、他者を受け入れる余裕のない人達なんだなぁ、と。価値観の同じ仲間で固めないと自分が不安で、だから周りの視線をびくびく読みあってお互い雁字搦めになっている、そういう心の弱い人なんだなあ。愚かでかわいそうな小人なんだなあ、と。 この時から、わたしはいじめからかなりの部分フリーになった。 わたしは変な人かもしれないし、嫌がる人もいるだろうし、それはしかたないことなんだし、気にすることじゃないんだ。時にはもしかしたら徒党を組んでいじめる人たちもでてくるかもしれないけれども、彼らは弱いだけなので怖れる必要はまったくないんだ。 ただ、さっき言ったように「いじめ」は関係性の病気なので、色々あって人間性が腐りきって、他者の人格を踏みにじることにまったくためらいのなくなってしまった人とか、あるいはその逆の、自分の思い通りにならなければなんでもかんでもいじめられた、被害者だと喧伝する人もいる(――これって裏表だと思うな、他者を認めないという点ではまったく同じ)わけで、またそういういじめの関係性を誘発しやすい「場」というのもある(――パワハラとかセクハラの起こりやすいところってあるっしょ)。 だから、まったくのいじめと無関係になれる人ってのはなかなかいないと思うけれども(――わたしは仕事に関してはいじめ的関係性に陥りやすい部分があるので気をつけるようにしている)、そういうどうしようもない人や場では、我慢できる範囲なら我慢して、それでもダメなら逃げるなりで、対処のしようはいくらでもある。大体やばい人ややばい場所ってのは、瘴気が漂って空気が重いし、だから人がいつかないし、なんとなくわかるものだ。 要はみんないじめられる可能性もあるし、いじめる可能性もあるし、それは当人の責任でもあるけれどもそれだけの責任でもなくって、まあ、だから、病気なんだから、誰彼と責めてもしかたない。 だから、病み始めたらこじれる前に周囲に相談するなりして治療すべきで、本気でヤバくなったら無理せず、手術(――という名の人間関係リセット)しろ、と。本来は不治の病ではないのだからさ。んで、回復したら、病にかからない体作りしようぜ、と。 いじめって、愛と自負と少しばかり心の余裕があれば、誰だって克服できると思うのだ。 ――ってわけで、わたしのいじめ話はおしまい。これが役にたつかどうかはわからないけれども、ただわたしがいいたいのは、新しい環境での人間関係の構築に失敗してしまったとしても「そんなの、大したことじゃないよ」ってことなのだ。 2009.04.07 眠い。眠すぎる。ってわけで拍手レス三月分。 ☆ 中森明菜さんが大好きな16歳です。明菜さんのレビューはもう書かないんですか?最近UPされてないんで... これからもサイト運営頑張ってください!!応援してます。まこりんさんのレビューは読みやすいし、ほかのサイトと違って信頼できます by taka 《res》 はいな。中森さんのテキストは書きますよ、ちゃんと。まとめてどさっと出したいので、ちょっと待っててくださいね。 ☆ 「沢田研二」についての文章よかったです。これからも読ませていただきます。春も近いですがまだ寒い日々が続きます。くれぐれもご自愛を! by 夢大王 《res》 誰も愛してくれないのでこれからもご自愛する方向で生きていきます。 ☆ 百恵、明菜の大大ファンである私は、毎回「そうそう!!」とうなずきながら読ませて頂いています。百恵ちゃんのアルバムについても、もっともっと「レビュー」していって欲しいです。(個人的には「L.A BLUE」「A FACE IN A VISION」とか最高だと思っています。これからもがんばってください! by carmen 《res》 百恵ちゃんもそうですねー。時間と気力があれば。 ☆ すばらしい考察ありがとうございます。ファンでしたが、最近になって明菜の詳細を知りたくなった四十代男性です。 by ushizimakazu 《res》 うちは、中森さんの詳細というより妄想なので、そこ気をつけてくださいね。 ☆ まだ5・6項目くらいしか拝見していないのですがとても面白かったです。 自分は20歳なので、リアルタイムで中森明菜さんを見てきたわけではないので色々知ることができました。個人的にはTANGO NOIRが1番好きです。 最近の歌手では中島美嘉さんと木村カエラさんの歌が好きです。何か思うところがあったら彼女らについても書いていただけたら嬉しいです。 《res》 美嘉たんは、不安定すぎるボーカルがたまらんよね。書くのは、いつか、うん。 ☆ よしながふみさんの批評、面白く読ませて頂きました。ちなみに西洋骨董洋菓子店、ケーキうんちくは本からそのまんま転載なんだそうで…。鋭過ぎます。あと、「愛がなくても喰ってゆけます。」という作品を読めばなぜ彼女が嫌いなのか、もっとわかるかもしれません。お勧めはできませんが。 by crazy 《res》 嫌いなところ探しなんてストーカーみたいなことを僕はしないよっ。 ☆ 「あなたのポートレート」についての記述は、本当に共感できます。この曲を明菜は多分相当気に入っていたであろうし、男性ファンの多くが一瞬で引きづり込まれたでしょう。明菜の感情が素直こめられていた、明菜に期待するイメージを最大限に膨らませてくれる名曲でしょう。 by ushizimakazu 《res》 あんがと。でもわたしが「プロローグ」で一番好きなのは「イマージュの翳り」です。 ☆ ものすごく面白いコラムですね!とても勉強になります。 自分はバンドもしてるんですけど、知ってるつもりで全然知らなかった事がいっぱいあるんだなと痛感させられました。 特に工藤静香の「嵐の素顔」レビューはお腹がよじれるくらい笑いましたです。 是非お時間がありましたら酒井法子全アルバムレビューもよろしくお願いします(笑)! 「幸福なんてほしくないわ」にそんなエピソードがあったなんて知りませんでした…ファンなのに…。 by 麻生裕介 《res》 サンキュー。って、ノリピーのアルバムを一枚も聞いていない人間に物凄いハードルを用意しましたね。そのハードルはきみが飛び越えたまえっ。 ☆ まだ一部しか拝見してはいませんが、感動しました! 歌手としての高岡早紀・和久井映見のレビューをここまで真剣に(失礼)なさっている方がおられたなんて。あれらの作品の素晴らしさ(音楽としてだけでなく、背景や関係者のメンタリティなど含めて)をあのように軽妙に文章にできる才能に嫉妬してしまいます。 むろん自分は中森明菜も好きなのでそのレビューにも首肯しまくりですが、高岡・和久井作品の素晴らしさに感動しているのは自分だけなのかとかこっていたものですから。 明菜の『十戒(1984)』、Eurythmicsの『Sex Crime(1984)』この二つのヒット曲になにか因果関係が有るのか…昔から気になっていたことですがどうなのでしょうか。 by ジオヴァンニ 《res》 どちらも早紀ちゃんも和久井さんも歌は完全にプロデューサー主導なんで、なかなかな評価されないですよね。和久井さんは特に無視されている感じ。 ユーリズミックスの「Sex Crime」の副題が1984ってなっているのは、単純にジョージオーウェル原作の映画「1984」の主題歌だからですよ。 んで明菜の「十戒」とジョージオーウェル「1984」の関係は、まず皆無なので(って、売野さんだもの、気分でつけただけでしょ)わたし的には無関係という判断です。 ☆ すばらしい by sayu 《res》 ありがとう。 ☆ ジュリー関連を読ませていただきました。「人間60年・ジュリー祭り」のエントリーでは、涙が出て仕方がありませんでした。私は現在45歳。ジュリーに対して密な時間を費やしていたのはおそらく高校から大学4年ごろまで。そのあとは、社会という現実の中で自分の居場所を築くために必死で、ジュリーのことはだんだんとフェイドアウトしていったように思います。 20代の後半で結婚してからは特にテレビすらも観なくなり、夫の国であるアメリカへ移住した8年前から現在に至るまで、ジュリーの歌どころか、姿さえも見ることはありませんでした。でも、つい最近友人から借りたドームコンサートの録画番組を観て、改めてジュリーのファンになった私です。二十数年の空白が本当に悔やまれるし、それ以前の私の知らないジュリーの世界も今から少しずつ辿っていきたいと思ってます。私もまたジュリーに夢を見せていただきました。私のことばっかりすみません。これからも時々お邪魔しますね。 by Takako 《res》 またジュリーのことを思い出したならまた応援してあげればいいだけだおっ。気にしないっ。ジュリーはそんなこと気にしちゃいないさっ。 ☆ 涙しながら拝見しました。感動しました。また時間を見つけて、いろいろと感想をメールのほうに送らせていただきたいと思っています。 by MIWA 《res》 これもジュリーなのかな? サンキューです。 ☆ ワーナー時代のA面B面全曲の入ったCDがついに出ましたね。書いていただいたB面さくさくレビューを参考にしたのは間違いありません。私も明菜のB面の曲の良さを再発見できました。本当にありがとうございます。 by ushizimakazu 《res》 あー、ワーナー時代の完全シンコレ出るみたいですねー。わたしは足りてるので買わないっすけど、「もうひとりの明菜」買い逃した人には朗報なのかな? ☆ 去年、突然明菜様にはまった三十路女です。Youtubeで偶然見て なんだこの表現力は! 歌うために生まれた人だ!と衝撃を受けたのが きっかけです。シングルのレビューでまだ書かれていない曲がいくつかありますね。 私は、ミアモーレが好きです。リクエストお願いします。マイペースでいいので、これからも更新頑張って下さいね。 by レオン 《res》 レビュってないシングル・アルバム作品はおいおい埋めていくつもりですので。「ミ・アモーレ」も、はい。 ☆ 中山美穂のさえない旦那、辻一成の文章すごーく納得です!女性誌連載の文章の気取りまくった勘違い男。大嫌いです。 だいたい意味もないのにパリに住んで気取りまくって、鳥肌たちます。もっと切ってやって下さい!! 今後もがんばって下さいね。 by かおり 《res》 がんばるけど、ひとなりんごのことはもう触れないおっ。そんなに必死に嫌わなくってもいいじゃないさ。 ☆ ジュリーのドームのお話はじっくりと読ませて頂きました。涙が出てきました。35年もファンだというのに、地方に住み子供もいて、どうにも駆けつける事ができませんでした。ジュリーの事をここまで読みとってくれている事に「ありがとう」を言いたかった・・・なんて、私以上にきっとファンでいらっしゃるのでしょうね・・・これからも書いてくださいね。 by みなみ 《res》 ありがとね。いやぁ、みんなジュリーファンは熱いなぁっっ。 ☆ はじめまして、汐見さなえと申します。 たしかまこりんさんのところには栗本薫か西炯子を検索してたどりつきました。それからブックマークさせていただいて、やおい関連の記事を楽しく読ませてもらっています。 なかでもよしながふみのページを読んで、わたしはなぜ自分がよしながふみがダメだったのか、教えてもらったような気がしました。 ずっとわからなかったんです、なんでわたしには合わないのか。人から勧められて、評判も良くて、読んでいて不快ではないけれど、でもなんかちょっとー・・・、と思っていたのですが、まこりんさんの文章を読んで、こういうことだったのかなー、とわかった気がしました。 こんな感じのもやもやした気持ちを自分のなかで整理して文章にできるまこりんさんがうらやましいです。栗本薫「JUNE全集」のレビューはなんど読んでも笑えました。 by 汐見さなえ 《res》 整理、できてますか? 我ながら読み返していつも感情論に屁理屈を貼り付けているみたいだと思ってるので。 ☆ 斉藤由貴論、絶品です。頑張ってください。 《res》 がんばります。 ☆ 非常に趣味が合います 《res》 それはよかった。 ☆ 明日から新年度ですね。新人に訓示でもと思って初心忘れるべからずって考えていたらここにたどり着きました。少しですがHP拝見させてもらいまして、魅力ある方だなと思いました。私と同年代だと思いますし共感できるところもありました。良いHPだと思いました。ありがとうございます。 by しょうへい 《res》 どういたしました。魅力があるまこりんでした。 2009.04.04 ■ 大阪万博とディスカバージャパンと小柳ルミ子 1970年の大阪万博ののべ入場数は6421万8770人である。日本国民の約半数がこのイベントに参加したという計算になる。まさに国家的一大プロジェクトだったわけだが、とりわけ特記すべきはその輸送である。 全国民を全国から大阪にむけて、大阪から全国にむけて輸送する。地方空港と高速道路網の整備がはかばかしくなかった当時、この国民総移動といっても過言でもない大型輸送の多くを担ったのが国鉄だった。このとき既に赤字を累積するようになっていた国鉄であったが、複線化、電化、高速化、新線建設、車輌の増備など、様々な設備投資を全国でさらに推し進め、1970年を乗り切る。 はたして、国鉄の設備はいささか過剰になっていた。大資本が困った時に現れるのはいつもの電通屋さん。 「需要がないなら、生み出せばいいじゃない」 一大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」は大阪万博終了直後の70年秋からはじまる。 当時、旅行といえば、修学旅行、会社の慰安旅行、新婚旅行、家族旅行といった団体旅行か、もしくは登山やユースホステルを渡り歩く成人男性の貧乏旅行――いわゆる「カニ族」、このどれかだった。そこに新たなターゲットをみつける。「若い独身女性」だ。 一定の余暇と可処分所得をえて確実に社会的な位置を持つようになってきた若い女性へ向けての、気の置けない女友達との、あるいはふらりと気ままな一人旅の提案。旅のテーマは癒しと自分探しだ。コピーは美しい日本と私(――女性のナルシシズムを刺激する絶妙なコピーだよな、これ) キャンペーン対象は日本全国。全国各地に点在する地理的条件が発展にそぐわず近代化が遅れ、高度経済成長から取り残された旧街道沿いの宿場町や城下町、港町を「古きよきかつての日本」をあらわすアミューズメントパークとする。具体的場所で言えば、萩、津和野、飛騨高山、倉敷、大原、嵯峨野などだ。つまりは、これ。 「風情のある景色見てー、地元の美味しいご飯食べてー、おっきいお風呂に入って―、ちょっと変わった体験とかもして―、今までと違う自分を見つけたりなんかして―、あと地元の人と交流なんかも出来たらいいよねー」 今でいうF1層やスイーツ(笑)向けにパッケージ化された「旅」のかたちが、このとき生まれた。この延長に「るるぶ」が、「世界の歩き方」が生まれる。全国の地方の多くの旧市街が観光地化するのも、これがきっかけといっていいだろう。 新創刊した女性誌「an・an」「non-no」にはタイアップで特集を組み、国鉄提供のテレビ番組「遠くへ行きたい」も制作した。 高度経済成長を象徴した「大阪万博」のあとの揺り返しもあったのだろう、日本の伝統と古きよき風景を再発見するというこの内省的なキャンペーンは、ターゲットの若い女性(――彼女らはアンノン族といわれるようになった)だけに留まらず大成功を収めた。 その時代のアイドルとして存在したのが小柳ルミ子だ。デビューから10年近くの間、一貫して彼女が歌で表現していたのは、今の彼女からは想像できない「和」の世界だった。 16歳でデビューし、新・三人娘として南沙織・天地真理と人気を分けた彼女だが、改めてシングルを聞きなおすと、あまりにも古式蒼然とした楽曲に驚く。南沙織・天地真理が同世代的な若若しいポップスであるのに比べて、小柳は演歌といってもおかしくない叙情的な純・歌謡曲だ。ひと世代前のいしだあゆみ、スパーク三人娘らと比べてもなお古い。 佇まいも南、天地ともに、歌の上手い少女がふらりと歌手になったという風情なのに比べて、デビュー時点から小柳はビブラートもファルセットも完璧で実にプロフェッショナル。 しかしこの幼い頃から歌手を目指して一途に努力していたのが仄見える少々古めかしいありようは、擬古典的で淡色の「和」の歌謡曲と実に相性がよく、少女たちの「ディスカバー・ジャパン」の一景として世に響いたのであった。 デビュー曲にしてミリオンセラーの「わたしの城下町」、日本歌謡大賞を受賞した「瀬戸の花嫁」はもとより、サビで民謡調になる「漁火恋唄」、牧歌的な日本の恋の風景がよい「春のおとずれ」(――これは岩崎宏美「春おぼろ」の姉妹作だな)、祇園祭をテーマにした「ひとり囃子」など、味わい深い佳曲が並んでいる。 南、天地らが加齢と共にセールスが低迷していくのに比べて小柳は歌の世界で北へ南へと全国行脚しながら、安定したセールスを築いていく。 しかしそれも77年まで。この年、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」は終了。小柳ルミ子も、石垣島を舞台にした「星の砂」、阿寒湖を舞台にした「湖の祈り」と、北の果て、南の果てに行き着いてしまう。ヒットしたのはここまでだ。 78年からは国鉄は山口百恵をイメージガールにした「いい日旅立ち」キャンペーンへと御色直し。またこの年に、新東京国際空港(成田空港)が開港。アンノン族は国外へと飛び出していく。それと同時に歌謡曲は国内旅情から海外旅情へとシフト。 78年1月の「カナダからの手紙」(畑中葉子・平尾昌晃)のヒットを端緒に、80年までの短期間に「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」(庄野真代)「魅せられて」(ジュディ・オング)「異邦人」(久保田早紀)「パープルタウン」(八神純子)「モンローウォーク」(郷ひろみ)「謝肉祭」(山口百恵)と、これだけヒットが生まれた。 小柳もこの流れに乗り、海外にイメージを飛躍させ79年に「スペインの雨」をリリースしているが不発。やはり小柳ルミ子は「ディスカバー・ジャパン」を歌ってこそなのだろう。その後は、和風回帰した「来夢来人」(ライムライトと読む)を中ヒットさせるが、低迷する。 人々の旅のロマンチシズムは異国へと向かったっきり帰ってこない。そこで84年に末期の国鉄が最後に打ったキャンペーンが郷ひろみをイメージキャラクターにした「エキゾチック・ジャパン」。テーマは「日本こそ異国だ」。欧米のジャパネクスを逆輸入するようにして、異邦人感覚(センス・オブ・ワンダー)で「日本」を見る。この流れを読んだ中森明菜はリオのカーニバルやサハラ砂漠を歌ったのと同じ感性で、「DESIRE」「二人静」で「異国としての日本」を歌うのであった。 その頃小柳ルミ子は――。83年に「白蛇抄」と「お久しぶりね」で、レビューと肉食獣的お色気に特化し、あの、「小柳ルミ子」になっていた。かつて表現していた日本情緒は跡形もない。 2009.04.02 ■ 1980〜89 アイドルアルバム 売上ベスト20 1 光GENJI 光GENJI 93.8 2 チェッカーズ 絶対チェッカーズ 83.9 3 中森明菜 BEST 2 80.7 4 中森明菜 BEST 77.4 5 チェッカーズ もっとチェッカーズ 74.5 6 中森明菜 バリエーション 74.3 7 中森明菜 メモワール 71.0 8 松田聖子 SUPREME 70.0 9 荻野目洋子 ノンストッパー 69.1 10 光GENJI Hi! 65.2 11 中森明菜 D404ME 65.1 12 光GENJI Hey!Say! 64.8 13 松田聖子 ユートピア 64.8 14 松田聖子 CANARY 63.2 15 工藤静香 gradation 62.4 16 中森明菜 POSSIBILITY 62.3 17 中森明菜 ファンタジー 61.6 18 中森明菜 クリムゾン 60.1 19 松田聖子 パイナップル 59.0 20 チェッカーズ 毎日チェッカーズ 57.9 中森明菜がアホみたいにランクインしててわらけた。8作品もあるのな。つか、明菜・聖子・チェ・光GENJIの四歌手で寡占状態。アルバムをセルするアイドルってのは80年代ではホント稀有だったのね。 あと特徴なのが、あんまりベストアルバムが入っていない。明菜が3枚。静香が1枚。荻野目ちゃんのハーフベスト。こんくらい。今と変わらず80年代も年末・年度末になるとよくベスト盤が出ていたけれども、それがビッグヒットに繋がるっていうのは、今ほどでもなかったよう。 それと、80年代後半って一般的にアナログレコードからCDへの転換でセールスが落ちたといわれるけれども、アルバムに関してはさほどでもなかったんだね。86年年末の「クリムゾン」「ノンストッパー」から88年正月の「光GENJI」まで丸一年、このリストでは穴の期間があるけれども、それほどでもない。 むしろ82年夏の「パイナップル」以前の作品はひとつもここにエントリされていないというほうが印象的。ラジカセやウォークマンの普及、レンタルレコードの隆盛でむしろ80年代はアルバムのセールスが延びつづけた十年という見方の方が正しいのかも。 ■ 1980〜89 アイドルシングル 売上ベスト20 1 近藤真彦 スニーカーぶる〜す 104.7 2 光GENJI パラダイス銀河 88.9 3 薬師丸ひろ子 セーラー服と機関銃 86.5 4 松田聖子 ガラスの林檎/Sweet Memories 85.7 5 薬師丸ひろ子 探偵物語 84.1 6 近藤真彦 ギンギラギンにさりげなく 81.6 7 松田聖子 風は秋色 79.6 8 中森明菜 セカンドラブ 76.6 9 田原俊彦 哀愁でいと 71.9 10 チェッカーズ ジュリアに傷心 70.3 11 光GENJI 太陽がいっぱい 69.3 12 光GENJI ガラスの十代 68.1 13 光GENJI Diamondハリケーン 68.1 14 松田聖子 チェリーブラッサム 67.6 15 松田聖子 Rock’n Rouge 67.4 16 チェッカーズ 涙のリクエスト 67.2 17 チェッカーズ 哀しくてジェラシー 66.2 18 WINK 愛が止まらない 64.5 19 中森明菜 ミ・アモーレ 63.1 20 中森明菜 飾りじゃないのよ涙は 62.5 んで一方こちらがシングル。アルバムと比べるとわりとアーティストがばらけとります。 聖子・光GENJIが4曲で、明菜・チェが3曲、マッチ・薬師丸が2曲、トシチャンとWINKが1曲。 シングルはタイアップとか、その曲だけの特殊事情で一気に売れることも多いけど、こっちの方が当時のアイドルの人気の実勢に近いかもな。 ただこちらはCD転換期の不況モロかぶりで、80年代前半が圧倒。85年春の「ミ・アモーレ」から87年冬の「ガラスの十代」の間の二年半は完全に穴になっている。ここが全盛期だった少年隊は年間チャート上位作品でもかすりもせず、ちょっとかわいそうな感じ。 2009.04.02 おれはやるぜおれはやるぜ。拍車レス2月分っ。 ☆ 来生たかおを評論した文章に賛同、拍手です。 by 川合 《res》 拍手に感謝、ありがとうです。 ☆ はじめまして。 今、テレビで川村カオリさんの乳がんの番組を見ました。ZOOという曲を歌いました。 私は高校生の頃に辻仁成さんのバンドのライブに何度か行っていたのでテレビで「ECHOESがZOOをカバーした」と聞き、自分の記憶と違うので「辻仁成」で検索してたどり着きました。 小説も何冊か読んだことがあり、良くは覚えていませんが、がっかりして読みたくなくなった経験があります。 はなまるは見ていませんが、南果歩と離婚のときに出ていたテレビを思い出して読ませて頂きました。 何が言いたいかというと、うなずきながら読んでいて、凄く気分がすっきりして久しぶりに気持ちが良く、感動して「ついでに一言あればどうぞ」書かせて頂いております。 これからも頑張って下さい。どうもありがとうございました!! by 輪嶋 《res》 あ、ありがとう。でも、ひとなりっちのあの文章は、今読み返すとただの言いがかりかなぁ、という感じなので、あんまり本気にしないでくださいね。 ☆ 安室奈美恵さんのレビューかなり読み応えありました。いいものを読ませていただいてありがとうございました。 by ひろあき 《res》 読み応えありましたか。それはよかった。 ☆ あまりブログで共感した旨を伝える柄ではないのですが、倉田真由美(*一応大学同期)と高河ゆん(同人誌時代のファン)として、なんとなく、拍手を送りたくなりました。 by とりあえず共感したので 《res》 世代がわかるコメントありがとうございます。昔ほど若気が至っていないのか、怒りっぽくなくなったのか、ああいうテキストは最近はあんまり書かないのです。 ☆ 明菜と安室のファンです。浜崎も結構好きです。浜崎のさくさくレビューが見たいです by 武 《res》 残念ながらお浜さんのさくさくレビューは書かないです。聞いてないんすよ、今。 初期のキャラ設定がうやむやになったあたりが私にとっての彼女のターニングポイントだったなぁ。遠い目……。 ☆ 昨晩のフジテレビの番組で、80年代の中森明菜さんの映像を観ていて、色々と当時の状況をNet検索して記憶を確認していたところ、ここに辿り着きました。「中森明菜を追いかけて」の全テキストを拝読させて頂きましたが、一つとして駄文が無く素晴しいものばかりでしたので、拍手をさせて頂きます。色々考えさせられるところがありましたが、彼女の近年のカタログを全く聴いていない自分に気付きました。取り敢えず、Destinationを聴いてみようかと思います。 by Zoetemelk6641 《res》 うん、思い出したなら是非最近の明菜もきいてやってねっ。あの頃と比べるといろいろと違っちゃってますけどっ、いいところもありますのでっっ。 ☆ 「哀しみのスパイ」でググっていて何故か漂着。まだ全然読み進んではいませんけど、中森明菜の歌と歌謡曲を愛していた私…涙が溢れてきました。また姉の作品にも望外の高い評価をいただいていて、とても嬉しく思いました。 by kei 《res》 泣かないで〜♪ 君が明菜を愛した日々はSTAY GOLDダヨ!! ってか、姉って誰っすか!? 気になりまくりんぐ。 ☆ ガムばってください 《res》 ガム張ってます。 ☆ はじめまして、いつも楽しく読ませていただいてます。 私は20代前半なので、知らない歌手の方のこととかもありますが、いつもすごく音楽を聴いてみたくなります。 実際に、中森明菜さんの曲をこちらのレビューを読んで、歌えるようになったくらい聴きました(笑) これからも読ませていただきますので、ぜひ頑張ってください。 by みすてぃ 《res》 んじゃ次は踊れるようになるくらいに明菜様のDVD見まくんなくっちゃだね。 ☆ お・も・し・ろ・い、です! 栗本薫論から入り、明菜論を読んで、いま日記をさかのぼって拝読中です。わたしも明菜聴きたくなりました。及川光博のファンですが、彼を評した文章も、ものすごーく納得で「うんうん、そうそう」と力いっぱいうなづいてます。できれば彼のほかのアルバムなども取り上げていただけると、たいへん、うれしいです。 by かもちゃん 《res》 あ・り・が・と・う、です! ってなぜかおりん経由? 色んな方がいるものですな。んで、ミッチー? ミッチーはね多分わたしあの人のキャラが好きです。もっとミッチーのオモシロさを知ればいいのに、と。 2009.04.01 いくぜ拍車レス1月分っ。てわけでどうぞ。 ☆ 王の眼で検索してきました。わたくしはこの冬レッドクリフを見て昔の私設三国志を思い出し(小JUNE読者でした)、探すと完結していたので読了。 しばしの放心状態の後、江森氏の2作目とのことで「王の眼」も読み、またも放心。ネットでいろんな方の感想を読みまくっております。私にとって江森氏は最高のJUNE作家です。 by いわし猫 《res》 構成・地の文・会話、と基本的な文章自体がハイレベルで、かつ、萌えツボが自分と同じ作家というわたしにとってのドンピシャ作家のひとりです、江森さんは。 早く新刊でないかにゃー。多くの男性の持つ素でひどい部分を冷徹に書くその筆致がたまらんんんっ。 ☆ とても的確で。驚くほどの文章力で。本物の評論家さんですかね・・・関心して見させていただいてます。なのでこれからもとても楽しみです。UP楽しみです。 by ak 《res》 いいえ、ニセモノの評論家です。ってか、本物の評論家なんてぇのは幻想ですよ、幻想。 ☆ こんにちは、まこりんさんの屈折した優等生だった昔話と萩尾望都論がおもしろかったので二度目のメッセージを書いてみることにしました。内容は「なぜよしなが作品はキモイのか」です。関心がなければ以下は無視してください。 わたしはよしながふみさんの本を百円で仕入れ、最初は楽しく読んでいたのですが、途中で吐き気がしてきてなぜこんなにキモイのかを考え、結果彼女の作品に興味をなくしてしまいました。以下はなぜよしなが作品はウザイのかの私なりの考えです。 遅れてきた近代人としての女性に押しつけられた相矛盾する二大幻想は 1学歴→高収入 2女性偏差値 であって、2に対する抵抗は彼女の作品から感じたので読んでいたのですが、1はしっかりと内面化されているようで・・2への批判がBLであって、それを利用して1の世界に裏口入学を果たそうとしているところがセコイといいますか・・さらにその行為を「腐女子は心の弱い子たちなんだからわたしが守らなくっちゃ」とダブスタ的に正当化、実態は腐女子にたいする搾取いがいの何ものでもないと思うんですけども。作者はおそらく2に対しては攻めで1に対しては受け(だから評論家のまえではおとなしい)。腐女子を人柱にしているところはDVの加害者男性に通じるモノを感じます。無邪気に絶賛する読者は作者にとってはDVに耐える木暮くんなのでしょうか。 1・2の抑圧のなかで壊れつつも男社会に(能力or性的価値で)評価されたいとどこかで思っていそうなところに倉田真由美との類似を感じます。 1に入りたいならジュディス・バトラーやスーザン・ソンタグみたいになればいいのにと思うんですけども(なれないから腐女子をダシにする)。 三十路をすぎたら気にするのは血圧ぐらいでいいのに・・ちなみにわたしは腐女子ではなく漫画好きでもないのですが、そんな門外漢のでもさすがにこの作者のやってること「腐女子をダシにしながら腐女子代表ヅラする」はひどいと思いました。周りの持ち上げ方にも問題があるのでしょうが。猫かぶりの耳年増とも思います。 長文失礼しました。まこりんさんがホームページで書かれているよしながふみ論にはほぼ同意です。・・男の人だったんですね。 by pugnax 《res》 な、長っっ。うーんとね、まこ最近、そのあたりについてひとつの大きな答をだしました。 「自分の心に嘘つきながら書いてる作家はきらい」 これです。なにに嘘ついてるかはそれぞれ本人の問題だから知ったことないですし、それでもいいという読み手も知ったことではないけど、とにかくわたしは本気でない作家はきらいなんです。 ☆ 毎回とても楽しく読ませていただいています。明菜さんのファンサイトにこちらのことが書かれていたのが、読ませていただくきっかけでした。 みると、大好きなエキセントリックオペラ(ライブかっこよかった)や吉田美奈子、新居昭乃、最近の安室ちゃんなどなど自分好みの方についてたくさん書かれていて嬉しかったです。 是非、谷山浩子さんのアルバムに参加した『陰陽座』についての感想なんかも見てみたいです!これからも楽しく読ませていただきます☆ by ずきお 《res》 『陰陽座』はまだ一度もちゃんと聞いたことないんですよね、オススメアルバムとか、ありますか? ☆ 辻ひとなりを検索していたら、こちらに辿りつきました。中森明菜大好きです。歌も好きですが、人柄が好きです。見ていて切なくなることもあるのですが・・・。 兄は今年38歳になります。アイドル全盛の時に青春を送り、未だ覚めやまずです。 若くいられていいなと思ってみています。思いを込められる物が<あり続ける>っていいですよね。 by 芳恵 《res》 もう若くないです。けどキモオタなので、ねちっこく偏執してしまうんです。業ですね、これは。 ☆ 明菜さんがデビューしたのは私が幼稚園のとき。 明菜さんが大好きで真似をしたりしていましたが幼稚園〜小学生低学年であったこともあり 歌番組でうたっている明菜さんを見ているだけでいろいろなエピソードなど、知らないことだらけ。 そういったことを知ることが出来てありがたいです。また、レビューを読んでいると1番輝いておたころの明菜さんが蘇るように思い出され、嬉しい^_^☆ by りこ 《res》 中森さんは過去にいろいろとありすぎたし、それをわりと色々なところに曝されたり自ら曝したりしすぎているので、つい追っかけてしまうんですけど、本当は聴いて見て、だけで、充分なんですよねー。 ☆ まこりんさんの「評論」に、たいへん助けられているものです。とゆうことが、まこりんさんの感じる恐ろしい「何か」に どうか変わりませんように。 ここにこういうことを書くことが まこりんさんにとって重いものにならないことを願いつつ。今年も いい歌を聞いて、いい歌を口ずさんでいきたいです。 by う 《res》 センキュー。死なない程度にがんばるよ。 ☆ ジュリーのところだけ読んだんですけど。実に読み応えがあり、これからぼちぼち他の記事も読ませていただきたいと思います。すてきなサイトをありがとう。 by 山女 《res》 あいよっ。私にとってジュリーは語りきれない偉大な存在なのですが、今後もぼちぼち。 ☆ 最近ジュリーのファンになったので、批評は面白かったです。 by みお 《res》 ありがとー。 ☆ 全部は読んでませんが、アルバム評など、どれも言い得ている、というか、そうそう!と思う部分がとても多かったです。 好き嫌いをはっきり感じさせる感情的なところも、屁理屈みたいな気もする内容なども、とても好きです。(自分もついそうなりがちなのでホッとするというか・・) どうかご自分の素直な感性に自信を持って、これからもどんどん書いてください。期待して読ませていただきます。 by etk 《res》 うん、どんどん書くよ。まこのテキストは屁理屈と妄想でできてます。一種のFantasyですなっっ。 ☆ 面白かったです。ってまだ途中ですが。少女漫画コラム、もっと書いてくださると嬉しいです。 楽しみにしてます。特に昔の少女漫画をお願いします!真剣に!!! by 藤九郎 《res》 わかった。書くよ!!真剣に!!! ☆ 沢田研二に美老人になってほしいというご意見に強くさんせいします。 by mariko 《res》 そうね。でも何度も見直すのは、美中年のジュリーなんです。どうしたらいいんでしょうか? ☆ 華原朋美さんの検索でヒットしました。的を得た内容でせつなくなりました。 他のテキストも読んでみたいですね。ブックマークさせていただきます。 by BB 《res》 センキューね。他のテキストも読んでみりゃいいじゃーん。 ☆ アルバム「LOVE愛とは不幸をおそれないこと」を聴き、「演歌みたいだな〜」と思っていたらこのレビューにも同じようなことが書いてあり、思わず「私だけじゃなかったんだ!」と妙にテンションが上がってしまいました。 ジュリーのアルバムレビューは表現がとっても的を得ていて、ときにうなずき、時に爆笑!!レンタルする時の参考にもさせていただいています。 by りんりん 《res》 まこはエキゾティックス〜Coco-lo〜JAZZ MASTERの頃のジュリー好きッ子なので、そこのところ考慮に入れといてね。多分この時期の作品はプラス補正かかってる。 ☆ 2008/11/08 服を捨てる >。「着ようと思えば着られる」「部屋着にすれば」という消極的な理由によって残されていた服たちに、骨太の改革だあっっ。 あなた様は私ですかwww面白かったです。 by 骨太の改革者 《res》 改革の成果は出ましたか。つか現代人は服を持ち過ぎていると思うねっ。アパレルメーカーの陰謀だねっ。 ☆ 「谷山浩子」を検索してたどり着きました。よく聴いていた初期アルバム以降の流れも知れました。 ついでに覗いた他のレビューや少女漫画のレビューも素晴らしかったです。ありがとうございます。時間をかけてじっくり読ませていただきます。 by yuuichik 《res》 サンキュー。好きなだけ時間をかけてじっくり読んでいいんだぜ? ☆ 谷山浩子さんのレビュー目当てに参りました。皆さんがどのような感想を抱いているか、というのも見ているととても楽しいです。同時に違った解釈が得られてまた楽しめました。本日初めて『ボクハ・キミガ・スキ』を聞いていて、「COTTON COLOR」を自分なりに訳したりしています。『歪んだ王国』対談、楽しませていただきました!それでは長くなりましたが、失礼致します。 《res》 ありがとやんす。谷山浩子の作品、もっと聞いCHINA!! ☆ 朋ちゃんのレビューから入りました。とっても面白かった!TKの公判はまだ最中ですが、彼の手元に残った(であろう)globeとTMの近年の作品についてのレビューがすごく読みたいです。 by みかん 《res》 TM……。考えてみまっす。あーでも、私には荷が勝ちすぎるかな? ☆ 沢田研二評、楽しく読ませていただきました。今の沢田研二は沢田研二であってジュリーではない。なんて非常に的確ですね。 ファンはもっともっとと思うけど、書いていらっしゃるように本人が幸せそうだと、何もいえないというの大きくうなずいてしまいました。幸せすぎると欲もなくなるのかな。 by やすこ 《res》 ゆーこっちとラブラブのジュリー見てると、なんもいえねーなと思ってしまいますよね。 ゆーこと出会った時に、きっとジュリーは魔から人に戻ったんだろうな。 女性ファンならそこにある程度の屈託が生まれてしまうのかもしれませんが、 芸人としての栄誉とか可能性をふたり共に捨てて日々の幸せかみ締めているなら、それでいいかと、私は思ってしまいます。 |