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中森明菜 『Destination』

明菜のたどり着いた「目的地」

(06.06.21/ユニバーサル/UMCK-1209)

1. 紅夜 -beniyo- 2. 嘘つき 3. Seashore 4. 眠れる森の蝶 5. 鼓動 6. GAME (Album Ver.) 7. 夜の華 8. 花よ踊れ (Album Ver.) 9. LOVE GATE 10. 落花流水 (Album Ver.) 11. Only you 12. Grace Rain


 三年ぶりのオリジナルアルバムがようやく届けられた。
 タイトルは「Destination」。「目的地・行き先」という意味である。このタイトルをあえてつけた中森明菜の強い確信を感じる。
 ここにある「行き先」とはきまぐれな小旅行の行き先などではない。 「destination」は語源からいって、destiny(宿命・運命)やdestinate(運命づける)の派生であろうから、もっと意味は深い。
 このアルバムは、中森明菜という一人の歌手の宿星の果てにようやくみつけた、たどり着くべき場所、である。



 このアルバムから、中森明菜の今までの様々な要素を見つけることは容易であろう。
 まず明菜ファンのほとんどが一聴して思い出すのは、88年の「Femme Fatale」ではなかろうか。

 この「Destination」は、打ち込みメインの音作りで、アップトゥデイトな今の「日本のポップス」を表現している。 このあたりは「Femme Fatale」によく似ている。
 あえて今回のジャケット写真に88年のコンサートツアー「Femme Fatale」のパンフレットからのアウトテイクを使用したというのも、 明菜からのファンに向けてのシグナルといっていいだろう。
 このアルバムは、実験に走るでも、趣味に走るでも、癒しに走るでも、時代におもねるでもなく、時代より半歩カッコいいサウンドプロダクションという絶妙なさじ加減で、正々堂々と「ポップス」として勝負している。
 ――それにしても、25周年のアーティストが時代を正面に見据えて斬りあうような作品を出すというのもしかし、凄い。 大抵のアーティストはこれだけのベテランになると「ブランド維持」「ファンの囲い込み」の方向の戦略転向するものを、まだまだ攻めつづけようというのだから、ありえない。 今のベテランアーティストでは明菜くらいじゃなかろうか。ちょっとこのあたり90年代前半の沢田研二的。

 閑話休題。そんな打ち込み主体のサウンドに、ファンからの賛否が分かれているのだが、 いやしかし、そんな否定的意見をねじ伏せるのが、明菜のボーカル力。明菜は一曲ごとに実に様々なボーカルを使い分けて声の表情を変え、聞き手を魅了する――というところも「Femme Fatale」に近い。
 つっぱねるように、甘えるように、縋るように、時には妖艶に誘いながら、明菜は、声で演じる。 この明菜のボーカルの充実っぷりは、サウンドがどうとか以前に、認めざるを得ない。



 少し振り返る。
 ちょうど「Femme Fatale」は、86年の「不思議」以降続いた明菜の洋楽志向とボーカル表現の試行錯誤の末に生まれた「正解」のひとつ、といっていい作品であった。
 「不思議」「CRIMSON」「Cross My Palm」が80年代の中森明菜の実験三部作とすれば、「Stock」「Femme Fatale」「CRUISE」「Wonder」が、80年代の中森明菜の決定打四部作、といっていい。
 この時期のアルバムはそれぞれがそれぞれに兄弟のように対応する。「CRIMSON」の果てに「CRUISE」が生まれ、「不思議」の果てに「Wonder」が生まれた、といっていいだろう。(――「Stock」に対応する作品は、この場合、ない)
 では「Femme Fatale」はなにに対応するかというと、同じく海外アーティストからの楽曲提供によるアルバム「Cross My Palm」がそれにあたるといっていいだろう。 海外のポップスを「擬似英語」ではなく、今度は「日本語」として表現する――その役割が、「Femme Fatale」にはあったわけだ。

 では、「Femme Fatale」と相似のこの「Destination」は、どのアルバムに対応しているのか。 02年の「Resonancia」がそれに当たるのではなかろうか、と私は推測する。
 スパニッシュ色の強いR&B系楽曲をメインに据えた「Resonancia」は洋楽志向でかつ様々な実験的なボーカルで攻めた作品となった――が、これは少々やりすぎてしまった。
 「Resonancia」はとにかく、歌詞の意味がまったくなかった。これがもっとも大きな落ち度になってしまったように思える。
 タイトルが「Resonancia=共鳴」とあるように、中森明菜は、言葉を意味性の強い「メッセージ」でなく、 言葉の響きなどから喚起される「イメージ」として受け取ってくれれば、という意図があったのだろうが――あえて歌詞をドイツ出身のアーティストAdyaに担当させたのも、そういう意図を汲んでのことだろう、 結果、「Resonancia」は「不思議」に次ぐ言語破壊アルバムになってしまった。
 脈絡のない言葉が羅列されるだけの日本語詞に、これ以上なく軽く乾いた明菜のボーカル、 もちろんそれは打ち込み系のラテンサウンドと絶妙にあっていた―― わたしは「不思議」も「Resonancia」も大好きですよ、もちろん――。ただ、一般性、という点においては欠ける嫌いがあったように思える。
 その「Resonancia」で行き過ぎた振り子を、大衆性の方向にほんの少しもどしたところにあるのが、この「Destination」なんじゃないかな、と思うのだ。

 中森明菜にしては珍しく夏を基調にした季節感、打ち込みサウンド主体、意味性の希薄な歌詞。 「Resonancia」と「Destination」の類似点も、また多い。
 意味がなさ過ぎて、反面「無意味なる意味」が生まれた「Resonancia」と比べて、一方「Destination」の多くの詞は、じつに、あるのかないのかというも感じられないほど"空気"な詞が多い。 ここが、「Resonancia」で学んで後、「Destination」で一歩踏み込んだ領域なのではないか、と私は感じる。
 もちろん中森明菜らしい世界観を持つ意味性の強い詞――「嘘つき」や「眠れる森の蝶」「落花流水」もあるのだが、一方で、 「Seashore」「Only You」「鼓動」「LOVE GATE」などは、まったくといっていいほど歌詞の存在感がないのだ。
 そして、そんな空気のような歌詞の歌が、明菜にしては珍しいほど、実に明るく、あっけらかんとした良さがあるのだ。  「Game」なんても、もう、あったま悪いんじゃなかろうか、と、思わずいいたくなるほどの能天気さ。大好きだっ。



 この明るさは、そういえば随分懐かしい――。
 この陽の面の中森明菜をアルバムで前面に表現したのは、実に85年の「Bitter&Sweet」以来ではなかろうか。
 「飾りじゃないのよ涙は」を契機に山口百恵の呪縛を振り切った――その時点ではじめて見えたのが、 中森明菜の洋楽志向と、少女らしい明るい華やぎの世界だった――それが「Bitter&Sweet」の世界である。
 その20数年後の世界が「Destination」ではなかろうか。そういってもいい、と思う。
 とにかく、このアルバムは、中森明菜のアルバムなのに、といっては失礼だが、明るく弾んでいる。
 もちろんこの「Destination」は、同じ陽の面といっても、二十歳前後の「Bitter&Sweet」で見せた少女の躍動感とは、まったく違う世界が広がっている。 枯れており、余裕があり、とはいえ一面切実でもあり、したたかさやしなやかさ、ちょっとした狡さすら感じる。 そしてなにより妖艶だ。
 なぜ、この局面が見えたのか。百恵の影を振り切って「Bitter&Sweet」が生まれたように、 このアルバムで、明菜は「自殺未遂事件」の影をついに完全に振り切ったから、ではなかろうか。

 そうなのだ。
 このアルバムには、あの事件の影がなにひとつないのだ。
 89年の自殺未遂以来、発表されるアルバムにはどこか、事件の影が漂っていた。 焼けつくほどの孤独感や絶望、それが、いつも作品の背後にぴったりとはりついていた。

 忘れよう。全てを受け入れ赦そう。彼女は歌に昇華することで、 一進一退ながらも、自らと周囲を受け入れていった。
 あともうすこし。世紀が変わる頃には、あともう少し、というところまできた。
 そして三年前の前作「I hope so」で、中森明菜は静かに自分を解放した――と、わたしは三年前のこのアルバムの発売時にレビューした)。 「憧憬」「夕闇を待って」などで、長かった魂鎮めは、ようやく終わったのだろう。
 そして、ついに中森明菜はたどり着く場所にたどり着いた。
 事件以来「中森明菜」という存在にはりついていた、どうしようもない重さや痛々しさ。それをふりはらうためにあえて「Resonancia」では、自らのボーカルの特色を消して、軽く乾いたボーカルで表現したのだろう。 しかし、この「Destination」は、明菜の元来のボーカルのカラーを破壊することなく、その重さや痛さを見事に払拭している。
 このアルバムは、「"あの"中森明菜」のアルバム、ではない。ひとりの、円熟した優秀な女性歌手の、ポップな、ぎらぎらしたアルバム、である。 それを歌っているのが「"あの"中森明菜」である、ただそれだけのことだ。 そういうところとは別次元で成立している。



 中森明菜のたどり着いた場所。
 それは、ボーカリストとして最充実期の88年、あるいは、精神的にもっとも自由で安定していた85年に、近しい場所であった。
 その長い旅は、89年の自殺未遂事件を契機に失ったものを取り戻す旅――ということだったのかもしれない。
 それをひとつの徒労と見る人もいるだろう。
 しかしそれは、違う。
 中森明菜はこのアルバムの最後にこう歌っている。

 「プラスとマイナス=ゼロじゃない 涙の分だけ強くなれる」 (Grace Rain)

 失ったものを取り戻す、その過程分、彼女は確実に歌手として何段階も上に成長した。
 85年、あるいは88年の中森明菜に、このアルバムのような、したたかさや深さは、決して表現できまい。
 この作品は、多分、40代の中森明菜の、ボーカリストとしてもっとも良質な部分を堪能できる一枚として語り継がれるに相違ないだろう、とわたしは確信する。



 蛇足。
 ちょっとだけ鑑賞の手引き。

・「Game」……三波春夫の「ルパン道中」を平岡正明は、『歌詞の「フィーバー」の発声のニュアンスが、それぞれの部分で微妙に違っていてそれが的確』と絶賛していたが、それを思い出した。 この歌の明菜も連発する「Fever」も意図的に「フィーバー」「フィィバァー」「フィバ―」と変えて歌っているが、これが絶妙。アルバムバージョンは色々とやりすぎている感もあるけど、そのやりすぎがむしろいいっっ。

・「Grace Rain」……歌詞にしては珍しい二人称の「君」視点の歌。君はまだ傷が癒えず雨のただなかだが、いつしか雨はあがり傷は癒えるはず、と歌う。これは、絶望のさなかで雨に打たれているかつての明菜を、今の明菜がやさしく見つめている、という解釈で聞き込むとなかなか趣深いのでは。

・「落花流水 (Album Ver.)」……シングル盤のレビューでアレンジが下品だと注意喚起したら、アルバムバージョンでは、弦が気持ち前に出され、エスノ全開なイントロとアウトロがプラスされ、しっとり感・異国情緒感がぐぐんとアップ。一気に名曲指数があがりました。これっすよ、これ。大好き。

・「嘘つき」「眠れる森の蝶」……前作の「憧憬」「夕闇を待って」といい、「赤い花」といい、今回のこの2曲といい、作詞の川江美奈子は、中森明菜をかなり深いところで理解している人ではなかろうか。この2曲も中森明菜でしかありえない、という世界観。 詩情も溢れているし、彼女は今後も絶対重用すべき。断言しちゃう。
 「嘘つき」は見事なまでのツンデレっぷりにくらくらしてしまいそう。ど頭の「君はとても強い心もっている人だねとあなたが言った日から私は嘘つきになったのよ」からして、もうツンデレというしか。で、オチが、「気づかないようなふりでどうか全て見抜いて嘘はもういらないよと抱きしめて」 って、反則レベルの直球ツンデレです。ほんとにありがとうございます。
 「私は揺れたりしない、傾いたりしないわ」の部分を、もう、おもいっきり揺れまくり、ぐらぐらに傾きまくりで歌う明菜に「こんのぉーー、嘘つきめっっ」と、にやにやしながらツッコむのがこの歌の正しい楽しみ方。
 一方、「眠れる森の蝶」は永遠の眠り姫たる中森明菜の被虐的な精神構造を的確に描いた悲しくも美しい傑作。永遠の御伽噺を夢見る、そのためならば、彼女は現実に鍵をかけ、猛毒を蜜として飲み干すのだ。「永遠に待ち焦がれてる あなたに全てをあやめられる日を」の歌唱に漂う諦めの表情、ここが絶品。99%諦めながら、残り1%をいまだ捨てきれない、というこの切なる雰囲気、並の歌手では出せまい。




 さらに蛇足。
 リリース当時に、日記でアップした「Destination」作家陣について。以下再録。
 こういう履歴の方が今回はこのアルバムに参加しています。



 明菜ファンには、馴染みの少ない作家陣が並ぶ今作。自分のできる範囲で、それぞれのその経歴をさらっと紹介したい。

 シングル「落花流水」をはじめ、「GAME」「紅夜」作曲の林田健司は、歌手として作曲家として、あらためていうまでもなく有名。 SMAP「$10」「君色思い」「KANSHAして」「青いイナズマ」、Kinki Kids 「ビロードの闇」、最新シングル「夏模様」など、ジャニーズ系アイドルでのヒット曲が実に多い。

 「花よ踊れ」作曲の羽場仁志は、作曲家として80年代から活動しているベテラン。提供曲は数多く(明菜には、95年に「無垢」を提供している)中山美穂「愛してるっていわない!」、藤谷美和子「愛が生まれた日」 などの大ヒット曲も生み出している。最新ヒットは、タッキー&翼「夢物語」かな。

 さらに、羽場と同じ事務所ケイ・エス・ピー所属で、 「GRACE RAIN」「LOVE GATE」「ONLY YOU」で三曲作詞・作曲担当のRie。 80年代アイドルマニアに方は、河合奈保子のパーソナルバンド「NATURAL」でコーラス担当だった「MILK」の宮島理恵、って言ったほうがわかりやすいかな。 姉で相棒の宮島律子とともに90年代に作曲家に転向、M.Rie名義で、ともさかりえ「エスカレーション」(――河合奈保子のヒットシングルと同タイトルなのは、意味があったのだよ)、松田聖子「葡萄姫」、中山美穂「Jara Jara SWITCH」、SMAP「Flapper」などの作曲を担当、結婚を期に(ーーだよね?)Rie名義に変更して、 ここで明菜の作詞作曲として登場している。

 「Seashore」作曲の平田祥太郎は、SMAPの最新ヒット「Dear WOMAN」の作・編曲を担当をはじめ、 BoA、上戸彩、EXILE、後藤真希などを担当。ちなみに、片瀬那奈の「ミ・アモーレ(Meu amore)」の編曲を担当していたりする。
 「夜の華」の田中直は、平井堅「青春デイズ」ほか、伊藤由奈、BoA、ミニモニなどを担当。
 「嘘つき」「眠れる森の蝶」の江上浩太郎は、倖田來未「SOMEDAY」をはじめ、安良城紅、SE7EN、美勇伝を担当。
 「鼓動」の野井洋児は、BoAの最新シングル「七色の明日〜BRAND NEW BEAT〜」を担当している。
ちなみに以上の四氏は、松原憲(――BoA、Crystal Kay、小柳ゆき、Chemistry、平井堅、SKOOP ON SOMEBODY、ハロープロジェクト系などを担当、ってのは、いわなくてもわかるか)の事務所「SUPALOVE」所属の作家である(――ので、提供アーティストの傾向が似通っている)。


 「嘘つき」「眠れる森の蝶」作詞担当の歌手・川江美奈子。中島美嘉「桜色舞うころ」の作詞作曲でも知られる彼女は、「I hope so」からの連続登板。 今回のアルバムもハーフトーンミュージックの鈴木順がディクレションを執っているけれども、同事務所所属の彼女も同様に起用となっている。

最近では、Soweluや椿など、作詞家として見る機会が多くなったAdyaとURUは02年の「Resonancia」コンビ。 各一曲ずつ作詞と編曲を担当している。

 と、いうわけで、このアルバム「Destination」は、世間ではまだ認知度が低いものの、まさしく「旬」な作家陣が一堂に会した(――それぞれの作家の直近の提供歌手を並べただけで、ものすごいものがあるでしょ?)、そんな豪華アルバムといっていいんじゃないかな、とわたしは思う。

2006.12.15
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