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中森明菜 「Desire -情熱-」

ジャパノイド(擬似日本人)感覚の人形遊び

(1986.02.03/ワーナー・パイオニア/L-1750)

1.DESIRE -情熱- 2.LA BOHEME


この「DESIRE」をはじめてテレビで見たとき、 子供心に、なんか、凄いと思った。
歌唱・曲・詞・衣装・フリ。全体が作り出すアトモスフィアに思わず圧倒された。


■ ジャパノイド(擬似日本人)感覚

明治維新と終戦という、2つの大きな歴史的文化的断絶を消化しきらないままに、経済的発展だけを重ねて世界屈指の大国となった日本と、日本人。 そこには常に東洋にも西洋にもなりきれない劣等意識と、自我同一性不安が横たわっていた、といっていいだろう。
しかし、日本と日本人が「Japan as NO.1」といわれ、賞賛と揶揄が綯い交ぜとなった注目を受け始める頃―――70年代後半から80年代頃になると、 日本人の一部は「西洋から見た日本」という客体を自ら演じ、そこで束の間の安定を得ることになる。日本人でありながら、日本人を演じる。 これがジャパノイド感覚である。

フジヤマ・ゲイシャ・ゼンに代表される「伝統的で神秘的な辺境としての日本」と、ソニー・ホンダに代表される「近未来的なテクノロジー大国としての日本」。 オリエンタリズムとテクノロジーに大きく分類される2つの印象が混交し、奇妙な融合を見せる近未来都市国家「日本」。 その中で、生体ロボットのように、規則正しく生活する、感情や表情の乏しい亜種、あるいは未来人としての「日本人」。
いわゆる「ブレードランナー」や「ニューロマンサー」の世界をそのまま演じ、表現することによって日本人の一部は自己の居場所を見つけることになる。
表現者として顕著であったのが、大友克洋や押井守などのアニメクリエイターの多くであり(―――そういった意味では「ジャパニメーション」とは80年代の残滓である)、イエロー・マジック・オーケストラとその周辺の人物達―――これは音楽家だけでない、コピーライター、作家、評論家、思想家など「YMO」という記号を現象に深く関わった人のほとんどがである、がそうであった。
中国服を着て、神経症的な無表情で、マネキンと一緒に並ぶアンドロイドのような姿で現れた彼らは、あまりにも西洋から見た日本人的―――アンドロイドのようでもあり、亜人間のようでもあった。

日本と日本人は、振り返るとすぐそこにある空虚な2つの大きなブラックホールの存在ゆえに、「あるべき日本と日本人、乃至日本という実体」というものを、ずっと保留し続けていた(し、いまでもそうだ)。 そんな時に、西洋側から提示されたロールモデルはちょうど自己を仮託させるにちょうどいい代物だったといえよう。
自己の空白を埋めるかのように、日本と日本人はこの時、客体を演じたわけである。―――この潮流は昭和の終焉と、日本の経済成長の終焉がパラレルで起こった90年代にひとつの収束を向かえる。

ジャパノイド感覚とは経済的繁栄とうらはらの民族的自我の空白を埋める、日本人のひとつの仮面であり、自己を客体としてみなす人形遊びだったわけである。


■ 断絶された都市の中で「欲望(デザイア)」はぶつかりあう

「Desire」の衣装を、近未来風の、あるいは西洋人が間違って羽織ったような、そんな和洋混交の着物スタイルにする、というのは中森明菜自身のアイデアだという。 そもそも「Desire」は元々B面になるはずだったのを「この曲をA面に、そして着物で歌いたい」と強烈にプッシュしたのだという。もちろん、この発案に乗るスタッフは多くなかったのだそうだが、これを強行突破して見事に明菜はヒットをもぎ取った。
なぜ中森明菜が、この曲をあの奇妙な着物スタイルで歌うアイデアを思いついたのか。それはよくわからない。

しかし、歌う彼女のあの姿はまぎれもなくジャパノイドの擬態としてそれは映った。
ネックレスやイヤリング、指輪などのアクセサリー類に、黒の手袋とハイヒール、そこに市松人形のような綺麗に切りそろえられた髪と、およそまともな着つけではない和服。 それは、日本というものを間違ってとらえた、オリエンタリズムとテクノロジーがぐちゃぐちゃの「西洋からみた日本人の姿」そのものであった。

阿木燿子がこの詞の舞台として選んだ「ディスコティック」とは「歴史性、地縁性が断絶し浮遊する、閉鎖空間としての都市」の象徴である。 そこでは愛も夢も浪漫も物語も、人を人ならしめるあらゆる芳醇な連続性は断絶され、ただ瞬間瞬間の個々の欲望だけがひたすらぶつかるだけの場所である。 ただ炎のように燃え上がる欲望だけがここでは、真実。だからタイトルはズバリ「Desire」、欲望である。
愛や夢が信じられた時代―――かつて山口百恵によって表現された歌たちが輝いていた時代とは、もう今は違うのだ。宣告として、阿木はこの詞を中森明菜に与えたのではないだろうか。
「イミテーション・ゴールド」において「ごめんね」と退けたニセモノたちが輝く時代(―――松澤正博氏のようにいえばシュミラークルの時代)にあって、信じられるものは己の欲望だけだ。と。 都市のなかで、人はただ欲望だけに生きる。
人類の、都市空間のなかにおける進化、あるいは退化。これは極めてポストモダン的な都市論であり、都市生活者論といえるかもしれない。

阿木のこのメッセージが、明菜のジャパノイド的な衣装と呼応する。

阿木が衣装で表現したのは、「ブレードランナー」で描かれたような、あるいはYMOが楽曲で表現した、近未来の都市の風景と、そこに生きる女性である。 日本的、東洋的なモノが、奇妙にねじれた形で表現された無国籍な都市空間――それは未来の日本かもしれないし、そうでないかもしれない。 ここにあるのは、科学技術の革新的進歩によって、歴史性、地縁性から切り離され、 あらゆる世界の歴史や文化が軸を失い、おもちゃ箱をひっくり返したように混沌とあちらこちらに散らばっている。 その「都市」の象徴として、ひとりの女性を阿木は表現した。
そして、その言葉を作曲の鈴木キサブローと編曲の椎名和夫は、デジタルサウンドを多用したソリッドな骨太の歌謡ロックにと仕立て上げた。

この楽曲に中森明菜は本能で「ジャパノイド」感覚で表現する方向を選び、あの不可思議な衣装をまとった。 それがどれほどのインパクトを与えたかは、この曲のセールスやこの曲に与えられたさまざまな栄誉を見れば一目瞭然だろう。この曲はリリースした段階でひとつの時代の先端、時代精神として世に響いた。


■客体たろうとする主体

それはひとつの時代性の昇華であり、体現であった――というところで話は終わりにしたいのだが、話はまだ続く。

ジャパノイド感覚とは日本人の空白の自我を埋める仮面であり、日本と日本人みずからがみずからを客体とみなす人形遊びである。
人形はどんなに巧妙に作り上げようともそこに心はなく、仮面の内側にあるのは、ブラックホールのような、大きな虚無である。
この擬態を自ら進んで演じる表現者は、その本質からいって、良くも悪くも自己の空白に自覚的な者が多いようにみえる。
イエロー・マジック・オーケストラは、ブレイクするとほぼ同時にメンバー3人が神経症ともいえる症状を表出させながら、メディアのなかで自らの仮面をとっかえひっかえし、それでも耐えられずわずか5年足らずに散開したのだが、 中森明菜にも同じような不幸がやってくる。

中森明菜はこの曲を大きな契機に楽曲の自己プロデュースを開始するようになる。
その自己プロデュースとは「Desire」のように楽曲ごとに衣装や歌唱、フリ、ジャケット写真など大胆に装いを変える、というスタイルであった。
自らを積極的に人形と見たて、数ヶ月ごとのペースで着せ替え人形をする。歌番組の3分の世界に、1枚のジャケット写真に、彼女は自身とは断絶した、かつ構築されきったひとつのフィクションを作るようになる。

明菜本人の歌謡マニアぶりから類推するに、イメージとしては既に完全に出来上がっていた山口百恵的な存在感に、上モノにピンクレディー・沢田研二的な小道具、コスプレ、ダンスで毎回イメージを万華鏡のように変化させる、という戦略のつもりだったのではなかろうか。
ある時はニューヨークのダウンタウンのキャリアウーマン(「Fin」)に、ある時は近未来の高級セクサロイド(「TATTOO」)に、ある時はバブルで浮かれる今時の20代OL(「BLONDE」)に、ある時は歌声で水夫を誘うセイレーン(「難破船」)に、ある時は古代アラビアの姫君(「AL-MAUJ」)に、ある時は数百年の輪廻の恋を背負った前世はジプシー、今は都会の女性に(「ジプシークイーン」)。

これらの装いに連続性はまったくない。ただ彼女は内面の空白を埋めるかのように、仮面を嵌めかえ、自らを自らの人形とし、自らを玩び、人形遊びをつづける。
しかし、空白を埋めるはずの人形遊びを重ねれば重ねるほど、人形遊びする「人形師としての自分(=観念としての自己といってもいいかもしれない)」と、人形遊びされる「人形としての自分(=肉体をともなった実体的な自己といってもいいかもしれない)」はどんどん乖離してゆき、自己は歪み、空白は肥大してゆき、統合失調へと向かってゆく。

彼女は実際、自分のなかに2つの自分――プロデューサーである中森明菜と、ただの中森明菜個人、がいるということをよく語っている。

プロデューサーのわたしがいて、タレントの明菜ちゃんがいる――(略)――ふたりの自分がいるなんて変という人がいるけれども、それでバランス取れているんです。

新曲を前にしたときも"こう歌ったほうがいいよ、明菜ちゃん"というプロデューサーのわたしと、"こう歌いたい"と主張する歌手・中森明菜が瞬間的にいました。

プロデューサーの明菜ちゃんはプライド高いけれども、個人のわたしはそんなことないし。 もし、歌やめたなら、明日からコンビニで働けますよ。全然平気。
(「オリコン・ウィークリー」1993年9月27日号)

彼女の作業をわかりやすく例えていうならば、アニメやタレントなど、メディア上の既存のキャラクターを使って人形遊びする「アニパロやおい」と同質であるように、わたしには映る。 ――ただし、ここで中森明菜が選んだ素材は「中森明菜自身」だったわけである。そこに彼女の不幸がある。
中森明菜が、選ばれなかったその他の少女たちのように、メディアの外側にいて、メディアを使った人形遊びをするというのなら、あるいは小室哲哉ら、その他のプロデューサーたちのように、他者を表に立てて、彼らを人形としてメディアと戯れるならまだよかった。 しかし、メディアの内側にいた中森明菜は、自己疎外を埋めわせる儀式に、自らを供物としたのである。
そして、やおい少女の物語観や浪漫が優れて芳醇であればあるほど、相対する彼女らの現実の小状況の悲惨さが浮き彫りになるように、 彼女は人形遊びをすればするほど、自己の空白が浮き彫りになっていく。

この果てに起こったのが、彼女の自殺未遂なのでは、とわたしは憶測する。

自己の空白を埋める作業を重ねた末の究極の自己疎外、その果ての自殺――それは究極の自己完結でもある。
「虚像・中森明菜」のイメージに圧殺(――それは皮肉にも自らが積極的に築き上げたものである)される「個人・中森明菜」。 そして、剃刀を握った次の瞬間にやってきたのは、まったくその反転――「個人・中森明菜」ではなく、「虚像・中森明菜」の死であった。 ―――皮肉をこめていえば、あの時、もし助からなかったら、個人の命と引き換えに彼女は「アイドル」として、永遠の栄誉と輝きを得ることになったであろう。

あの事件はそのどちらかを壊さずにはいられない、ぬきさしならないものであり、そしていつか来るべきことだったとわたしは思う。ただの色恋沙汰の末でなく、中森明菜という人間のひとつの必然だった、と。 そして、あの瞬間「中森明菜」という自ら築き上げた虚像を壊したことによって、彼女は自らを生きながらえた。

彼女は自殺未遂前夜の自分の心理を、後にこう語っている。

「遠くの人達を幸せにするより自分を幸せにしなよ、こんな辛い思いをしているのに、見えない人達ばかりを幸せにしている。自分はボロボロじゃない」って思ってましたね。 本当にやめたかったですよ。 ひとりで家に帰って「あー、もう、やめたやめた」ってよく言ってました。
……(略)……
ベランダに立たされて「落ちてみろ」ってずっといわれているようなものでしたからね。これでもか、というくらい辛かったです。
(「Queens' Pal」Vol.3 1993年9月号)

■「主体的なアイドル」

アイドルというのは名前の由来の通り、本質的に人形であり、「客体」である。彼女/彼らはメディアから与えられた仮面を被って私たちの前に現れる。 なぜなら彼女/彼らはわたし達の空白を埋める器なのだから。
わたしたちの不定形の欲望を映す鏡として、彼/彼女らは、どこまでも透明な存在でなくては、ならない。彼らは自身の存在を希薄化し、何者でもなくなればなくなるほど、その代わりにひとつのペルソナ(――それは擬主体といってもいいかもしれない。客体から逆算した主体である)を得、何者かになっていく。メディアスターと言うのは、そうした矛盾した存在なのである。

しかし、この時の中森明菜は、「アイドル・中森明菜」を演じながら(=メディアの向こうにいる他者の空白を埋める「客体」であろうとしながら)、個人・中森明菜自身をも、自身の空白を埋めるためにこの人形遊びに率先して参加していたわけである。
「主体的なアイドル」というのは、その存在自体がパラドキシカルであるが、 それでもアイドル自身が「主体的に」アイドルたろうとする(=客体たろうとする)時、自身が人形であり、人形師になることしか、道はない。この時の中森明菜はみずから、人形師と人形に分裂させることで成立させた。

――ちなみに、ここでの「アイドル」という言葉はもちろん、狭義の意味でのアイドルという意味(――フリフリのドレスを着て、可愛い色恋の歌を歌って、聞く者に擬似恋愛の妄想を抱かせる20歳前後の歌手、という意味)ではもちろんない、 メディアで象徴的な意味合いを持つ偶像的な存在という意味である。 ということで、ここでいう中森明菜のパラドキシカルな「アイドル」性というのはそのままYMOが味わったそれと同質である。

同時期に、松田聖子がアイドルという形骸をなぞりながら、まったくアイドルでなくなったのと同じように(―――彼女の最大の勘違いもまた、「主体的なアイドル」は存在する、と思いこんだことである)、 あの瞬間に自分の作り上げた「歌手・中森明菜」という人形を壊してしまった中森明菜も、もはやアイドルではない。
90年代のふたりを例えて言うなら、聖子が人形師を見捨てて勝手に滑稽な動きをしている人形だとしたら、明菜は自らの壊れた人形を壊れたと気づかぬまま操っている惨めな人形師、である。

ちなみに――。
そのふたりの失速を横目に、90年代をサバイブした小泉今日子――彼女は本質的に「主体的なアイドル」というものなど、ありもしないということがよくわかっていたのではなかろうか。 彼女は、メディアの向こうにいるわたしたちが貼りつけた「主体的なアイドル」というペルソナを、ただひたすら演じ、どこまでも客体でありつづけていた。彼女が行った自己主張は、実は、周囲が求める「小泉今日子の自己主張」を忠実になぞっていたに過ぎない。
という話は、あまりにも蛇足である。


※ このテキストは円堂都司昭著「YMOコンプレックス」(平凡社 刊)を参考にしました。

2005.12.02
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