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中森明菜 『D404ME』

出し惜しみというよりも……

(85.09.10/32XL-115/ワーナー・パイオニア)

1. ENDLESS 2. ノクターン 3. アレグロ・ビバーチェ 4. 悲しい浪漫面 5. ピ・ア・ス 6. BLUE OCEAN 7. マグネティック・ラブ 8. STAR PILOT 9. モナリザ 10. ミ・アモーレ


変なコンセプト(??)・アルバム。
ポスターにはこんなモノローグが載っていた。

N.Y.。午前2時。ハドソンリバーの夜風がしみる。あたしを乗せたキャディラック。星降るウエストサイド・ハイウェイをひた走る。 左のポケットにバドワイザー。右のポケットには胸いっぱいの夢。14thストリートが見えた。 左に折れる。ヴィレッジを抜けると、もうソーホー。赤いレンガの古いビルが並ぶ。A・B・C……四つ目のDのマークがついたくたびれた倉庫。 パッシングをして、クラクションを2発。教えられた合図だ。 4階の隅の窓に明かりがついた。むき出しのステップを駆け上がる。……「D404ME」の扉をあける。一年ぶり。 青い瞳をしたサンドラ。 ……去年の春。ママはヴィレッジのティールームで一日中窓を眺めていた。ママの瞳はとってもいかしていた。 いくつもの恋をした女の瞳。帰り際。ママがいきなりあたしに言った。「いい女になりなよ。あんたも。一杯恋をしてさ。またおいでよ。」 来たよ。あたし。二十歳になったし。ママと話がしたいんだ。

「N.Y.に来た少女明菜がある倉庫(この倉庫のナンバーがD404ME)でママサンドラという自立した女性に出会い、その生き方に共感してしまう。
帰国後、少女は失恋を体験するがその時には人間的に成長しており、再びママ・サンドラに会うため、N.Y.へ旅立っていく」(ファンクラブ会報より)

というストーリーらしい。

ふーん、そうなの???
と、改めてアルバムを聞いてみる。

…………
……どこが???

先生、このストーリーと激しく無関係に歌が並んでいます。
一体このストーリー、なんの意味があるのでしょうか、激しく謎です。

ストーリー仕立てのアルバムというのはコンセプトアルバムのパターンのなかでもかなりの常套手段で、明菜もこの前年、伊達歩をストーリーテラーに迎え、ミニ・アルバム『Silent Love』をリリースをしている。
まあ、そのアルバムの出来はともかく、そちらはしっかりストーリーとリンクした歌世界だったのだが、それに比べこちらは非常に不可解。
果たしてこのコンセプトというか、ストーリーというのはアルバム制作のどの段階出てきたものか、ちょっと知りたい。
と、こうした部外者から見たら不可解な点が多いアルバムがこの時期以降続くこととなる。

この前作が『Bitter and sweet』。
このアルバムは明菜という歌手のターニング・ポイントとなった名盤である。
それまでのシングル選考オチした作品を寄せ集めたようなまとまりのないアルバムばかりリリースしていた明菜だが、このアルバム以降からテーマを明確に押し出したアルバムをリリースすることとなる。
そしてここからが明菜の本領発揮なのだ、といえば話は簡単なのだがそうは簡単にはいかないのが明菜。
アイドルから本格的な歌手へアーティストとしての本領を発揮するに到ってすぐの段階で彼女は早くも問題にぶつかる。
それはかいつまんでいえば、「いかにレコードの中で自分の声を響かせるか」という大命題である。
彼女はその命題のクリアのための試行錯誤を繰り返すようになる。

このアルバムでの最大のポイントは彼女のボーカルコントロールだ。
明菜はこのアルバムで実に奇妙なシャウトを披露する。
それはあたかも自己のボーカルコントロール能力をの持て余すような歌唱である。
これがなんとも珍妙なのだ。

ひとまずA面。
オープニング「Endless」はツッパリ風に歌って気にならないが、「ノクターン」「アレグロ・ビヴァーチェ」「悲しいロマンス」とおよそ理解不能な歌い方。
例えば「ノクターン」。Aメロ、Bメロと押さえた訥訥とした歌い方。雰囲気もなかなかで、お、いいぞと思わせたところで唐突に「ビロードの甘さ嘗めながら」の部分で明菜はおらびだす。
「嘗めながら」この部分だけ無駄に強いのよ、不自然なほどに。
「なめながぁーーーあああああらぁぁぁぁぁぁあああああーーーー」って感じ??
私などはついずっこけてしまう。

で、次の「アレグロ・ビヴァーチェ」も「切り出していいのよ あの娘のこと 少し前から知っていた」と女性から別れを切り出すシーンを彼女は呟き歌唱でこなし、なかなかなのがサビ前の「グラスにGood-Bye」でまたまた唐突に喉ひらきっぱで歌う。
ゆったりしたバラード「ピ・ア・ス」でもまたいきなりサビラストの「いらだつ 真夜中が 好き」の「好き」のロングトーンだけ響きにくいイ音をむりやり強く引っ張って歌う。

これらが全て歌詞や今までの情感のつながりとまったく関係なしに起こるのだからまったく理解不能としかいいようがない。
どの歌も歌いだしはいい情感で始まるのが、ぷつっと線が切れるようにサビでおらびだして途切れてしまう。
さながら野生の荒馬のよう、うっかり気を抜くと馬上の者を放り投げて駆け出しかけない感じ。
落ち着け明菜、とにかく落ち着け、と私はお茶でも出したくなる。
「D404ME」。「出し惜しみ」と言う裏意味もあるらしいが、これは出し惜しみというよりもボーカルの出し過ぎだ。

で、こりゃどうしたことかいとB面をひっくり返す。
と、こちらの歌唱はなんだかとっても下品。
A面の「唐突サビおらび歌唱」を曲全体に薄めたような歌唱で、印象としてはなんか「下品で蓮っ葉」。
いわゆる「清瀬のヤンキー、大東学園出身」って感じ。

「Bitter&sweet」では周囲が故意にかぶせたシリアスぶった虚飾――――いわゆる「ポスト百恵」的な暗さ、重さのようなもの、を脱ぎさり、20歳の小娘らしい明るさと躍動感を持った素顔の明菜を見せることに成功したわけだが――――「Dreaming」「April stars」を聞けばわかる、その素顔をもう一枚剥いだらそこに「ヤンキーで蓮っ葉な明菜がいた」というのでは少々いただけない。
確かに「マグネティック・ラブ」「Star Pilot」「Blue Ocean」と、曲調、詞ともに明るく開放的で、それに明菜は答えるように弾けて歌っているのだが、となると途端に明菜の育ちの悪さみたいなものが出てしまうという、なんとも皮肉な話だ。
これもボーカルの出し過ぎだし、それによって起こってしまった演出の失敗だ。
もっと端的にいえば、百恵的・ツッパリ歌謡的世界観から先の自己の演出方法というものがまだ掴みきれていないがゆえにこういったものが出てきたのだろう。

と、困ったもんだ。と思ったままラストまでいって「モナリザ」で、私は最後の最後でほだされてしまうんですがね。
この曲はオープニングの「Endless」とともにいつもながらの時代に対して斜に構えたツッパリ風でいい。
なんか最後に上手く丸めこまれたなぁという気分になったことろでおまけの「ミ・アモーレ」が流れてこの盤は終わる。

かのように過渡期の習作ともいえるこのアルバムであるが、ここでの試行錯誤が無駄だったというわけではない。
明菜はここでのボーカルコントロールの試行錯誤の結果、翌年のシングル「Desire」である一定の正解を導き出す。
ここで、明菜は「明菜節」ともいわれるあの独特のビブラート歌唱を完成させるのである。
また演出法にしても以後、ポスト百恵的な部分でもなく、また素の部分でもない、独特な神秘主義的なベールをかぶせることによって新たな展開を見せるのである。
と、いうことで次作『不思議』につながる。
ちなみに次アルバム以降の最大の問題は「ボーカルとバックトラックのバランス」であることはいうまでもない。
明菜は「いかにレコードの中で自分の声を響かせるか」という大命題に対してはまだまだ試行錯誤を繰り返すのである。

もいっこちなみに。同時期発売のシングル「サンド・ベージュ」のシングル候補オチ作品がこのアルバム所収の「Star Pilot」「Blue Ocean」(シングル候補時のタイトルは「蠱惑」)なんだとか。
以後の異国情緒、神秘主義路線の流れを見るに「サンド・ベージュ」をシングルとして切ったのは正解ではあるのだが、これはあくまで現在の視点からとった考え方である。
逆に考えれば「Star Pilot」「Blue Ocean」をシングルとしていたならまったく以後の明菜の展開は異なるものとなっていただろう。
と、歴史とはならなかった架空の明菜の展開というのを想像するのもなかなか一興である。
(個人的には「Star Pilot」をシングルにしたら面白かったろうな、と、思う。この流れでいったら、もっと歌謡ロックに近い流れになったかもしれない。となれば、多分86年秋発売のシングル選考も「Fin」ではなく「Fire Starter」に軍配が上がるだろうしな)

2003.08.27

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