「Cross My Palm」。意訳すれば「手のひらから零れ落ちるもの」といったところだろうか。(――「cross one's palm」で「賄賂を手渡す」という意味もあるが、それだと意味が通じない。同名のビデオ作品の冒頭のモノローグを見るにこれでいいだろう) 「CRIMSON」で見せたニューヨーク志向の流れに乗ってそのまま彼女はニューヨークでのレコーディングを敢行。全作英語詞、全作海外アーティストによるアルバムをリリースする。 それがこの「Cross My Palm」である。 日本のポップスターの海外進出。このアルバム以前も、そして現在でも、ある一定の成功を収めた後にその目を海外の市場、特に欧米へとむける日本人アーティストは多くいた。 アイドルでも、フランスで成功を収めた沢田研二をはじめ、坂本九以来のビルボードチャートインとなったピンクレディー、85年以降、何度となく海外での市場開拓を行なっている松田聖子、マイケル・ジャクソンプロジェクトやブライアン・メイ、ゲイリー・ムーアなどの楽曲提供を受けた本田美奈子、 ナラダ・マイケル・ウォルデンのプロデュースを受けた荻野目洋子―――このアルバム結局海外での発売とはならなかった、など実に様々だ。 が、このアルバムに関しては少々事情が違う。これは明菜の海外進出のために作られたものではないようなのだ。 このアルバムの海外リリースは、日本での発売の2年後、彼女の自殺未遂による休業時――89年冬、彼女の承諾を取ったのかとらなかったのかわからない時期にひっそりとなされたにすぎない。 ◆ 「Bitter&Sweet」以降、彼女の作品にそこはかとなく漂っていた洋楽志向が一気に吹き上がったのがこのアルバムであるのは 確かであろう。 しかし、それにしても、だ。 何故日本のポップスターが、日本のリスナーに向けて、英語詞のアルバムを出さなくてはならないのだろう。 平岡正明氏のこのアルバムに関する評は以下の通りである。 『Cross My Palm』は「私は日本が嫌いだ」というメッセージである。その気持ちだけは真実である。 この『Cross My Palm』というアルバムは平岡氏の言うよう《ポップスを歌っているのだったら、わずらわしい日本などではなく、いっそ本場に出てしまえ》という感情にのみに支えられたアルバムである、と私も感じる。 それは、このアルバムでの彼女の英語の発音を聞いてもらえばわかる。 彼女はこのアルバムを制作するにあたって、デモテープのガイドボーカルを何度も聞いて、発音を耳で覚えて歌入れしたという。 レコーディングが早いことで有名な明菜だが、なんでもいつものレコーディングの3倍の日数がかかったのだそうだ。 ……ここに「ふーん、頑張ったね」という率直な感想のほかに、あれっ?と思う所がありやしないか。 そう。英語の発音をしっかり体得して、ネイティプスピーカーの耳に耐えられる発音かどうかの確認をして、レコーデイングした作品ではないのである。 つまり、その覚え方は、海峡を超えて流れてくる韓国語や中国語、英語のラジオを念入りに聞いて覚えたタモリのハナモゲラ韓国語/中国語などと全く変わらない。 このアルバムでの明菜の英語は端的にいってしまえばタモリの密室芸「4カ国語マージャン」と対して変わりはしないのである。 要は日本人の耳で「それっぽく」聞こえていればそれでいい。それだけのもの。 だから、実際アルバムの明菜の英語は「おっ」と思わせるほど正確に発音しているところもある一方で、ものすごーく適当にハナモゲラブルに歌いやすいようにネグって発音し、とてもリスニング不可能な箇所も実に多い。 どうせ日本人が聞くんだから、言葉の意味を聞きとって聞く人なんていないんだし、適当にそれっぽくで雰囲気重視でいいんじゃない。 そういうところなのであろう。 ここからこのアルバムが「英語で歌っていながら、英語圏に住む者でなく、あくまで日本人に向けた奇妙なアルバム」という解釈は充分可能である。 ◆ ―――彼女は、自殺未遂事件以降しばらくの数年間は、海外であたかも亡命者のような生活を送るが、その傾向をこのアルバム感じ取ることも、また、できるだろう。 彼女は世界へ出るためでなく――みずからの歌手としての活動の足場を増やすわけでなく、ただ、日本から逃れ、遠くから日本を望み見るためだけに、海外へと向かう。 「逃避」としての海外、それを象徴しているアルバムでもある。 だからといってここにあるのは、恥ずかしいジャパニーズイングリッシュのオンパレードだということはもちろんない。日本人の耳で感じる《それっぽさ》というのは十分過ぎるほど表現できている。 フレンチのカバーである「Modren Woman」など、英語であるにもかかわらず、フランス語っぽい口先でぐちゅぐちゅ言っている感、オとかセの音に微妙なニュアンスがかっている感がよくでている(ように日本人の私の耳には聞こえる)。 つまりは「ハナモゲラ」なのである。 ◆ 彼女の《ハナモゲラ英語》はひとつの成果を残す。 この、ハナモゲラ的に既存の言語を綿貫きして虚仮にしてしまう歌唱法は、そのまま日本語詞の歌にも援用させることになるのだ。 主によく見られるのがロングトーンの母音変則パターンで「I missed the shock」のサビの「ロンリナイインザレェー―――ェェェェアアアアアアァァー」等がわかりやすい例だろう。 どんな母音でも、『オワァーー』と歌ってしまう明菜の例のアレだ。 そのほかにも、 近年の歌唱は、顕著な例では「おいしい水」の「不幸な時さえ」を明菜は「不幸なときせ―」と歌っているし、「愛撫」では「touch me though the night」をライブでは「タッチミー ストゥーザナイッ」と、「THE HEAT」は「失いかけていた」を「失いかけてていた」などなど。 ハナモゲラブルに明菜は言葉を解体して歌っている。 また、もうひとつ、このアルバムには成果がある。 中森明菜は「D404ME」以降、ボーカルとサウンドの定位という大命題にぶち当たっていた。 『不思議』では喉を開いて思いっきり歌いはするが、マイクをオフにしてボーカルレベルを一気に落とし、声をマスクさせ、バックトラックの音圧を思いっきり高く設定した。『CRIMSON』ではマイクはオンにし、バックトラックの音圧も通常レベルまで戻したが、ボーカルは蚊の鳴くような超ピアニシモで敢えて歌った。 そういった変節を経て、このアルバムで、ボーカルとバックトラックのバランスを安定させることにはじめて成功した。 また「The look that kills」「No more」など、とても明菜とは思えないハイトーンの頭声など、ボーカルでの冒険、遊びもこれまでにないほどだし、そしてそれは見事に成功している。 ◆ ここでひとつの解答が出る。彼女がここに到るまで試行錯誤したボーカルバランスの問題というのは、それは言葉の問題であったのだ。 歌に必ず纏わる「言葉」――それを「声」として表現し、サウンドに対位させる時、はたしてどうやって処理すれば良いのか。そういう問題だったわけである。 つまりここで明菜が海外へ逃避した、その理由。明菜はなにから逃避したのか――それは芸能ゴシップからでも自身の小状況からでもなく、「日本語という言葉のもつ意味性」から逃避したのである。 明菜は、言語につきまとう意味を一度"なかったこと"にするために、あえて知らない言語で歌ったのだ。 すると、のびのびとボーカルで表現できた。自然と声を音に載せることができた。 そして明菜は「言葉なんて意味ないんじゃない」というシニックな答えを、ここで導き出した。 彼女の以降の歌唱スタイルを見るにつけ、「歌詞というのは記号に過ぎない、歌詞を忠実に歌うのではなく、歌詞に含まれた情感を正確に歌うべきだ」という明菜の思想をわたしは感じる。 これは正しい。言葉というあらかじめ規定された概念よりも、その概念の向こうにあるよりプリミティプな情感を引き出してこそ、よりすぐれた表現者だからだ。 そして、この表現の延長線上にある作品のひとつが『Resonancia』である。 しかし、この明菜の思想はなかなか聴衆の理解を得るには難しく、彼女の歌を「歌詞が聞き取れない」と批判する者は多い。 そうじゃないんだよなぁ―――、と、私はそういった意見を聞くたびに思うのだが、まぁそれはいい。 以降、ふっきれた明菜は歌詞にある日本語を丁寧に歌うだけでなく、歌詞にある情感を伝えるためならば、時には歌詞を壊してまで歌うようになる。 その成果がすぐに表れたのが『Stock』『Femme Fatale』であり、これは「20代の中森明菜」の決定打といってもいいだろう。 ◆ ちなみに海外でのこのアルバムの評判がどうであったかという事については私は寡聞にしてよく知らない。 ただ、89年12月16日のCASH BOX誌でのアルバムレビューでは以下のように評されている。 オリビア・ニュートン・ジョンとペトゥラ・クラークを足したような日本人ばなれした声質を持ち、ルックスはポーラ・アブドゥルやテイラー・デインのよう。まあ、海外発売に関しては「ただ発売した」というだけで、例えこのアルバムがある程度海外で売れたとしても、当時の中森明菜の周囲はトラブルの嵐で、海外進出という選択肢は全くない状態であった。 |
2004.03.28
加筆・修正 2006.01.27