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「著作権」に対する私とこのサイトのスタンス


面倒くさいながらも、サイト運営に関してとっても重要なことを書いておこうと思う。 それは「著作権」に関することである。
前々から、一度このことには触れようと思っていたのだが、やぶへびになるかも、と、腰が引けていて書くことができなかった。 でも今回はちょっとつっこんで書いてみる。

正直いってわたしは「著作権」というものがよくわからない。 著作者の権利を守り、創作物を保護する。その本質的な意味合いはよくわかるのだが、ではどこまでがその権利の範囲であるか、というのがまったくわからない。
そもそもすべての文化というのは、伝承という名の模倣からすべてスタートしているのだから、はなから完全に独立して存在する創作物というのはありえない、と思う。
これはモノ作りに携わったことがある人、モノ作りを知っている人なら実感としてわかると思う。
「何々風」「何々を目標に」こういったことを一度も考えたことなく、ある日突然、この世に今まで1つとして存在しないメロデイー、造型、構図、物語などなどが降って湧いた、なんてことをいって憚らないモノ作りの人は少なくともわたしは信じない。 その人はきっとただの偽善者か、狂人か、何千万人にひとりの本当の天才だろう。
しかし、素材への愛や尊敬の念がまったく感じられない、独自の解釈のない明らかに劣悪なコピーを披露して憚らない者は作品の簒奪者として批判されてしかるべきであろう、と思う。

わたしはあらゆる創作物すべてが他の著作物の前提に成立するグレーゾーンにある、と思っている。 そして「著作権」という概念自体がそんな風にあやふやであるから、「著作権法」という法律もあやふやなのかな、とわたしは理解している。
グレーのグラデーションの上に違法であるか否かという些細な事象で線引きをする。これが明確であるはずがない。と。

わたしのサイトで主に「著作権」に抵触するようなことはほとんど行なっていないと思うが(―――とはいえこの語り口はあの人っぽく、とかレトリックを何々風になんてことはよくやっている。全文まるまる総パクリはないだろうが、無意識に細かくパクっているかもしれない)、ひとつあるとすれば「引用」の問題である。

歌や小説を取り上げるに、小説の一部やあるいは歌詞の一部を引用するという行為は日常的に行なっている。また少ないながらも画像による解説が必要である時は、遠慮なく画像をはりつけている。
それらはあくまで、わたしが評論、意見、感想を述べる時にスムーズに読者に理解してもらうための一助として用いているのみであり、わたしのテキストが主であり、その引用したモノは従、というヒエラルキーが絶対であるので、わたしはこれを「著作権法」の「引用」にあたる部分であるとわたしは勝手に理解している。
もちろん取り上げたもののタイトルは明記してあるし、出版社やレコード会社といった出自もテキスト内やタイトルの見だし近くに明記している。

なぜ「勝手」にそう理解しているか、というと、この「引用」の解釈がそもそも極めて曖昧で、また事例が少なく充分に判決が蓄積していないので、その範囲がどこまでであるのかというのが全くわからないからだ。
一応こうしたサイトを立ち上げるにあたって、そうしたことの多少は調べてみたのよ。でも全然わからない。


そもそも「著作権法」 第32条の引用に関する項目。「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない」にしても。
「報道、批評、研究その他」の範囲ってどこまで?「正当な範囲内」ってどこまで?「公正な慣行」ってそもそもなに?
これらの要件について明確な基準を私は見つけることはできなかった。権利者も利用者もおおよそ無知で及び腰なので(というかこのままあやふやのままでいいやと思っているので)、この線引きの仔細がにつまる様子がまったくないように見えてしかたない。


こうしようと思ったのは上記にあげたように「引用したものを明示すること。引用が従でテキストが主となるようなテキストにすること。引用とテキストをきちんとリンクさせること」というこれくらい。 ってこれは扱う素材に対する愛と尊敬の念があって読みやすいテキストをと思えば元々クリアして当然のものだよなあ……。

と、長々と書いているが、ともあれ権利を有する者からの掲載を中止する要請があり、それが一定の論理があるものならばすみやかに掲載を中止したいと思っている。これは法解釈でもなんでもなく「愛ゆえに」である。リスペクトしている彼ら彼女らをいやがらせてまで自身の意見を押し通そうという気にはさらさらならない。 そもそもちゃらっと「著作権法」を読んだだけのわたしなので、うっかりというのことだって充分ありえる話なわけで。そういった話を権利者から告げられたら素直に飲みたいとわたしは思っている。

とはいえ、私が気をつけなければいけないのは「著作権法」やその判例を首っ引きになって精読し、論理武装することではないだろう。 取り上げた音楽家や作家やそのスタッフが「これだけ高品質で独自性のあるものなら、充分『引用』の範囲内だろう」と思ってもらえるものをアップし続けることだと思う。 こちらのほうがなんぼか難しい。


あ、ちなみにここで述べた「著作権」に対する意見はあくまで私観。ネットには実に様々なサイトがありますが、それらを糾弾するつもりもなければ、私の理論で改めさせようなんてつもりも全くないです。 そんなこといったら私の毎日通うあのサイトもこのサイトもあんなサイトもみぃんな綺麗になくなってしまって私は悲しい。


2005.01.14
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