中森明菜 「CD'87」
1. ラ・ボエーム
2. 最後のカルメン
3. TANGO NOIR
4. DESIRE 情熱
5. 危ないMON AMOUR
6. ミロンギータ
7. ジプシー・クイーン
8. Fin
CD時代の到来を告げる一枚 (1987.05.01/ワーナー・パイオニア/32XL-191) |
12cmのCDが発売されたのが1982年10月1日である。 80年代中頃になるとアナログレコードのシェアを奪いはじめ、86年にはアナログの生産・販売実績を凌駕する。CD時代の幕開けである。 同年からオリコンにおいてもCDチャートが開始、また日本レコード協会主催の日本ゴールドディスク大賞もスタートした。 この第一回の大賞受賞者が、中森明菜であった。 そしてその、日本ゴールドディスク大賞を受賞して作られた企画アルバムが「CD'87」である。 87年、アルバムはアナログレコードからコンパクトディスクへの移行が決定的なものとなっていたが、 しかし、一方のシングルは、いまだCDという媒体での発売はなされていなかった。その影響から、87年、シングルの売り上げは激減する。 この年、もっともセールしたシングルは瀬川瑛子の「命くれない」であるが、売上はわずか41万枚である。 着々とCD化の進むアルバムと、CDという媒体そのものがないシングル。 このアンバランスが、この「CD'87」を生んだといっていい。 このアルバムの収録楽曲は、「DESIRE」から「TANGO NOIR」までのシングルA/B面全ての計八曲、それのみである。 なぜこの四枚のシングルがピックアップされたのか。それは「DESIRE」以前のシングルは前年の「Best」によってCD化されていたからだろう。 さらにいえば、当時、中森明菜は所属レコード会社の親会社であるパイオニアのステレオのブランド、PRIVATEのマスコットキャラクターを長年勤めていた。 その新戦力商品であるCDプレイヤーで、イメージガールを勤め、かつ、当時最も売れていた歌手のシングル作品が聞けない、という事態をおそらくメーカーとしても避けたかったのだろう。 明菜のシングル楽曲をCDでも聴けるようにする。このアルバムのコンセプトはこれ以上でもこれ以下でもない。 ゆえにLPやカセットによる発売は一切なされなかった。 とはいえこの八曲、中森明菜が実質的な自己プロデュースを開始し、歌謡界の女王としてイメージをがらりと変えた頃の、最も勢いのある、またクリエイティビティーの高い八曲である。 コンパクトなシンプルなコンピレーションながらも、濃密な中森明菜のアーティストとしてのエッセンスを感じずにはいられない作品となっている。 その後、87年下半期にはコロムビア・ポニーキャニオンなどが、12cmのCDシングルをリリースするが定着せず、 年明けて、1988年2月21日、8cmのCDシングルの各社一斉発売をもってシングルのCD化が劇的に進行、88年下半期には早くもCDシングルがアナログのシングルの生産を追い抜き、平成の到来とともにアナログレコードは完全に淘汰される。 オリコンがLPの週間売上の集計を終えるのは、89年年末のことである。 アナログレコードからCDへの過渡期の混乱。そのさなか、CD化の斬りこみ隊長として中森明菜がいた。そんな近過去のポップスの歴史を表す一枚が「CD'87」である。 |