メイン・インデックス歌謡曲の砦>中森明菜「Bitter&Sweet」

cover
中森明菜 「Bitter&Sweet」

フュージョンサウンドで見えた素顔の明菜

(1985.04.25/ワーナー・パイオニア/32XL-61)

1.飾りじゃないのよ涙は 2.ロマンティックな夜だわ 3.予感 4.月夜のビーナス 5.BABYLON 6.UNSTEADY LOVE 7.DREAMING 8.恋人のいる時間 9.SO LONG 10.APRIL STARS


当時のアイドルの格上演出の方法論のひとつとして、当時「ニューミュージック」といわれた自作自演系アーティストからの楽曲提供という手段があった。
山口百恵あたりからはじまったこの手段は、80年代に入ると一気に広く歌謡界全体に敷衍していき、明菜がデビューする頃になると、もはや大御所・中堅・新人関係なく、ニューミュージック系への楽曲提供は当然のこととして行なわれるようになったし、むしろ歌謡曲専門の職業作家からの楽曲提供など、下策として退けられる風潮すらも出てきた。

もちろんその流れで、中森明菜もニューミュージック系といわれるアーティストからの楽曲をデビュー時から多く歌うことになるのだが、不思議と彼女は歌謡曲サイドからの発注が殺到しているニューミュージック界の大御所との相性が悪かった――――「NEW AKINA エトランゼ」の失敗がそれを顕著にあらわしている。
(一方、堀江淳や玉置浩司、大沢誉志幸、といった当時まだ名の売れていない新人のアーティストからの作品では一定の成果を上げているからまた不思議なのだが)

そこでスタッフは彼女の素質と他のアーティストとの相性をしっかり洗い出す必要が生まれたと見える。
その作業のなか「ANNIVERSARY」「POSSIBILITY」と前進して、ようやく見つけた正解がこのアルバム「Bitter&Sweet」といえるのではないだろうか。
このアルバムを中森明菜のアイドル時代のベスト、10代の彼女の到達点と私は見る。


少し話しから逸れる。
当時、自作自演系のアーティストはひとまとめで「ニューミュージック」と呼ばれていたが、ニューミュージック系アーティストといってもその出自からいってだいたい三つに分類することができる。1「フォーク系」2「ロック系」3「フュージョン系」。

1はいうまでもなかろう、さだまさし・谷村新司・松山千春らのラインで、このジャンルはフォークがその名のごとく敷衍し日本に土着する過程に於いてすばやく歌謡曲と混交していく―――それが74年森進一「襟裳岬」のころであろう。ここから以降、日本のフォークは歌謡曲とほぼ同義となる。
2はG.Sからの系譜であって、沢田研二・内田裕也さらに宇崎竜童・矢沢永吉のライン。
で、問題は3である。

「フュージョン」とはそもそも「ロック」と「ジャズ」の融合(―――つまりは白人音楽と黒人音楽の融合)音楽である。60年代末期のマイルスデイビスのアルバム「ビッチェズ・ブリュー」を発火点に70年代から80年代前半あたりに最も盛り上がったジャンルである。
このジャンルに日本でも多くの人材が集った。特にそれまでロック系の位置にいたアーティストの活躍が日本では顕著であった。
キャラメル・ママ→ティン・パン・アレイやサディスティック・ミカ・バンド→サディスティックスのメンバーの面々―――細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、小原礼、後藤次利ら、更に彼らと深い関わりを持ったアーティストたち―――吉田美奈子、矢野顕子、大貫妙子、荒井由実といった歌姫勢をはじめ、坂本龍一、山下達郎、南佳孝、大瀧詠一などもそうだろう。彼らたちがこの「フュージョン」のジャンルにいたといえる。
(もちろん、渡辺香津美や渡辺貞夫、本田俊之、日野皓正らのジャズ系からの流れも忘れてはならない)

この潮流の果て、フュージョンの鬼っ子としてYMOのテクノポップが生まれた―――坂本龍一の現代音楽→前衛ジャズ→フュージョン→テクノポップという彼の音楽嗜好の流れはそのまま当時の音楽潮流のひとつをあらわしているといえる。
そして荒井由実+松任谷正隆コンビはフュージョンを土台に日本独自の滑らかなポップスを作り出していく―――これこそが真性「ニューミュージック」といえるもので、つまりニューミュージックとは=ユーミンの音楽といえる。

その他、フュージョンサウンドはAORや、ブラックコンテンポラリー、ワールドミュージックなど、その名のとおり様々なジャンルに影響を及ぼしながら拡大拡散し、70〜80年代のポップスのジャンル拡大過程において「フュージョン」は大きな役割をはたし、そして現在では「フュージョン」というジャンルそのものの独自性を失うほど周辺のジャンルへと拡散しきってしまった(―――このあたりは同時期の文芸思潮であったSFの成立と拡散に近いような気がする)。
つまり「フュージョン」というのはポップスがあらゆる音楽ジャンルを併呑し、拡大していく過程に起こった化学変化過程の1状態であり、また80年代のポップスの大きな一角――ほぼメインストリームといっていいだろう、だったといえる。


と、かくなる状況下であったにもかかわらず、ではアイドル歌謡のアルバムを作る時、ユーミンっぽい真正ニューミュージック調、テクノ調、ロックで、フォークで、というのは今までよくあったが、フュージョンテイストをメインにすえて、というのはそうはなかったのではなかろうか。

このアルバムはその盲点に目をつけた。
これはもうアイデアの勝利といったものでいいだろう。

このアルバム全体に漂うフュージョンテイスト、それは作家陣を見れば明らかである。
松岡直也、カシオペア(神保彰)などはフュージュン系アーティストとして有名であるし、AKAGUY(――アカガイと読む。松原正樹・斉藤ノブ・新川博など)は日本のトップスタジオミュージシャンが集って作った趣味のバンドであって、当時のスタジオミュージシャンはそのほとんどがフュージョン―の申し子のようなプレイをするものが多かった。
さらに角松敏生はフュージョン経由のAOR、ブラコンものの名手であるし、その彼が敬愛する吉田美奈子はまさしくフュージョン勃興の時代を生きた歌姫である。さらにサンディー&サンセットの久保田真琴・SANDII夫妻はフュージョンからワールドミュージックへの過程をそのまま表現しているアーティストのひとりである。

もちろん、このアルバムはただフュージュン色が強いアルバムというだけではない。
まず、フュージョンものにありがちなプレイヤーのテクニックにこりかたたまった難しさというのがこのアルバムにはない。
これは、このアルバムにスーパーバイザーとして名前が挙がっている角松敏生(―――有名アーティストからのプロデュースを受けない明菜にしては珍しい例だ。)の成果ではなかろうか。
バラエティーに富んだ楽曲が揃いながら、統一感した世界が作られていて、マニアックだがポップな親しみやすさがこのアルバムにはある。その功績は彼にあるのではとわたしは睨んでいる。

また、こうした楽曲を歌う明菜がそしてよかった。
今までになく、明菜は明るく軽やか歌いこなしていた。

自分のものではない暗さやシリアスさを周囲から無理に背負わされているようなところがあって(―――それは一言でいうならば「ポスト百恵の呪縛」である)、ゆえにどこかもったりして古臭い印象がそれまでの明菜にはあった。それがこのアルバムの瀟洒な音楽に洗練されることによって、少女らしい初々しい躍動感がはじめて表に出てきた。

「Dreaming」での抱きしめたくなるほどの可愛らしさ、「恋人のいる時間」にみられるさりげない仕種に光る少女の恋のきらめき(―――楽曲のクールさは百恵の「イミティーションゴールド」に近いが、それが恋の華やかさになるところがこの時の明菜といえる)、 空気を入れたてのボールがぽんぽんと陽気に弾むように楽しげな「Unsteady love」「ロマンティックな夜だわ」(―――明菜のフェイバリットアーティストのepoの作だが、夜の華やかさを感じるとっぽい歌声はどちらかというと中原めいこに似ている)、 しみじみと涙にくれるバラード「予感」「So long」も決して重くはない。小さな体で一心に若い恋の終わりを引き受けているようなところがあって、それは少女の体のように軽く、その軽さがゆえに切なく耳にとどく。
吉田美奈子の向こうをはって懐を大きくかつさりげなく歌い上げる「AIPRIL STARS」はさすがにこの時はまだ吉田美奈子には及ばずご愛嬌だが、「BABYLON」では凡百のロック歌手を薙ぎ倒すほどハードに歌いきる。―――ここに後の明菜唱法の萌芽が見られる。

このアルバムの成果を残して中森明菜はアイドルを卒業する。
以後のセルフプロデュースの作品のどれもが息苦しくなるほど濃密で、確固たる世界観を持っているだけに、このアルバムの解放感といかにもポップスらしいわかりやすさと楽しさは貴重である。

2004.09.13
中森明菜を追いかけてのインデックスに戻る