先日、中森明菜のベストアルバムのライナーを書く僥倖に恵まれました。 佐々友成氏との共著によるものが掲載されることになったのですが、 こちらでは、そのもうひとつのバージョンをアップしたいと思います。 ざっくり言っちゃえば初稿です。こちらのテキストは全て自分のペンによるもの。 ちなみにアルバムの曲順確定以前に書いたものなので、アルバムの曲順にそって読むと不自然なところがいくつかあります。その点はご容赦ください。 中森明菜は、常に変わりつづける歌手である。 レコーディング、ライブ、テレビの歌番組……、同じ楽曲を歌っても、彼女は"かつて"の再現は決してしない。 アレンジ、時代性、あるいはその時どきの自身の心境の変化、などなど、 そういった諸々を全て感じ取り、すべて歌としてさらけ出す。 その時のその時の、「中森明菜」を表現し、その時その時の「うた」を歌う。彼女は一回性(アインマーリヒ)の歌手である。 2006年、ついにデビュー25年目に突入する中森明菜のこのアルバム『Best Finger』がそれを証明するのではなかろうか。 このアルバムに収録されている楽曲の、その多くが、2002年以降に彼女が吹き込んだものである (―――この作品で、一番古くからの音源は、M-2、9、10、12、15で、これらは95年のセルフカバーアルバム『true album akina 95 best』からのものである)。 80年代に放った大ヒット曲のかつてとは違うアレンジと歌唱法に、 オリジナルテイクを聴き慣れた方は、最初「アレ?」と、とまどうかもしれない。 しかし、聞き込むほどに、中森明菜という歌手が年輪を重ね、円熟味を増していったことがよくわかるのではなかろうか。 かつてのアイドル時代のヒット曲――暴力的なほどに10代、20代の若さが奔流となり溢れ出していた楽曲が、今では角が取れ、やわらかく、丸みを帯び、そこにはやさしさすらともなっている。 さらに、近年のシングル「赤い花」「Days」などを続けて聞けば、中森明菜の現在進行形が明瞭に見えてくるはずだ。 このアルバムを聞かれた方は、かつての楽曲を懐かしく楽しむのはもちろん、その向こうにある、今の中森明菜もぜひとも感じ取って欲しい。 ◆ 落花流水 05年12月発売、最新シングル。 エスニックテイストでありながら、和の佇まいも感じられる、 どこか異郷じみた雰囲気を、エロティックな低音で妖しく流麗に歌いあげている。 これこそ、という磐石な"明菜的"な一曲。 ユニバーサル移籍以降は、自己の足場を広げようということか、 いわゆる"明菜的"な世界とは少しばかり色味の違う楽曲が目立ったが、 こうした作品も、やはり秀れている。「愛撫」以来となった松本隆の作詞も、秀逸である。 ◆ スローモーション 82年のデビューシングル。アイドル全盛の80年代の、その頂点たる"82年組"の、 そのデビューにあたって、プレーンで、けれん味のないスタンダードなバラードが中森明菜にあてがわれたというのは、 今振り返って考えるに、僥倖としか言いようがない。 少女の初恋の予感を歌って、上質で品格がある。いまだに歌い継がれる名曲となったのも納得の作品。 これは95年の『true album akina 95 best』からのテイクである。 ◆ DESIRE 〜情熱〜 86年作品。中森明菜、二度目のレコード大賞の栄冠に輝いた代表曲。 西洋的・東洋的なものが混交した無国籍な都市空間で、かりそめに燃えあがる「欲望」。 阿木燿子と鈴木キサブローの手によるソリッドな歌謡ロックはバブルの日本を象徴する一曲となった。 この曲はカップリングになるところを明菜の強力な後押しでシングルとなったというのは、有名な逸話である。 今回は2005年録音の、ニューバージョンでの披露である。 ◆ 少女A 82年作品。中森明菜のセカンドシングルであり、初の大ヒット曲。 後にチェッカーズなどで大ヒットを飛ばす作詞・作曲担当の売野雅勇・芹澤廣明コンビの出世作といってもいい。 「ツッパリ」や「積木くずし」が流行語となった80年代前半の社会風俗をジャーナリスティックに切り取った名曲であり、問題作であった。 当時NHKでは、放送自粛の憂き目にもあった。良くも悪くも、以後しばらくの「中森明菜」のパブリックイメージを決定づけたといえる。 そのせいか、中森は90年頃から2001年の20周年記念コンサートまで、この曲を封印していたが、今ではこれら初期の「ツッパリ」ソングをも懐かしさと共に歌唱する中森明菜である。 今回は2005年、ニューバージョンでの披露である。 ◆ 初めて出会った日のように 04年、「赤い花」に続いてリリースされた「赤い花」の別歌詞バージョン。 こちらはパク・ヨンハの歌うオリジナルの日本語バージョンと同じ歌詞である。 これを、中森明菜はバラードシンガーとして端整に歌いあげている。 コリアンポップスの、今の日本人の耳にはちょっとばかり懐かしい歌謡感を楽しめる歌唱。 「赤い花」での歌唱との対比から、今の中森明菜の表現の幅の広さが見えてくるのではなかろうか。 ◆ 北ウイング 84年作品。バブル前夜の人々の海外旅行へ憧れと、歌のなかの、未来の愛へと駆けていく少女の熱い想いがかけあわさって生まれたヒット曲。 理由もわからず、一筋の光に導かれるようにやみくもに疾走する、その躍動感を10代の明菜は「不思議な力で」のロングトーンで表現した。 海外旅情路線は以後の中森明菜のメインストリームとなり、多くの名曲を残すことになる。 ちなみにこの秀逸な曲タイトル、明菜自身が考えたもの。 今回は2005年、ニューバージョンでの披露である。 ◆ 十戒 (1984) 84年作品。高中正義の壮大なロックオーケストレーションに、売野雅勇の今までになく聞き手を挑発するような歌詞、 それを明菜はとても10代とは思えない迫力のある低音で、睨みをきかせるように歌いあげた。 結果いわゆる「ツッパリ」シリーズで、もっとも過激な作品となり、またそのその終止符ともなった。それに相応しいクオリティーといえる。 今回は2005年、ニューバージョンでの披露である。 ◆ Days 03年作品。同年リリースのバラードアルバム『I hope so』の先行シングル作品。珍しく中森明菜自身の作詞作品。 自然なメロディーラインに、プレーンなアレンジメント。中森明菜はそれを祈りにも似た切実で静かなボーカルで魅せている。 バラード歌手としての堅実さを感じる。 ◆ ミ・アモーレ(Meu amor e・・・) いわずとしれた中森明菜の代表曲。85年レコード大賞受賞曲。 リオのカーニバルを舞台にした大賞曲としての風格を備えた壮大でドラマチックな名作。 「北ウイング」からはじまった海外戦略だが、松岡直也のラテンフュージョンサウンドで中森明菜はまたひとつ自身の世界を大きく広げることになる。 この曲を契機にして、「SAND BEIGE」「TANGO NOIR」「AL-MAUJ」といった一連のエスニック志向の作品が生まれる。 これは95年の『true album akina 95 best』からのテイクである。 ◆ TATTOO 88年作品。86年のアルバム『不思議』で実質的な音楽監督の役割を担った、関根安里率いるEUROXによるシングル作品。 ベニー・グットマンの世界を、88年というバブル全盛の時代で再現するとどうなるか、という意図で関根氏は作ったのだという。 結果、懐かしさと近未来的な感性が交錯する名曲になった。 中森明菜のボディコンシャスなタイトミニの過激な衣装と共に、印象ぶかい一曲。 これは95年の『true album akina 95 best』からのテイクである。 ◆ 1/2の神話 83年作品。「少女A」に続く「ツッパリ」シリーズといった趣き。 「少女A」で見せた半分はなにもしらない無垢な"少女"で、もう半分は成熟を待ち臨む"女"という世界観をさらに深く展開している。 「純ね……」とそっと呟くような歌う部分と「いいかげんして」と荒々しく叩きつけて歌いあげる部分の対比が、17歳らしからぬ表現力を見せつけた。 作曲はソロデビュー直前の大沢誉志幸である。 今回は2005年、ニューバージョンでの披露である。 ◆ 難破船 87年作品。中森明菜にとっての初のカバーシングルである(――作者、加藤登紀子自身の歌唱による「難破船」は84年に発売されている)。 TBS系「ザ・ベストテン」では15週連続ランクイン。中森明菜にとって最長チャートインのロングヒットとなった。 歌番組での、瞳に涙を湛えながらの歌唱が印象的な作品であるが、 明菜は歌の世界に切々と降りていき、自らが歌の世界の主人公となって、演じ、語っていく、という志向がこの曲以降さらに強まっていく。 それは歌謡シーンの女王、という簡単な言葉では捉えられない圧倒的な存在感であった。深い水底に引きずり込まれるような孤高の作品。 これは95年の『true album akina 95 best』からのテイクである。 ◆ 赤い花 04年作品。自身のレーベル「Utahime Records」からのリリース。 韓国ドラマ「All in」の主題歌「初めて出会った日のように」のカバーである。 初のコリアンポップスのカバーとなったが、中森はここで今までになくエモーショナルな歌唱を披露、 「激情」そのものといった身も世もない歌いまわしである。 原曲にはなかった、韓国の「恨」の精神風土を、図らずも中森明菜は表現している。 ◆ The Heat 〜Musica Fiesta 02年作品。同年リリースのスパニッシュR&Bアルバム『Resonancia』からの先行シングルとして発売された。 ボーカルとバックトラックを渾然一体とさせる。また、歌詞を意味としてではなく、音として捉える。 こうした志向を持つ楽曲も今のポップシーンではさほど稀有ではなくなったが、中森明菜はその作業を86年のアルバム『不思議』以来密かに続けていた。 この曲も、その成果の現れた作品といえる。彼女のボーカルは意味性が強く、ともすれば重さが漂いがちであるが、そうした"明菜的"ではない、しかし完成度の高い歌唱をここでは披露している。 明菜が、乾いていて、羽根のように軽い。 ◆ TANGO NOIR 87年作品。87年は「タンゴ アルヘンティーノ」日本公演をはじめ、密かなタンゴブームが日本に巻き起こっていた。 中森明菜は、タンゴというモチーフから官能性と哀愁を抽出して、またひとつの傑作を生み出す。 楽曲自体はタンゴ調ではないが、エロティックな破滅の愛を華麗に歌い上げ、タンゴよりもよりタンゴらしい作品となったといえる。 これは95年の『true album akina 95 best』からのテイクである。 ◆ 飾りじゃないのよ涙は 84年作品。井上陽水、渾身の一撃。 中森明菜にとっても最重要曲、彼女のアイドルからアーティストへの里標となった作品、といっていい。 中森、陽水ともに何度かの歌いなおしを重ね、自らの財産として大切に歌い続けている。 「私は泣いたことがない」――中森明菜は内省的に外の世界を覗きみる。それは理知的で冷徹ですらある。 これは2002年のセルフカバーアルバム『Utahime D.D』からのテイクである。02年、紅白での歌唱で有名なバージョンだ。 ◆ 華− HANA− 03年シングル「Days」のカップリング作品。アルバム未収録。 カバーアルバム『歌姫』シリーズをはじめ、90年代はファルセットを多用した繊細なボーカルを披露する機会が増えた中森明菜であるが、 そのファルセットボイスが楽しめる一曲。 赤児の肌のようにナイーブで、迂闊に触れると傷つけてしまうほどに、やわらかく、やさしい歌声である。 |