「ACB」という宝物さ 60年代の激動の時沢田研二の「A・C・B」という素敵な曲(作詞/沢田研二 作曲/伊豆田洋之)の話をしたい。 新宿は明治通り 甲州街道の交わる駅側 それはそれは遠い昔のこと。時は60年代後半、場所は新宿のジャズ喫茶「ACB」。 野球と喧嘩とロックしか知らない京都弁の抜けきらない少年がはじめての舞台の後、そこの主のような綺麗な年上の女性にひきとめられる。 「ぼうや、ここのルール、知ってるの??」 話しかけられたても彼は「はぁ……はぁ……」と要領も得ずに言葉少なに生返事するだけ、ただの女の首にかかるまがい物の真珠のネックレスがゆるやかにゆれるのを、ただぼんやりと見ていた。 「まぁ、いいわ。私、いろいろ教えてあげたいな、知らないこととか」 彼女は煙草をくゆらせる、その煙が彼の顔にかかる。 「トッポジージョ」流行ったね いろんな人を思い出すけれど それからしばらくして、彼は、スターになった。 ショービジネスという世界にいざなわれ、金と色に洗われて、そして栄光と孤独を手にいれた。 冷たかった瞳はなお冷たく、刃のようになり、冷笑が似合う顔になった。 その残酷な美しさは彼の人気を高める最高のアクセサリーになり、彼は更に孤高の存在へと押し上げられた。 そして彼は人間不信になり、様々なトラブルを引きおこした。しかし、それでも歌い続けた。 そして、気がついたら30年以上の歳月が過ぎた。 彼はまだここにいた。 アシベの頃 どんなことも 凄い誘惑だった 青春って苦い いろんな人がいた。 いろんな人がやってきては、去っていった。 がらんとした舞台を見わたしてみる。 するとなんと多くの懐かしい人たちがそこに待っているではないか。 渡辺晋がいる。その隣にいるのは奥さんの渡辺美佐だ。 ガラス玉のような冷徹な眼をして舞台を観察している久世光彦、その隣にいるのは阿久悠だ。 英語でなにやら分けのわからない言葉を捲くし立てている内田裕也。その隣でジュリーと叫んで笑いを取る樹木希林。 志村けんは曲間の鏡コントの出番待ちに真面目な顔をして舞台を見つめている。 バックにはタローがいる。サリーがいる。大野克夫も井上堯之もいる。 岸辺シローは舞台の隅で所在なげにぼっーとつったっている。 鶯巣色の毛玉がびっしりとついたカーディガンを羽織っている猫背の老女は森茉莉だろう。その隣でジュリーの噂話ばかりしている化粧のけばい少女は中島梓じゃないか。 つまらなそうな顔をして暗闇で原稿を書いているのは竹中労だ。 早川タケジは次の衣装の草案を練っている。 そして舞台で歌っているは、そう天下無敵のスーパースター、ジュリーだ。ぎんぎらで妖しくって氷のように無情で、だけど朴訥でやんちゃで純情で一等賞の大好きな日本の誇るスーパースター、ジュリーだ。 みんなジュリーが好きだった。 みんなジュリーに憧れていた。 ジュリーが歌うと後輩アイドルたちの誰もが舞台袖でうっとりとため息をついたという。 誰もがジュリーが一体どんなことをしでかすかと、次の曲をブラウン管の前で待ち焦がれた。 魔少年といわれたジュリー。歌謡界のトップスターだったジュリー。 でもそれは全て昔の話だ。 束の間の一瞬の幻。 懐かしい人でいっぱいだった舞台はがらんどうに、魔少年だったジュリーは、髪は白髪まじりになり、声も出なくなり、恰幅だけがよくなった好々爺ぜんとした60歳手前の沢田研二の姿に戻る。 まあ、人生なんて夢みたいなものだ。だから、それでいい。 ただ彼が汗みずくになって歌い続けて、ここまできたという事実だけがある。そしてこれからも、そうだろう。 彼は今でもロックにこだわり走り続けている。 アシベの頃も 醒めていたよ 歳は食ったけれど 相変わらずで この曲は20世紀の最後を飾る2枚組の記念アルバム「来タルベキ素敵」の一曲目に収録されている。 このアルバムは彼の活動を彩った様々な作家からの楽曲提供を受けている。 すぎやまこういち・宮川泰にはじまり、森本太郎、ムッシュかまやつ、加藤ひさし、大野克夫、井上堯之、大沢誉志幸、伊藤銀次、吉田建、西平彰、白井良明、原田真二、平井夏美、下山淳、……。 すべてが沢田研二という歌手を支えたすばらしくも素敵な奴らだ。 彼らの作った新たな歌を、「ACB」にはじめて舞台に立った時と同じような熱いロックンロール魂で歌い倒す沢田。 初老になってそれでも純情なロックンロール馬鹿な沢田研二がここにいる。 ミック・ジャガーに憧れた一人の少年の姿がまだ彼のなかに眠っているのだ。 こんな素敵なことなんて、そうそうない。 ジュリー、お前はなんてかっこいい奴なんだ。 太鼓腹になろうが、白髪まじりになろうが、どんなに奥さんとの惚気話をいおうが、「つづくしあわせ」だろうが、関係ない。 やっぱりジュリー、お前は特別だよ。 |