げっ、講談社漫画賞だって。 おいおいウイングスでそれってありかよー。大体やおい漫画が月9で滝沢秀明主演ドラマ化って自体が世も末だよなあ。 ということで、今回はよしながふみなのだ。 実は今まで読んだことなかったのね。ま、今が旬な人なので、古本屋にもあんまりおっこってないし、でも根が噂大すきの悪意のあるミーハーっ子なんで、どさっと平積みされてたりすると気になったりする。 ちらちらと横目で見ながら、どす黒い雲のように悪意が育っていくわけよ。西原理恵子的に。 「西洋骨董菓子」は長編なので途中でだるくなって読むのいやになったら(びしっと悪口言えなくて)いやだしなぁ、かといって途中で読むのやめて「読ませる力がない」なんて言うのは厨房の意見だし、と言うことで折衷案「短編を読む」に決定。 ちょうどブックオフで100円で落ちてたし、良かった良かった。 ということで読みましたよ。 んーーーーー。 なるほどねーーーー。 レベルで言うと西炯子をよりさらに間口を狭くしたって感じでしょうか。 悪くはないんだけどねーーーー。なんかさーーー、年齢わかんないけど、メインの領主のおっちゃんがやたら泣くのよねーーー。なんかもう、田舎のばぁちゃんかよ、みたいな。 でもって東国に遠征してびしばし蛮族なんかをぶっ殺しまくったことがあるはずなのに、なんか置き去られた子供みたいな懊悩をしてるのよねーーーー。「なぜ私の大事なものはすべて去ってしまうのだっっ。だったらもう何も愛するまい……」みたいな。 この繊細さ嫌いじゃないんだけど、正直もう私はとしだからねーーー。わかってあげたいという気持ちはあるけど、真にはもうわからないんだろーなぁー。もっとガツンとくるほどリアリティーが作品内でしっかりと描かれていればいいんだけどねぇ。そのへんがやっぱり、甘い。 近年のやお系作家の中ではある程度説明しているほうだとは思うけど、ほとんどのやお作品と同じように、いろんな関係性から遮断されて一種の離人症的な気分を共有していないとちょっとついて行けないという点ではやはり客観性に欠けていると感じる。 作品自体がわかる人のあいだだけでいい、と自足しているんですよね。 閉じている。 そういった意味では高河ゆんなどと同じ同人系作家と同じ匂いがする。 しかし、多くのやお作品はどうしてシリアスになるとアダルト・チルドレン的な味わいを前提条件的に作品を創ってしまうのでしょうか。 やるんだったらもっと掘り下げろよぉ。 このままだとわからない人には永遠にわからない作品だよぉ。 彼女に限らずやおいにおける安易な「捨てられた子供路線」はもうしばらく封印したほうがよいと思われますね。 しかし、久しぶりにウイングス系作品を読むことになったのだが、驚いたのがその変わりのなさ。 やお系同人作家の大胆投入で一時期は少女漫画のハンドルさえ握った感のあったウイングス系であるがそれから10年近く、少女漫画もやおいも同人誌もとうとうと東する水のごとく流れ流れてずいぶんな変遷を辿ったのだが、この雑誌、ほんっとう、かわってない。 もう、本開いて時点でひとり笑ってしまったのはこのなつかしいほどの画面の白さ。ちゃんと書けよなあー、金もらってんだからさあーー、と突っ込みたくなる高河ゆんトラッドをしっかり今でも守っております。 背景書かない→ストーリーはキャラクターとの対話が中心→観念的に作品に→物語の実感がない というほとんどのウイングス系作品に通じるノリというのは一体なんなんでしょうかね。 ちょっとすごいです。この手のノリってもう、メインストリームとは離れていると思いますが、変えるつもりはないようですね。 ある意味、ウイングス天晴れです。 そうそう、うな(@弟)が「なんか読む漫画ない?」と言ったのでこれを読ませたら 「ひっでーーー、顔マンガじゃん。絵、下手すぎ」 と言われてしまった。 (悪い意味で)驚くべき画力を誇るうなに下手と言われるよしながふみって……。 確かに影とか変だし、パースとか取れてないし、キャラはバストアップばっかだし、間でごまかすし……。しかし、うなに下手と言われるとは……。 ある意味衝撃だわ。 で、そんな、よしながふみ。 どうなんでしょうか。 絵はともあれ、やっぱり内容のリアリティーがなぁ……。 好きな人は好きなんだろうけど、ね。 作者自身がまだ他者に作品で投げかけているという段階ではなさそう。 やっぱり同好の士の間だけの作品って匂い。 ただ、気になるといえば、気になる。 読んでいて、不思議と、なんかこの作家とは話が合わなそう、と思ったから。 なんか妙に読んでいて、いやな気持ちになったんだよね。この人の見る世界は嫌いだなーー、と。 はっきりいってこんなに不快になるのは逆に珍しい。 だって下手なら、下手。つまらなければ、つまらないで、それまででしょ。何もムキになって嫌いになることなんてざらにはない話で。 だから、この「なんで自分は嫌いなのか」を掘り下げるためにもっと読んでしまうかも。 (この作品は一応、欧風ファンタジーっぽいコスプレモノなので、上手くごまかされているような気がするので、今度は現代モノとか読んでみたい。 現代モノはわりと、作者の価値観とかアラが出やすいからなぁ。) ただ、ひとつ、強烈に感じたのはこの作者は「逃げている」のではないか、ということ。 なにに逃げているのか、わからないけど、これは正解じゃない、と感じた。 彼女がどういったバックグラウンドの持ち主かはわからないけど、彼女は作品に自分を見せていないように思える。 作品自体がやおい好きの子に喜ばれるようにとうまくつくっていて、漫画評論とかで誉められやすい、サブカル内でのメジャーフィールドにはまりやすい態を漂わせているが、これは、わかるひとには、わかるよ。 これは、だめ。 これは擬似的な創作、表層をなぞった創作、つまりファッションであって、まだ「創作」ではない。 この作品に果たして真実があるのだろうか。 私には、今の時点では「ない」と思える。 この判断が私の間違いならばいいのだが、ともあれ結果を出すには早計すぎる。 もう少し、読んでみようか……。 でも、古本でみつけたら、ね。 だって、きっと好きになれないもん、この人。 |
2002.06.20