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「やおい」の求める性愛

〜性愛の「匿名」と「記名」〜


性愛というのは、「匿名的」なものと「記名的」なものがあると思う。 記名的な性愛というのは、私が誰であり、あなたが誰であるということがお互い了解済みの性愛―――普通の恋愛の末の性愛であり、 匿名的な性愛というのはその逆――つまりは金銭で贖うような性愛といえると思う。

もちろんどちらが上位であるか、とか、どちらが有意義であるということは、ここであえて糾すつもりはない――お互い名も知らない方が気楽に性欲を満たせるという場合もあるだろう。 しかし、「恋」は、それがコミュニケーションの希求である限り、人が本当の意味で「人を恋うる」というのは、記名的なものでしかありえない。 「セックス」はどこの誰でどういう人で、というのがなくても成立するが、「恋」はそれなしには、成立しないのだ。
大概において、女性はそのことを本能的に体得しているが、しかし男性の場合はそうでないのか、いまいちぴんと来ないという人が結構いるような気がする。 いわゆる性風俗産業の多くが、男性をターゲットにしているというのはその現われなのではなかろうか、と私は感じる。

目線や口元を自らの手のひらで隠した裸体の風俗嬢のピンナップ、あるいはアダルトビデオでのAV嬢の乱れる白い肢体。 彼女らは全て、個としての具体性は丁寧に排除され、代えのきく、どこにでもあるワンオブゼムの若い女性の肉体――匿名的な肉体として映し出されるのが常である。 そこにあるのは、匿名的な性愛である。であるから、決して記名的な性愛の代替とはならない。 しかしそれがわからない男は、ことの終わった後で風俗嬢に心配げな口ぶりで説教をしたり、AV嬢のキャンペーンに参加したり、と、 つまり「恋」をしようとする。 こういう時、女性は笑顔の裏でいらいらする。馬鹿じゃないの、そんなこともわからないの、と。



オタクのセックスファンタジーである女性の「やおい」と男性の「ロリ」に関しても、その性差ははっきりと出ている。 男性の描くロリータ・エロ同人作品の少女たちというのは、まさしく「匿名性」に拠っているように見える。 彼女らは全て、どこか人形っぽくって、血が通ってなく、代えのききそうな、さながらレプリカントのような佇まいを持っている。 それぞれのキャラクターに対するプロフィールめいたもの――「好きな食べ物・コーンフレークの少ないチョコレートパフェ」とか「両親が不仲のせいで、強がっているけれども、本当は寂しがり屋」とかそういった細かなプロフィールを出しているものも多いが、 それらもどこか人工的で、手垢のついたものが多く、逆説的に匿名っぽさが浮上している感じがする。 これは、まさしく風俗嬢のプロフィールと同じで、安易な言葉で存在を分類、抽象化することで具体的な人格を匿名的存在へと組替えているといっていいだろう。 ―――そもそも男性オタクは「○○属性」「○○っ子」とかいう言葉で、自らの存在を含めて全てを標本・分類化して抽象化する傾向が強い。

一方の女性オタクの「やおい」というのは、まさしく記名性に拠ったセックスファンタジーの何者でもない。 彼女らが描くのは、せんじつめていえば「何故、○○は××を好きになったか」という一点のみである。 「やおい」は恋うる対象の瞬間のディテール(――はにかんだように笑ったり、不機嫌な顔をしてそっぽを向いたり、怖い顔でセックスを迫ったり)、 それらばらばらのものがきちんと具体的な"ひとりの固有の人格"として集積してゆく。 読み手はその恋情にあてられて 「ちょっとダメだったりするけれども、そこを含めて素敵だし、これなら好きになっちゃうよなぁ――」 と思わざるをえない。というか、こう思わせるためだけにあるのが「やおい」といえる。こういうものばかりだ。

実際「やおい」というのは、そういった細かいディテールだけで成立している作品が実に多く、物語の内容はないが、キャラクターの身体のリアルさだけは抜群だな、というのは物凄く多い(――だから「やまなし・おちなし・いみなし」なのだろうが)。 「人形遊び」であることは男性オタクと同じであるのに、「やおい」はキャラクターが人間的に過剰なまでに生き生きとしていて、不思議と人形っぽさというのはまったく感じられないのだ。
またやおい作品の王道の殺し文句が 「小次郎が男だったから好きになったんじゃない。小次郎が小次郎だから好きになったんだ」(――ってここの固有名詞は気にしないこと) というものであったり、 「やおい」の書き手が、同じアニメの既存のキャラクターを使いながらも、 「うちの紫龍は」とか「ひょん子さんの氷河は」といった分け方をするあたりも、キャラクターに具体的な人格を与え、記名性の性愛を求めていることの証左といえるかもしれない。

もちろん時代が進んでカオス化した現在となっては、匿名的な性愛を描く「女性向け男性同性愛漫画」であったり、あるいは記名的な性愛を描く「男性向けロリエロ漫画」というものも出ているが、 どうにも前者は「やおい」という感じがしないし(――ホモエロ漫画じゃん、という)、また後者は「ロリエロ」という感じがしない(――むしろ「やおい」だろと思えてくる)。 これは感覚の問題であって、一概に言えないが、つまり「やおい」というのは記名的な性愛を描く漫画であって、そこを基調にしていれば、モチーフが多少変わろうとも(――いわゆる同性愛的なところから逸脱しようとも)成立するという可能性を秘めているのでは? と私は思っている。



おまけ。
というわけで、女性の多くは「世界でたった一人の私をずっと一番に好きでいてくれるたった一人のあなた」という性愛観を強くもっているので、 世の男性諸氏は「何で私のこと好きなの?」「どれくらい好きなの?」という恋人からの愚問を愚問と思わずにしっかり適当に答えてあげなさい。 「なんとなく流れで」とか「相対評価でいって現状1位」とか、本当でもいわないように。 (――って、まぁ、そう思うってことは本当の恋ではないとわたしは思うんだけれどもね。「恋」なんて簡単にできないものですよ、正味の話。たいてい男と女が言い訳のようにだらしがなく凭れあっているだけというか)

2005.08.12
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