女の暗い歌が三度の飯より大好物な私、まこりんです。 中島みゆきを振り出しに、谷山浩子、浅川マキ、カルメン・マキ、森田童子、山崎ハコと色々聞いてきたけれど、やっぱり中森明菜の質感に一番似合う、女の暗い歌歌いは断然加藤登紀子だと思うんですよ。 シャンソン・コンクール出身でシャンソンをはじめ、ロシア民謡、アイルランド民謡、フォルクローレ、ファド、タンゴ、サンバに沖縄民謡と世界の様々な民族音楽のジャンルのほとんどをレパートリーとしてこなしながら、そのテイストはどこまでも歌謡曲的な 加藤登紀子と明菜ってのは一番風合いが合う。と、加藤登紀子のほぼ全てのアルバムを聞いての私の結果。 もし、「歌姫3」という企画があるなら、絶対今度は加藤登紀子カバーでやって欲しいなーーー。 とにかく明菜が歌ったら映えるような埋もれている名曲がいっぱいあるんだもん。 って「私は風」「生きがい」といったコアな楽曲セレクトで攻めた「歌姫1」よりも「秋桜」「異邦人」「シングル・アゲイン」とベタな選曲で攻めた「歌姫2」の方がセールスが上回った時点で実現はまずありえないんですけどね。 ただのわがまま企画ですから。 ま、脳内でこれらの歌を明菜だったらどう歌うかなーーと妄想している私って言うことで。 ・欲望という名の舟にのる 「エロティシ ひとつの謎」(89)収録 誰かを好きだと 感じていたいから わっ、明菜だ。 加藤登紀子の歌には一聴して「これは明菜をイメージしたな」って思えるくらいわかりやすい明菜的楽曲が中にはあるんですよー。 その代表がこれ。 うねるようなメロディーラインにサビの決め「よっくぼうと言う名ぁのぉーーーー舟に乗るぅ」がかっこいい。 明菜がのけぞりながら歌う様がはっきり見えます。まじで。 「TANGO NOIR」の熟女版として歌ってくれーー。 ・オペラの終幕 「フアッシネイション」(91)収録 終わりが来るのを 誰かが待ってる 「欲望という名の舟にのる」と同じ路線。 明菜が歌うしかないでしょう。 「このままあなたにバイバイ 花束つけてあげるわ」の部分、「すげない女」って感じで歌ったら最高です。 サビの「NEVER STOP MY LOVE」は明菜だったら「DESIRE」の「Burning love」の部分のように、咽喉おっぴろげてフルパワーで歌うんだろうなーー。 「マイ・ラーーーーーーーァァァァァァァアアアアアアアア!!!!!!」ってかんじで。 ・駅 「エスニック・ダンス」(86)収録 粉雪が今夜つもりそうね 二人の別れ見送るように 竹内まりやにあらず。 加藤登紀子にもあるんですよ、というよりこちらの方が名曲だ。 「難破船」的に不幸のどん底バラードだったらこれを是非とも歌って欲しいなーー。 曲想・詞のテーマ共に「難破船」にかなり近いかな。 深夜、粉雪吹きすさぶ終電間近の駅でのわかれ。 肌は冷たいが、心は熱く燃えている。 激情の中での別れ。 ・孤独の扉 「エスニック・ダンス」(86)収録 胸の奥ふかく 扉を閉めて あなたの思い出に 鍵をかけたの 明菜だったら「水に挿した花」あたりに近い路線。 恋を失ったらまるでうち捨てられて雨ざらしのアンドロイドのようになってしまう明菜のイメージに似合う自閉的な歌。 ぼそぼそっと超ピアニッシモで歌ったらいいだろうなあ。 歌途中、ふと恋最中の甘い記憶が舞い戻ってくる。 あなたの胸に顔をうずめると 淋しさも憎しみも こごえる寒さもしかし、それはつかの間の幻で、覚めた夢に肩を震わせ、また孤独の扉の向こうへ、一人の殻へと戻っていく。 いい歌。 ・最後の手紙 「My Story」(87)収録 笑いながら 最後の手紙 花びらのしずくで書いています作曲が佐藤隆で「椿姫ジュリアーナ」の成長後というイメージがする。 芝居がはねた後一人静かに星を見ていた「椿姫ジャリアーナ」の少女が成長して、「最後の手紙」では芝居の後にワインをちびちびやりながら男に別れの手紙を書いているといった感じ。 ・ハートに火をつけて 「エスニック・ダンス」(86)収録 本当の愛を信じたくないからね 今夜も口紅ひくのよMark goldenberg作、編曲。とはいえ明菜の「抱きしめていて」「I know孤独のせい」とはまったく別テイスト。 瞳に炎を宿したスペイン女の昏い情熱みたいな路線ってのはやっぱり明菜に似合うと思われ。 ・歌いつづけて 「My Story」(87)収録 まぶしい光の渦の中 舞台の孤独 ダリダ「Mourir Sur Scene」のカバー。 加藤登紀子は共鳴した楽曲であれば洋の東西に関わらずカバーをしている。 もちろんそこにも明菜にもぜひとも歌ってほしい楽曲ばかり。 明菜にはいつまでも啖呵を切りつづけてほしいと思っている私なのでこの曲は是非とも。 で、もし歌うならやっぱり加藤登紀子のハードな訳詞で歌ってほしい。 ・雑踏 「エロティシ ひとつの謎」(89)、「Tokiko L'amour 2 」(99)収録 思い出すわあの時 言葉の忘れてみつめあったこちらはエディット・ピアフ「La Foule」のカバー。 これもいいねぇ。 カーニバルに熱狂する群集の渦の中の孤独。異邦人感覚。 「ミ・アモーレ」の延長としてどうでしょ。 ・私が何か望んでもいいとしたら 「愛は全てを赦す」(82)収録 何が欲しいと聞かれたら困るわ 何を望めばいいの 幸せ 不幸せ映画『愛の嵐』でマレーネ・ディートリッヒが歌ったもの。 先日のインタビューでの「不幸でいたい」発言ではないが、中森明菜には何が幸せで不幸せなのかちょっとわからないような女性だと思うので。 (関係ないが、久世光彦著「聖なる春」のなかでこの歌が好きな女のエピソードが出るが、それがまたよかったりする。) 明菜だったらどう歌うかちょっと聞きたい。 ・約束 「Monsoon」(92)収録 誰より好きな人が 今日は町を出る 遠くへ向かうあのバスに乗ってアジアンテイストな楽曲。なりより詞がよい。泣ける。 近頃の明菜を見ているとはこの歌のような太母的なテーマも歌える、か、な、と思えるので是非ともトライしていただきたい。 その他にも「森で死んだら」でピアソラの世界も体験して欲しいし、「月に向かう馬」「死にあこがれて」のバルバラも明菜には似合うだろうし、「暗いはしけ」のアマリア・ロドリゲスもまたいい。 「ファッシネイション」「madam」「デ・ラ・シ・ネ」「愛さずにいられない」「アジアン・ダンス」も明菜に歌って欲しいなぁーー。 あとあと、「棘のある薔薇」「私はジプシー」「ない・もの・ねだり」「つむじ風」「Woman of Ireland」…………きりがないぜッ。 加藤登紀子のパブリック・イメージって東大卒のインテリ左派でエコロジストで歌は「知床旅情」「百万本のバラ」って感じだけれど、これがアルバム聞くとなんとも血が滴るような愛の歌を歌っているのよ。 明菜のファンであるというなら、ちょっと触れてみて頂きたい。 山口百恵とか工藤静香とか中島みゆきとか明菜と同類項の歌手としてこの3人はよく出てくるけど、それよりも増して加藤登紀子の一部の歌は明菜の世界に近いんだから。 (といっても加藤登紀子はレパートリーが鬼のように広いからまったくといっていいほど違うのもあるけどね) 「難破船」をわざわざ明菜にプレゼントしたように加藤登紀子自身も自分のある種の歌は明菜の世界と近いところにあるという自覚はあるんじゃないかなぁ。 一時期明菜が元々加藤登紀子の個人事務所だった「楽工房」にお世話になった時、加藤登紀子とのコラボはあるか???と勝手に期待してしまった私ですが、今でもレコ社は同じなんだし、トライして欲しいなぁ。 是非とも!!!! |
2001.05.15