うわっ、雑な声っっ。 テレビをつけっぱなしにして本を読んでいるといやな声が飛び込んできたので思わずブラウン管に目をやった。 缶コーヒー・ジョージアの新CFだ。 吉本タレント総出演ということで、2年前から話題を呼び、ウルフルズの久々のヒットを呼び起こし(この歌はいい歌だった)、CF出演タレントの CD発売、ヒットとなり(こちらの歌は下世話でダメだった)、ドラマ化、映画化までなった「明日があるさ」の新シリーズだ。 歌っているのは、一発でわかる。 和田アキ子だ。 なんでこういう仕事をホリプロは取ってくるのだろう。 まさか2匹目のドジョウがここにもいるとでも思ったのだろうか。 つくづくダメなスタッフだ。 はっきりいって映画の興行的失敗で、もうこのシリーズはありなしで言ったら、もう確実に「なし」の時期。 新しいテイストを持ち出さないことには先細りは目に見えている。 企画メインの吉本興業はその本質の泥臭さにおいて、この企画を利益の最後の一滴まで続けることは容易に理解できるが、その尻馬に安易に乗るホリプロのうすら甘さよ。 そして、こんな歌を歌ってしまう歌手和田アキ子のだらしなさよ。 ああーー、もう、頭痛い。 あんまり考えたくないくらい不快。 しかし、大量オンエアでテレビつけると必ず流れているので、むかつくので書く。 とにかく、CFの15秒しか聞いていないが、本当、和田の歌、聴いていられない。 大味にもほどがあるぞ、和田。 こういうおおらかに歌うような歌い方をすると実に和田アキ子という歌手の雑さが際立ってしまう。 きちんと彼女の素質を見切る人はホリプロ内にはいないのか? こういった作品を見せつけられると、プロダクションは和田アキ子という歌手をどう思っているのか甚だ疑問に感じずにはいられない。 私の意見を言わせていただければ、和田アキ子は(本質的には)そんなに悪い歌手ではない(「なかった」のほうがいいのかもしれない)。 ただ、スタッフや本人を含めて大きな勘違いをしているような気がする。 だから、正直、今の和田アキ子という歌手は私は好きではない。 ◆ 和田アキ子という歌手はどういう存在か。 彼女はひとことで言い表せば「大女の悲哀」を持った歌手だ。 いつも男みたいだといわれ、どこに出ても3枚目。 泣いたところで絵にならず、可愛らしく笑っても似合わないといわれる。 男にすがろうにも、男は冗談じゃない気味が悪いといって逃げる。 そんな女がどうなるか。 演技としての男性性を身につけるのだ。 あえて、男っぽく振舞う。わざと暴力に出る。 男なんていらないとポーズをつける。 ――でもそれは、はったりなのだ。 そうしなければ自分が可哀想すぎるから身につけたそれだけのものであって、ただの処世術にすぎない。 彼女は本質的には弱い歌手であり、女々しい歌手だとわたしは思っている。 それは、彼女のメディア内での振る舞いを見ていればすぐにわかる。 彼女の行動には自分の情動をキープできない弱さが常につきまとっているのだ。 一例。彼女は思ったことをすぐ口にしなければ、どこか落ち着かないのだろう、 自分の中に言葉を溜めこむことが出来ず、テレビでついついいらないことまでしゃべってしまう場面をよく見る。 それをマスコミは毒舌ともてはやしているが、彼女の毒舌といわれているもの、あれはただの愚痴に過ぎない。 話の内容を吟味してみると、ほとんどが嫉妬や羨望が発話の動機というパターンがほとんどだし、話が他人事でなく自分に及んでくると彼女は怯える ――そうした場面はテレビでなんどとなく見うけられる。 アッコびびってるよーーー。と。 また、彼女は芸能人をはべらせて、飲み会を夜な夜な繰り広げたり、また、誕生パーティーでの派手さという話題もよくテレビで取り上げられたりするが、 これも自分の芸能人としての立場というものを常に確認しなくては不安で仕方ないからそうしている、というようにわたしには映る(――でもって、それに参加する芸能人が若手の芸人であるとか、特にこれといった芸のないなんとなく世渡りの上手いだけの「タレント」ばかりなのだから始末が悪いのだが)。 また、自分より明らかに格上の、あるいは話題の芸能人の話をやたら自分の自慢話と絡めて話するのも同類のケースに思える。 さらに、離婚会見でのみっともない涙であるとか、実は中島みゆきのフラレ歌が好きであるとか、そういった面からも彼女の弱さというものが見えてくるのではなかろうか。 ――強がっているけれども、さみしがりで、男との色恋が下手で、泣き上戸で、といった女性的な弱さと、弱さゆえ、常にどこか人と人とを引き比べて忖度している卑怯さがある。 それが彼女の本質とわたしは思っている。 本当に「男勝りで強い歌手」というのは山口百恵や庄野真代や南野陽子のような、ひとりで決めてひとりで行動し、その責任を全て引きうける覚悟を持った歌手のことをいうのであり、むしろ彼女は程遠い。 ◆ なのに、スタッフは和田アキ子という歌手は「強い歌手」とレッテル付けして売り出した。 「リズムアンドブルースの女王」「女番長」「ゴッド姐ちゃん」……。 彼女のシャウトは「男勝り」と同じようにハッタリにすぎないようにわたしには聞こえる。 彼女のシャウトは棒のように情感がなく、古臭く、ただがなり散らしているだけにしかわたしには聞こえない。 はたしてそこにホンモノの魂があるのか、と思わず首をかしげる。 彼女にもし強い歌をうたわせるのなら、「弱さの上に成り立った見栄としての強がり」これがないといけないとわたしは思う。 それがないと彼女はただの大声出したもん勝ち大会みたいな歌い方になってしまうような気がするんだよなぁ。(――実際、ある種の歌はそういったものだと彼女自身が思っている節すらあるが) 情感とか、共感とか、歌うことによるみずからの内面の発見とかそういう難しいことは彼女は考えないのかもしれないが、それこそが歌の要だとわたしは思うし、それがないと、歌はどんなにメロディーに忠実で声量がありビブラートが綺麗でもおよそ無内容に仕上ってしまうと思うし、 彼女の歌はそういった領域に入っているようにわたしには響いてくるのだ。 また、「あの鐘を鳴らすのはあなた」「もう一度二人で歌いたい」、「愛、届きますか」など、スケールの大きい歌もやたら歌わせたがるがこれもおなじく彼女の本質ではないように感じる。 彼女はこれらの楽曲をうざったく感じるほど、朗々と歌い上げてはいるが、これも声量のハッタリなのでは、と。 楽曲ほどの度量が彼女にはないようにわたしには聞こえて仕方ない。 和田アキ子という歌い手とこの歌の接点がみつからないというか、どれだけの実感をもってこの歌に臨んでいるのか、というか、そういうのが、見えない。 これらの曲はいつも上滑りにおわっているのではとわたしは感じている。 ゆえに楽曲としての良さははわかっても共感にはつながらず。ゆえに売上にもつながらないのでは、と。(――しかし、この歌手は聴衆が歌のどの部分で共感し、どのようにその世界に入り込むかという、歌手であれば本能的に身につくであろう部分に関してまったくといっていいくらいに不感症だなぁ。 常に聴衆と対峙していれば、どのような歌手でも身につく感性と思うんだけれども……。 声量のハッタリで自分を晒さずに自己防衛しながら歌っていたからなのか。 ちょっとこのあたりは自分もよくわからない とにかくびっくりするくらいにパフォーマンスの割に感動を誘わない歌手であることは確か)。 ◆ であるから、このジョージアの新CFもヒットしないだろう。 こういった読みが浅いっていうことよ。まったく。 歌を垂れ流しにすれば売れるとでも思っているのだろうか。 話題性だけ追いかけるのは昔からのホリプロの悪い癖。 彼女の本質としての線の細さ。それが見事に楽曲に反映していたから、「だってしょうがないじゃない」のヒットがあったということをホリプロのスタッフは理解できなかったのだろうか。 「♪ だってしようがないじゃない 私も弱いから……」 実際、この曲を歌う彼女には物語があり、「いい女になりたい」という願いが感じられ、実際その瞬間だけは少なくとも「いい女」にみえた。 続く「抱かれ上手」もよく、「よくやるね」はまさしく「弱さの上に成り立った見栄としての強がり」が描かれ、「昔だったら泣いてるかもね」と無理して煙草をくゆらせているようなサマで実に水際立っていた。 こうした売上としての実績も出せ、作品も良質だったという流れがあるのにどうしてそれを見過ごすかなぁ……。 ◆ もうひとつおまけに、今のテレビの中での彼女の立ち位置について。 昔からがらっぱちの親分肌というイメージでバラエティー番組などを中心に活躍していたが、当時は彼女自身がそうした役割を演じているということに自覚的だったし、「実は、本当はね」というエキスキューズも漂わせていた。 しかし、どうやらここ数年で周りに乗せられた神輿に本人もその気で踊っているような気がしてならない。 自らの容姿を戯画化した「アッコ貯金箱」がいつのまにかファンシーな「ベリーアッコ・グッズ」になってしまったように、自らを客観視できなくなってメルヘンの住人になった疑い濃厚にみえる。 トークでも「美空ひばりさんが」とか「越路吹雪さんが」などと自分と先輩大歌手とを引き合いに出して語っているのを近頃は見かけるが、身のほど知らずとはいわんが、誰か大喝するものはいないのか、と思えて仕方ない。 しかも、いまさらファンクラブなどを発足するという――何を勘違いしているのだろうか。 正直言って、歌手として見るとここまでなのかなという印象が強い。 ただ、いつも「歌手」和田アキ子であることを強調する彼女なのだから、もう一度彼女は自分を見つめなおして欲しい。 だいたい、今の現状って……歌手?ただの都合のいいバラエティータレントじゃん。 もし、本気で歌手タラントするのなら、「今後の歌手・和田アキ子はどうあるべきか」ということについて 現場スタッフをはじめ堀社長としっかりとディスカッションして欲しい。 そしていいかげんに「アッコにおまかせ」で新曲垂れ流しにして、「売れないのになぜか毎年紅白に出る歌手」ってのは勘弁してほしい。 ベストテンとはいわない、ウィークリーでベスト100位には入るくらいまでがんばろうよ。 (――多分ジョージアのは二番煎じとはいえ100位以内には入るだろうがもちろんそれを除いて、入ってくれよ) もうひとつ。 ラジオでも、テレビでも、もう他のヒットしている歌手に関してはなにも言わないでほしい。 ワイドショーでの彼女の余計なリップサービスは正直聞きたくない。 いえば言うほど、卑しさが前に出て、ヒットから遠くなるように思う――しゃべらずにいられない、ということがみっともないことだということに気づいて欲しい。 だいたい彼女の歌がいつまでたっても上滑りなのは情念が深化しないから、情念が深化しないのは情動がキープできないからでしょうが。 ――本当は、バラエティーの仕事全部切って、小さな小屋で定期的に歌うような地道な作業をして欲しいんだけどね。 そこまではいわないから歌手として、実のある仕事をして欲しい。 ……て、ホリプロスタッフでもましてやファンでもないのになんでこの歌手の将来を心配しているんだ、俺。 |
2003.02.05
改訂 2005.07.03