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メイン・インデックス歌謡曲の砦>宇多田ヒカル「誰かの願いが叶う頃」


宇多田ヒカル「誰かの願いが叶う頃」

彼女の言葉の持つ強さ

(2004.04.21/TOCT-4700/東芝EMI)


日記のつもりが、結構長文になったのこちらで……。

この人はやっぱり言葉の人なんだよなぁ。
最初、この曲を聴いたのは、確か本屋で流れる有線かに何かだったと思う。
声で、「あっ、宇多田だ」とわかり、「ははーん、これが件のキャシャーンの主題歌か」と意識を半分耳に残しながら立ち読みしていたのだが、サビの部分ではっとし、完全に意識を持ってかれてしまった。
それはもちろん「誰かの願いが叶う頃 あの子が泣いているよ みんなの願いは同時には叶わない」の部分。
ここは、やっぱり、いい。有無をいわさない説得力がある。

彼女の詞作というのはいつものことなんだけれど、わりと前半のひら歌部分はぐちゃぐちゃと個人的な身の回りの小状況をボヤッキー気味に語っているだけなんだけれど、サビの部分で突然普遍的なところ、含みのある意味の広がりが大きいところに飛躍するのね。
で、その言葉はメロや歌唱と相俟って、ものすごく、決まるわけ。
んでもって、それは歌全体のクオリテイーを高めるというよりも、歌から言葉が浮き上がっているという感じがあるわけ。
「言葉なんでもいい、歌が良ければ」というよりも、「言葉のために歌がある」という感じね。
そういった意味では、かなり歌謡曲サイドのつくりではあると思う。
とはいえ、その言葉はいつも多くの聞き手の心のふかーいところにぐっさりと入っていくのね。
例えば「いつの日かdistanceも 抱きしめられるようになれるよ」(「Final Distance」)とか、「この窓辺にいつも飾られていたのは置き手紙」(「Letters」)とか。

彼女がこの音楽業界の大不況下にあってただ唯一といっていいほど「売れている」というのはこの言葉の立ち上がり方、言葉の強さだと私は思う。(音楽業界はここ数年のトレンドとして歌詞を飾り程度に軽く見るという傾向があったけれど、そろそろ限界なんじゃないかなぁ。歌を普遍的なものにするのは歌詞だと私は思うし)
この人は新譜が出るたび話題になる、いわゆる社会現象的な立ち位置にいる人だけれど、近頃はマスが彼女の「お言葉」を待っているという佇まいがありまして、そう、つまり80年代のユーミンや中島みゆきみたいな位置ね、で、その役割を演じるかどうかということにものすごく迷っている感じが私は感じるのですよ。

ひら歌部分のノンフィクション気味のボヤッキーが状況設定とかを事細かに描いてフィクショナルな方向に向かえば完全に現代の琵琶法師、21世紀のユーミンになわけですが、果たしてどうなることやら。

「travelling」とかを聴くとそんな役割も満更でもなさそう、という感じでもあるし、世界進出するということを考えると「ちっぽけな日本での語り部稼業なんて真っ平」と思っているのかもしれない。
ま、なにも考えちゃいない、という可能性が一番ありうるんですけれどね。
むむむ。

そうそう、もののついでに。
あんまり無理して海外で頑張らないでね、ヒカルちゃん。
あなたは「ただの日本の一少女であり、そして日本のスーパースターである」という力技をさりげなくこなしてしまうニュータイプのスターなんだから。これで安易にアメリカでも成功すれば「普通の一少女であり、世界のスーパースター」と更に上にいっちゃうわけでけれど、そうは問屋が卸さないような気が私にはして……。


2004.05.05


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