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『UNBALANCE+BALANCE』

明菜のアンバランスなバランス

(1993.09.22/MVCD-9/MCAビクター)

1.永遠の扉 2.愛撫 3.黒薔薇 4.YOU ARE EVERYTHING 5.光のない万華鏡 6.眠るより泣きたい夜に 7.NORMA JEAN 8.NOT CRAZY TO ME (LP EDIT) 9.陽炎 10.Everlasting Love 11.NOT CRAZY TO ME(Single ver) 12.夜のどこかで 13.Rose Bud 14.月華 15.BLUE LACE (※10〜15は再発売盤のみ収録)


「アンバランスなバランス」という言葉でGoogleで検索すると、56件もヒットした。
これは表現として一般的ということなのだろうか、それともやはり特異なものなのだろうか。

『UNBALANCE+BALANCE』。
中森明菜のMCAビクター移籍第一弾アルバムであり、自殺未遂事件後初のアルバムでもある。
私は最初タイトルを聞いた時、「どういう意味??」と思った。
ただこれに近い言葉をどこかで聞いたことがある。
小室哲哉だ。
夜明けの冷たいアスファルトと温かい朝のシャワータイム
君が辿りつく場所はどちらでもかまわないのさ
そんな君はとても妖しげなアンバランスなバランス
いきつく場所に辿りつく前に僕に出会っておくれ

(小室哲哉「SHOUT!」/1989年『Degitalian is eating breakfast』より)

アルバムのメインチューンで菓子のCFソングにもなったので知っている人も多いだろう。
この歌をこのアルバムのプロデューサーである川原伸二氏が聞いていたのか、それは知らない。
が、アルバム制作段階で彼がこの『UNBALANCE+BALANCE』というタイトルを提示し、それに明菜が共感し、タイトルがテーマとなってアルバムは制作されたという。
そして、この小室哲哉がアルバムで参加、たった2曲でアルバム全体を牽引している。

小室哲哉の曲は「愛撫」「Norma Jean」の2曲、詞作はともに松本隆である。
松本隆はこのアルバムが出るまでにあった中森明菜の悲しいスキャンダルのイメージを逃げないで描写しつつも、かつ以前の彼女にあった妖艶なイメージに重ね合わせている。
抱きしめてよ 不幸のかたちに切り抜かれた心を
………
愛さないでね愛してないから悲しい嘘がひとひら

(「愛撫」)

欲しいものは何もかも手に入れてきた人生
でも大切ななにかをなくした
Norma Jean 愛だと信じて触れても 石ころみたいに光が消えるの

(「Norma Jean」)


トップクラスのプロ作家らしい詞作であり、聖子班を離れた松本隆であるが、ここで中森の重要作家になるのでは、と、当時の私は思った。
が、彼が明菜と関るのは現在ここが最後である。

「愛撫」はアルバムプロモーションの目玉曲として歌番組での歌唱披露、またその際の専用の衣装も用意されていて、ほとんどシングルクラスの扱いであった。
結果、有線では最高3位をマーク、皮肉にもMCA時代の彼女の最大のヒット曲となった。
時は、小室哲哉時代前夜の頃である。
ちょうど、この年、trfが「Ez do dance」でデビュー。翌年にはtrfのアルバム「World groove」がチャート1位獲得、TMN解散、篠原涼子「恋しさとせつなさと心強さと」ヒット、と完全に小室時代がやってくる。
そのとば口として「愛撫」があったと見える。

その他の提供アーティストは遠い前作『CRUISE』からOSNY MELO、玉置浩二、「二人静」からの関口誠人、なぜここに、のバブルガムブラザーズのBRO.KORN、ここから長く明菜への楽曲提供を受けることになる夏野芹子、などである。

どうしようもなく暗い明菜の自作詞による「光のない万華鏡」「陽炎」、「別れた理由なら誰かが考えてくれる」という皮肉にドキッとする「眠るより泣きたい夜に」、千住明のオーケストレーションが『歌姫』シリーズを予感させる「永遠の扉」、やっぱり松本隆が上手い「黒薔薇」など佳曲が並ぶが、全体としてのまとまりは薄い。
これは今までのコンセプチュアルなワーナー時代後期のアルバムと比べると段違いであり、84年の「Possibility」以来の幕の内式アルバムといってもいい。
というのも仕方ない。
このアルバム、アルバム制作に入る以前からなぜか明菜へとたまっていた楽曲十数曲の中から明菜がセレクションしたアルバムなのだから。

明菜はこの時期、所属事務所とのトラブルに見舞われている。
MCAビクターと東芝との2重契約問題の問題の末、MCAビクターに3億円の契約金で契約するのだが、そのうちの楽曲制作費として与えられた1億円で事務所は明菜への断りもなく、アルバムやシングルの制作の目途やらコンセプトやらそういったものを度外視し、あらゆる作家に発注をかけまくったらしい。
―――といってもこれはゴシップジャーナリズムからの情報なので確度は低い。
とはいえ、93年当時、明菜の知らないうちに明菜のための楽曲がたまっていたという事実はこのアルバムとこの当時の明菜の発言が示している。

ということでアルバム全体から漂う磁場というか世界観というかそういったものは、自身がプロデュースするようになった『不思議』以降で見るともっとも低い作品集のひとつである。

このアルバムで注目するのは、アルバムの世界観とかそういった点でなく、むしろポーカリストとしての明菜の変節、である。
このアルバムを最初に聞いた時、『なんか弾けきってないなぁ―――』と、思った。
だっていつもの「ぅぁあああああーーー」ってのないし、なんでかなぁーーー。と思った。
「愛撫」なんてもっとはっちゃけた歌い方できるはずなのに……。
というところで雑誌のインタビューを見て、納得した。
そういう歌い方を敢えてしなかったのだ、という。

裏声でも地声でもない、その中間の微妙なバランスのところで敢えて歌ったりしました。
アップテンポの曲なら、普通だったらどーんと声を出して、最初の決めた方針で歌う場合が多いんですけど、そこをちょっと引いて歌ったりしましたよ。
そうやって微妙なアンバランスな良さを出してみたりしました。
今回はかなり声をコントロールしてますね。そこが難しかったです。
一曲たりとも同じ声の出し方で歌ってないんですよ。キーの面でも自分の声が一番太く聞こえる低いところで踏ん張って歌ったものとかもありました。……(中略)…… その逆もあって、もうこれ以上に軽く出来ないっていう、その限界に追求した歌い方もありましたから。

「What's in」93年10月号より

と、この発言を聞いて、はっとする明菜ファンのあなたは合格です。

このアルバムの「アンバランス+バランス」という意味もここで氷解する。
安定を抜け出した先の、不安定な安定。
それはつまり、出来上がった明菜節――ひらうたで低く歌ってサビで爆発、ロングトーンは激しいビブラートというアレである、の脱構築という意味なのである。
自らの明菜節さえも歌唱方法の1ソース程度に見做し、楽曲とその表現方向を見定め、その楽曲にとって最良の歌唱へと導き出す方法論の模索を彼女はここから始める。
この盤を契機に、ボーカリストとして更に高みへと明菜は登るわけである。
そして以降の『歌姫』シリーズ、『Vamp』『Shaker』『Resonancia』『I hope so』と、彼女のボーカリストとしてのトライアルはいまだに続いているといっていいだろう。
ということで、近作の彼女のアルバムを聞いて「昔みたいな声じゃなくってがっかり」なんていう人はなぁんもわかっていないのである。――といったら暴言だな。

2003.12.07

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