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篠原烏童 「沈黙は星々の渇き」
人柄作家、篠原烏童の初期傑作 (全3巻/朝日ソノラマ/1994) |
とりわけ良い成績を残したわけでもないのに、横綱まで登りつめた某関取は「人柄で横綱になった」などといわれたが、まぁ、本来実力勝負のスポーツ界において人柄で選ぶというのもどうかと思うが、ともあれどんなジャンルでも実力のほかにもその本人の性格というかそういった本来勝負するものでないもので評価を左右しがちなのが日本人の特性である。 もちろん、これは芸能・芸術ジャンルにおいてもそうで、優しいだとか親切にしてくれただとか、あるいはテレビや作品の中とは全然違うだとか、サイン断られた、冷たいだとか、その人の職業から鑑みるにどうでもいいようなことを取り上げたりして、まるで隣人を評価するように、褒めたり貶したりする(―――であるから日本の芸能マスコミはいつまでたってもただの退屈な噂話しか残さない。) とはいえ、芸術・芸能の表現というものはやっかいなもので、そういった表面的な人格を含めた自分の中にある全てを表現するものでもあるので、であるから、優れた表現者というのはその人の人格そのものが当然として出てきてしまう。やっぱり冷たい人は冷たく、親切な人は親切、傲慢な人は傲慢で。 であるから、作品を鑑賞していて、「この人の作品って結局人柄だよなぁ」と思わざるをえない作家というのも多々いるのである。 ということで私が思う少女漫画界の最高の人柄作家、篠原烏童さんを今回は紹介。 とにかく篠原さんって、こんなこといってしまってはいけないのだろうけれど、ものすごく秀でているという部分は決してない作家だと思う。 香港マフィアでノワールモノ、ニューヨークでゲテモノホラー、時代劇、吸血鬼の末裔、輪廻転生ファンタジー、色々ジャンルも多岐にわたっていているのだが、その分彼女だったらコレ、という決定打的なジャンルをまず持っていない。 また独創的なストーリーでもなく、思わず抜書きしたくなるような目を見張る鋭いネームもない。 それに画風やコマ割りなどの画面構成もコレといった絶対的な個性があるわけでもない。例えば山田章博や大竹直子などの絵草子を感じさせる画風であるとか、萩尾望都の目で追うと動画を感じさせる緻密な画面構成であるとか、と比べるといたって普通である。 木原敏江や高河ゆんのようなバレンタインデーに登場人物宛てにチョコレートが届きそうな卓越したキャラ造形の才能も持っていないし、吾妻ひでお、岡崎京子などのように思想的なバックボーンを感じさせ、評論家筋をうならせるといったものでももちろんない。 ないないづくしなのだが、では実際作品はどうかというと、決して悪くない。というよりむしろ、読後、あぁなんかいい話読んだなぁ―――、と、胸が暖かくなるものが多い良作ばかりなのである。 では、一体作品のどの部分に心が響くのかと考えると、結局ここにいきつくわけである。 「やっぱり篠原さんの人柄だよなぁーーー」と。 ―――ちなみにこの「わたくし的人柄作家」枠には漫画家ではその他には紫堂恭子とふくやまけいこが入っている。 多分この人は、ものすごく真面目で、かつ優しい、そして自分に対して素直な人なのだろう。 自分が興味を持ち、楽しい面白いと思ったものを自分なりに受け止め、自分が受けた感動と同じモノを読者と分かち合いたいという思いで描いているんじゃないかなぁ。 この人の作品はいつも丁寧に作られていて、作品に対する愛情が画面からしっかり感じられる。 例えばよくやる「香港ノワール」モノにしても、多分彼女はジョン・ウー等が好きなのだろうなぁと感じるけれど、それがただの表面的になっていなくって、きちんと読ませる。読ませた上で香港映画と香港という街への敬意が感じさせる、そういう作りになっている。 また、話を途中で手放したりして読み手を困られせりなんてことは決してない。掲載雑誌の休・廃刊などのトラブルに遭遇しても安易に話を断絶せずに単行本での大幅加筆等で対応してきちっと作品を締める。そういうところからもきちんと責任を持ってつくっているのがよくわかる。 つまり流行り廃りに流されることなく自分が書きたいと思った作品を丁寧に淡々と描いている。ただ、正攻法でやっているだけなのである。 だが、これが出来ない人というのは意外と多い。――――漫画界でいえば、マーケティングやら人気投票やら萌えキャラやら、同人ネタやら、読者に対してつまらない媚ばかり売ることに編集ばかりか作者まで腐心し、なにも残らないくだらない作品が大量生産されているのが現状である。 また、きっとこの人は究極的な局面でも人間や愛というものを信じることができる人なのだろう。 ―――絶望や無常は、全てを冷たく閉ざすかもしれない、だけれど、それでも私は愛を人を信じていきたい―――、という思いが全体に漂っているので、作品が悲劇に終わろうともどこか救いのようなものが残るのだ。 読後に残る暖かさというのは、彼女の持つ性善説的なポジティブさである。 ということで、今回取り上げる「沈黙は星々の渇き」もそうした篠原烏童の人柄の良さが感じられる良作なのである。 この作品は二度も雑誌の休・廃刊のトラブルに襲われながらも、どうにかこうにか大幅加筆で終わりまで漕ぎつけた作品である。「チャキチャキ」〜「獅子王」と続いて、最後は単行本ほぼ一冊分書き下ろしであった。 ということで、掲載雑誌が変わるところを境に作品のテイストが多少変化するが、これだけのトラブルにしてはベストの形で締めることが出来ているように私には見える。 ジャンルとしては昔懐かしの「SF」である。作者はSF風味であって本格のSFじゃありませんといっているけれどこれはSFでいいでしょ。 「サイバーパンク」以前の古き佳き時代のSF人情物語である。例えば筒井康隆でいえば「旅のラゴス」であるとか「我が良き狼(ウルフ)」とかのラインのSFである。 つまり浪漫があるのである。切ないのである。泣けるのである。いい話なのである。 ストーリーはこんな感じ。 舞台は銀河の外れ、星系「無秩序(カオス)」の惑星「ディネター」。 賞金稼ぎ(ハンター)のシーバーは、相棒ダラスと鉱石を運搬中に、宇宙海賊マクルーファに襲われ、ダラスもその際、死んでしまう。 ダラスの遺言で、ならず者が集まる「赤の谷」に彼が預けていた人物を引き取るのだが、その彼は人間の遺伝子をもとに作られた生体アンドロイドであり、しかも記憶喪失であった。 彼の名前はジャン、彼はすったもんだの挙句シーバーの相棒として行動を共にするようになるのだが……。 という話で、そこにライバルの女ハンターのアケーシアやら、海賊マクルーファやら、悲劇の希少生物のタラントやらがからんでくる。そして、最後にはジャンが記憶喪失に陥った理由と主人公シーバーの秘密が絡み合って物語は結末に向かう。 テーマとしてはかなりエコロジー寄りだったと思う。「地球から遠く離れた人類の悲劇」とか「人類は大地から切り離さてないけない」とかそういった感じのテーマだったと……。(読み返していないので記憶曖昧) 主人公のシーバーは骨太でかっこいいし、その相棒の生体アンドロイドのジャンは健気だし、狸のようなマスコットキャラのタラントは可愛いし、また塩沢兼人が声をあてれば絶対ハマるわかりやすい宇宙海賊マクルーファといい、ライバルの女賞金稼ぎ(ハンター)のアケーシアといい、その他のキャラの配し方も王道であるが決して陳腐には感じさせないので、安心して物語の世界に入ってゆける。 ま、とにかく、読んでくださいな。面白いから。(って、結局これをいっちゃうのか俺) また、「ファサード」シリーズの「ローシェ限界」の回――単行本では7〜9巻、はそのまんま「沈黙」の番外編なので「沈黙」が気に入った方はこちらもどうぞ。主人公二人は出てきませんがマクルーファもタラントもアケーシャも出てきます。この回は「沈黙」で未消化でいつかやりたいと思っていたエピソードだったのだとか。 ちなみに「純白の血」とも微妙にリンクしていたりもするのでそちらもなんだったら……。―――それにしてもこの作者ってこういうのが多いなぁ、「波に花影月に刃」〜「不法救世主」〜「セフィロト」なんて流れもそうだし。 しっかし、今更いうのもなんなんですが、シーバーとジャンのキャラ造形というのはあまりにもやおいくさいっすよね。 この作者ってのはやおい的ニュアンスをぷんぷんに漂わせながら、絶対やおらないので(―――私の知っている限りでは本やおいは描いていない)、天然なのか確信犯なのかいまいちわからないんだよねぇーー。ま、少女漫画だから天然ってことは絶対無いと思うんだけれど、 なんか彼女の作品から見受けられる性格の良さからすると天然だとしても驚かないんだよなぁ。 ともあれ、やおらーなら悶絶せずにはいられない思わせぶりなカップリングのキャラがいる作品を「純白の血」「ファサード」等などこの他にもいっぱい描いております。 そんな篠原さんは波津彬子・今市子とともに「朝日ソノラマ上品やおらー3人娘」ということで私の中で勝手に分類されています。(―――あ、波津、今さんは本やおいもちゃんと描いてます) そんな篠原さん、ただいま連載中の「Hold Me Tight」もエスニックでSFで人外のモノとの交情で人情話とまたまた私のツボ押しまくりの作品を描いております。 これも楽しみ。 ちなみに、実写ならジャンは若い頃の中川勝彦クンがいいと思う―――って彼もう亡くなっているじゃん。 |
2004.01.22