もう少しだけ栗本薫とわたしについて話をさせてほしい。 栗本薫が死んだという一報を聞いた時、わたしはまったく動じなかった。なにも心が動かなかったといってもいい。 すい臓ガンに冒されていることはずいぶん前から知っていたし、今年の春先の「グイン・サーガ」アニメスタートの時に世間に見せた、とても56歳にはみえない彼女のやせ衰えた姿に、最期の時はもう間もなくだろうことも、わかっていた。 だから、明日の天気を聞いた時のように、わたしはその事実をこともなげに飲み込んだ。 なのに、いざ追悼文でも書こうと栗本薫のことを思ったときに、わたしは混乱した。 どう言葉にすればいいのかわからなくなって、ぜんぜんうまく書けなかった。ひとまずこんなご丁寧で冷静な言葉では違う。 もっと今のわたしは感情的で、偏執的で、思い込みが激しくって、熱くて、支離滅裂で、無茶苦茶で、愚かで――、そう、栗本薫のようにどうかしていると、思った。 それをそのまま書こう。だからわたしは、わたしの中に棲む栗本薫を呼び出して、「栗本薫の馬鹿が死んだ」という追悼文を書いた。そしてネット上にアップした。 「ああ、これですっきりした。さよならだね、薫」 書きあげ、そう思ったのに、あれ以来ずっと栗本薫のことを考えている。 こんな深刻な事をいっておきながら、わたしにとって、栗本薫・中島梓というのは、そんなに大切な作家ではない。 今もそうだし、昔だって、多分、そうだと思う。 わたしにとっての栗本薫は、やおい・JUNE・少女漫画系の好きな作家のひとりという位置付けだけれども、その枠の中でも、わたしにとって一番大切なのは萩尾望都、その次が榊原史保美、そしてその次にようやく栗本薫・中島梓という順番なのだ。 それはきっと、栗本薫の背負う苦しみと、わたしのそれとは根本的に違うからだろう。 栗本薫や、あるいは竹宮恵子の描く、常に強く激しくとめどなく、永遠に尽きることなく愛され続けることを希求する世界が、昔っから、わたしにはいまいちぴんとこなかった。そんなに束縛されたら死んでしまうと、思った。 それよりむしろ、どれだけやさしく愛の御名で包まれても頑なに救われない救われようとしない、孤独と絶望を自ら選択してしまう「トーマの心臓」のユーリや「残酷な神が支配する」のジェルミや「火群の森」の厩戸皇子の方が、自らに近しいと思った。 萩尾や榊原のJUNEは「愛せない絶望」を描いていて、竹宮・栗本は「愛されない絶望」を描いている。 栗本薫の「わたしはここにいる、誰か早くわたしを見つけて愛してくれ」という叫びよりも、萩尾望都や榊原史保美の「愛されても愛せない。わたしは愛に相応しくない、穢れた愚かな人間なんだ」という叫びのほうが、よりわたしの核心に迫っていたのだ。 ――なのにこんなに混乱している。なんだかとても不思議だ。 多くの人がそうやって混乱しているのだろう。 「栗本薫の馬鹿が死んだ」というテキストにわずか三日のうちに三万人もの人が訪れている。 20年前のベストセラー作家に集まる人の数とは到底思えない。 きっと、身のうちに潜む「栗本薫」という疵に答えがほしくって、みんな言葉を探しているのだ。 ◆ 彼女はどうして書き始めたのか。それは愛されたかったから。 愛されたくて、でも愛されなくて。 そうしてこぼれでた彼女の言葉は、宛先のないラブレターのようなものだったのかもしれない。 誰か、いないか。 どこか、いないか。 わたしの言葉を受け止めてくれ。 わたしを愛してくれ。 Are you receiving me ? そうしてひとりきりの虚空に放たれた言葉は、同じような、多くの、淋しくて、孤独で、居場所のない、寄る辺ない少年や少女たちに受信された。 受け止めてくれという言葉をそのままに、わたし達はひしと受け止め、自らを慰撫するように抱きしめたのだ。 何故あれほど、かつてのわたし達は彼女の言葉を求めたのか。 素晴らしいから? 上手いから? ためになったから? 面白かったから? 萌えたから? 違う。彼女と友達だったからだ。 わたしたちは、彼女の言葉を受け取ることで共犯関係になり、親友となったからだ。 だからこそ、幾たびも届く、小説やエッセイという体裁を取った彼女からの手紙に、日毎夜毎、わたしたちは熱くなったんだ。 2チャンネルで日々の彼女の言動を口悪しく罵った人も、栗本薫に「腐ったトマト」「500円読者」といわれた人も、天狼パティオで本人前にたいしてよくもない小説におべんちゃらを述べた人も、小説道場に投稿した人も、友達に彼女の小説を薦めて「これはちょっと」といわれて落胆した人も、サイン会や彼女演出の演劇を見に行った人も、パレンタインデーにキャラにチョコを贈った人も、山本モナも、つのだ☆ひろも、もちろんわたしもそこのあなたも、彼女は知りもしない気づきもしなかったけれども、みんなみんな、栗本薫の親友だったのだ。 多分、彼女が一番素晴らしかったのは、世界一長い未完の小説を書いたことでも、あらゆるジャンルの小説やエッセイ・評論を書いたことでも、日本のヒロイックファンタジーとBL小説の開祖だったということでもなく、日本中に何万人ものかけがえのない親友を作ったという、そのことにあるんじゃないかなと、わたしは感じる。 晩年の十数年以上、遠くの眼には見えない親友を忘れて、わずか数十人の、自分の眼に見える友達だけの友達になってしまったことは悲しく、中には裏切られたとすら感じた人もいたかもしれないけれども、私達が彼女と親友だったことにはなにひとつ変わりない。 だからみんな、青春時代をともに生きたかけがえのない親友が死んだ時のように、泣けばいい。怒ればいい。呆然とすればいい。それでいいんだ。 掴みかけた夢 ――と、ここまで書いて本当にすっきりしたので「わたしと栗本薫」というテーマの自分語りはおしまい。白い百合をほの暗い運河に投げ、喪が明けて、そしてわたしはいつものわたしになる。 じゃあね、ばいばい。梓ちゃん。 昔のような好きではないけれども、今でも好きで、梓ちゃんみたいになれたらきっと素敵だなぁって今でも少しだけ思っているよ。 そうなるには色々と無理だってことを百も承知でね。 それじゃ、元気で。 (B.G.M.「七つの影と七つのため息」「水に投げた白い百合」加藤和彦) |