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中森明菜 「とまどい」

明菜の弱さとスタッフの愚かさによって生まれた駄曲

(1998.09.23/ガウス)

1.とまどい 2.2.Good-bye My Tears


 「明菜ちゅあーん、今度の新曲、決まったから」
 「え、なにがですが」
 「だから新曲。タイアップ取れてるから、しかもドラマだしっ。もう、オケもできてるし」
 「そんな話、聞いてないんですけど」
 「ほら、これね、オケ。聞いて聞いて」
 「……これ、私のイメージと違うと思うんですけど……」
 「でも明石さんのサウンドプロデュースだよ。B'zとかZARDの」
 「でも、やっぱり違うような……」
 「これはこれでいいの、ドラマなんだしっ。ドラマのイメージがあるっしょ。中森明菜というよりそっちのイメージにそって、ね」
 「だったら私が歌わなくっても……」
 「でも「中森明菜」でもう決まっちゃったんだし、発売日も決まっているし、パプリシティーも打ってるし。今ここでストップかけたら、色んな人に迷惑かかるし」
 「だからなんで事前に……」
 「てわけで、明日の六時、スタジオ、よろしく」
 「えぇっ、ちょっと待って……」



 ――こんなだったんじゃないかなあ。思わず想像を逞しくしてしまう。TBS系ドラマ愛の劇場「39歳の秋」主題歌になった98年のシングル「とまどい」の話だ。
 10代の頃から企画会議に参加し、自己の楽曲の一切をプロデュースしてきた中森明菜。 しかし、その一方で、様々な都合で歌わざるをえなくなって歌ってしまった、中森明菜の意に添わない歌だな、と想像に難くない歌が、ある。

 強力なリーダーシップを持って楽曲をプロデュースしていく自分というものを、時々中森明菜はもてあます。
 「これで、本当にいいのだろうか」
 「そもそもこれはそこまでして、自分の意見を押し通してすべきことなのだろうか」
 彼女はその生育環境からか、自己評価がとても低い。
 「わたしなんて」「わたしなんかが」「おこがましい」
 テレビの歌番組で、口元に手をあてて頭をたれながら遠慮深く話す彼女の姿を覚えている人は、多いだろう。
 その低い位置にある自分を何とか押し上げたい。認めて欲しい。誰かの大切な人になりたい。その強い承認欲求が彼女の表現の原動力になっている。
 しかし、その自らを押し上げる表現の場においても心根が折れることが、(――特に自殺未遂事件以降) しばしばあった。

   彼女が揺らぐ時、彼女を本当に理解している、歌手として表現者としての彼女を尊重している者たちが近くに寄りそっているならいいのだろうが、そうでない、 彼女の弱さにつけこみ、彼女をビジネスとして利用する以外なにも考慮しない者達が集っている時、このような、愛のない、不幸な楽曲が、生まれる。
 そして中森明菜のガウス時代には、あまりにもそういう曲が、多すぎた。

 GIZA設立と同時に大阪に活動の中心を置くようになったビーイング。それと前後して、90年代前半のビーイングを支えた様々な人材が流出した。
 この曲をプロデュースしたMax Brightstoneこと明石昌夫もそのひとりで、98年にビーイングを離脱している。
 フリーとなった名プロデューサー明石昌夫に、明菜の楽曲を制作してもらおう。そのようなスタッフの企みがこの曲にあるのはわかるが、そこから先は、なにもない。 なにを表現するか、どのように演出するか、それが今後どのようにつなげていくか。なにもない。
 そもそも、サウンドも詞も、「ビーイング謹製」といって過言でない、匿名性の高い、はっきりいって、存在感の希薄な「とまどい」という歌と、中森明菜の接点はなにもないわけで、このふたつが歩みよるにはそれ相応の手続きが必要であるのは確かなのである、が――スタッフはそれをしなかったのだろう。
 ただ歌がある、カラオケがある、歌手がいる。それらを結びつけただけ、それだけの楽曲といっていい。

 「スタッフは歌手のお守りではない。これはビジネスなのだ」
 ショービジネス、まぁいいだろう。
 しかし、聞くものの心を打つことのできない歌は、誰も買わない。残らない。
 売上結果(オリコン最高40位・1.0万枚)からもわかるように、結論を言えば、ガウスのスタッフは、ビジネスとしても、三流であった。

2007.07.11
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