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谷山浩子 『時の少女』

3度目の出発

(1981.11.21/PCCA-00263/ポニー・キャニオン)

1.時の少女 2.街 3.静かに 4.ローリング・ダウン 5.ジャンク 6.ポンピイ・クラウンの片想い 7.真夜中の太陽 8.てんぷら★さんらいず 9.ガラスの小馬 10.果物屋のテーマ 11.マイケルという名のパン屋さん


谷山浩子の25歳の作品である。
このアルバムで谷山浩子は橋本一子と出会う。 このアルバム制作――正確には橋本一子と出会うまで谷山は一言で言えばスランプに陥っていた。 それも一過性のものではない、創作活動の根本にいたるものである。

中島みゆき著の小説「泣かないで・女歌」(新潮社刊)所収の短編「楽園」にその事情は詳しい。 同じ事務所の年下の先輩で三毛猫のような女性歌手――これは谷山浩子のことであろう、 の彼女は以下のように述懐している。
「アレンジをどういう形にしようかといっても、自分の中にあるイメージを、どういう形にしていいのかわからないの。
なんとかわかってもらおうと思って、口に出していってみるんだけれど。言葉が。通じないの。
あたしの言っていることが、いいたいことが、ディレクターにもミキサーにも!!だれにも。あたし、音作りの自信なくしちゃった。
…(略)…5年くらいその状態が続いたわ。6年目にあたし、一子に会った。
あの人に会えて、あたしやっと『あ、これでもいいんだ』って思えた。
…(略)…初めて、あたしの言っている言葉が伝わることができた時、極楽の境地、だったぁ」

中島は自らも同じような体験をしたものとしてこれに共感し、「わたしたちは、心にあることを言語表現を用いて人に伝えることがとりわけ不得手な者かもしれない。もしも、会話だけで100パーセント伝えられるという自信があったなら、わたしたちは音楽にまで手を伸ばしてなどいなかったかもしれない」と結んでいる。

では、音作りへの自信喪失をする前の彼女はどうであったのか。 実は彼女は大自信家だったのである。
彼女は元々、作曲家志望であったそうで、 15歳の時、キングレコードに持ちこんで作ったアルバム『静かでいいな』を「なんて美しいメロディーだろう」とうっとりと何度も聞いていたという。
また、18歳でポプコンにエントリーした時も彼女は「絶対自分の作っている音楽が一番」と思いは変わらず、 惜しくもグランプリは逃したときも『世の中には色んな趣味のひとがいるんだな』などと自信はまったく揺らがなかったという。
この時までの彼女は、誰からの保証もないのに、自らを天才といってはばらない、薄い膜の中で繭ごもりのように世界を見て、みずからがこの世で最高だと甘い夢を見る、いわゆる幸福で孤独な自称天才少女であったのである。

こういった少女が世に出て、人とぶつかる事によって、自信をなくし、自身の創造性に疑問を持つというのは、まあ、正直言って当たり前の話といえる。
と、ここで普通であれば、なにかしらのトライアルをしたり、もしくはこれでいいとばかりにより強固に繭ごもりするか、もしくは創造そのものを放棄するか、というのが道なのであるが、彼女は違った。 橋本一子と出会ってしまった――そのままで理解してくれる最高の同好の士と出会ってしまったのである。

この出会いは偶然のものであったのだそうだ。 たまたまレコーディングスタジオで紹介され、帰りの車の中で他愛のない話をしているうちに、ふと、思いつきで「わたしの曲アレンジしてください」と谷山が頼んだのだと言う。
そんなわけで、橋本一子の全編曲で橋本、谷山共同プロデュースによるアルバム『時の少女』が作られることとなったのだが、 この盤を聞けば、この偶然出会いが谷山浩子というアーティストの歴史の中で必然であったということが、よくわかるだろう。 やはり、前後のアルバムを聞くとあきらかにここが段落となっている。
それまでの、少女趣味の、メルヘンの、フォークの、暗い歌歌いの、といった様々なイメージがバラバラと並ぶだけでまとまりなかったものが、このアルバムから一気に「いわゆる谷山浩子的なもの」として収斂してひとつの大きな魅力になっているようにわたしは見える。 形が定まったというか、音楽がきちんと一つの顔となったというかそんな感じがするのだ。

さらにこの作品以降、彼女を取り巻く優秀なスタッフが一気に集まることになる。
元甲斐バンドでキャニオンのディレクター長岡和弘――後の斉藤由貴担当でもあり、谷山ー斉藤作品を取り持ったのは彼であろう、は前作「ここは春の国」から彼女の担当となる。 また、橋本一子バンドとして活動していた石井AQ、斉藤ネコらは橋本の手引きによって、次作『たんぽぽサラダ』から最新作『宇宙の子供』まで全面的に彼女のアルバムを担当している。 このアルバムは、プレデビューの『静かでいいな』、本格デビューの『ネコの森には帰れない』に続く、谷山浩子の3度目のデビューアルバムなのでは、そんな印象を私は受ける。
つまりこのアルバムで「永遠の天才少女、谷山浩子」が誕生したのでは、と。
以後、彼女は少女のまま、繭ごもりの浮遊感覚のままで世界を丸呑みするように歌を歌うのである。



ちょっとこのアルバムの内容の話。
アルバム全体のトーンとしては、どこか薄暗い。 薄陽の射す秋の午後、人影のない街並みを一人でとことこ歩いている少女、といった感じがする。 その街並みは無国籍で、どこか欧羅巴の中世風の田舎町のようだ。
アレンジもモノトーンで統一されていて、派手な音使いというより、抑制の中から、じわっと深いこげ茶のような色味が出てくるといったもので、一言でいえば、渋い。 だが、それらの音は以前の作品のように彼女の質感と微妙にずれ浮いた、といったものではなく、今の彼女の音作りの系譜にみごと繋がっているものと感じる。

妙てけれんな悪夢のような「時の少女」や「Rolling down」、霧の深い朝の港を感じるちょいとアジアンな「ジャンク」、星に少女趣味を仮託する「ガラスの子馬」、シュールとしかいいようのない「ポンピィ・クラウンの片思い」「てんぷら☆さんらいず」、夜更けに落ちこむ自分を励ます「真夜中の太陽」……。 どの楽曲を見ても、そのまんま今にも通じる彼女の世界だし、そのなんでもありのむちゃくちゃさが「だって谷山浩子だもん」の一言で納得させられるところがもう、どうみたって谷山浩子である。

この次作が彼女の80年代のアルバムの傑作『たんぽぽサラダ』となる。 プロデュースは同じく橋本一子の手によるもので、 売上げも本格デビューアルバム『ねこの森には帰れない』から右肩下がりであったものが、この『時の少女』を底に―――このアルバムは彼女のオリジナルアルバム中唯一オリコンウィークリーベスト100にランクインしなかった、一気に復帰する。 さらに「オールナイトニッポン」レギュラー、CFソングの作成、アイドルへの楽曲提供、小説の執筆、知り合いの漫画家や作家とのコラボレーションによる楽曲作成、と以後一気に彼女の活動は活発化して行く。
ちなみに、自我が解放されたこの時期の彼女のレコーディングというのは凄まじいものだったらしい。

うちのレコーディングの特徴は、アレンジャー、ディレクター、歌手による、ほめまくり大会である。要するに身内による自画自讃である。
デモテープの段階から、ウツクシ――!サイコ―!天才!などとはしゃぎ放題。レコーディングにはいろうものなら、その声は絶叫と変わる。
……(中略)……
――これが毎回のことである。
趣味の似たもの同士が集まるとこうなる。
アレンジャーは曲をほめ、作者はアレンジャーをほめ、ディレクターはミキサーをほめ、ミキサーはピンクのセーターもういういしく、べったらべったら夢のようにレコーデイングは進行してゆく。

「猫の森には帰れない」(新潮社刊)より


ほとんどブレーンストーミング状態といって間違いないだろう。

あともうひとつ。ジャケット、ますむらひろしのイラストであるが、これがなんともアルバムにあっている。 懐かしさを感じる奇妙さみたいなものが漂っていて、ものすごくこのアルバムと谷山浩子を描き表しているように思える。

2003.12.16

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