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谷山浩子 『銀の記憶』

孤独で幸福な少女の夢の終わり

(1994.07.21/ポニーキャニオン/PCCA-00617)

1.ひとりでお帰り 2.銀の記憶 3.ガラスのラビリンス 4.かくれんぼするエコー 5.月見て跳ねる 6.鏡 7.月と恋人 8.夜のブランコ 9.ミラクル 10.二人目の人類


今から10年前、このアルバムがリリースされた時、同じ谷山ファンの友人と一緒にこのアルバムを聞いて論議しあったことがある。(それにしても私は昔っからこんなことばかりしているな)

「谷山は結婚するんじゃないか?」
―――そんなアホな、だって谷山浩子って○×歳でしょう。結婚するにしてもはたして相手がいるというのか、そもそも今更谷山浩子と結婚できるツワモノがこの世にいるのか。
でも「Miracle」とか「二人目の人類」とか、ものすごい結婚臭が漂っていないか。アルバム全体も「恋している」という感じだし。

といった馬鹿話を繰り広げた。
が、これが事実であったことを後に私は知ることになる。
彼女はこの年、お茶の水女子付属中時代の初恋の相手と婚約、翌年に結婚する。
谷山浩子は正直な作家だ。

『ボクハ・キミガ・スキ』→『歪んだ王国』→『天空歌集』と谷山浩子はこの時期決定打を続けざまに叩きつけていた。
歌手として、作家として最高潮に脂が乗っていた時期で「ファンタジーなら谷山にお任せ」といった堂々とした佇まいがこの頃にはあった。
その流れで届けられた『銀の記憶』は意外なほどの「恋のアルバム」であった。
「せつない」という言葉がこれほどあてはまるアルバムが果たしてあるだろうか。
砂時計の砂が落ちていくのを惜しむように、このアルバムは切ない。
今までの生きてきた決してもう戻らない過去を思い、これからの限られた生に思いを馳せる。 そして、今まで出会ってきた様々な人々をそっと愛しみ、今の全てを賭けて小さな体に灯った恋の炎を健気に守ろうとする。そんな谷山浩子の等身大の姿がここにあった。

『ボクハ・キミガ・スキ』は今までの手札で作れるモノでの最高水準であり、これからの谷山のスタンダード作品集だとしたら、『歪んだ王国』と『天空歌集』はこれからの谷山ワールドの「天地創造」だ。
いうまでもなく『歪んだ王国』が「地獄」で『天空歌集』が「天国」。これが「谷山的コスモロジー」。そして、新たに生まれた天地の間に静かに時間が流れ始める。神話的・円環的な閉じられた時間がゆっくりとほどける、 それがこの『銀の記憶』というアルバムだ。―――という解釈を当時、高校生の私は唱えた。
これがあたっていたかどうかは私はわからないが、谷山はこの作品を契機に少しずつ変質していく。
当時の私の言葉でいえば、「時間がほどけた」のだろう。
彼女はどんな厳しい現実すらも自己の幻想として読み替えてしまう「永遠の少女」から少しずつ脱却を始める。
圧倒的に孤独であるがゆえに幸福で豪奢で鮮烈である少女の夢。それが谷山浩子のこれまでの歌ってきた世界であるが、その時代はここでようやく終わりを告げることになる。
このアルバムでの彼女は、まるで夢から醒めた赤子のように手放しで、悲しいと、淋しいと涙を溢し、泣いている。
その悲しみは「愛するものを惜しみなく愛することの悲しみ」であり、その淋しさは「手を差し伸べても決して取り戻すことのできない過ぎゆく時への哀切」である。
これはこれからの谷山浩子の重要なキーワードの一つになっていく。
結婚というのは女性を変えるものなのだなぁ、としみじみと感じる。


それでは、各収録曲について少し。

「ひとりでお帰り」。このアルバムを象徴するような楽曲であろう。切ない。悲しい。
真夜中、寝静まった街をひとりさまようきみ。周りには誰もいない、満月が見ているだけ。夢から醒めてもひとりおどけて踊りつづけるきみ。街灯でできた影法師とひとり遊びするきみ。でも「きみの今の淋しさが、遠い街の見知らぬ人の誰かを照らすささやかな灯りに変わるだろう」だから今は「どんなに淋しくてもひとりでお帰り」と励ます。
「地上の星座」と同タイプであるが、より切々と深く響いてくるものがある。健気な明るさ、悲しみを知った上での前向きさ。肩が淋しい秋の夜更けに聞くと否応無しに沁みてしまう。名曲。
ちなみに谷山は同名の小説を集英社コバルト文庫から出版している。

「銀の記憶」。タイトル曲。真冬、放課後のしんと静まった校舎の廊下で見る束の間の幻。
「こんなに広く淋しい宇宙のふたつの船 離れていく 時に隔てられて もう声も届かない」
このあたりなぞ、ほとんど宮沢賢治。時の河の向こうの手に届かないものへ懸命に手を差し伸べるような感じ(「サウダージ」ですな)がこのアルバム以降の谷山浩子には出てくる。 今までの楽曲でいったら「窓」に近いかもしれない。

「ガラスのラビリンス」。杉本理恵への提供曲。舞台は閉園間近の人気のない黄昏の遊園地。恋の終わりに息をひそめるふたり。「わたしはとても淋しいとあなたに言えない」。ユーミンの「かんらん車」とならぶ遊園地モノの双璧。

「月見て跳ねる」。ウサギのように夜の街を恋人の胸めがけて駆けてゆく。世界中が凍るような冬が訪れて、全てをなくしたとしてもあなたがいれば私は幸せだ、と。健気さと切迫感を感じる不幸で幸福な恋の歌だ。

「かくれんぼするエコー」。エコーとナルシスの歌だろうか。姿を失ったエコーと金色のライオンに姿を変えたナルシス、贖罪の長い旅はまだ続く、といった奇妙な童話のようないつもの谷山浩子。

「鏡」。あなたを殺し続ける夢から醒めることができない私。わたしの部屋にはあなたの死骸が増えていく。「鏡はどこ、私はどこ」。これもいつものサイコホラーモノ。

「月と恋人」。上野洋子が作曲。「小指から邪悪な冷気が出て」いたり、「国中のアクマとその恋のために、見えないワインを見えないグラスに注」いだり、とまあ、これもいつもの谷山。
やはりこれらいつものアレな3曲はこのアルバム内では落ちる。色が違うな。

「夜のブランコ」これは『水の中のライオン』に初収録されたものだが、今回はリアレンジ。アルバムの先行シングルにもなった。
歌は不倫の歌である。真夜中の公園で逢瀬を続ける二人、ブランコの鎖に手をかけた私の手にあなたの黒い腕が絡みつく、私は夜咲くガラスの花、あなたの手で壊して、と歌う。
ちなみにこの曲は斉藤由貴のフェイバリットらしく、尾崎豊との不倫時代、彼女はコンサートでこの曲を熱唱していた。また彼女の小説「Noisy」にもある男を死に追いこんだ主人公が自分の罪に苛まれながら真夜中の公園で「夜のブランコ」を呟くように歌う(―――生々しいなぁ)という場面がある。 またこのアルバムは、同じ年にリリースされた斉藤由貴のアルバム『moi』といっしょに聞いてみるといいかも。どちらも因業な少女趣味女性の人生の着地点作品という感じで統一されている。

「MIRACLE」。西田ひかるへの提供曲。作曲は上杉洋史。これは大きな愛の歌だなぁ。ひとりを愛することでその果てにある、何億のもの命、地球上全ての風景すらももいとおしくなる、という歌。
この世に生まれておちたその瞬間から
きょうまで歩いてきたあなたの人生が
たまらなくいとおしく抱きしめたくなる
あなたを育てた街 愛した風景を

「二人目の人類」。これも「MIRACLE」と同じ大きい愛の歌。ただし、こちらのほうがドキュメンタリータッチ。
真夜中に目が醒めて隣を見るといままで私しかいなかった部屋の中に誰かが寝ていた。 わたしでもない、影でもない、これは一体誰だろう。それは23年間つづいたわたしだけの世界に訪れた「二人目の人類」。
23年というのは71年に『静かでいいな』でデビューしてからの23年という事だろうか。 奇妙に閉じられた胞衣の中の夢のような彼女の世界にようやく自分以外の人間、他者がようやく訪れた、と解釈するのが正しいではなかろうか。 更に歌はこう続く。
眠るあなたのうしろの闇に
何十億の見知らぬ母が 見知らぬ兄が 見知らぬ友が
ふと見えた気がした

そして歌はこうしめられる。
世界にとってみればちっぽけな ひとりの
だけどわたしにとっては初めての いとおしい魂

静かな祝福でこのアルバムは終わる。

『宇宙の子供』『翼』『心のすみか』『僕は鳥じゃない』などの近作の谷山浩子の萌芽はこのアルバムから始まったといっていいだろう。これら一連の作品はどれも、 孤独の淋しさや悲しみがゆっくりと解けていく、やさしく素敵なアルバムである。

2004.05.13

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