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谷山浩子・手嶌葵 X'mas LIVE

(2008.12.23/横浜・ランドマークホール)


【第一部】 1.虹 2.Moon River 3.美女と野獣 4.空へ 5.元気を出して 6.朗読「美術学校」 7.光 8.Don't know why 9.Angel 10.テルーの唄 11.サンタが街にやってきた 12.The Rose
【第二部】 13.銀河通信 14.恋するニワトリ 15.まっくら森の歌 16.ねこねこでんわ 17.ねこじゃないもん 18.よその子 19.君の時計がここにあるよ 20.僕は帰る きっと帰る 21.放課後

Vo.手嶌葵 Pf.古川初穂 G.天野清継 (1部)/ Vo,Pf 谷山浩子 Syn.石井AQ (2部)
 新橋の斉藤由貴のコンサートのマチネを終えて横浜へ。今度は斉藤由貴ともかかわりの深い谷山浩子と手嶌葵のジョイントコンサートへ向かう。
 クリスマスを迎えようとする宵闇の桜木町。いい雰囲気だなぁ。ランドマークタワーへと続く長い回廊からみえる、きらきらと明滅するビルや船や観覧車のイルミネーションに、ざわざわとした、けれどもどこか穏やかな雑踏。 地下から五階まで吹き抜けになっているランドマークタワーのショッピングゾーン、その一番底の広場では、どこか誰かがアコースティックライブを行っていた。
 街が、黄金色の幸福感に満ちている。その、ショップゾーンからふいと脇に折れたすぐに、ホール玄関があった。いいロケーションだな。

 小さな多目的ホールに、500人ほどの観客がつめている。ほぼ満席。客層は完全にふたつに分かれている。恐らく手嶌のファンだろうふわっと夢見がちな感じの20代の女性、谷山のファンなのだろう濃厚そうな40〜50代の男女。これらが特に目立っている。谷山派・手嶌派、それぞれの比率でいったら半々というところかな。 とはいえそれは新旧の違いというだけであって、どちらにしてもオタクっぽいということにおいては変わりない。意外にも斉藤由貴とは客層が幾分違う。由貴ちゃんのファンはアイドルとかテレビとか芸能界が好きそうで、一方こちらのファンはアニメとか漫画とかゲームが好きそうで、つまり、コミケに参戦しそうな感じ。
 前の席に座った、ピンクハウス系の服を来た、50代後半くらいの、それはもう正々堂々と腐女子然とした腐女子さんが12月3日のジュリーのドームライブの話を嬉々として隣に座っている友人らしき者に語っている。なるほど、そういう層か。――なぜか納得する。
 私の参加した手嶌のライブは07年末の浜離宮ホール以来。今年の手嶌はアルバムは2枚リリースし積極的に活動したものの、ライブは、大きなイベントの参加者のひとりであったり、インストアイベントであったりと、ソロによる本格的なものはほんの数回しかなされていない。 一方の谷山浩子は、アルバムをリリースして、猫森集会、全国ツアーといつもの活動。谷山浩子と手嶌葵のジョイントコンサートは06年の谷山浩子の猫森集会やソロツアーにゲスト参加して以来で、本格的なのは今回がはじめてということになる。 さてさて、歌手としての伸張めざましい手嶌葵と、ほとんどその産みの母といった感じの谷山浩子、そのふたりのジョイントライブ、どうなることだろうか。定刻通りに幕が開く。



 オープニング。手嶌葵とピアノ、ギターが登場する。すっと、そのまま歌が滑り出す。一曲目「虹」。ちょうど一年前の浜離宮ライブでのラストナンバー。もう、これだけで手嶌葵の世界になってしまう。いつもいつものことながら、驚く。
 これは、もう、一度見て聞いていただくしかないのだけれども、彼女が歌いだしたとたん、その場がいきなり異次元になってしまうのだ。そこは、深い森になり、霧の湖になり、黄昏の草原になる。ヒスノイズすらも官能的で、ひとつの表現になってしまう。
 さて一曲目終わり、本のような、ファイルのようなものを取り出す。そして読み上げる。「みなさん今晩は。手嶌葵です」えええええ、こ、これがMCですか。 アイドルのコンサートなどでは、MCトーク用に台本をしっかり用意している場合があるのは知っていたけれども、 まさか、それをそのまま読み上げるアーティストは、いやぁ、わたしはじめて見たわ。
 確かに前年のソロコンサートでMCの危なっかしさは感じたけれども、こう来るとは。なんか、もう、MCというよりも、朗読という感じ。 まさしくピュアネス、手嶌葵。
 朗読が終わって、本を後ろにおいて、ピアニストにこくりを小首をかしげる。それが合図なのだろう。ピアニスト、にこりと答えると曲が滑り出す。萌え、だわぁ。
 本当に、なんというか、この人は凄い。ちょっと反則だよ。こんな子が今の日本に居るなんて。妖精さんですか?と、聞きたい、マジで。
 セットリストは、昨年のソロライブと同じものが多いかな。 「虹の歌集」からのもの、新曲「光」、が新たに加わっているけれども、現時点でのレパートリーがベスト的にコンパクトに収まっている感じ。

 それにしても、このホール、まっくらだ。
 このレポートを書くためにわたしは現場で迷惑にならない程度にメモを書いていたのだけれども、そのメモ帳も自分の手指すら、まったく見えない。本当の暗闇だ。 その漆黒の闇の中に500人の群衆の気配だけがひっそりとあり、そして、暗闇の中空にぼんやりと手嶌葵の姿が浮かんでいる。 本当に夢のなかに迷いこんでしまったかのように、夢幻的。彼女の存在感とあいまって、そこに絶対あるのに、まるでないかのような、不思議な架空感が漂っていた。
 とはいえ、この暗闇が手嶌には、かなりのプレッシャーになっているよう。 前年のライブと比べてもいっそう緊張している。フラジャイルな彼女のボーカルがいっそうフラジャイルだ。 その緊張の波動が観客にも伝わり、しんと張りつめた空気が立ち込める。
 「葵ちゃん、大丈夫だよぉ、大丈夫だよぉ」
 頑是無いフェアリーを、プレイヤーも観客もせいいっぱいの気持ちで見守っている。不思議なコンサートだ。
 はりつめたまま、それでもキープしつつ素晴らしい歌唱を続けていたが、ここぞという代表作「テルーの歌」でついに彼女はすっとちってしまった。これに本人大恐縮。作曲者とのジョイントコンサートだものなあ。 まあ、でも、これがライブ。ご愛嬌というものだよ。それに、ほら、これで少しばかり場の空気がほぐれたじゃない。
 肩の力の少し抜けた彼女は、昨年も歌ったクリスマスの定番ナンバー「サンタが街にやってきた」、もうひとつの彼女の代表曲「The Rose」を手堅くまとめる。
 手嶌、舞台袖にあがり、客席の明かりがつく。第一部終了。今回のジョイントライブは、二時間強のコンサートを「手嶌篇」「谷山篇」とぱっきりとふたつに分けた構成のようだ。二人でなにかをする、というのではないらしい。



 休憩時間にピアノやシンセをセッティングして、第二部、毎度おなじみの谷山と石井AQの登場。 こちらの一曲目もライブの定番曲「銀河通信」。
 第一部の森閑として重い空気を彼女はどうやって変えていくのかと思ったら、なに、造作もないという感じで、一曲目だけですぐに自分のフィールドに持っていった。 やっぱり、スコーンと抜けているよなあ、谷山さん。
 一曲終えて、話し出したらもう、まるっとリラックスしたいつもの谷山ライブ、彼女のいつもの無邪気で気さくな軽口に、さきほどと同じ客とは思えない明るさが場から漂いはじめた。 これはさすがに、デビュー三年目の新人歌手と36年目の大ベテラン。器の違いというのを感じずににはいられなかった。
 「第一部、楽屋のモニターテレビで見ていたんですけど、このホール、ホント真っ暗で、ホラーな感じ。これはあがりますよ」
 と、親御のようにさりげなく手嶌さんをフォローしたけれども、実際は、そういう緊張とかなんとかという次元は通り抜けているんだろうなあ、彼女は。
 セットリストは、こちらも手嶌のみのファンを考慮したのか、まずは知名度の高い「みんなのうた」は「まっくら森の歌」「恋するニワトリ」からはじまり、 「こんな歌をいつまで私は歌えるのか」とぼやきながらも、ぶりぶりのにゃんこソング「ねこじゃないもん」「ねこねこでんわ」で万年少女ぶりをあたりに撒き散らし(――確かに、あと30年は、いけるね)、 彼女の真骨頂とも言える「よその子」「君の時計がここにあるよ」で、静かに高揚していく。ソロライブで全国を回っている最中の今回なので、すべてが練れきっていて、余裕。磐石の仕上がりだ。
 MCでは、ドラマ「相棒」に猛烈にはまっていること。オススメのシリーズやら回やら、水谷豊演じる杉下右京と寺脇康文演じる亀山薫のコンビが今回の「season7」をもって解消されることにやきもきしていて、そりゃ、ネット上でも2チャンネルとかファンは大騒ぎだよ、とか、 だから、新しいテレビを明日一緒に買いにいこう、そして一緒に「相棒」を見ようと、石井AQにすすめたり、 まぁ、つまりは、一緒に茶の間でこたつにはいってみかんを食べながら、グダグダと生ぬるい腐女子の萌え萌えトークをしているような、そんな按配。どこまでも無防備の自然体。
 自由に歌って、自由に弾いて、自由に喋って、舞台の上の人も、観客席に居る人も、その区別がなく、お互いが赦し、赦されあい、心を解放して、楽しむ。 わたしもあなたも、そこのあなたも、みんなオーライ。好きするのがいちばんでしょう?――この包容力は、もちろん一朝一夕で身についたものではないだろう。36年というキャリアの中で、一枚ずつ心の鎧をはがしていった、その末に至った境地なのだろうな。軽やかだけれども、凄みがある。
 最後は「僕は帰る、きっと帰る」。これもラストの定番になりつつあるかな。明るく元気よく、自宅に着くまでがライブですからねと、谷山は観客を外へ送り出すのである。
 ちなみに「スプートニク2号に乗ったライカ犬・クドリャフカの歌とネット上でこれが紹介されていて、そういうつもりで作った歌ではないけれども、そう考えながら聞いたら凄くよかった」と、谷山さん。確かに、そういう解釈もありだよなぁ。



 さてさて、アンコールは手嶌と谷山ふたりが舞台に。これがほとんど谷山先輩からのライブのアドバイス大会になってしまった。 テーマは「いかにライブであがらずに落ち着いて乗り切るか」。
 デビュー当時は、ライブが大っ嫌いだった谷山さん。日取りが決まってから頭痛と胃痛の種、はじまったらはじまったで、がちがちに固まり、客からは怒られているような疑心暗鬼に陥り、最後はいつも自己嫌悪。 いっそ、会場がボヤ騒ぎになって、とか、後遺症にならない程度の怪我をして、とか、ほとんど登校拒否児的なマインドでもってライブに臨んでいたらしい。
 「ネガティブな状態の時、お客が集まらないとか、ノリが悪いとか、自分の体調が悪いとか、そういう時は自分から『凄く楽しいです』って言っちゃう」
 「自己暗示、ですか」
 「うん、そう。あと、自分が緊張しているなって思った時は、逆にお客さんに向かって『リラックスしてください』って云っちゃう。『お客さんに対して、面倒をみてあげる自分』ってかたちにスイッチを変えるとうまくいくかもしれない」
 「『任せてください』(――と、胸をはった仕草をする)って感じですか?」
 「いきなりそこまで大きくならなくっても大丈夫だけど」
 ――と、まあ、こんな感じ。谷山流のセルフ・コントロール。なるほどなぁ。ベテランの説得力がひしひしと感じられた。手嶌も笑みをこぼし、リラックスしながら自然に話をしている。

 さてさてアンコール曲は谷山浩子が手嶌葵のアルバムにと提供――秋発売のアルバムなので、秋をイメージして作ったけれども、秋の発売自体が流れてしまったので、結局戻ってきてしまった、という、曰くつきの「放課後」。
 やっっぱりっっ。「フィンランドはどこですか」収録のこの歌、初めて聞いた時からそう思っていたっっ。 その話に手嶌は「そうだったんですか」と驚く。彼女のところまで話は回ってきてなかったようだな。
 学生時代の孤独を歌った谷山らしい佳曲。谷山バージョンもいいけれども、手嶌バージョンもすばらしい。切ないピアノの音色に、セピアの風景が束の間の幻となって流れていく。
 これこれこれ、これだよっっ。
 いやあ、わたしはですね、今回のライブで、こういった光景こそ、見たかったぞおっっっ。
 手嶌と谷山。楽曲提供者と歌手としても10曲以上もかかわり、同じプロダクション、同じレコード会社の先輩・後輩。レコードディレクターもマネージャーも同一だ。 これだけ関係の深いふたりなのだから、当然、舞台は共に立つだろう、それぞれの持ち歌を交換なんかしたりもするだろう、そうやってふたりはそれぞれの世界を広げながら、お互い浸潤しあい、それぞれが違った面を垣間見せるだろう。 そのような化学変化をわたしは期待して今回、足を運んだ。
 だからこういった構成――完全に二部構成でふたりの歌唱披露が分かれた形になってしまったのは、正直言って期待はずれだった。
 もちろん、ふたりはそれぞれ素晴らしいアーティストだったし、それぞれのソロライブとして、充分楽しめたし、 スケジュールとか色々な都合の面から、こういった形になっただろうことは想像に難くはないので、ないものねだりなのかもしれませんがね、 しかし、このアンコールのパート見てしまうと、どうしても、それが見たかったなと、思ってしまいますよ。
 谷山のサポートだと、手嶌もリラックスしているのか、トークは自然だし、それを聞く観客の空気も和らいでいた。歌も、今回はじめて歌ったと思えないほど安定した仕上がりだった。これなら安心して身を任せられるというもの。
 ま、第一部で見せた、今にも壊れそうなものをはらはらしながら鑑賞するのが、今の手嶌葵の魅力で、それを無闇に、今、壊す必要はないのかもしれませんがね。やっぱり谷山浩子も云っていたように、3年目であそこまで染まらないのは、凄いもの。奇跡といっていいくらいだよ。



アンコール終わり、二人は舞台袖に戻り、客電つく。名残惜しいファンの拍車はやまず、ふたりはもう一度舞台に戻り、挨拶をする。 谷山浩子ライブのお馴染み、ロビーでアンケート記入する人たちの波も退いた頃、ゆっくりと玄関を出る。外は、クリスマス前のおだやかな夜の街並み。身を切る寒さが、しかし、心地いい。心が温かいからだと、思った。

 12/23、一日で、斉藤由貴・手嶌葵・谷山浩子と、三人の、傾向の近い、かつそれぞれの関係の深い歌手をわたしは鑑賞した。 それぞれ似ているようでやっぱり別の人、それぞれの特有の濃密な気配があることを、わたしは改めて実感した。
 谷山浩子ってアーティストは、自由きままで、そして、以外とタフなのだ。風のように融通無碍で、どのような力のも屈することがない。
 一方、手嶌葵は、本当に繊細。しかし、その、ほんの少し指先で触れただけでも壊れそうなところこそが、ボーカリストとして圧倒的な存在感につながっている。
 斉藤由貴は、魂の底から演技者だった。芝居するために生きている人なのだろう。その一環として歌という架空空間を演じていた。
 これからも、日本に住まうこれらの無邪気な魔女?巫女?精霊?たちを、機会がある限り触れていきたい。まぁ、わたしがどう思おうと関係なく、彼女たちは聴衆を翻弄しつづけていくだろう。

2009.1.08
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