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谷山浩子 猫森集会 2006

Aプログラム 「王国の日」

(2006.9.15/全労済ホール スペースゼロ)
1.花の季節屋根の上  2.笛吹き 3.鏡よ鏡 4.青い鳥 5.向こう側の王国 6.雨の国 雨の船 7.ここは春の国 8.テルーの唄 9.岸を離れる日 10.竜 11.旅人 12.風のたてがみ 13.Elfin 14.洗濯かご 15.やすらぎの指輪 16.王国 17.ありふれた恋の歌
Vo,Pf:谷山浩子 Key:石井AQ Fl,ケーナ,篠笛など:旭孝(Guest)  Vo:手嶌葵(Guest)


 青山円形劇場から舞台をスペースゼロへと移して今年で五回目となる谷山浩子の秋のスペシャルコンサート「猫森集会」。 四つのプログラムメニューから、旭孝と手嶌葵がゲスト出演する<Aプログラム>の初日に私は訪れた。

 会場にはいる。観客席は、会場中央の舞台に向かって四方から取り囲むようにならんでいる。すり鉢上の一番底が舞台というかんじ。最前列と舞台の段差はほとんどない。これで事故がおきない、というのが、ちょっと凄い。機材だって、これ、触ろうと思えば触れるだろ。 谷山浩子のファンがそれだけ成熟している証なのか。それともただマイナーすぎるだけなのか。
 客層は、男女比でいうと、6:4で男性の方が気持ち多い。年齢は、谷山より一回り下――40〜30代が目立つ。「オールナイトニッポン」やコバルトの小説、あるいは斉藤由貴経由でファンになった層がメインだろうか。 全体的に仕事帰りの会社員風という感じで、落ち着いている。奇妙なコスプレをして浮かれている人など、いやしない(――谷山の作風からいって、いそうなものだったのが、意外)。
 数席ほど空席があったがほぼ満席といっていい状況で、二ベルが鳴って、客電が落ちる。



 観客横をすり抜けて、谷山浩子が登場。お辞儀をしておもむろにピアノの前に座り、ピアノ一本の弾きがたりで「花の季節 屋根の上」を歌いだす。
 緊張か、出だしで声がひっくり返る谷山。 実際そのようで、めずらしく業界関係者の集まったライブに、ことあるごとに「緊張している」と彼女は連呼する (――それにしても、「はじめてマニキュアしたから自分の手じゃないみたいで」という言訳には驚いた。谷山さん、いつまであなたは少女なんですか) がしかし、緊張感がいい具合に声に張りと勢いを与えているようにもみえる。
 ピアノの音も、かなり勢いがある。――と、いうか、谷山浩子さん、ピアノ、すんごいうまいのな。って、改めて気づく私も私だ。 彼女のピアノの音って精気にみちていて、主張が強いのね。音にやる気のオーラが出ている。

 「花の季節 屋根の上」終わり、挨拶。今回の「猫森集会」の四つのプログラムのコンセプトを説明。新作「テルーと猫とベートーヴェン」になぞらえて、Aプロは「テルー=ゲド戦記」の部分、で西洋ファンタジー・メルヘン系の楽曲を中心に、Bプロは「アタゴオルは猫の森」より猫関連の歌を、Dプロは残りの「変な歌」が中心なのだとか。
 さらにここでゲストの旭孝氏が登場。好々爺然とした佇まい。数多くの、さまざまなアーティストの作品でお名前だけは存じ上げていましたが、こういうお方だったのですね。 赤い紐を蝶ネクタイ代わりに使っているなどといった、彼の楽屋裏の四方山話的な雑談をうなづいて聞く谷山。 そのままふたりで「笛吹き」「鏡よ鏡」「青い鳥」と、続ける。
 ここは、旭孝の笛の音と谷山のピアノと歌のコラボをじっくり楽しむパートかな。

 続いて石井AQ登場。いつものAQ、という感じ。谷山浩子との気の置けない間柄がよく伝わるファニーなMC――途中、中島みゆきの昔話をチラッとして「これカット」と叫んだりしていた。につづいて、 「向こう側の王国」「雨の国・雨の船」「ここは春の国」――と、ここは、国シリーズのパート。
 石井AQのシンセが加わると、もう、いつもの谷山浩子、という感じ。
 それにしても、彼女のコンサート、クオリティー高いなぁ。歌唱も演奏も、CDと比べて劣る部分がない。というか、それ以上。ライブ音源によるベスト「メモリーズ」をリリースしたのも、わかるな。 谷山浩子は、ソングライターとしての魅力と比べると、歌手として、ピアノのプレイヤーとしての魅力は、見おとされがちだけれども――というかこのわたしがそうだった、いや、このあたりも実はなかなか見逃せない。



 谷山・石井・旭の三人でのパートが終わったところでひと段落。石井と旭のふたりが一時、退場。スペシャルゲストのコーナー――というより、この日のメインコーナーか? 手嶌葵が登場。 「ヤマハのドル箱」「日本中のアイドル」と冗談めかして谷山は彼女を紹介する。
 なんとか谷山は手嶌と会話しようと言葉を投げかけるが、緊張しているのか、もともとそういう性格なのか、手嶌はまったくしゃべらない。 「「はい」か「いいえ」の質問じゃないとうまく答えられないんだよね」と谷山はやさしくフォローするものの、なんというか、大丈夫か、彼女。
 とても社会生活を円滑に行えそうにないあぶなっかしいパーソナリティーに思わずひいてしまう。 気に入ったジブリの作品を何千回と繰り返し繰り返し見る、という彼女のエピソードも、世間の求めるピュアの程度を通り越している感じがする。

 とはいえ、そんなふわふわとして危なっかしい彼女が、歌いだすと俄然、存在感が増すから、歌手って生き物は面白い。
 谷山のピアノを伴奏に「テルーの歌」をすっと滑り出すと、とたんに霧のようなものが舞台に立ちこめた――ように感じた。
 谷山浩子の「テルーの歌」は、夕陽の照り返す秋の田園の風景というか、温かく切ない感じが強いが、 一方、手嶌葵の「テルーの歌」は、夏の朝靄たちこめる高原というか、どこか煙っていて、清澄で、冷ややかで、人気がない。

 さらにつづけて、谷山浩子の曲から「岸を離れる日」を手嶌は歌唱する。
 今回のライブにあたって、谷山浩子が、彼女にあっているじゃないかなと渡した楽曲リストの中から彼女が選んだものだが、 これが、彼女の声質にベタはまり。もともと名曲であるのは確かなんだけれども、 煙っていて、どこか茫洋とした彼女の声が、この歌のテーマ、ひとりの少女の永遠の別れと旅立ち、にぴったり合っている。
 谷山浩子が歌うと、かつての少女時代を追想するような歌い方になるのだが、 手嶌が歌うと、いままさしく、自身はわけもわからず、しかし、永遠に戻れない場所への旅をはじめてしまった、という、現在的な悲しみと、そしてかすかな希望が出てくる。
 歌前「リハで聞いたけれども、まるで手嶌さんのために作ったかのように、すごくあっていて、いい」と谷山が言っていたが、たしかに、これは、いいわ。「テルーの歌」よりも、いい。 ――「ゲド戦記歌集」の歌詞、どれもこれも微妙だったものなぁ。
 彼女は、谷山浩子ともうちょっと一緒にやったほうが絶対いい。 かつての谷山浩子と斉藤由貴のような距離感で、コラボをしばらく続けていくのが一番いいと思う。



 と、手嶌は二曲歌ったところで退場。
 観客に向かってお辞儀をするの忘れそうになった手嶌を、谷山がさりげなく「お辞儀」と手でジェスチャーし、それにあわせて頭をたれた手嶌、ふたりはどこか、学校の先生と生徒という雰囲気だった。
 そして、いれかわりで、石井・旭が再登場。 手嶌コーナーが終わったことにほっとした谷山は、大きく息をついて、 馴染みのAQや旭氏と、ラフなトークを交わす。
 ちなみに手嶌退場後の、谷山の手嶌評。「幻想の中でしかいないはずの『少女』が、まさしく目の前にいる、という感じで、いいですよね」

 手嶌コーナーにつづいて次は「ゲド戦記」コーナー。 「竜」「旅人」と続く。
 ここは、谷山・石井のサウンドメイクの素晴らしさに酔うところ。 「ゲド戦記歌集」との違いをいい意味でまざまざと見せつけられた。

 ちなみに今回のニューアルバム「テルーと猫とベートーヴェン」。
 壮大なゲド戦記関連の歌で格調高くはじまるものの、後半、「紅マグロ」や「かおのえき」など、ヘンテコな歌へと成り下がっていく展開で、 さらに一曲めが「竜」で、ラストがモンティ・パイソン=「蛇」、というところから、 当初のタイトルは『竜頭蛇尾』だったそうで。 「最初が竜で、最後が蛇のアルバムなんて、もう二度とないだろう」と思っていたが、さすがにタイトルには、と没になったとのこと。

 そしてやはり、というか、クライマックスは 「風のたてがみ」「Elfin」といった、壮大で、暗くて妖しい歌のオンパレード。
 「王国の日」というから絶対、90年代前半に数多く作った無国籍ファンタジー風路線でいくのだろうと思ったけれども、やっぱりね。
 そしてラストは、やはり「王国」。 「王国」はもともと「ゲド戦記」2巻の暗黒の地下迷宮をイメージして作ったものなのだそうで、今回のライブをまさしく象徴する歌といえる。
 「旭さんが加わっているので今回は爽やかな『王国』」と谷山さんはアナウンスしていたが、いやいや、相変わらずゴシックで荘重で淫靡でした。



 アンコール。「完全に自分を取り戻しました。もうなんでも来いって感じ」と再登場する谷山浩子。緊張がほどけるの、遅すぎ。
 「今回の猫森集会は普通の恋の歌や、人を励ます歌を歌う機会がないので、 アンコールはそういう歌を歌おうとおもっています」
 といって歌い始めたのは「ありふれた恋の歌」、歌でオチをつけるなってば。

 最後は、谷山・石井・旭氏に一度袖に下がった手嶌も舞台に戻って、四人で四方の客席にお辞儀をして、おしまい。
 歌手として、作曲家として、ピアニストとしての谷山浩子の着実なる技量と、そして彼女の温かい人柄が実に伝わる、アットホームで充実したライブだった。

 あと、思ったのが、結構、バランス感覚があるんだね、谷山さん。
 客観性を失ってずぶずぶにのめりこみそうになる寸前で、さらっとずらしていく。
 わりと長年アーティストやってる方って、そこで一線を踏み越えて、神かがり的なわけわかんないキャラになったりするんだけれども、 谷山さんの場合、狂気はあくまで作品の中でだけ、っていう一線がしっかりあるようにみえる。
 プロなんだな、と、それはとても当たり前のことなんだけれども、趣味の音楽を延々と作っているだけに見える谷山浩子ですら、そうなんだな、きちんと客席に向かっていエンターテインしているんだな、と、ちょっと感心した。

 また機会があったら、訪れたい。

2006.10.03
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