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花田家の人々

-貴乃花引退に思う-



貴乃花、引退。
引退発表となった今日。マスコミではこれをトップニュースとして流しております。 テレ朝なんて特別番組編成するし。すごいね。みんな気になっているんだなぁ……。

ま、もちろん、確かに実力であるとか、実績というのは門外漢でも充分わかるし、彼が千代の富士の衣鉢を継ぐ角界の大看板であることもわかる。
でも、かように破格の扱いで取り上げられ、注目されるのは彼とその周囲に漂うワイドショーっぽさだと私は判断するのだけれども、どうっすか。
私は相撲のことなんか全く興味のない門外漢なんだけれども、そんな者でも巻きこむようなネタの下世話なキャッチーさが不思議と貴乃花をはじめ、この一家の方々にはありません?

若貴ブームにはじまり、千代の富士を引退に追い込ませ、史上最年少優勝、宮沢りえとの婚約そしていきなりの破局、何度もの綱取りへの挑戦、兄若乃花との確執に洗脳騒動、兄と父母の離婚騒動、そしてあの「痛みに耐えてよくがんばった、感動した」、でもって長期休場に今回の引退劇、と、 もう、ネタのオン・パレードだもんなぁ。
私なんかは失礼ながら、実力よりもなによりネタの提供者として面白いと思ってしまう。

で、そんな過去のVTRなんかがTVで流れてたりするのをながめつつ、貴乃花ってずいぶん変わったのねぇ、 などと興味が全くないくせにいまさら感慨してしまった。

昔の貴花田時代と比べるとやっぱり隔世の感がある。 昔は体躯も関取の割にスレンダーで筋肉質だったのが、いつも間にか、でっぷりといかにもな関取体型になっていたし、っていうのもあるけれども、なによりも昔との違いは顔。 貴花田時代の顔は無邪気で一途で素直な少年のような顔で目も少年らしい輝きなのが、いまでは薄笑いの唇に魚のように心がない半眼で、顔全体が仮面のように表情がなく不気味の一言。
話し方も抑揚がなくて、カルト信者とか北朝鮮のテレビと同様の向こう岸の匂いがかなり漂っているようにみえる。 正直言って、これがあるジャンルの頂点を極めた顔なのかなーー、なんてと思ってしまう。
心が壊れているのがまるわかりの感じで、個人的にはあんまりお近づきになりたくないんだけど……、っていう。
河野景子はよくこの人と一緒に暮らしているなーー、とある意味感動してしまう (――ま、彼女はステイタスの為に貴乃花と結婚したっつうのはみんな薄々気づいてはいるけどさぁ)。
って、下らんことはともあれ、とにかくこわいんですよ。彼の顔が。

悪口ばかり言っても仕方ない。
正味な話、貴乃花、というか花田光司の目がだんだんと死んでいったその過程というのはしっかりワイドショーの歴史の中で刻印されているわけで。 第一が宮沢りえとの破局、第二が洗脳騒動の頃。 この二つのスキャンダルを経て、今の顔になっていったように私は感じている。
つまり、彼が相撲という仕事に全てを賭けるために自我を圧殺するその過程でああいう仮面の顔になったのではないか。 と私は思うわけね。

なぜ自我を圧殺しなければならなかったのか。そうしなれば生きていけなかった彼の病理とは。
若貴ブームの頃、小倉千加子は彼を「相撲界のノンナ・ペトロワ(山岸凉子のバレエ漫画「アラベスク」の主人公)」と評し、「帰る家のない『会社後継者』」とみている。 これは、もし花田光司という人間に興味があるのなら是非とも読んでもらいたい(そんなやついるのかしらんが)。
貴花田にとって貴ノ花は父であり、師匠であることはもちろんだが、勤務先のオーナーでもあるのだ。
逆にいえば貴ノ花にとって若貴兄弟は息子であり弟子であるが、同時に会社の後継者でもあるのだ。
ノンナ・ペトロワは師でもある厳しい母に叱責されバレリーナとしての自分の能力に自信が持てず、三日月を見上げて何度も涙ぐむ。 「バレエに生きるママにとって才能のない娘なんか省みる暇なんてないのよ」……(中略)……(彼が)ノンナと同じ不安を抱いていることは間違いないと思う。
……(中略)……出世できなければ帰る家のない少年、それが花田兄弟なのだ。

小倉千加子「アイドル時代の神話-完結編-」(1992)


さらに母の花田憲子との関係からも花田光司を照射し、彼を「"都会の母"のヒマと情報収集力と名誉欲によって作り上げられた新しい時代のスポーツエリート」ともみている。

まさしく小倉女史の慧眼なのであるが、かようにそのままの自己であって容認されることのない、本当の居場所のない花田光司と母子家庭で幼い頃から子役タレントとして活動し母がマネージャーを担当している(自分の居場所のなさでは花田兄弟とほとんどイコールだろう)宮沢りえと魅かれあうのは、これは必然としかいいようがない。

しかし、結果はご存知の通りである。 彼は相撲を取るか、宮沢りえを取るかの選択を迫られ、相撲を取ることになる。 ここから彼は、家族にたいして"いつかわかってくれれば"という一縷の望みと、"絶対わかるはずなどない"という絶望のあいだを行き交うようになる。 そして、兄との確執と洗脳騒動がおこる。

これを「ただの兄弟喧嘩」と評した人がいたが、それは大きな誤りと私は感じる(――そうとしか見れない人はそうとうぬるい家庭で育ったんだろうな、うっかりすると家庭崩壊しますよ)。 あれは、貴乃花からの"もうあなた達なんて信じない"という絶縁状だったのではないか。しかしそれが絶縁状であることを叩きつけられた彼らは認識してくれなかったのではなかろうか。
ここで彼はあの薄笑いの不気味な仮面を完全に手に入れる。 彼は多分何も信じていないし、何も必要と思っていないだろう。
ひどく幼い自己承認欲求を乗り越えることが出来ないまま、「相撲の世界」という自分の殻に閉じこもった状態が今の彼である。 彼はトップクラスのスペシャリストになることで周囲に壁を作り、ナイーブで子供じみた自我を必死に守っている、という非常に息苦しくオタッキーでトラブル素因を過分に含んだ専門家になってしまった。
……と、ここまで書くとさすがに妄想の域になってしまうか。

ただ、花田家というのは歪んだ家庭であることは一連のスキャンダルを追えば明確なことであるし、その歪んだ家庭の物語を子供達は背負っていて、そして現に貴乃花こと花田光司は不気味な仮面を被っているというのは確かなことだと思う。

ま、赤の他人の私としては、「また何か起こるんじゃないの」と下世話な欲求を募らせるだけなのだが。

そうそう、ある人が「結局、宮沢りえと貴乃花がもう一度寄りをもどすしかお互いの本当の幸せはないんじゃない?」 といっていたが、それって、確かにそうなのかもしらんが、それはまさしく「覆水盆に返らず」。どうしようもないです。
ともあれ、貴乃花の相撲人生は終わりだけど、家族の物語はつづくわけだし、 若乃花がNFL目指すとか寝言をかまして恥かいたみたいに、素敵なことを待ってます。

――って、真面目なんだかふざけているのかわからん文章だなぁ。




2005年6月。
父、貴ノ花(ニ子山親方)の死去により、花田家の物語はまた新たな次の頁へと進んだようである。
マスコミはやはりといった感じで、家族の不協和音を取り上げている。


2003.01.20
改訂 2005.06.02


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