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松田聖子 「SUPREME」

「変わらない」という挑戦

(86.06.01/CBSソニー/32DH-440)

1. 螢の草原 2. 上海倶楽部 3. ローラ・スケートをはいた猫 4. チェルシー・ホテルのコーヒー・ハウス 5. 時間旅行 6. 白い夜 7. マリオネットの涙 8. 雨のコニー・アイランド 9. ローゼ・ワインより甘く 10. 瑠璃色の地球


 みんなすっかり忘れていることだが、その昔、アイドルは、結婚すれば引退するものだと、みんなそう思っていた。
 85年、松田聖子が結婚するという。
 「引退」。
 彼女は最後の最後までその言葉を口にしなかった。
 しかし、結婚を契機に休業するというアナウンスは、多くの人に「引退」と響いた。
 もし、再び表舞台に戻ってきたとしてもそこにあるのは間違いなく今までの「松田聖子」ではないだろう。 この年を最後に、松田聖子の時代は静かに終わりを告げるだろう。と。
 誰しもがそう思った。

 天地真理を嚆矢として日本の歌謡シーンに次々と登場したアイドル。
 80年代は、まさしくアイドルの時代であった。
 百花繚乱。日毎夜毎ブラウン管で華を競い合う彼女たち。
 しかし、そこに、結婚して歌いつづける者は、ひとりとしていなかった。
 偉大なる山口百恵をはじめ、南沙織、麻丘めぐみ、浅田美代子、石野真子……。
 彼女らはみな結婚を期に歌うことを断念した。

 アイドルは、時分の花。
 アイドルポップスは、その花の一瞬の香気を銀盤に閉じ込めたもの。
 だからこそアイドルは切ない。
 時がよどみなく流れるように、永遠のアイドルなど、存在しない。
 いつか卒業するのがアイドルというものなのだと。
 だが、松田聖子は違った。
 結婚・妊娠・休業。
 その状態で敢えて、松田聖子は歌うことを選んだ。
 そうして生まれたのが86年のアルバム「SUPREME」である。



 松田聖子がその席を立ってわずか一年のあいだにアイドルシーンは激しい地殻変動を起こしていた。
 かつてのライバル中森明菜は、孤独なツッパリ少女から、時代を挑発する過激な淑女に変貌、優雅に女王の座に居座り、 さらに「おにゃん子クラブ」なる超新星が旧来のアイドル勢たちを押しのけ、チャート1位を独占、 そして、松田聖子を支えた作家陣の手による聖子的世界観を継承したアイドル( ex 南野陽子、松本典子、山瀬まみ )が、多数出現した。
 しかし、松田聖子はそのままの松田聖子でありつづけた。

 歌手として再び歌う決意をした松田聖子はプロデューサーに84年年末まで彼女の作品をプロデュースしつづけた松本隆をふたたび指名した。 そして松本隆は、あえて松田聖子をそのまま、松田聖子のままで、表現した。
 作曲には久保田洋司、玉置浩二、大沢誉志幸、安藤まさひろなど、 また編曲には武部聡志、井上鑑など、と、初顔合わせの作家が並んだが、 しかしあくまで全体のトーンは、結婚以前の松田聖子の続きという感じで、大きな変化はそこにはない。
 このアルバムのラストを飾る「瑠璃色の地球」のみが、人類愛、地球愛を表現し、結婚・出産する松田聖子を意識した曲となっているが、それ以外は、上質なサウンドで綴られる恋に揺れるガーリーな「松田聖子的世界」の曲でしめられている。 これは、大きな冒険だったのではないだろうか。
 結婚、出産。アイドルとしての賞味期限切れの指標といってもいい二点が灯っているのにもかかわらず アイドルでありつづけることは、空前の展開であった。
 しかし、松田聖子はそれを見事サバイブした。
 この「SUPREME」は彼女のアルバムで最高のセールスをあげ、 86年の日本レコード大賞のアルバム大賞を受賞、この年発売のアルバムの頂点となった。奇しくもレコード大賞――その年のシングル頂点となったのは中森明菜の「DESIRE 〜情熱〜」である。

 (――松本隆はおそらくこのアルバムで「変わらない、聖子」というイメージを築きあげた後に このアルバムのラストを飾る「瑠璃色の地球」を糸口に「変わらないが、変わっていく、聖子」という展開を目指していたのではなかろうか、と、その後の「Strawberry Time」や「Citron」を聞くに 邪推するがこれは閑話休題。)

 松田聖子の「変わらない、という挑戦」はこのアルバムから始まった。
 そしてそれは今でも続いている。
 「結婚しても、子供を産んでも、君は永遠の少女でいなさい」
 松本隆はその言葉とともに松田聖子に一枚のチケットを手渡した。
 それを片手に、彼女は、長い長い旅に出ることになる。
 彼女はまもなく誰にも、松本隆の手すらも届かない遠い場所へとたどり着く。
 後ろを振り返っても、しいんと静まりかえって人っ子ひとりいない。
 しかし、彼女の乗った汽車は止らない。
 時間を止める魔法を使った彼女の孤独なみちのりのはじまりが、このアルバムだったといっていいだろう。


2005.08.06
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