タイトルとおり、95年発売のオリジナルアルバム。 全作詞がMEG. Cこと松田聖子、全作曲は松田聖子+小倉良。全編曲は鳥山雄司。 プロデュースも、もちろん聖子ちゃん。 事務所独立し、海外デビューを果たした時期(――89〜90年頃)にスキャンダルやらトラブルで人気が急下降した松田聖子だけれども、 このアルバム発売前後になると「ここまで松田聖子を貫き通すなら、もう認めるしかないのか?」 という感じで力技で再び受け入れられるようになって、このアルバムは、チャート第2位まで上昇。売上も独立以前の「Citron」に次ぐ成績を残している。 ――てわけで、わたしも発売当時に、聞いたんだけれども、ねえ、どういえばいいんでしょうか。 タイトル曲「It's style '95」が打ち込み系ファンクチューンで、今までの松田聖子にない新しい魅力を感じて、 こういう路線のアルバムなのかな、と期待した、ら、さにあらず。 ミディアム・スローテンポが中心で、シンセメインで構成された(――パーソネルを確認するとギターとラッパ以外は全部鳥山雄司の打ち込みのよう )さりとてさほど打ち込みの音がぶあつくも、あるいは、シンプルさゆえの骨太さも感じられない、 どこまでも中庸の、毒にも薬にもならない"J-POP"としかいいようのないサウンドで、 そこに聖子ちゃんの何ともいいようのないlyricが重なり、という、なんとも微妙な一品。 「聖子ちゃん、かわいいーーーっっ」と言いたくてうずうずしている人以外に訴求する部分は、限りなく少ない。 松田聖子の作詞のなにがいけないか。その昔、松本隆からもらった詞の、本質的な部分をもののみごとに履き違えた劣化コピーにすぎないところだ、とわたしは思う。 これはあの詞をパクったなぁ、とかこれはあの詞のあの部分からいただきだね、というのが透けて見えるわけ。 「白いサンダルと麦わら帽子」なんて、もうタイトルからしてセルフコピーだろ、これ、って感じだし。 で、そんな松本劣化コピー的な要素に、「明るい未来にしようねポジティブに」とか、「輝いた季節に旅立とう」とか根拠不明の視野の狭いポジティビティーが加わると、もう松田聖子としかいいようのない世界が繰り広げられ……言葉を失います。 これ、ほんとうに33歳の書く詞か? しかし、このポジティビティー、なんなんだろ。一発決めているのか? そうでもないと、ここまで無駄に自分を全肯定できないだろ、フツー。 「若さ」と「稚拙」は、違う。 「成熟」と「老化」も、また違う。 このアルバムの詞は、ただ未熟で、稚拙なだけ。 どうもそのあたりを松田聖子(――と、一部のファン)は勘違いしているようで、 基本的にこの路線を今に到るまでわりと邁進方向。 アンチエイジングに必死でもいいから、年齢にみあった成熟をみせてくれ。おねがい。聖子ちゃん。 「いつまでも、かわらない」は彼女にとっては、決して褒め言葉じゃ、ないぞ。 とはいえ、声はいいんだよね。声は。 声にかぎっていえば、初婚以前よりも、この頃のほうが艶があって、しっかり前に出ていて、いいんだもの。 悲しくなるほどに困ってしまう。 松田聖子のファンを続けるのも大変だろうなぁ、と、隣の芝生を見るように(――決して青くは感じないけれどもね)、思ってしまう。 |