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西炯子、新たな旅立ちの予感


(「STAY ああ今年の夏も何もなかったわ」/03.03.20/小学館)
(「STAY プラス お手々つないで」/03.10.20/小学館)



 まず、タイトルが良い。
 「ああ 今年の夏も なにもなかったわ」
 まったく飾り気のない、たったこれだけの言葉で、高校時代のどこにでもある、ありていなそれぞれの「なにもない夏(=誰しもの心のなかにある若き日の夏)」というものが実感として見えてくる。
 その陽射しや湿気や、そのたもろもろのことまで、ぶわっと、甦る。
 ―――と書いたところで、あれ、そういえばこの言葉どっかで聞いたことあるな。
 と調べる。
 ……。
 ……。

 ……あっ、モリタカだ。
 森高千里の「Sweet Candy」だ。
 森高は「南風が街を通り抜けてく 今年の夏も ああ なにもしなかったわ」
 と歌っている。

 いいところから引っ張ってきたものだ。
 森高の詞の良さは「身も蓋もない言葉」とそこから立ち上がってくる不思議な「思春期特有の哀感」である。
 生のままの言葉をであるからこそ掴まえられる、思春期の(きわめて身体的な)感情というものがある。 それをいつも見事に森高の詞は捉えている。

 森高は熊本の女性であり、一方、西炯子は鹿児島の女性である。
 鹿児島を舞台としたこの作品の副題に森高千里を持ってきたところに思わずにやりとしてしまう。
 そしてこの作品は森高の詞作のように身も蓋もなくぶっちゃけていて、それでいて、やさしく切ない。
 この作品は西炯子にとって森高の「この街」のような作品なのかもしれない。



 前後するが、この作品の解説。
 「STAY  ああ今年の夏も何もなかったわ」は、ある南国の地方の高校の演劇部員5人娘の、それぞれのひと夏の思い出をオムニバス形式で綴った作品である。
 ある少女は田んぼの用水路に幻の河童を探し、ある少女は自宅に米をもらいに来る教師と恋に落ち、ある舞台俳優の熱狂的なファンである少女ははじめて上京し、憧れの俳優と会い幻滅し、あるとても少女に見えない男らしい外見をもった少女ははじめてロングドレスに袖を通す。
 さらにその夏、演劇のサマースクールで出会った山王みちると佐藤敦士のその後を描いたのが「STAY プラス お手々つないで」となっている。

 舞台はある地方都市となっているが、これは鹿児島と見て間違いないだろう。
「西駅」と地元では呼ばれている「西田原坂駅」の外観は西鹿児島駅(――今は鹿児島中央駅と改名したらしい)そのものだし、佐藤敦士の入寮している、多くの東京出身者が寮生活をしてまでやってくる、全国トップクラスの私立一貫の男子校の開明高校というのはそのまま「私立ラサール学園」のことだろう(名前は開成からのいただきか??)。最寄駅の「蟹山」も実際の「谷山」のもじりと思われる。
 となれば、谷山の先にある、みちるたちの暮らす温泉街、湯ノ宿はそのまま指宿であることがわかるし、彼女らが通う川中高校とは山川高校か、それとも西炯子の出身の指宿高校か、とおもわれるし( ※ 指宿高校出身者からのメールによると、ディテールから、川中高校は指宿高校をモデルとしているに間違いないとのこと)、演劇祭が行われたかつおぶ市は枕崎市かと類推される。
 桜ノ島はそのまま桜島だし、西郷隆盛が眠る墓地公園は、城山公園だろう(※ ――メールによると、「城山公園」ではなく「南洲墓地」が正解、とのこと)。
 また、二人が待ち合わせした海に面した石ノ浜駅は宮ヶ浜駅とみられる。(―――ちなみに今は海岸の埋め立てで海からは離れてしまっている)
 今調べたら、山王と佐藤の二人が流しそうめんを食べた唐仙谷というのも唐船峡といって本当にあり、全国第一号のそうめん流し発祥の地なのだそうだ。

 と、鹿児島〜指宿の地元をモデルしたものと思われるものが多々あるのでそのまま鹿児島が舞台といって差し支えない。
 まぁこうした解題は野暮になるのでこれ以上は掘り下げない。

 ともあれ、ここで描かれている地方の高校生の何気ない、大した物語もオチもなく淡々と過ぎる夏休みの情景、これがそれこそタイトルを誉めた言葉と同じだが、リアルに、風の匂いさえ思い出すほどにリアルに描かれているのだ。
 ここで描かれている情景は思春期を地方で送ったものなら、誰だって実感として知っているだろう。
 あのカンカン照りの、空が絵の具をそのまま流したように蒼くどこまでも大きく広がっていて、そこに湿気の含んだ風が時折、田んぼの緑を払うように流れて、そして、蝉時雨以外なにもない。 しぃんと静まったあの夏の風景がぶわっと甦るのだ。
 宿題と本と夏期講習とプールと親の手伝いと自転車と夏祭りと扇風機と白い半袖と。
 この本を読んでいる間、高校時代、愛媛で過ごしたさまざまな夏の光景の断片が私の脳裏に浮かんでは消えた。



 演劇部で群像劇で女性ばかりということで吉田秋生「桜の園」と同系譜であるが、リアリティーの部分では遥かにこちらに軍配があがる。
 この作品と比べると吉田秋生の描く女学生はあまりにも小奇麗で理想的女性でありすぎる。こういった理想的少女たちが群れるとフェミニズムっぽく、もっと端的にいえばやたらレズっぽくなる。 お綺麗な嘘っぽさが漂ってしまうのだ。
 と、そこを西炯子は独特のリアリティーで誠実に活写する。

 そのリアリティーとは例えばどこに。
 教師に実家でつくって精米したお米をわけるという些細な日常から始まる泥臭い恋や、デートで恋人がソフトクリームを舐める姿に欲情し、トイレにかけこみ一発抜く男子高校生の滑稽さや、憧れのスターに出会った瞬間に幻滅し、懲りたと思ったらすぐ次の贔屓を見つける少女の貪欲さなどにあると思う。

 特に「Stay」第5話「ANSWER」の樋高のリアリティーというのは今までの少女漫画ではないもののように私は感じた。
 実家は農家で父はいないが母はパートと畑仕事、樋高は帰宅後、弟妹をあやしながらもうまく手伝いをさせ、手早くおやつを作ったり、食事の支度をする。
 このキャラ造形でありながら彼女はまったく不幸でやつれてなどいない。 普通に淡々と自分の領分で生きているのだ。
 リボンやケーキやガラス細工のような少女趣味的なミスティフィケーションをまったく排除し、それでいて、コンサバディブな少女として成立している。
この世の中で生きる多くの少女という年齢であるものたちがそうである現実を、普通に描いているだけなのだが、これがその実、これは少女漫画としては特異であるように私には映った。



 代々の法律家の家庭で育ち、父は高等裁判所の裁判官、父と同じ道を進むことが自らの使命と決め、そのための学門を積み重ねる高校生、佐藤敦士がある風変わりな少女山王みちるとで会うことで起こる心の揺らぎを描いた「STAY プラス お手々つないで」も秀逸。
 敦士は何故みちるに惹かれているのか自分でも皆目わからない。わからないが逢わずにいられない。
 「佐藤君は何故寂しそうなのかな」
 ただ最初のデートで不意に言われたこの言葉が喉に刺さった小骨のように飲みこめずに、いる。
 しかし、逢ってはそのたび、みちるに振りまわされ、掌で転がされ、手前勝手なよこしまな思惑はいつもたやすく握りつぶされ、答えは出ない。

 期待はずれのデートの果ての帰りのバスの車中、泣きながら指を噛み居眠りをするみじめな敦士、みちるはその手をそっとどけようとした。
 と、敦士は無意識にみちるの手に口を寄せ吸いついた。しかし、みちるは手をどけようとはせず、そのままバスの終点まで、みちるは敦士にまかせてそのままにしておく。
 この場面は特にいい。
 ものすごく、いい。
 綺麗事でなく、みっともなさと愛が近い場所にあってこれは、いい。



 西炯子は今まで若書きの作家であった。
 デビューは大学在学中、投稿しはじめたのは高校生の頃からの彼女は、事実若書きだったのだが、 その初期作品「僕は鳥になりたい」「水が氷になる時」の瑞々しさと鮮やかさ、また作品から垣間見える作者の煩悶、自己との闘いはまさしく若書きという言葉に相応しかった。
 実際プライベートでは、自殺未遂、永年の夢であった教職への挫折など様々な苦悩があったようだ。それをそのままのかたちで彼女は作品とはしなかったが、しかし、その影は作品に色濃く漂っている。
 この時期の彼女は、自己受容の長い道のりの上に作品を生みだしていたといって過言ではない。


 しかし、漫画家として10年以上のキャリアを重ねるとさすがにいつまでのいわゆる青春チックな自己受容の物語は書けない。
 彼女はここ数年作家として迷っていたように私には映っていた。
 初期のテンションに打ち勝つほどのクオリティーを提示することもできず、画風も少しずつ変化し、彼女の自己受容の物語にシンクロしたファンたちも少しずつ離れていった。

 が、彼女は元々「若書き」という言葉の冠につきやすい「天才」ではなかった。
 JUNEやプチフラワーに投稿し、陽の目を見なかった多くの作品群たちがそれを証明している(ちなみにプロデビュー以前のそれら習作は「学生と恥」というタイトルで小学館キャンパス文庫から出ている)。
 彼女は世にも珍しい「努力家の若書き」であった。その努力がこの作品で実った。

 今この作品で、いよいよ「若書き」という言葉が取れて、安定した大人の作家になったと私には見える。
 しかもそれは今までの路線から大きく変わったというわけではない。  ちょうど螺旋階段を登って1階上に到達したようにちょうど同じ場所でしかも以前より高度な場所に辿りついたのである。
 佐藤敦士の入寮していた「開明学園」が「僕は鳥になりたい」の針間克己の入寮していた学校の名前と同じいうのも、なにも偶然の一致ではあるまい(――今読み返したらこの時既に「西田原坂駅」も「蟹山」もでていた)。
 素直にファンとして西炯子の深化を喜びたい。

 ここが金脈だと編集も本人も思ったのか、次シリーズは「Stay」第1話の名脇役、刈川エリを主役に据えたものらしい。こちらも楽しみ。

 ちなみに私、この作品映像化したらいいなぁー―なんておもったりもして。
 オール鹿児島ロケで美少女ハンター大林宣彦センセに撮らせたら絶対いい作品になると思う。


2003.10.19
2006.08.23 加筆・修正


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