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吾妻ひでお 「失踪日記」

虚無をそれでも生きるということ

(2005.03.08/イーストプレス)


どこかに何かあるような そんな気がして
俺はいつまでもこんなところに いるんじゃないと

(「時代遅れの酒場」 加藤登紀子)

漫画家を志して、デビューして、ヒット作を作り、ブームを巻き起こし、作品がアニメ化もされ、憧れの先達たちと肩を並べることにもなり、熱狂的なファンと理解のある編集者と妻と娘と息子に囲まれ――その場所は傍から見れば、全ての願いを叶えた幸福な位置にみえても、それでも、なぜかはみ出してしまう。 人に話せるほどの理由なんてものはない。なんとはなしに、ちょっと表に出て散歩でもするように、そんな気軽さで全てを投げうってしまう。

人というのは、うっかりすると「ハッピーエンド」の枠から飛び出してしまう厄介な生き物だ。 誰しもが自分をもてあましていて、今ある自分と違う自分に、ただ「違う」というだけで憧れ、ついその一歩を踏み出してしまう。
ちょっと違う景色の見たさだけで、今までの全てを壊してしまう。
しかし、その踏み出した一歩の先にはまたなにも待ってはしない。
それまでと同じように、ただひたすら訪れる意味のない「過程」の嵐。

―――失踪して、自殺をしようと思ったが完遂できず、そのまま浮浪者になり、警察に保護され、家に帰ったと思ったら、また失踪。名を変え、したことのない仕事に就き、その仕事からも逃げ、家族の元に帰り、再びペンを握るも、今度は重度のアルコール中毒となり、精神病院に強制入院され……

生きるということに結末などないし、わかりやすい目的も意味ももまた、ない。
ただ、瑣末な出来事が澱の様にたまって、深い位置からどんどん忘れていく。ただそれだけ。

虚無へ捧ぐる供物にと
美酒すこし 海に流しぬ
いとすこしを
(『失われた美酒』 ポール・ヴァレリィ)


私が吾妻ひでおの漫画を読み始めたのは、18歳の夏頃だったと記憶している。
ちょうどその頃わたしは24年組と称される少女漫画家たちの作品を読み漁っていて、彼女らの周囲の作家としてアンテナにかかったのが、彼の作品だった。
彼の作品をはじめて読んで「あぁ、わたしはついに行きつく果てに辿りついてしまった」誇張なしにそう感じた。
現在の漫画表現の可能性と不可能性の全てがもうここに既に表現されきっている。ここから先にはもう、きっとなにもない。なにもありはしないのだ。
なぜかわからない。その時のわたしはそう痛切に感じずにはいられなかった。ここは袋小路、ここは大陸の果ての岬、……。

彼の作品は常識と非常識を、夢と現実を生と死を、意味と無意味を、とにかくなんでもいい、わかれているはずのあちら側とこちら側の境を容易に、それこそひょいと隣の垣根を乗り越えるような気軽さで乗り越えていた。
これは危険だ―――この人は書くことの不毛も生きることの不毛もとうの昔に気づいている。彼の行き先は、サーベルタイガーの牙のように、自らの眼差しで自らを破壊するしかない…………。
そしてよくよく調べてみるに、彼は結局壊れていたということを私は知ることになる。

ちょうどその頃の吾妻ひでおは二回の失踪を経て、ようやく漫画の執筆活動を細々と再開していた頃――いわば自らを崩壊させてのちの時代だった。 その間の10年というブランク、そしてその後に出された敢えて壊したものを丁寧に作りなおすように古典SFの再構築を行った「銀河放浪」(―――結局この物語もまた後半はいつもようにドタバタで壊してしまう)や、悪くはないが毒と悪意の薄まったギャグ漫画「OH! アヅマ」。 ―――彼は漫画という表現とその周囲が持つ批評性、新しさ、馬鹿馬鹿しさ、愚かさ、意味と無意味―――その全てを知り、知ってしまったからこそ、一時ペンを放り、一時自分を壊して、そして今は不毛と知りつつ、なにかを取り戻すようにまた漫画を書いているのだろう。それらの作品を読んだわたしはそう感じた。
しかし彼の「再生」はままならず、結局彼はアルコール中毒による強制入院まで行きつく。



吾妻ひでおが数年ぶりに出した単行本「失踪日記」が今静かな話題になっているらしい。
彼の現在のメインの作品発表の場がエロ本雑誌の隅っこや同人誌であり(――それすらも在庫がだぶついている様子)、単行本を出すことすら危ぶまれた作品が発売1ヶ月で公称で六万部の売上というのだから充分すぎる成果といえるだろう。
同人誌「産直あづまマガジン」やまんだらけ限定1000部で出版された「吾妻ひでおの不自由帖」まで追っかけているファンとしては、成功を素直に喜びたいと思う一方、不思議な気分も少々ある。こういうかたちで脚光を再び浴びるとはなぁ……。

この漫画は、彼の作家としての「転落」を描いたドキュメンタリーだ。
自殺未遂、ホームレス、アルコール中毒から強制入院まで、彼の85年以降のの全てがつまっているといっても過言ではないと思う。
それまでも彼の私生活はインタビューや漫画の端々で書かれていて、だいたいの像は掴みきれていたので、その内容自体が驚きというのはファンとしては特にはない。
ただ、驚きはある。それは、こうしたモノすらも彼は笑いに出来てしまえるほど彼は今作家として何かを取り戻したのだなぁ―――という驚きである。

90年代半ば、一時復活した彼は70〜80年代のそれまでの仕事の記憶を全て抹消したつもりでいるような、故意にあの頃を切り捨てようとしているような作品がおおかったように見うけられた。
しかし、この作品にある「吾妻ひでお」は「不条理日記」の「スクラップ学園」の「やけくそ天使」の吾妻ひでおである。あの吾妻ひでおが、家出をして、偽名を使って、酒に溺れて――と、今まで作り上げたものと繋がっているように私には見えたのだ。
もちろん画が失踪以前の質にかなり戻っているというのもある―――入院直前は本当に大変なことになっていた。
それよりもまして感じるのは全盛期を彷彿とさせる彼の作家としての強靭さである。
どんなシリアスな内容であっても決してこの作品はじめじめしていない。あくまで乾いていて、あくまでエンターテイメントとして描き「笑い」に落としている。 状況をたえず客観視していて、一定の距離をもって作品化している。物事のあいだに余裕がきちんとある。

もちろんそれは、ギャグ漫画・不条理漫画を描いていたあの頃とまったく同質というわけではないが、あの彼が年を重ねて、紆余曲折を経て、再びペンを握るとしたらと考えた時に1番いいかたちのありようでは、と思わせるものがあるのだ。
彼はやはり以前と同じように「虚無」を見つめているのだが、「虚無」のなかに不思議と今は暖かみを感じるのだ。
この世ってただひたすら無駄の塊で、生きることってみじめなあがきだけれども、でも、まぁそれでもいいか。生きているから生きている。それでいいか。
そういった余裕が作者に見えるのだ。
生きるの死ぬのという、小難しいところをつきぬけて、ほどよく枯れてきたというか。まさしく枯淡の境地という感じでてきた。

「失踪日記」を読みながら、しみじみ「これが人生なんだなぁ」となんどもわたしは感嘆した。
よくはわからない。けれども「あぁ、こんなもんさ」となんども思い、そして「でもそれでいいか」とひとり頷いた。
哀しくもない、楽しくもない。ただ、淡々と状況に状況を重ね生きていく。目的も夢もなく。なにもないからっぽの生。虚無。でもそれでかまわないんだな。そうやって今までも色んな人が人は生きては死んでいって、わたしもそのひとりで、それでいいんだな。それで許されるんだな。
不思議と全てを肯定されたような気持ちに私はなった。


「吾妻ひでおの復活」とわたしは声高には叫ばない。彼はそうやって周囲がレッテル付けしたところをいつもすり抜けてしまう人だから―――そんなこといっている矢先にまた失踪してしまうことだって彼の場合充分あるやも知れないわけだし。
また「彼の全盛期のファンは10冊買え」とかそういったいい方もわたしはしたくない。
ただ、ひとりの年老いた物描きがいて、色々あって、でも今も生きていますよ――というひとつの真実がここにあるよ。と。 そう私はこの本を薦めたい。


ちなみに―――。
個人的に驚いたのは「コミケからやおいを駆逐するぞ」の合言葉にロリータエロ漫画同人を最初にコミケに持ちこんだのが吾妻ひでおだったと言うその事実。
常々、吾妻ひでおは24年組の裏面的存在なのではとおもっていた。 ――吾妻ひでおも生年は昭和24年。また24年組が別名「大泉サロン」といわれている(――ネーミングは萩尾望都と竹宮恵子が下宿した練馬区大泉のアパートから、少女漫画版の「トキワ荘」といったところ)一方、吾妻ひでおもこれまたファンには有名だが、ブレイク以降ずうっと練馬は大泉の在住。よく大泉はネタになっていたものね。 これは事実と考えていい解釈だったんだな。「オタク文化」の両翼のうち「やおい」の源流が24年組で、もう一方の「ロリエロ」の源流が吾妻ひでお、と。


2005.05.06
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