皆川博子「死の泉」
ひとことでいえば「大型JUNE小説」 (1997.10/早川書房) |
この本面白いよぉ〜〜っと、オーラをむんむんに出している本ってあるよね。 なんの予備情報なしに偶然手にとって、なぁんかずっしりと重いっていうか、妙に手のひらにしっくりくるっていうか、これ読まないと損するんじゃないのと言外に語りかけられてるような気がする本って、あるよね。って、え、ない!?俺だけ!? わたしにゃ、あるのよ、そういうのがさ。あ、これは自分の読む本ってピーンときた、わかっちゃったっていうの? で、そんなこんなで早速読んだわけですよ。皆川博子の「死の泉」。 これがよ・か・っ・た。じゅんっとくるくらいよかった。 この小説が一般的にどんな評価を受けているかわたしゃ知らないけれど、これほどのJUNE小説はないってくらいの真正JUNE小説。栗本薫や榊原史保美のような一大JUNE叙事詩。 堪能しましたぁ〜〜っ。 大戦下のナチスドイツの民族浄化計画の一貫として生まれた「生命の泉(レーベンスボルン)」が舞台の第1章はひたすら重々しく救いがなく純文学的でつらいけれども、第2章以降は大炸裂。 これぞ、といいたくなるほどやおいエンターテイメントしております。 そこのやおらーのあなた、オススメです。 ゲルトとヘルムートはおもわず喜声を上げたくなるほどわぁー、なJUNEだし、一方のフランツとエーリヒもできあがりまくっていて、ああ、妄想が、妄想がとまらないっっ。 特に、エーリヒの造型は完璧。純潔アーリアンで女性そのもののような優美な顔立ち(―――これには深い理由がある)と長い髪の彼はフランツと共にジプシーのように歌で各地をさまようものの、性格は喧嘩っ早く切りだしナイフのような危うさ。科白や動きを見るとあぁ男の子だな、と思わせるのだが、 時折のひら文の造型の描写から、あ、そうだ、見た目少女なんだこの子、とおもわせるところなんざ、やおらーのツボを知りえた書き口で、もう皆川センセったら、と思うこと請け合い。 他にも、狂気の淵に落ちた貴婦人に、芸術至上主義のマッドサイエンティストに、古城に眠る名画に、去勢歌手の地獄からの呼び声のような歌声に、人体実験に、秘密結社に、グロテスクな神話に、ともうなんでもあり、 高踏的な腐女子の欲望をぎゅっと煮詰めたような小道具の数々に思わず酔っぱらってしまいまする。 しかぁし、この物語はそれだけでない。 なんてったってこの物語は彼をおいて語ることはできない。マッドサイエンティスト、クラウス・ヴェッセルマン、かの人である。 この小説は彼のためにある。この小説は彼がひたすら大暴れする話といっても過言でないわけで。 貴族的であり、学者的であり、ナチズム的である彼の変態性はある意味見逃せません。こんな出来あがったお素敵な変態みたことない。 最後のほうになると、どんなに物語の破綻すれすれのことをやろうとも「こいつならやりかねん」と納得させられてしまう見事なまでのキャラ立ちっぷりに完敗で乾杯。 なんでブリギッテのかあちゃんを殺して蝋人形にしたのか、とか、ブリギッテの息子のゲルトくんになにがしたくてヴェッセルマンは近づいていったのか、とか全然わからんのが、もともと正常な人間の思考回路を持たない彼だからまぁいいかと思わせてしまう、という。 それだけ彼の変態性っていうか、正常な心の持ち主じゃねぇなってところが物語の前半部でネチネチと描写されてまして。なので、後半部で多少ぶっ飛ばそうとも充分なほど説得力があるというわけで。 とはいえ、彼の魅力に作者も後半は引きずられたんじゃないかなぁ。ギュンターにわざと怪我を追わせて手術して軟禁するシーンなどやりすぎですよ、皆川センセ。 ラストのどんでん返しは作者のクラウス・ヴェッセルマンへの愛ゆえに、とわたしは解釈しましたぜ。 どうやってもこいつを殺さにゃ終わらない話だから、ひとまず本編ではカタストロフで心中まがいでぶっ殺すけれども、おまけで「実はクラウス・ヴェッセルマンはまだ生きているのです。多分」とひっくり返すという。 これっていわゆるホラー映画における「シリアルキラーが実はまだ生きていて、次の獲物を狙っている」的なラストでしょ。 それにしても「生命の泉(レーベンスボルン)」とはなぁんも無関係なのに、ゲルトに惚れちまったがばっかりに命を落とすことになったヘルムートがなんかカワイソ、と思ってしまった。 「俺は狙いを定めたやつは必ず落とす、そういう男なんだぜ」って感じのワイルド系なとこもなんかカッコよかったし、小林智美のキャラクターみたいで。 テロ活動起こすその数時間前にゆうゆうとシチューとか作っちゃうところとか、惚れた。「あと3時間煮こめば美味くなる」とかいって、あした食べる分つくっているよ。100%何事もなく生きてかえるつもりでいるよおい、みたいな。 子宮直撃。貴方になら女の子の大切なものを捧げてもいいかも、って感じ。 それにしてもせっかくヘルムートのおかげで助かったはずのゲルトも、心配になって引き返して、バイクですっころんでおっ死ぬし。馬鹿馬鹿っっ。 愛憎どろどろの物語にあって、ヘルムートとゲルトの2人だけは清涼剤のように爽やかなカップリングだったので(――ちょっとゲルトが馬鹿過ぎるけれどね)、死んで欲しくなかったのになぁ……、って、俺が作者でもこいつらは殺すか。 ちょっとおまけで批判的なことを。 第1部の悲惨さからつい「純文学」モードで読者は読みはじめちゃうと思うのよね。なもんで、読者は第2部の「やおいエンタメ」モードになかなか移行できない。 この小説がキャラクターの勢いでつっぱしるやおいエンタメ小説だと最後まで気づかない読者だってヘタしたらいると思う。 てわけで、「後半の物語の収束のさせ方が雑だ」なんて批判も出やすくなると思うのよね。そこがちょっともったいないかな、と。 あ、そうそう。この作品は作中作で、全体がドイツのある小説を野上晶という翻訳家が翻訳した作品という形態を取っているのだけれども。 その野上晶の紹介に他の訳書として「薔薇密室」とか「倒立する塔の殺人」とかいかにもな作品が並んでいて、芸細っぷりに感心していたわけですが、なんとそのなかから「薔薇密室」って作品を皆川センセはつい最近ホントに書いちまったらしい。 しかもこちらは2次大戦のポーランドでのお話という。こういうことやっちゃうおイタな作家ってわたし、大好きです。これもあとで読もっと。 ちなみにこの作品を漫画化するなら萩尾望都、手塚治虫、森川久美、森脇真末味あたりが似合うかなぁ、と思った。 |