ポスト24年組の少女漫画家。2010年4月、没。 わたしが印象に一番強く残っているのは「夢見る惑星」と七生子シリーズかな。奇想天外社から出た「金星樹」以来、ほとんどの単行本を今でも持っている。 24年組の起こした70〜80年代前半の少女漫画ルネサンスの薫陶を最も浴したひとりといってもよく、硬質で、哲学的で、実験的で、あの時代であったからこそ受け入れられた作家だったなと、改めて思う。今、アレを書かせてくれる少女漫画誌ってあるかな、と。 特に印象的なのがすべての作品に通底する質感で、紙の上に描かれた物語や絵、キャラクターがダイレクトに目と心に飛び込んでくる24年組の作家達と違って、その間に一枚薄い紗がかかっているような、読んでいると「物語」というオブジェをなにか一枚隔てた所から見ているような不思議な距離感のあるのだ。そのニュアンスは、鳥図明児、内田善美らに近しく私は感じた。 もともとの寡作に輪をかけて、グレープフルーツ(新書館)、プチフラワー(小学館)と掲載誌が廃刊になって、ここ10年近く彼女の新しい作品を見てなかったけれども――そういった意味において漫画家としての彼女は既に役割を終えてしまっていたのかもしれないけれども、やはり残念だ。
●「阿呆船」……文化の停滞した地球に宇宙からやってきた「訪問者」、彼らは停滞を打ち破る福音となるはずだったが――。扱っている題材は「羅陵王」と同じだ。つまり「疫病と進化」。何百年も昔に、謎の奇病に冒された人々を宇宙の果てへと隔離・漂流させるために作られた宇宙船、しかしその中で彼らは疫病を克服し、ゆえに独自の進化を遂げていた。ヒトではなくなったヒト、そして撒き散らされる疫病。ちなみにこの作品で私は「カーゴカルト」という言葉をはじめて知った。ヒトの信仰ってって面白いなー。 ●「馬祀祭」……「阿呆船」と同一世界観だが話自体は別。「人魚姫」など、連綿と存在する身分違いの恋のバリエーションで、案外平凡な感じ。身分が卑しいのが男で、尊いのが女という逆転が彼女らしいといえるか。それにしてもなんでこれでふたりが一目惚れするのかな―、リアリティーがないなー、とちょっと首をひねったのだが――次作。 ●「天界の城」……「馬祀祭」の続編。前作で主人公・ローアンの身を守るために命を落とした未来の女王のヒロイン・ルワナ、彼女のクローンが作られるのだが――という話。この話はエロい。特にヒロインに将来の女王たるべく帝王学を教え込んだ師であり、忠実な臣下であるセトとヒロインが淫欲に耽る様が禁忌の匂いが漂いとんでもなくエロい。つまり前作はこのための前フリだったんだね。完全に前作の主人公ローアンは当て馬になってます。結末から言っても彼、可哀想すぎるかと。 ●「天使の繭」……ある天才ダンサーの内面に入り込んでみると――という形而上漫画。若書きらしい掌編。人は何故表現するのか、それは深遠なる闇の彼方に置き去りにしてきたもう一人の自己を探すために、である。完全なる自分となった時、人は廃人になる。 ●「青い犬」……デビュー直後の作品。「風木」とか「ポー」とかのアレ風ヨーロピアンな世界で、24年組臭さが強く作風が定まっていないといえるが、よくできている。ある貴族の仕掛ける、ふたりの孤児を使った残酷な遺産争奪ゲーム、それは意外な結末を迎える。憎みあう兄弟達が実は裏では慈しみあっていた――という全てが逆転するラストシーンの無言の一頁の描写が秀逸。 過度な情を排し硬い質感ではあるが、ドラマチックでスリルのある作品が並んでいる。切れ味のいいナイフのような良質の短編集といっていい。
●「アレフ」……萩尾望都「マージナル」の真逆。男性がいなくなり文化の衰退した地球、そこに生まれたたった一人の男性《アレフ》――という話。佐藤史生は理知や論理の欠如した女性では社会を維持できないという。 ●「タオピ」……ある超能力開発機構に預けられた少女は――というSFのガジェットで包まれているが、レイプ被害を受けた少女と彼女をカウンセリングする女装の若い男の同悲の物語といっていい。ふたりは共に男の世界に抑圧され苦しんでいる。つまりこちらの主張は、男性社会は暴力的で支配的でわたしを窒息させるんだ、ということ。 ●「緑柱庭園」……昔昔、ある国の女帝が親を失った貴族の少年を拾い養い、長じて彼を愛人としたが――という近親姦の香りのきつい話。色欲と職務を峻別するきわめて男性的な《母》が、色欲に囚われる若い《息子》に殺される――という構図が、佐藤史生の内面世界を暗示しているようにもみえる。 四篇を通して漂うのは佐藤史生の所在のなさだ。女性的世界をカオスで感情的で理解できないとしながらも、一方で男性的世界を抑圧的で息苦しい、居場所がないという。 さらに一方では、きわめて男性らしく欲と冷徹を両立させて生きる女には、悲惨な最期を用意させている。 彼女の望みは、理性と論理をもち、一時の感情に決して流されない、無欲で非暴力的で支配的でもない――さながら宦官かロボットのような《去勢された男性》として生きることなのだろう。そのような登場人物は彼女の作品に実に数多い。 もちろんそのような男性は、物語の世界にしか存在しない幻の男だ(――もっとありていな《男性》をセルフイメージとしていたら、おそらく彼女はあっけなくレズビアンになっていたのではと私は感じる)。 自らが理想とする自分は現実には決してないものだ。それに自覚的であるゆえに、彼女の作品は常にどこか陰鬱だ。
●「ネペンティス」……そして宇宙空間に飛び出してセフィとリンは――という「チェンジリング」の続きだけれども、話の連続性は皆無。こちらは佐藤さんお得意の民俗学SF。科学がどれだけ駆逐してもヒトは宗教的儀礼を生み出していく、という話。みつ編みになってより萌え度がアップしたセフィさんしか私は見てませんでしたがねっ。 ●「塵の天使」……オイディプスコンプレックスのようなそうでないような。冒頭のホモ描写がオチに繋がる伏線になってた。主人の愛に共鳴して姿を変える「土の天使(アズ・ツラー)」は「海のアリア」のベルモリンを思い出した。でも愛する奥さんが「自分」になったら、嫌過ぎる。 ●「オフィーリア探し」……レズビアンバーで起こった連続殺人――そこにはジェンダーに揺れる悲しい《男》達の姿があった――という現代モノ。レズビアン?の内面描写が結構生々しい。佐藤漫画はジェンダーの狭間でつねに揺らいでいる。 ●「タイマー」……四頁の小話。眠い時って現実が曖昧になって、逆に変な妄想がボロボロ浮かんだりするよね。 表紙に「スペースオペラ」と銘打っているだけあって、いつもの佐藤SFよりわかりやすく、物語の楽しさがあって、読みやすい一冊かと。
●「アシラム」……そんな実は世界を破滅させたがっていたパパの若い頃の話。センシティブなパパは成り上がりで欲深いおじいちゃんが大嫌いだったんだよ、という話。典型的なオイディプスコンプレックスやね。 ●「ハヌマンを探して(バリ島旅行記)」……タイトル通りの友達と一緒にバリに観光に行ったよっていうエッセイ漫画。現地人にぼられたりぼられたりぼられたりでたいそう楽しそうです。 わかりやすい物語で読みやすい良作。個人的には「アシラム」が好きかな、JUNE的な父子相克があって(――ホモは出てこないけどもね)、透明な絶望感があって。山奥の隔離病棟みたいな僧院が全部父の雇った舞台で中の人は劇団の人でした、というオチ、結構好き。主人公のそれは金持ちのボンボンのモラトリアムな苦悩でしかないとも言えるだろうけれども、一概には否定できない切迫した力強さが作品にある。
●「お前のやさしい手で」……赤江瀑とか榊原史保美の世界。ホモホモしい復讐劇。ある資産家を舞台にした本妻の息子と私生児の息子と愛憎の絡み合ったドロドロの葛藤。俺が殺したお前の手で俺も眠りたい――だからお前のやさしい手で、というタイトル。和風セレブな描写とかがむしろ懐かしい。 全体的にJUNE臭さに満ちた一冊。親子や兄弟の葛藤でみっしりとしとります。自己受容に苦しむ美青年。 ちなみに「この貧しき地上に」の田舎暮らしの引きこもりの天才ゲームクリエイター蓮見は、インターネットを前提とした職業と性格と生活パターンを有していて、21世紀の今現在を予見した登場人物といえるかと。このあたり地味に凄い。 そう考えてみると、佐藤漫画に時々出て来る、経済的成長が幸福であるという前提に立脚した汗臭い成功哲学に疑念を提示し、自分の生きやすい穏やかな場所をみつけようと模索する登場人物たちは、ある意味、ネットコミュニティーをベースにした今現在のトレンドともいえるかもしれない |