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佐々木淳子「リュオン」

同窓会のような懐かしさと淋しさ

(2004.03.24/幻冬社)


旧い友達に会うような懐かしい気持ちになって、新作を開いた。
そこにはやっぱり、どうしようもなく昔のままの風景が広がっていた。

「ボーイな君」以来実に5年ぶりの単行本「リュオン」は、佐々木淳子のかつての名作シリーズ『ダーク・グリーン』『那由他』『ブレーメン5』の番外編。
タイトル作「リュオン」は「ダークグリーン」主人公ホクトとリュオンの十数年振りの邂逅を描いている。また続く「ターン」と「ヒュウ」はタイムリープ(というこの言葉自体がもう泣けるほど懐かしい)で遠い過去と未来に飛ばされたリュオンが『那由他』と『ブレーメン5』の世界に行き、そこでお馴染みのキャラクターたちと出会うという話。 佐々木淳子の懐かしいキャラクターたちが一堂に会した同窓会のようなにぎやかな作品集である。
更に単行本未収録のショートショートが数本収録されているが、もうこれが「ザ・SF」という感じの、これまた懐かしい味わい。 SFが哲学であり思弁であり浪漫であり、冗句であったあの時代の懐かしさに思わず襲われてしまう。
いいよなぁ、いい。と佳い酒に酔っ払ったようないい気持ちになって、そしてちょっと悲しくなる。

同窓会は楽しく懐かしく、そしてちょっとばかり、淋しく悲しい。この作品にもその淋しさと悲しさがあった。
懐かしさと忘れていた楽しさ、抱きしめたくなるほどの過去はこの作品集にはあるが、瞳を前に上げたくなる輝かしい未来はここにはなかった。
時代は彼女を置き去りして残酷に過ぎていったのだなぁ、読後、私はそう思わざるを得なかった。

佐々木淳子は優秀なSF少女漫画家である。
それは昔からそうであるし、今でももちろんそうだ。
しかし、今の漫画界に彼女を充分に許容する場があるとはとてもいえない状況であるのもまた事実だ。
そうした状況に創作への情熱を腐らせている彼女を見るとなんとかしてやりたいと思うが、作品を見ると、やはり難しいかなと思わざるを得ない。
こういった言い方は私は嫌いなのだが、絵にストーリーに拭いきれないほどの古めかしさがどうしても、ある。
商業出版、それも漫画というアップトゥディトであることが絶対のひとつであるジャンキーな表現形態でこれは致命的かな、と思うのだ。
今の彼女のこの紙面から匂うように漂うセピアがかった感じというのは、凡庸な編集であれば避けるだろう。―――というか、なによりどんな漫画誌であれ今の彼女はきっと浮いてしまうだろう。

いいものは作っているけれども……。
もったいないなぁ、という思いとまたそこに時代の潮流とそこから取り残されたものの哀しみを見てしまう。
それは、手塚治虫を筆頭に赤塚不二雄、藤子不二雄、石ノ森章太郎と日本漫画界の勃興に尽力したトキワ荘世代の中でたった一人古いかたちの漫画をこだわりつづけ、時代に取り残されてしまった寺田ヒロオと同質の哀愁であろう。 彼らは取り残されるつもりでそうなったわけではない。ただ自分のスタイルのままに純粋に素直に作りつづけているだけなのである。そしてそれに時代がそっぽをむいているだけなのだ。

時は常に過ぎ行く。確かにこれは残酷でもあるがしかし救いでもある。
たとえ今時流に乗っているものであろうとも、いつかは古び、本物だけが残り、贋物は消え去るのだから。最後にはその時代の隅にいようがどうだろうが、関係ない。ただ作品の勝負、それだけである。
―――――と、そんな心意気で彼女には今でも頑張って欲しいんだけれどなぁ。発表する場がないなら同人誌でもいいからさぁ。老後に入るにはまだ早いよ。まだまだ頑張って欲しいぞ、と。最後は作者のエールで終わる。

2004.10.03
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