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中森明菜 『POSSIBILITY』

明菜は、翔ぶ前にかがんだ

(1984.10.10/ワーナー・パイオニア/WPCL-416)

1.サザン・ウインド 2.秋はパステルタッチ 3.October Storm 〜十月の嵐〜 4.リ・フ・レ・イ・ン 5.地平線(ホライゾン) 6.哀愁のMidnight 7.十戒(1984) 8.白い迷い(ラビリンス) 9.Blue Misty Rain 10.ドラマティック・エアポ−ト 〜北ウイング Part2〜


 中森明菜は、デビュー当時から、シングルとアルバムを別のものとして制作している節がある。 アルバムにシングルが収録されるのは、あって1曲、まったくないものというものも数多い。 おそらくアルバムに統一感や世界観を重視しているのだろう。 近年のエイベックス系アーティストを代表とするような、収録曲の半分以上がシングル作品のようなハーフベスト的オリジナルアルバムというのはこれまでもなかったし、これからもおそらくないだろう。
 シングルを2曲以上収録したアルバムは、今のところ84年の『POSSIBILITY』、97年『Shaker』、98年『SPOON』の3作であるが(――他『Will』という中森サイドの意向をまったく介さずうまれたアルバムもそのなかにはいるが……これは入れるべきではないだろう) そのなかでもっとも、ハーフベスト的な傾向の強いアルバムは? と強いてあげるとすれば、『POSSIBILITY』になるだろうか。



 ヒットシングル「サザン・ウインド」「十戒 (1984)」を収録している他、 TBS系「恋はミステリー劇場」(――火サスや土ワイのような単発二時間ドラマ枠だった)のエンディングテーマ となり、84年12月15日の「北ウイング」再発売に際して、B面「涙のイヤリング」と差し替え、両A面になった「リ・フ・レ・イ・ン」(――ちなみに再発売シングルは同ドラマのオープニングとあわせたのか、ジャケットは横尾忠則が担当している)も収録している。
 また「十戒」とシングルの位置を争った「白い迷い」は、このアルバムリリースとほぼ同時期の11月1日に、来生たかおによるセルフカバーでシングルリリースされているし、 さらにヒット曲「北ウイング」のPart2と副題のついた「ドラマティック・エアポート 〜北ウイング Part2〜」(――作家は「北ウイング」と同じ)がアルバムラストを飾っており、 と、ストイックな作りの多い明菜のアルバムにしては、アルバム『POSSIBILITY』には、トピックとなる楽曲が多い。

 また作家陣を眺めると、「リ・フ・レ・イ・ン」をシングルの勘定にいれるとすれば、ほぼ全ての作家がこれまで明菜のシングル既経験者である。 来生えつこ、来生たかお、玉置浩二、林哲司、高中正義、松田良、萩田光雄、康珍化、売野雅勇、松井五郎――有川正沙子を除く全てが明菜のシングル経験済みである。

 話題の楽曲がならび、これまでヒットを請け負った作家が多く参加、 つまりはライトユーザーの獲得を目指したわかりやすいアルバムが、この『POSSIBILITY』といえる。



 オープニングのシングル「サザンウインド」だけ前作『ANNIVERSARY』の延長で夏めいているのが、次曲「秋はパステルタッチ」から一転、秋めいた世界へ、 これが、《リゾート地から帰りついた日本はすっかり秋でした》という演出なのかどうかわからない。 が、そのまま秋から冬へとグラデーションのように季節が移ろっていく。その過程で色々な色恋の機微、感情のうつろいが、それぞれの楽曲で表現され、と、このアルバムはそういう作りになっている。

 いわゆるバラード系も「リ・フ・レ・イ・ン」ではピアニシモで微妙な感情の揺れを表現したのが、一方「白い迷い」では感情の起伏を激しくドラマチックに表現したり、さらに「地平線」では感情をつっぱねたように歌ったり、と色々なパターンがある。 また歌謡ロック系も「October Storm」では怒りよりも焦燥感がつのっているような歌唱を見せたかと思えば、「Blue Misty Rain」では乱暴に歌を叩きつけたり、と、こちらも表現の振幅が大きい。 また後の明菜には欠かせないファルセットによるセクシー路線(「哀愁のMidnight」)も、ドラマチック歌謡路線(「ドラマティック・エアポ−ト 〜北ウイング Part2〜」)も用意されている。



 かようにさまざまな楽曲がならんでいるのだが、しかし、その実、このアルバムには「中森明菜」のパブリックイメージを損なうような破綻を孕んだ楽曲は一つもない。 テレビ番組でいつも歌っている「中森明菜」―――声に勢いがあって、歌謡ロックで、百恵っぽくって、不良っぽくって、セクシーで、翳りがあって、けれどもどこか子供っぽいところもあって、というその範囲からひとつもはみ出ていない、危なげのない、堅実な作りである。
 「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」での中森明菜しか知らない人が、はじめてアルバムを手にしたのがこのアルバムだとしても、驚きや落胆はまずないであろう。 今まで築きあげたパブリックイメージをより強固にする、 いつもの路線だけれども、ユーザーの期待値よりほんのすこし上、という、つまりそういうアルバムなのだ。

 確かにそれは、戦略上は間違いがない。 このアルバムは、中森明菜のオリジナルアルバムでは、82年『バリエーション』(74.3万枚)、85年『D404ME』(65.1万枚)に次ぐセールス、62.3万枚も売り上げている。 特にカセットでの売上の伸びが他のアルバムと比べて顕著な点を見るに、この作品が普段はアルバムをあまり買わないライトユーザーの獲得に成功していることが窺える。 しかし、《ただ、それだけのアルバム》という感もぬぐえないのも事実だ。
 良質である。キャッチの強い楽曲も並んでいて、よく出来ている。当時の中森明菜の事情を見るにじつに優等生的だ。非の打ち所がない。ここでの明菜の歌唱も、10代の彼女でもっとも良質なもののひとつといっていいものだ。 だが、それ以上の踏み込みがないのだ。
 例えば、長年の中森明菜のファンが、最も好きなアルバムとしてこの『POSSIBILITY』の名を挙げる人が果たしているか、と。 なによりましてこのアルバムだ、と、そういう人がいるのか、と。つまりは、そういうアルバムなのだ。

 楽曲はバラエティーに富んでいて、中森明菜の歌唱もすぐれている。 しかし、ここにある「良さ」というのは、煎じつめれば《山口百恵イミテーターとしての中森明菜》の良さ、なのである。 『これこそが中森明菜である』といいきれるものでは、けっしてない。
 これまでの中森明菜のほとんどの楽曲の編曲を担当している萩田光雄がこのアルバムを最後に勇退することを考えると、 この『POSSIBILITY』は、つまりは、「中森明菜のアイドル時代=明菜のポスト山口百恵時代」の有終の美を飾った作品、ということなのではなかろうか。
 そう思って聞きなおすと、このアルバムは更なる飛躍の前に一度それまでの自らをふりかえったアルバムというわけで、踏みこみの足りなさも含めてまんざらでもない。 『エトランゼ』での失敗にも、きちんとリベンジもしている。 明菜は次作での飛躍に備えて、このアルバムで一度大きくかがんだのである。



 ちなみに――。このアルバム、山口百恵の作品でいったら何が一番近いかと当てはめるとすると、78年作品の『ドラマチック』が一番近いんじゃないかな。
 ともに19歳の作品で、どちらもアルバムにコンセプトがなく、自身のパブリックイメージに忠実な作品で(――山口百恵のアルバムも、実は明菜と同じようにわりとコンセプト重視主義で、多くのヒットシングルから生じるパブリックイメージに忠実なアルバムというのが少ない) 傑作ではないがそつがなく、萩田光雄メインのアレンジで、ボーカルの充実期、次アルバム(――明菜は『BITTER&SWEET』、百恵は『曼珠沙華』)で大きく飛躍している。

2006.01.26
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