鬼束ちひろ「Suger high」
1. NOT YOUR GOD
2. 声
3. Rebel Luck
4. Tiger in my Love
5. Castle-imitation (album version)
6. 漂流の羽根
7. 砂の盾
8. King of Solitude
9. BORDERLINE
10.Castle・imitation (M-10は8cmシングル)
いつまでも、あると思うな、モラトリアム (2002.12.11/東芝EMI/TOCT-24901) |
んーーーーー。 んーーーーー。 んーーーーー。 どうだろ……。 どうなんだろ……。 ――なんか、歌に実感、なくなっているような気がしません? あんまり、悪口言いたくないタイプの歌手なんだけどなぁ、鬼束さん。 なんか、かつてはあったリアリティーをこのアルバムには感じない。 上っつらっぽいというか、スタイルっぽいというか。 デビュー当時から漂うダークなイメージというのをこの新作でも踏襲してはいるんだけど、そこに以前はあった感情の主体を鷲掴みにしているような感じがなくなってしまっているように響いた。悲しいことに。 歌わずにはいられない気迫みたいなものが、なくなっている。 『誕生』の頃の尾崎豊みたいな感じといえばいいのか。 デビューアルバム『insomnia』は本当に素晴らしい作品で、デビュー当時「月光」と「Back Door」「シャイン」をステージで聞く機会があって、キターーーーーーーっ。とばかりにファンになった私ですが、ちょっとこれは評価が難しい。 ま、もともと『insomnia』自体今振りかえって考えればフロックっぽい作品だった、のかなあ。 よく当時、知人らに「鬼束の歌って『超能力美少女』っぽくっていいのよーー」とほざいていた私ですけど、つまり『insomnia』って学園SF作品(アニメでも小説でも漫画でもゲームでもなんでもいい、ハイティーン向けのそういった作品ね)のヒロインのような歌っぽくてイイんだよね。 窓際の席にいる少し影のある友達の少ない髪の長い少女。彼女はいつも風景を眺めるように少し退屈そうに教室を眺めている。 鬼束はそんな少女だったのかな、みたいな、そういう萌えこみの良さ、というか。 恐れのない空気 私は幼く 曇った気持ちを葬ったわあ、これは学校なんだな。どこにも説明はないが、放課後、誰もいない静まり返った教室と廊下、窓の向こうに咲く桜のイメージが私の中に沸き起こった。 ちょっとばかり学校という場所からはみだしてしまった少女の眼が学校を見ている。 思春期の孤独とその裏返しのナルシシズム。それがデビュー時の鬼束のよさであり、であるからこそ「I am God's child」なるおごった言葉もリアリティーがあったのかな、と私は思っている。 そういえば「考えるヒット」で当時、近田春夫氏が「神の子はあなただけですか」ってきり返していたが、まあ、そういう歌と言ってしまえばそれまでなんだけれども、それを言っちゃお仕舞いよ。 ありふれた孤独が自分だけの苦悩と勝手に特権化して、それこそ選ばれた者の聖疵だと自分に酔っ払うのはモラトリアム期だけにみとめられた遊びですよね。 貴方の声が 背中が ここにあって 私の乾いた地面を 雨が打つおいおい、この根拠のない自信って、なんだよっ、と、つっこんじゃいけません。ここは彼女の歌と共にヒロイズムに酔えばいいわけで――。 で、こうした演出された悲劇っぽさとナルシシズムはアニメ的な学園的なSFジュブナイル作品と相性が抜群なわけですよ。そういう意味で鬼束って「『超能力美少女』っぽくていいよなーー」と。 「月光」なんて「七瀬ふたたび」(筒井康隆著)のテーマ曲みたい、などと喜んでいたんですね、わたしは。 ただ、鬼束のこの「思春期ナルシズム路線」って、本人の無自覚なところで上手くはまったに過ぎないわけで、これはフロックぽいよなーーと今なら言えること。ま、この年齢でユーミンみたく意識して商売で少女趣味やられるとそれはそれで困るわけですけどね。 んで、そんな『insomnia』と比べると、やっぱり、ちがうよな、と、と唸ってしまう新作『suger high』。 なんだろ。 なにがいけないというわけでもないけど、なんか歌が上滑り。「ルーティンワークの自己模倣」といいきるほどばっさり切りたくはないんだけれども、例えば「castle・imitation」 有害正しさをその顔に塗るなら 私にも映らずに済むとか、私には、なにいいたいのがわからん。 昔から鬼束の詞は理が勝ちすぎる嫌いがあったけど(――それを歌唱力でフォローしていた)、いよいよもって言葉をひねくり回して、意味がわからなくなってしまっている。 全体的にテーマ不在――というか、テーマらしきものを提示しようとして、しきれなかった不完全な曲が多い。 だから、歌唱もどこかに向かうというより、ぼんやりと中空をさまよっているという感じなのだ。 もともと、こうした「思春期ナルシシズム路線」って、学校を卒業して、デビューして、実績出して、って段階を経るごとに作品を生み出すために必要なその実感が薄れていくわけだから、さっさと次のステップに行くか、もしくはユーミンみたいに商売として意識的に作り出すか道はない。 いつまでも「抑圧する学校」とか「無理解な親」とかにすがるわけにもいかないからね。地位も名誉も財産も年齢にしては不釣合いなほど手にしているわけだし、もう、モラトリアムの不満爆発では済まない。 ま、ただこれは今までの多くの先達達も全て通った道なわけで、これがスランプだというなら必ず来るべきスランプとしかいいようがない。頑張ってこの壁を乗り越えて欲しいなぁ。 このままフェイド・アウトしてしまうにはあまりにも惜しい歌手だもの、新しい何かをすべき、してほしい。 尾崎豊みたいに「青春歌謡大賞永世グランプリ」(@松田洋子)目指すっつうんなら話は別なんですけど。 |
2003.03.10