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メイン・インデックス歌謡曲の砦>最近、新田恵利がおかしい


最近、新田恵利がおかしい


近頃どうでもいいようなテレビのバラエティー番組でやたら新田恵利を見かける。
今までもちらほらと見かけていたが、去年のおにゃん子復活「ショーミキゲン」リリース前後から一気に増え出してきたようだ。 つい最近も「みなおか」や深夜の「ロンロパ」でおにゃん子時代の裏話を暴露していたし、「ココリコ黄金伝説」の企画なんかでも見たなぁ。

ただ、どうにもわたしはあまり新田恵利のテレビ出演をこころよく思えない。 あなたって、作詞家になるために90年に芸能界引退したんじゃないの?――と、本人すらも忘れてしまったであろうことをほじくり返してツッコミたくなる。

なんというか、どうにも佇まいが安っぽく感じられて仕方ないんだよね。 お呼びがかかればどこにでもいきますよッッ、って感じで、実際の仕事がテレ東の旅番組だったり、地方FMだったり、たまにゴールデンだったりするとおにゃん子時代の暴露ネタ扱いでの出演だったりするわけで、 なんというか、フォローが難しい。お前は「女・布川敏和」を目指すのか、と。(――や、フッくんはジャニ離脱組という足枷のなかであれだけというのはよくやっているかもしらん。田原俊彦よりも露出が多いわけだし)
そのおにゃん子の暴露話とかっても「誰と誰が仲悪かった」とか「誰それは楽屋とテレビ前の様子が全然違う」とかその類だったりするわけで、 なんつーーか、まぁ、ねぇ、と思わず一緒に見ている隣の人と顔を見合わせてしまうわけで。



猛烈に話がずれるのだが、おにゃん子のそういった話って数字をもっているのかなぁーとおもったりもする。 おにゃん子って確かに売れたけど、その期間は驚くほど短いものだったし、ターゲットも当時の男子学生のみって感じで、まさしくピンポイント爆撃って感じでファンがあんまり広がらなかったというか、ブームとしての全体のボリュームってあんまりなかったような感じがしたんだけれども、どうよ。
私はブーム当時小学校高学年だったけど、話の話題におにゃん子が出た記憶ってかなり希薄だしなぁ。 明菜、チェッカーズ、南野、本田美奈子、ミポリン、このへんの話題はあったけど「新田かわいーーよなーー」とか「河合の今度の新曲よくない?」なんて会話、記憶にまったくない。 というか、夕方5時の子供は外の公園で遊んでいるか、ファンコンしているか、テレビみていたとしても「ルパン三世」再放送だっちゅう話だから仕方ないか。

まぁ、これは、おにゃん子系歌手はフジ・サンケイのメディアで囲いこんでしまったから、 それ以外の層に波及していかなかった―――おニャン子は「夕にゃん」見ている人だけのアイドルだった、ってだけの話なんだけどね。 「ザ・ベストテン」には一時期完全に出場しなかったし、自局の番組の「夜ヒット」にもさほど出ていたイメージがない。 週刊少年ジャンプの柱の煽りのように『おにゃん子が見れるのは「夕にゃん」だけ』状態だったと記憶している (――このへんはさすがにアップフロントはよく見ていて、モー娘。はブームと共にテレ東専属商品だったものをみごとに他局へ積極リリースしたのだから偉いよなぁ……)。

ま、鑑賞に堪えられるレベルの歌唱力を持った歌手が河合その子と工藤静香と城之内早苗(ぎりぎり渡辺美奈代くらい??なかじとか、富川とかソロデビューしなかったメンバーの歌唱力はわからんわ、ファンじゃなかったし)ぐらいっつう状態だったから囲い込みするしかなかったのかもしれないけれども、 これこそファンの裾野が広がらなかった、ひいていえばブームが一気に収束した主原因だよな、と思ったりする。
とにかく、おにゃん子って光GENJIとかジャンプ漫画とかと同じく「80年代の団塊ジュニア向けヒット商品」って語られかたってするけど、おにゃん子に関して言えば、更に細かく「73年生まれ以前(ぐらいじゃない?)の男子のみ」という但し書きが欲しいよぉーー、 ってどうでもいいことと、いま、ちょうどおにゃん子世代が番組制作の決定権を得るほどの年齢になったことで新田恵利のテレビ出演のニーズも生まれているんだろうなぁ、 って感慨をちょっといいたかったんだが、いつものように激しく話がずれた。



やっとここで本題。
そんなニーズに合わせておにゃん子ネタといえば新田とばかりにオファーが来るのはいいとして、それを受けるのってどうだろうか、とわたしは思えて仕方ない。

今芸能界を見渡してみてみると、やっぱり生き残ったおにゃん子出身タレントってのは、きちんと自分の場を持っているものだけに限られていると思う。 国生さゆり、工藤静香、渡辺満里奈辺りはもちろん、城之内、生稲だって、小さいながらももう自分のフィールドを持っているようにみえる(――関係ないが、生稲がNHKの古典芸能の番組にレギュラー(「芸能花舞台」だっけ??)で出ているのにはびっくりした。でもって着ている着物の似合うこと。彼女がここまで芸能の水にあうとはソロデビュー当時はさらさら思わんかった)。

それと比べるに新田の薄っぺらさといったら、どうよ、と。
歌もダメ、演技もダメ。顔も人並で、テレビ番組内で機転を効かせる上手さもなく、いい加減行き詰まったと思ったら芸能界引退で作詞家宣言。 作詞家になるといったもののろくな仕事もせず、気がついたらなんとなく芸能界に復帰していて、なんとなくテレビに出ている。 でもテレビに出たところでネタはおにゃん子時代の話ばかり。
正直なところ、テレビで無自覚にアイドル時代の話をしている彼女の姿を見ると喝をいれたくなる。 おにゃん子以降の十五年以上の年月は、なんなのか、と。あなたは何をしていたのだ、と。
残酷な言い方をすれば、彼女は「おにゃん子時代」で全てが止まっているんじゃないかなぁ―― ま、その未熟さをあげつらうのは、ま、簡単な話だけれども、もちょっと話を掘り下げてみる。



新田恵利がマスを通じてその存在を輝かせることができる場所は原理的に「おにゃん子クラブ」(的なもの)でしかなかったのでは、という印象を彼女にわたしは感じる。
つまりは、だ。彼女ってどこまでいっても恐ろしいほどに「フツー」なのよ。 どの部分においても10人並の才能しかない本当の意味での「普通の人」。さして美人でもなく、芸能人として秀でた部分はなにひとつなく、ただひたすらに愛想と親しみやすさのある、クラスに必ずいるくらいの可愛い少女――それが新田恵利ってアイドルだったと。

80年代、非芸能者的な「フツー」っぽい佇まいをアイドルに求めるという潮流(菊地桃子とか、大学受験した薬師丸とか)がうまれたけれども (――これがどういうきっかけで生まれたノリなのかは知らんが、既存の芸能的なものに対するアンチテーゼということだったりしたのかな。 ま、もともとアイドルというのはプロになりきれない、しょんべん臭いところを愛でるって要素があるわけだから、ある意味当然の流れなのかもしらん)、 その路線の延長――究極形態として「放課後の教室」というコンセプトの下生まれたのが「夕にゃん」と「おにゃん子クラブ」だったと思うのですね。
クラスメート感覚、恋人のいないハイ・ティーンの野郎どもの心の恋人、っていう。で、そんなコンセプトにまさしくベタはまりしていたのが「新田恵利」というアイドルだったのだなーーっ、と、今振り返って思うわけですよ。

必ずクラスに4、5人はいるくらいのルックスで、明るさと気さくさが前面に出ていて、表情に暗さやわだかまりといったものがないからちょっと付き合ったりするには一番手ごろな感じ。 でもって、テレビ内で披露される歌や演技の凡庸さ(というか学芸会的なだらしなさ)とそれを恥とも思わないような素人臭さに野郎どもは妙に安心するわけですよ。 「あ、これなら、俺にも手に届く」と。

そう考えると、工藤も国生も美奈代もゆうゆもやる気のオーラが漲り過ぎだし、河合は電波過ぎる。 おにゃん子全盛期に新田が一番人気だったのは今考えれば、もはや必然ですよ、これは。 というより「おにゃん子=新田恵利」といっても過言でないかもしれない。 それぐらい一人でおにゃん子的なものをすべて体現していたんじゃないかな、 と勝手に思うわけですよ、小生は。



と考えると、新田のおにゃん子後の迷走も当然の帰結というよりほかない。
いかに非芸能的な佇まいで売れたからといっても、彼女がいる場所はまさしく芸能界。 確かに庶民的、親しみやすいというキャラで芸能界を渡るタレントもたくさんいるが、それはあくまで演技としての庶民であって、本当に「普通の素人」なわけではない。 きちんとテレビ番組内での役割や視聴者が今、自分をどう見るかという演者としての視点を彼らは決して失ってはいない。 翻って新田は、本当の普通の素人なのだ。

100%非芸能。なぁーーんも、できない。ただ人よりちょっとテレビ慣れしているだけ。 歌も演技もバラエティーの立ち回りも満足にこなせず、努力らしい努力もせず、しかもそれでいてしれっとしている。 これでは使うものも使えない。

とゆうか、その素人性ゆえに本来の芸能界では輝くことすらできないアイドル予備軍達が「夕焼けにゃんにゃん」という逆説的な場を与えられることでその場のみで輝いていたのが「おにゃん子クラブ」であったわけなのだから、こうした新田的な悲劇と壁というのはおにゃん子クラブ出身のタレントはその実、ほとんどのものが大なり小なり体験し、そこを乗り越えたのが今現役のおにゃん子出身タレントなのだろうと私は思っている。
彼女ももちろん元おニャン子がぶつかったその壁にぶつかったのだろう。しかし、彼女はその壁を乗り越えなかった。 彼女はクラッシュして、しかし芸能界を退いた元メンバーのようにそこから踵を返すこともせず、なりもしない作詞家になるといって、モラトリアムに入ったのだ。 ―――そして、その夕にゃん見ていた野郎がテレビ局で仕事するようになって、今の新田のテレビ出演へ至るわけだ。



確かに彼女は今でもどこにでもいる「普通の人」なのだろうが、ただ、問題なのは彼女がおニャン子時代の記憶を不必要なほどに引きずっているのでは、と思える点が散見されるところなのだ。 アイドル時代に肥大した自我をそのままに抱えてもてあましているのでは、とそう見えて仕方ない。

つい、最近本人セレクションというベスト盤を見たとき、驚いた。 「恋のロープをほどかないで」と「不思議な手品のように」入ってない!!! で、かわりにアルバムの自作詞の曲とか入っているっっ。 この人ってば、自分の今の立ち位置見えてるか?

そういえば「ショーミキゲン」の時も何故か後期メンバーが全く参加しなくって何でやねんって思っていたら、「新田がポニキャンの人と話して86年春コンのメンバーまでにしましょうみたいな話でそう決まった」なんて噂を聞いて、新田余計なことするなよー、とか思ったなぁ(――って噂だからまぁ、勝手ないいがかりか、これは)。 とにかく新田が「おにゃん子」という名前にすがっていることは確かだし、その活動も、本当に新しいことをやろうというのではなく、あくまで遺産の食いつぶしというもので、ゆえにもてあました自意識を補填するが為、という印象も拭いきれない。
――まあ、実のところファンでもなんでもないので、おにゃん子にすがったまま(――このままならおにゃん子以外の武器を彼女は未来永劫手に入れることはできないんだろうし)、肥大した自我をさらしてもらってかまわないけどさぁ、 なんかその佇まいって、妙に一時期の「天地真理」に被るんですよ、わたしとしては。 アイドル・オリジネーター天地真理が晒した無惨と同質の匂いを感じ取るんですよ、わたしの鼻は。

「昔はあんなに輝いていたのに」
「でも今テレビがこの人使うなんてこれくらいしかありえないし」
「よく考えれば昔も歌は上手くないし、顔もアレだし今考えればなんで人気あったのか不思議だったなぁ」
「でもなんでいまさらしかもこんなテレビに出ているわけ?」
「さぁ、こんな仕事しかやることないんじゃない?」

テレビ画面を相手にしてのこの会話のやり取りが、新田恵利だとしても一時期の天地真理だとしても、あてはまるように思えるんだよね。 まぁ、新田恵利は天地真理のような容姿の土砂崩れ状態にはなっていなけれども、テレビの向こうにいる人間のことなどおかまいなしに、今の未熟な自分をそのままさらす厚顔だか無恥だかわからない彼女――という構図は非常に近しいものだと、わたしは思う。



それにしても―――と思わずため息をつきつつ思うのだが、そんなにメディアに出るってことは快感なのだろうか。
メディアは手段ではあるけど、目的ではないと思う人間としては、メディアに出れればオールオッケーというこうした新田恵利など多くの芸のない芸能人の態度は不思議で仕方ない。 何が彼らを駆り立てているのだろうか。人目につくことというのはそんなに気持ちのいいものなのだろうか。 私には永遠にわからない領域である。

しっかし、新田恵利。結婚した時、おとなしく家庭に入ると思ったんだけどなぁ。


2003.04.25
2003.05.26 追記

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