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華原朋美 「nine cubes」

アルジャーノンは慈母だったのかも知れない

(98.11.26/第5位/26.1万枚)

1.daily news 2.needs somebody's love 3.あなたについて 4.here we are(album version) 5.さがしもの 6.winding road 7.storytelling 8.tumblin’dice(album version) 9.waiting for your smile 10.sagashimono(Reprise)


 「さあ、ハッピーエンドの続きを君たちに聞かせよう」
 小室哲哉は「LOVE BRACE」で華原朋美を主役に現代のおとぎ話を表現した。その幸福な結末の続きが、華原朋美の三枚目のアルバム「nine cubes」である。これは音楽ではない、残酷な解体ショーだ。
 華原朋美という名で再デビューして以来、小室哲哉の公然たる恋人として活動してきた彼女であったが、このアルバムの発売の二ヵ月後、99年1月には所属していた小室哲哉の個人事務所との契約を解除、小室哲哉との蜜月時代を終え、その直後から自殺未遂騒動など様々なスキャンダルに襲われる。 このアルバムを制作時点で、既にふたりの関係の終結は(――少なくとも小室哲哉にとっては)確実なものだったのだろう。 小室哲哉は、このアルバムにおいて、自らが築きあげた現代のシンデレラを徹底的に陵辱し、破壊している。 破壊衝動におそわれたプロデューサー・小室哲哉の狂気とヒロイン・華原朋美の悲鳴、それがこのアルバムのテーマといっていい。およそ尋常ではない。
 片手間で作ったような駄曲や、あるいは実験なのかふざけているのかわからないような正体不明の曲がならび、そこに乗る華原朋美の声は、全般に於いて聞き苦しく不安定で、平板で退屈であり、時に狂気に満ちている。 こんなに歌手が下手に聞こえる、歌手の魅力の感じないアルバムというのも珍しい。まるでカラオケボックスにいるようなへたっくそなボーカルだ。

 華原朋美は上手とは決していえないが、本来、実に捨てがたい不可思議な魅力を持つ歌手である。かつて小室哲哉はそれを「涙腺を刺激する声」と絶賛した。
 彼女のボーカルの特徴はふたつあると思う。ひとつが「横にオワっと広がるロングトーン」。もうひとつが「常にビブラートがかった不安定なボーカル」。
 「I BELIEVE」の「輝く白い恋の始まりは、とてもはるか遠い昔のこと」の「昔のこととうぉぅぁあぁ」とか、「I'm Proud」の「笑顔の泣き顔もみんな知ってもらうの」の「知ってもらぁうのぉうぉうぁああ」など、このあたりに顕著にでている。
 緊張感を孕んだあぶなっしいビブラートが、ある一点で破裂し「うわわぁ」と広がる。 そこに、感情の喫水線ぎりぎりのところで行きつ戻りつしている情感がついに溢れ出し、涙腺から涙がはらりと落ちる、そんな佇まいがある。 これが華原朋美の個性であり、最大の武器なのだ。
 しかしこのアルバムでそのボーカルの魅力を楽しむことはできない。 その特性を徹底して使わせないか、あるいは過剰に使わせて、ボーカルの発狂といった態にさせ、美点を欠点にかえている。 小室哲哉は、彼女のボーカル特性がわかっているからこそあえて「彼女のボーカルがもっとも引き立たないように」ある意味、綿密にこのアルバムを作っているのだ。
 つまり――、彼女の特殊なボーカルがもっとも引き立つように綿密に作られた「Love Brace」と、このアルバムは対なのだ。 彼女を成長せしめた要素をもって彼女を破壊する。これが狂気といわずしてなんというだろうか。
 それが顕著に表れているのが、シングルになった「tumblin' dice」である。
 彼女の「おわわぁ」と広がる、危うくも魅惑的な咆哮。それは「I BELIEVE」や「I'm Proud」の時点では、綿密に抑制され、ここぞという時に立ちあらわれるように作曲されているのであるが、「tumblin' dice」においては、過剰に連発される。
 歌いだし「tumblin' dice」の一声でいきなり咆哮。その後もひら歌で早くも咆哮の連発。  「一日がただ過ぎるのを待って」の「待って」の絶頂の咆哮の直後に、「自然と楽な服に着替えて」の「着替えて」といきなり深海のごとき深く沈みあたりなど、さながらジェットコースターに乗っているよう。
 サビになると華原朋美は息も絶え絶えという感じ。へろへろだ。歌えてないどころの騒ぎでない。 小室哲哉が物凄いスピードで右へ左へ上へ下へと激しく翻弄するのに、歌い手の華原朋美も、聞き手であるわたしたちもついていくだけで必死、聞いた後吐き気すら催してくる。
 歌詞も、およそ熱病にうなされた患者のうわ言と言ったそれ。およそまともな精神状況であるとは思えない。 制御のきかなくなって壊れた人形が、猛烈に奇矯に踊り狂っている、そんな印象なのだ。
 他、書き殴った歌詞に曲にデモテイク以下のボーカルのヘンテコなレゲエ「daily news」、 愚にもつかない華原朋美のポエムにやけくそ気味につけたメロディーのバラード「storytelling」、 サビの低音がうああっと広がっているのに、気持ち悪い印象にしかならない、ほとんど確信犯的な「here we are」などなど酷いところは探せばきりがない。

 音楽家同士の愛とその破局。
 坂本龍一と矢野顕子、清水信之と平松愛理、井上ヨシマサと中山美穂など、 確かに日本のポップス界でも、そうしたことは今まで数多くあったが、彼らのほとんどがアーティストとして同じ土俵に立った時、対等に近しい関係であった。 「こんな曲歌えない」「このアレンジ変」彼らなら、平気で言い合えるだろう。
 しかし華原朋美と小室哲哉はそうではなかった。圧倒的なまでの支配と被支配のヒエラルキーがそこにある。 華原朋美は小室哲哉を失ってしまったら、ただの灰かぶり姫に戻ってしまう。 どんなに奇矯で理不尽で、人格を踏みにじられるようなことであろうとも、彼女は従うしかない。 彼が「もういい」というまで彼女は手のひらの上で踊るしかないのだ。 だからこそ、こんなひどいアルバムが生まれた。
 このアルバムにおいて、小室哲哉は華原朋美をサディスティックに弄んでいる。 ――だがしかし、不思議なことに華原朋美の歌唱から、彼への信頼と愛情はまったくゆらいではいないように、わたしには聞こえるのだ。 それは恋人同士というよりも、残忍で幼稚な親と、それでも信じてしまう憐れな子供の、共依存の関係にも見える。
 そこに気づいた時、いくつかの詞が、わたしの心に引っかかった。

消えちゃったままなにも残らない
これからはどこ?
わたしの居場所は
(「さがしもの」)

食事をしてる時にとなりで
横顔眺めて探している
嫌いなところなにかないかって
やっぱりとても見つからない
(「あなたについて」)

わたしもこのまま何もわからないまま
あなたをずーっとずーっと信じていくよね
(「needs somebody's love」)


 もちろんこれらは小室哲哉の作詞である。別れるつもりの恋人に、こう歌わせているのだ。
 これは残酷な呪だ。
 「僕は君のそばからいなくなって、君は全てを失うけど、これからも君は僕が大好きだろうし、僕を信じつづけるだろうし、必要とするだろう」
 彼はそうやって未来の彼女まで呪縛したのだ。彼はなぜ、ここまで彼女を支配せずにはいられなかったのだろうか。その歪んだ愛の形は、わたしにはよくわからない。
 そして、驚いたことにその呪を彼女は受け入れ、彼の預言をなぞるように彼女は生きてしまった。それほどまで、彼女の愛は深かったのだろうか。

 小室哲哉と別れて、彼女は自暴自棄に陥り、挙動不審になった。 一時はそこからなんとか這い上がり小室哲哉の呪縛を振り切ろうと努力し、明るい表情を垣間見せるようにまでなったが、やはりかなわなかった。 小室哲哉から離れて後も、彼女は彼を慕いつづけ(――彼女は、公式の場でそのような発言を数々している。過去の事、諦めなければいけない事と自覚しているのにどうしても捨てられない思慕と尊敬の念を、実に率直に語っている)、 そして07年、彼女は芸能界を去った。
 かくして「華原朋美の物語」は無惨な破壊と、長い「その後」をわたしたちに披露して、本当の終わりを迎えた。

 正直言ってこのアルバムは、華原朋美のファンでなければ聞くに値しないクオリティーだろうし、華原朋美「のみ」のファンであれば怒りと悲しみにだまって聞きつづけることは出来ないだろう作品だと思う。
 しかし、「小室哲哉とはいかなるアーティストであったか、小室時代とはいかなる時代であったか」と考える時に、最も重要なアルバムのひとつでもあるとも、わたしは思うのだ。彼と彼の時代の影の部分がこの一枚に凝縮されている。
 「LOVE BRACE」と同じように、このアルバムもまた、当時の小室哲哉と華原朋美でなければ絶対成立しないアルバムなのだ。 小室哲哉は王子様ではなく無邪気で冷徹で歪んだ観察者・研究者であり、華原朋美はシンデレラではなく哀れな実験体のアルジャーノンであった――が、しかし、このふたりの関係性は実に他に代えようのない唯一である。 少なくとも、こんなアルバムを作ってしまった作曲家と歌手というものをわたしは知らない。

 小室哲哉は「nine cubes」で華原朋美の「その後」までも呪縛(プロデュース)した。 しかしそのことによって、自らもまた華原朋美に呪縛(プロデュース)されたのではないだろうか。
 一般的な男女であるとか、ミュージシャン同士としての繋がりではないが、華原朋美と小室哲哉はお互いが運命だったのではと、わたしはいまでも思っている。逃れられない奇妙な絆をそこに見出さずにはいられない。
 このアルバムの発売した98年年末に、小室哲哉は自らのユニットglobeがレコード大賞受賞。それを最後に時代の寵児としてもてはやされた小室哲哉は急転直下の転落を辿っていく。そして08年秋に巨額の詐欺事件で芸能の表舞台から去ったのは、皆さんご存知のとおりである。

2008.11.15
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