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ネチケットとやおい


リンク先のリンク先で興味深いサイトがあった。
奇妙なネチケット・ネットマナーサイトへのツッコミが書かれている、世にも奇妙なネットマナーというサイトである。
そちらのリンク先で訪問者だって毒を吐くも興味深い。

どちらも要は「ネチケット守れよ」とかいって偉そうに講釈垂れるお前がなってないんじゃない??という主旨なのだが、なんとなく身につまされる思いがした。

こちらを見て私が思ったことは2つに絞られる。

1. ネチケットってなんだろう。
2. 同人女性って怖い人が多いにゃあ。

この2つである。


ネットマナー、ネチケットといわれるものって一体なんなんだろうなあ。

ネット上を徘徊していると実際、およそ相手を人とは思わない失礼な書きこみ、いわゆる「アラシ」といわれる書きこみと時々出会う。
ああいう書き込みをする人たちがネットマナーやらネチケットというものに対してどう思っているのかしらんが、そういったアラシの書きこみを間近に見てしまうと、いわゆる普通の感性を持った人なら勢い書きこみに慎重にならざるを得なくなる、というのは確かにあるだろう。
そのせいか知らないが、掲示板上にはそういった一部のアラシさんの言葉を除くと、一種、卑屈ともいえる慇懃な言葉が非常に目立って見える。

丁寧で相手を立てること、それは大変結構なことなのだが、しかし、その慇懃さが本当に心からの敬意である、かつ、きちっと体得し血肉化されたものあるのならさして気にならないのであるが、「慇懃無礼」とも見えるような、付け焼刃的な、言葉が肉体を伴っていないようなものを見ると、妙に尻の座りが悪いというか、落ちつかない気分になる。
――こんな丁寧な言葉使っているけど、裏で何考えているかわかったものじゃないよなぁ。と。そういう気分になるわけである。
結果、掲示板と言うのは―――書き込みが多いところであればあるほど、不自然な馴れ合いの場となってしまいがちになる。

そんな言葉たちを眺めつつ、私は思うわけである。
もっと自分がいつも使っている言葉で話せばいいのに、と。
―――べつにこれはうちのホムペの掲示板の書き込みを見て思ったことではありませんよ。あくまで一般的な掲示板で飛び交う言葉に対する私の感想。

じゃあ、私は他の掲示板でどういった書きこみをしているか、というと、あまり書きこまない。
だいたい、しっかりしている文章というのはそれで完結しているものだし、そこに自分が敢えて口を出すと野暮になる場合が多い。

それでも書き込む時と言うのはかなり限られた状態の時である。
まず、大前提としてそのサイトに対して好意的感情を持っている。
その状態で、

1. そのサイトのテキスト等で明かに間違った情報と思われるモノが見うけられる時。
2. 新しくアップしたテキスト等で、面白く感じ、かつ、いまだその内容について掲示板で語る者があらわれていない時。
3. リンク報告などの純粋な業務連絡。

と大別するとこんなもんである。
1の場合は単なる好意である。この場合のミスというのは、例えば期日であるとか名称であるとかそういった一見してわかるミスであって、相手の形而上的な部分を説伏したりなどではもちろんない。
2はこれは自分のサイトを持つようになってからしみじみ思うことなので、できるだけ好意を持っているサイトには同じように返したいなあと思っている。やっぱり折角更新したのにリアクション無しって悲しいもん。とはいえ、他の話題で盛り上がっているのに水を差すような真似はあまりしたくない。

でもって、書きこむ時は失礼にならないように、かといって不用意に卑屈にならないように、つまり、いつもに自分で、を心がけて書きこむ。
とはいえ、相手先がどう思うかなど、どこまで忖度してもわかりっこないので、最終的には、どう思われたってどう扱われたってもいいや。という気分であったりもする。
逆を言えば、相手をリスペクトしているという気持ちがあるのだから、どう料理されてもいいと思っているわけである。

――と、なにも誰しもがこういう心持ちで掲示板で書き込めといっているわけではない。
私はこうである、というだけ。

結局ネットマナーというものに限らず、マナー・エチケット全般に関することは全て「ローカル・ルール」だと私は思う。
ある場では当然の常識が、他の場では非常識に変わったりするというのは、ままありうる。つまり、全てはTPOなのだ。
となると、同じことでも、この人だったら問題なく、この人だと失礼、なんてことだってもちろんありうる。
要は、マナーなんてモノは「額の中のお言葉」のように誰かが勝手に作り上げ、相手がその言葉をおし抱くように遂行するのではなく、お互いが自らを律し、心がけることなんじゃないかなぁ、と思うわけですよ。
だから、マナーとはこうであると明文化すること自体が間違っている、とも私は思うわけです。

確かに投稿者の「相手に失礼になったら、傷つけたらどうしよう」また「相手に良く見てもらいたい、気に入られたい」そういう気持ちというのは充分理解できます。
しかし、そういった人の心の弱いところに付け入っているのが、ここで曝されている管理人本意の勘違いネチケットとはいえませんかねぇ。

「好意を持っても傷つける時だってあるし、どんなに誠意を持っても相手に気に入ってもらえない時だってある」

この当然の事を自ら覚悟し、ひきうければ、こんなアホらしい言葉に従う必要なんて生まれない、と、私は思う。
そもそもこんなの、実体としては投稿ネタによくある「うちのガッコの奇妙な校則」でしかないわけだし。
でも、こういった形で支配されることで安心する人というのがいるのも事実であって、それでも仲良くなりたい、お近づきになりたいと思う人がいればそれはわたしとしては「勝手にすれば」としかいいようがないわけで。
ああ、世の中はカオスだにゃあ。


ともあれ不思議なのが、同人女性の方々が作ったネチケットサイトを見るに、なんでこんなに「人に嫌われたくて仕方ありません」といわんばかりのとげとげしい物言いするのか、というところで。

もちろんこれらネチケットサイトをピックアップした「世にも奇妙なネットマナー」のサイト管理者の思惟的選択があるのかもしれないので、なんともいえない。
でも、実際ヤオラ―としてこういったサイトをふらふらしてみたりする私なので、実際こういった、対象がどこに向かっているのかなんだか判然としない敵意と垣根の高さを示すやおいサイトがごろごろ転がっているという事実も体験として私は知っている。
――もちろん垣根低めで千客万来の家庭的なやおいサイトも無数ありますよ。
この人の寄せ付けなさってのはある種ネット界ではやおい系サイトにのみ見られる現象であって、ある点から見れば、非常に面白いものがある。

確かに「やおい」というジャンルは出版されている雑誌や本・漫画の数、またその売上が以前と比べて飛躍的に延びた現在においても、その特異性は部外者には理解の難しいものである。
「この本だとなんでアニメの○○と××がホモでカップルなの??」に類する部外者からの質問に明確に相手に納得できるように回答できるやおらーは数少ない。
実際、やおい作家のなかでは作品が格段にできている栗本薫や榊原史保美にしてもやおい評論を書かせたら「タナトスの子供たち」や「やおい幻論」なのだから、当事者にとって、あまりにも語るに難しいのものなのだろう。

つまりは、やおいはその存在を世界に対してまだ説明がついていない状態なのである。
――ただ部外者からも、なんだかよくわからないけどそういったものを好むものがいるらしい、という状態でなんとなく半放置気味で認知されているに過ぎない、そういったジャンルなのである。

が、そのフォローの難しさが「どうせわからない人にはわからない」→「理解できないものを書いている私」→「世間から冷たい目を受けている私」→「特権意識と被差別感」という形で一方的に被害者意識を増大してもらっては、偶然、何も知らずに出会い頭で出会った人がびっくりするというものだ。

つまりは彼女らは「表現したい。世に問いたい。他者と感情を分かち合いたい」という意識と「かまってくれるな、どうせ誰にもわかりゃしないよ」という意識の綱の引き合いの末、一定の同族意識を持った者たちとの間だけで表現し、あとのどうせわかってもらえない部外者はシャットアウトしようという狙いでこうしたわがままネチケットをでっち上げているのだろう。
しかし、それぞれのネチケットサイトへのツッコミを見ていただければわかるように、こうしたわがままな囲い込みはネットでは無茶な話としかいいようがない。

もちろん、彼女達の「誰にも束縛されず、同好の士達一緒に好きなだけ漫画や小説書いたり、カプの駄話やイラストの交換をしたい」という気持ちはわかる。
しかし、その思いが募って、他者を徹底的に排除し、自分の世界以外を徹底的に認めない、というのは愚かが過ぎると思えるのである。

この閉じられた感覚がやおい界全体をうっすらと覆っているような感じがして、私はちょっと頂けないなぁ、と思ったりもする。
「よくわかんないけど、やおい好きなの」と部外者にも問われたら爽やかにいえる人がもっと増えないものかねぇ。


しっかし、こんな風にネットマナーやら掲示板の書き込みにまでいちゃもんつけるといよいよ私のBBSへの書き込みがなくなるわけであって。
オツだね。


2003.11.15


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