ちょっと南野陽子に思うことがあったので、記録として記す。 映画、舞台に仕事をシフトていた彼女であったが,ここ一、二年で再びよくテレビで見るようになった。 ファンとしてはそれはそれでよいことであるのだが、なんというか、テレビで見る近頃の彼女は年齢不相応に若い。 顔などの容姿がびっくりするほど若いのもさることながら、立ち振る舞いとか表情とか所作も若い。若いというかほとんどアイドルなのである。 前年秋からのコーセーの化粧品「リライブ」のCFなんて、凄い。 「シャカシャカ」といいながら小壜を振ったり、「ここが潤い、ここがはりつや」などと自らの頬などを指差す。このコケッティーがどう見たってアイドルそのものなのである。 30〜40代がメインユーザーのいわゆる年齢対策系の化粧品であるのになんだこの無駄な可愛さは。と、画面見て悶絶しましたさ、私は。 例えばこれが10年以上前の南野CF、資生堂シャワーソープ――「これで起きなきゃ寝てなさい」のやつね、なんかと並べてもなにも違和感がないのよ。 本当に何もかもが変わらないのよ、容姿も所作も。とてもこの2つのCFの間に10年以上の時間と、その間に様々なトラブルや彼女の女優としてのいくつものトライアルがあるとはとても思えないのです。 いくら容姿が命の芸能人とはいえ、さすがに加齢には耐えることは出来ないのか、30代後半にはいってくるとそれぞれがきついようで、正直いって80年代のアイドルの今の容姿ってのはまぁ、大抵厳しいんですけれども、 溺愛する我が明菜にしたって、やっぱり目尻とか肌のハリとか年齢出てるといわざるを得ないし、他のアイドルもよくて「まぁ、年のわりに可愛いよね、保ってるよね」レベルなんですが、 それに比べ南野陽子は超越しているとしか思えない。20代後半でも全然通じるし、衣装や髪型、化粧法では20代前半といってもなんとかなるくらいなのですから。ほんと、すんごい。 と驚いているところに、すっかり南野のレギュラー番組となってしまった「Matthew's Best Hit TV」のスペシャルですよ――放送は1月14日と21日。 南野は藤井隆らと一緒にフロリダのユニバーサルスタジオではしゃぎまくっていたのだが、―――内容的には今時バラエティーなただのタイアップ番組、こんな楽しいユニバーサルスタジオにみんなおいでよって奴ね。 なんかさぁ、南野がかあいくってかあいくって。―――でもこれは視聴者として一番正しい楽しみ方だよね、だってそれ以外の楽しみどころは森三中の黒沢の謎の外人キャラしかなかったし。 番組自体も南野を完全にアイドル待遇で突き進んでいたし、実際各アトラクションではしゃぎまくりの彼女はアイドルとしてしか見れませんでしたよ。 ――無理やりやらされたあいうえお作文で思わず南野が口走ってしまった「M.I.B.=南野は伊丹の別嬪だ」通りの、ナンノは可愛いね、という番組構成だったのですよ、実際。 ビジュアル的にも88年の「カラフル・アベニュー」の続きとして見て全く問題なかったです。 と、かんがえると、そういえば昨年年末の「ザ・ベストテン2003」でも制服姿で野郎どもコスプレ心を刺激しまくってたし―――えびの尻尾みたいなでっかい三つ編みがかあいかった、 「一攫千金夢家族」シリーズでは今までの女優キャリアをすべてなかったことのするのかと思わんばかりの「熱っぽいの」とかを想起させるオーバーアクションのアイドル演技に先祖返りしたり、と、つまり今彼女は耽々とアイドル回帰の方向へと向かいつつあるということに私は気づいたのですよ。 そういえば彼女は不本意にアイドル時代を無理やり終えてしまったというところがあるからなぁ。 事務所移籍問題に絡む謎のバッシング騒動―――性格が悪いとかどうとかというほとんど無内容の誹謗中傷レベルのゴシップが吹き荒れた、これを後に裕木奈江も食らう。で、アイドル稼業を断念させられ、じゃあとばかりに作詞作曲などを学び、ビーイング傘下でシンガーソングライターとしてやっていくかと思った矢先に、どうにか独立採算の子会社という形で独立した元所属事務所で親会社のエスワンカンパニーが倒産、 楽曲権利が彼女の手元から離れ、自由に自分の歌が歌えないという状況になり歌手廃業、完全女優へシフトという歴史が彼女にはあるので、きっと彼女はアイドルや歌手業に未消化の部分があるのだろうなぁ。 そういえば94年の「ザ・ベストテン同窓会」では「話しかけたかった」歌唱後、「やっぱり歌いたかった」と号泣してしまったし。 未練というわけではないのだろうけれど、やりきったとは思っていないのだろうな。 ――くだらないトリビアだか、この歌手廃業、完全女優シフト時、南野は四国の善通寺で「青春デンデケデケデケ」を撮影している大林宣彦組のもとへ単身で訪れ、「炊き出しでもいいから映画の撮影に参加させてくれ」と懇願したという。彼女がこの映画でエキストラで映っているのはそういった理由である。 南野のこういうガッツと行動力が私は結構好きだ。上京直後の仕事がない時期にドラマのプロデューサ宛てに手紙出したり、アポなしで会いにいったり、事務所のトラブルで連続ドラマがポシャってできたオフの日に地元の喫茶店でバイトしたり。 ともあれ、以後は肝を据えて女優として徹底した活動を行い、そして10年とちょっとが経ったわけです。 今となっては2番手3番手でも画面にしっかりと魅力を出すことのできる玄人好みの安定した美人女優に成長したと私は感じます。 彼女は、脇でもメインでも、どんな時もどんな形でも自分の色でやっていける安定した実力と華を持った、10年後20年後でも役者として食っていける女優になったんじゃないかなぁ。 と、正業が安定しきったところで首をもたげてきたのが、封印していたはずの未消化のアイドル時代、っていうことなんだろうな。 そういえば彼女はなにかの番組で「よく昔アイドルだった方が、今になって『あれは事務所に無理やりやらされていた』なんていうけれど、違うと思う。無理やりといっても結局自分が納得してやったんでしょ」といった類の発言をしていましたが、 すっげ―男勝りで凛々しい言葉だなぁ、という思いと共にこの人は「職業としてのアイドル」というものに自信とプライドを持って臨んでいたのだなぁと、やけに感心した事を思い出したりもします。 「ここでちょっと、遣り残したアイドルをまたやってみたいなぁ」と本当に彼女が思っているのなら私は大賛成です。 ビジュアルばっちしだし。声もあまり変わってないし。全く問題ありません。 正直いってねぇ、歌って欲しいのよ。私の個人的な意見としては。 あのさぁ、「少女という時代をとうに過ぎたある女性が日々を暮らしつつも、ふとその少女だった時代の思いだし,愛しんだりするようなアルバム」=「アイドルであった少女の後日談のようなアルバム」というのを南野陽子で作って欲しいのです。マジで。 つまり、松本隆が松田聖子に与えたのものの「こういうのってなんかいやっ」とばかりの聖子の拒否で一回こっきりで終わってしまった「永遠の少女」路線ですよ。 もしも南野が芸能界に飛び込まずそのまま松蔭女学院に通っていたら、きっと今はこんな暮らしをしていただろうなあ、とか、「話しかけたかった」の少女や「シンデレラ城への長い道のり」の二人は今何をしているかなぁ、とか、そういったことが想起できるような、あの時代の後日談みたいなアルバムですよ。 今の彼女なら完璧にしかも喜んでその仕事をこなしてくれるはずです。 もちろん全編曲は萩田光雄で、作曲は岸正之、柴矢俊彦、亀井登志夫あたり、作詞は小倉めぐみ、田口俊、戸沢暢美。2、3曲は南野の自作の曲があるといいな。あ、友人であったユーミンに楽曲依頼するのも、いいかも。 オビのコピーも今、私が考えました。 ―――あの時代、少年少女であった皆さん、お元気ですか。南野陽子からの懐かしくもやさしい同窓会(あの頃)への招待状こんなかんじので。 すげ――聴きたい。聴きたいよぉ。 そんな、ほどほどに可愛らしく、ほどほどに萎れていて、しみじみとやさしく、さみしい華やかさのあるそんなアイドルポップスが本気で聴きたいっす。 こういうアルバム作ればそれはそのまま80年代アイドルポップスの総括になってちょうどいいと思うのですが。って80年代のポップスを今更総括しなくてもいいか。 でも、80年代アイドルポップスジャンキーのまこりんとしては総括して欲しいのです。でないと浮かばれません。 是非。是非ともっっ!!! |
2004.02.01