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中江有里と彼女に関する個人的な記憶


アイドル評論・感想を多く扱ったサイトを開いている私であるが、一般的にはアイドルのターゲット世代である中高生の頃に同世代のアイドルに興味をもつということがほとんどなかった。
ちょうど時期が90年代前半でいわゆる「アイドル冬の時代」に重なり、メジャーシーンで大活躍する若手アイドルがいなかったというのもあるが、とはいえそんななかでも乙女塾勢を中心にそれなりの活動をしていたものはいたし、実際私とほぼ同世代のアイドル適性のある知人・友人などに聞くと、やはり一番思い入れの強いアイドルは三浦理恵子だとか瀬野あづさなどというのだから、やっぱり私の世代はこのあたりが順当なのかもしれない。
とはいえ、ここで「かもしれない」というほどだから私は彼女ら乙女塾勢には全く興味がわかなかった。彼女達には今のアイドルにも通じる「職業アイドル」然とした佇まいがどこかあって、その「アイドルとしてのプロっぽさ、達者さ」がどうにも胡散臭く私には感じられたのだ。

そんな私の中高生時代に唯一、リアルタイムで応援した同世代アイドルが彼女、中江有里であった。
といっても、彼女を知る人ならわかるように彼女はアイドル然としたアイドルではない。分類で言うなら、薬師丸ひろ子、斉藤由貴、南野陽子タイプ。女優兼アイドルである。あくまで女優という前提の上でアイドル稼業であったし、その期間も歌手業を行なっていた2、3年ほどといっていいだろう。

はじめに彼女を見たのは91年のNTTのコードレスフォンのCFだったと思う。CFという15秒のなかに生きる硝子細工のような美少女だった。それは1つの深い印象を私に残した。
このCFの後、山城新吾司会の92年の正月番組で「新人アイドル、アイドル志望の少女たち」というくくりで山城の脇や背後に侍らされた少女たちのなかにいる彼女の姿を見る。確か、彼女は着物姿であったと思う。
山城の脂ぎった話に受け流すこともできず困ったような顔をしていた彼女と彼女の名前をそこで記憶した。
そして、それから1ヶ月後中島みゆきのコンサートに行った時のことである。新曲である「誕生」を歌う直前、中島はこの歌が主題歌になっている映画「奇跡の山 さよなら名犬平治」の話を切り出した。
中島は淡々とこの物語のあらすじを語った。そして全ての語り終えた後にそうっと歌を滑らした。この映画はきっといい映画なんだろうなぁ、と私は思った。帰り際購入したコンサートパンフレットを開くとその映画の告知の広告が入っていた。キャストを見ると「主演 中江有里」の名が大きく記されていた。
彼女は新人女優として、大きな期待を背負って今旅立とうとしていることをそこで知った。
次の記憶は山田邦子の「もぎたてバナナ大使」であった。
この番組は前半コントが後半がゲストによるイニシャル暴露トークなのだが、その間の箸休めにアイドルが一曲歌うコーナーがあった。そこに彼女は出てきた。
彼女は「ままならぬ想い」を歌った。作詞・来生えつこ、作曲羽田一郎、編曲萩田光雄。あまりにも80年代然としたマイナー歌謡。それを歌う彼女の翳りにみちた沈んだ瞳。
そこで彼女が歌も歌っていることを知り、そして、この時彼女のファンになることを私は決めたのだった。
5月に初めて出るアルバムも予約して購入し、初回特典のポスターも部屋に貼った。


しっかりとした親御さんに育てられたのだな、と思われる気品と折り目正しさ、そしてほんの少しの気の強さ。そういった「お嬢様女優」的部分が彼女の大きな魅力の1つであったが、 なによりも1番と私が感じたのは、プラスそこはかとなく漂う薄倖そうな透明感であった。
どこか瞳が重いのだ。しかし、それはただ重いだけでなく、なにか芯のある、物語のある透明な重さなのである。
語るべき何か、思うべきなにかを生真面目なほどに頑なに瞳に宿しているようであった。わたしは少女期の特有の透明な美しさをそこに感じた。
そして、その生硬ともいえる彼女の表情が、人と話すとき、やわらかく崩れた。彼女はいつも気弱そうに目を細めて笑った。笑うというより、恥ずかしそうな居心地が悪そうなはにかみであった。それがなんともあえかで、少女らしい可愛らしさとほの暗さが同居していて、思わず抱きしめてたくなるような表情なのだった。

そうした彼女の魅力をスタッフもよくわかっていたらしく、彼女にはある種古めともいえるしっかりとした芝居が要求される役がまわってきたし、実際それを見事に彼女はこなしていた。
「奇跡の山」では、母の自殺をきっかけに失語症に陥った少女を、「ふたり」では母子心中を図って自分だけ生き残る少女を、「学校」では生真面目な登校拒否の生徒を、「古都」(川端康成原作で山口百恵の映画主演で有名)では生き別れの双子の少女の二役を演じた。
ちなみに私が1番好きなのは「センチメンタル無宿」である。中江は過ぎし日の幻の美少女として、決して若くない主人公神田正輝の目の前に現れる。儚く、危うく、どこか懐かしい、この世ならざる夏の忘れ物のような少女を中江が好演していた。


歌は「歌う」というよりも「語る」といった感じだった。歌手としての上手さはないが、演じる延長で歌っている、というか。
彼女の持つ真面目さを表すように声が硬く、あまりにもまっすぐ過ぎる歌唱なのだが、そこに独特の持ち味があった。
「真夏の楽園」のような明るいアイドルソングらしいアイドルソングを歌ってもどこかもったりしてしまうのだが、逆に 「理由を聞かせて」などのメッセージソングや「ままならぬ想い」などのマイナー歌謡に説得力が出てくるのが彼女の魅力だったといえよう。
ともあれ萩田光雄のやわらかなアレンジメントが似合う90年代アイドルなど彼女と裕木奈江ぐらいだったのではなかろうか。ある意味当時のアイドルポップスとしては貴重な存在だったと思う。
歌は2枚のアルバムと5枚のシングルのみにとどまったが、歌手としての方向性をもう少し明確にしていけば面白いものができたような気がする。薬師丸ひろ子や南野陽子あたりの歌をお手本にしたらいいのに、などと当時の私は思っていた。


事務所がバーニング系ということもあり、彼女はかように順調に仕事をこなしていった。
とはいえ、彼女のもつ重さは決して当時の視聴者にすんなり受けいられるものではなかったようで、これという大ヒット作はなかなか生まれなかった。
きちんと女優であることとと人気を得ることを両立することがもう難しい時代になっていたのかもしれない。
そして仕事も地味だが着実な仕事から「ポッキー四姉妹物語」やNHK朝の連続テレビ小説、ゴールデンの帯ドラマの主演など、派手な仕事へとすこしずつシフトしだし、彼女は自分の持ち味と作品の方向性の間で苦慮することになる。
「前に出るのも派手なのも苦手」と常々インタビューなどでは語っていた彼女は気がつけば、朝の情報番組「新サンデーモーニング」で関口宏の隣に座るようになっていた。彼女の真面目と向学心の強さは知っていたから、情報番組の司会もわからないではなかったが、「今時の女優としてはやっぱりむずかしいのかなぁ」とそれを見て私は感じていた。


そうした彼女に転機となったのは大林宣彦監督の「風の歌が聴きたい」であった。
聴覚障害者でありトライアスロン選手である夫婦の物語を描いたこの映画で中江は変わった。
この映画で、少女の天真爛漫さを残したまま逞しく生きる女性を彼女は好演、この映画の彼女の姿にはそれまで常に漂っていた翳りがまったくなかった。
「ふたり」「あした」と常に脇でありながら中江を起用してきた大林はここで彼女をはじめて主役として立たせ、そして彼女を自立した大人の女性にしたのだった。
―――ちなみに大林はこの映画を撮る以前から「中江有里にはちゃんと一本映画を撮ってあげないと」と常々いっていた。女優としてそして1女性として伸び悩んでいたそんな時にいよいよ手を貸した彼は実に見る眼があるし、義理堅い人だなぁ、と思う。

画面にはあの頃の中江有里はもういなかった。
ガラス細工のように壊れやすく、薄曇りの午後のようにほの淋しい彼女は、遠く思い出の向こうとなっていった。


そこから先の彼女を私はあまりよく知らない。
彼女は自らの足で歩くために事務所を独立し、地味でゆっくりとしたペースではあるが自分の納得する着実な仕事をこなすようになった、という。そして気がついたら彼女は結婚していた。
今の彼女の仕事は女優仕事をはじめ、教養番組のナレーションやリポーターであるとか「週刊ブックレビュー」というNHKのBSでの書評番組の司会、またみずからラジオドラマのシナリオコンクールに応募し入選したのをきっかけに、今ではラジオドラマの脚本の仕事もこなしている、という。
「学校」や「ふたり」の頃の彼女が大人の女性として成長したらきっとこうであるだろうなぁ、というそのままの生真面目で上品で思慮深くかつ女性らしさも兼ね備えた女性と成長したようだ。
昔のファンとしてはそこにほのぼのした気持ちが生まれるのと同時にほんの少しだけ淋しいものが残る。
やはり、少女の危うい美しさは限られたものなのだな、と。


2004.07.30
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