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中森明菜 「MY LIFE」

ゴシップジャーナリズムへの1つの回答

(1990.11.30/ほんの木)



 80年代、芸能批評に関してはことゴシップジャーナリズムの時代であった。
 結婚、離婚、熱愛にはじまり、様々なトラブル、問題発言、といった私的公的含めた芸能人の様々なトピックがそのターゲットとなった。 主な媒体はテレビのワイドショー、スポーツ新聞、女性週刊誌、更に新たに出てきた写真週刊誌などだ。
 この現象は映画やテレビが培ってきたスターのシステムの崩壊とパラレルであったし、さらにそのスターシステムで芸能界に巨大な一角を築いた事務所、渡辺プロダクションの失墜ともパラレルであった。
 つまり、芸能プロダクションがナベプロ寡占状態からバーニング・ジャニーズ時代に至るまでの戦国時代―――1つの系列事務所が市場を独占し、情報を統制することなく、それぞれの事務所が微妙な力関係を持ちつつ、拮抗しあい、さらに「スター」という存在が黄昏の時を迎えながらぎりぎりまだ輝きを保っていた時代に狂い咲きしたのが80年代の芸能ゴシップだったわけである。
 この当時の芸能ゴシップの最大の餌食となったものの3人のうちの1人が、中森明菜であった。――あとの2人はいうまでもない、三浦百恵と松田聖子である。

 ゴシップジャーナリズムの本義とはなんであろうか。
 好意的に解釈すれば、彼らの作業は「芸能の秘儀」を暴く作業といえる。
 ある1人のスターが今、輝いている。その輝きの源はなにか、そのトリックはどこにあるのか。それを探り出すために、プロダクションやレコード会社の内情、さらにそのスターの内面や私生活に迫る。ひとりの平凡な少年/少女たちが、芸能システムに磨かれることによって生まれ変わる。そこにある内幕、舞台からは見えない真実を暴くのが彼らの本義であるといえよう。 ―――もちろんこれは本義に則ったあくまで好意的な解釈である。




 1989年7月、中森明菜の自殺未遂事件。
 デビューから現在進行形でゴシップジャーナリズムに追われ続けている彼女だが、それがもっとも加熱したのが、この事件後から復帰までの1年間だった。

 彼女は今どこにいて、どんな姿をして、何を考えているのか。
 雲隠れした当代トップのスターの一挙手一投足を追って、様々なデマ・憶測がゴシップ誌を飾った。
 そして復帰シングル「Dear Friend」から数ヶ月後、90年11月に1つの写真集が出された。

「My Life」。
 直訳すれば「私の暮らし」である。この意味深なタイトルは、事件後から復帰までの海外逃亡の数ヶ月間を追った写真集であった。

 この写真集はまず、見た目で驚く。
 2冊セットで全648ページ、定価10000円。ものすごい分量だ。2冊で厚さ10cmにもなり、ほとんど百科辞典2冊分という感じ。とても普通の写真集というフォーマットではない。
 そして、そこに収められている膨大なフィルムが写したのは、芸能マスコミに追われて海外で暮らす中森明菜の私生活の姿であった。 ゴシップジャーナリズムが求めてやまない彼女の姿がそこにあったのだった。
これを私は芸能ゴシップジャーナリズムに対する彼女なりの1つの回答だと私は解釈した。



 ハワイ。ホテルのテラスでおどける明菜、ショップで水着を選ぶ明菜、カラオケを歌う明菜、壜のジュースをガブ飲みする明菜、ウォータースライダーに乗って恥ずかしげもなく大股をおっぴろげている明菜、スーパーマーケットでたらふく買い物をして大鍋いっぱいにカレーを作る明菜、……。
 ニューヨーク。久々のレコーディングにスタッフに様々な指示を出す明菜、譜面台の前で煙草を一服する明菜、ディレクターの藤倉氏と雑談をする明菜、レコーディングの打ち上げのケータリングを頼む明菜、スタッフ全員と記念撮影する明菜、朝、摩天楼を望む一室のテラスで歯磨きをする明菜、……。
 ロサンゼルス。ホテルの洗面台の前で頭痛に頭をおさえる明菜、カメラマンの清水氏にジュースを差し出す明菜、スタイリストの東野嬢と一緒に旅で撮った写真をベットの上に広げて談笑している明菜、煙草をくわえながら黄昏の海を眺め涙を流す明菜、……。
 これ以上こと細かく描写することもなかろう、ここにあるのは「My Life」という名の通り「中森明菜の私生活」そのものである。

 この写真集で彼女は全く化粧をしていない。それ以前になにひとつ芸能人の顔をしていない。
 明菜は顔を歪めたり、だらしがなく弛緩しきった表情を向けたり、と無防備なままにカメラと対峙―――という言葉を使うのも憚れるほどだらしなくカメラに向かっていた。
 そしてそれを撮影する清水伸充氏もまた意志のないカメラの目で淡々と彼女の日常を切り取っていた。表現すべき明確な方向はここの彼の写真からは感じられない。
 明菜はカメラがあることを意識しないかのように無意識に徹しているし、そしてカメラマンもまた無意識に徹底しているわけである。 よってここに徹底した彼女の「私生活」が写し出された、というわけだ。

 これこそがゴシップジャーナリズムが求め続けた彼女の私生活の姿であり、彼達が求めていた彼女の身の内に宿った「芸能の秘儀」を知る手かがりの1つのはずであった。
 では、そこに写し出された「中森明菜の私生活」とは一体なんだったのか。そして彼女の芸能の秘儀を知る手掛かりはそこにあったのだろうか。 そこにはなにもなかったのではなかろうか。と私は感じる。

 ここに写し出されていたのはスターといわれている人間の孤独で優雅なそしてありきたりの日常である。 化粧っ気のない恋に破れた1人の女性の逃避行以外にそこに意味を感じることはできない。 それ以上もそれ以下もない。そこにはなんの回答もなかった。
 何故彼女の表現は人の心掴んではなすことがないのか。何故彼女の歌が人の心の奥底にある澱までも表現しきってしまうのか。何故彼女の踊りは鮮やかな軌跡を描くのか。彼女の表現者としての炎の秘密はどこにもなかった。

 だいたい芸能の内幕というものはえてしてそういうものなのだ。どんなに精密に確かに暴こうと決して心は躍らないし、そのもの自体には決して追いつかない。 どのような煩悩をも圧倒的なパワーで昇華してしまうものこそが芸能なのであり、であるからこそ魅力的なのである。だから内幕などいくら探っても意味がないのだ。
 この膨大な写真たちの果てにあるのは乾いた徒労感だけである。
 馬鹿馬鹿しい。ただこの言葉だけが残る。



 つまり、彼女はひと差し舞ってみたわけである。
 私生活を暴こうとするゴシップジャーナリストとそのユーザーに向けて、そんなにあなた達が知りたいというのなら、私の生活がどんなものかお教えしますよ、と。 そこになにもないことをわかっていながら敢えて彼女は提示したわけである。
 となると、この無意味といえるほどの膨大なスナップも、およそ普通のファンであれば手に取ることさえないだろうと思える価格設定も全てが納得できる。

 そして、この写真集を見た果てに湧きあがる徒労感、馬鹿馬鹿しさはそのままそれを求めつづけるゴシップジャーリズムの側へと反射する。この写真集の退屈さはそのまま芸能ゴシップの退屈さとイコールである。

 所詮彼らのやっていることは、人のゴミ箱を漁って、この人こんなゴミ捨ててるんですねぇ、とひとり悦に入り、こんなゴミを捨てるのだからこんな生活をしているに違いないなどと手前勝手な気味悪い想像をしているに過ぎない、その程度の、嫉妬にあふれた下劣で退屈なものに過ぎない、ということに否応無しに気付かされてしまうのである。
 そしてこの時点で、事務所の子飼いの御用聞きジャーナリズムと、ゴシップジャーナリズムしかない日本の芸能ジャーナリズムの貧弱な骨格がここで浮き彫りになる。
 つまり今の芸能ジャーナリズムは芸能に嫉妬という絆で寄生している宦官たちの噂話程度のものでしかない、ということだ。

 90年の明菜がかように嫌気が差しているように、今の私もそうしたシステムに飽き飽きしている。このシステムは今もなんら変わらない。ただ、スターがいなくなり、ゴシップがゴシップとしてすら通用しなくなったということ以外は。



 蛇足。
 ちなみに前年、一方の芸能ゴシップのターゲット、松田聖子もまた、事務所を独立し全米デビューのためニューヨークで雌伏する自身の私生活を撮った「No comment」という写真集を出している。 「私生活」と銘打ちながらもこってりと化粧をし、ニューヨークの街を闊歩する「和製マドンナ」聖子の姿をそこに見ることができる。
 これは私生活という名のあくまで「公的な芸能活動」である。
 彼女は自身の私生活すらも芸能の虚飾の中にあると、そう演出しきったわけだ。
 ここに私生活すらも虚飾で演出し、切り売りする松田聖子の90年代の活動そのものを示唆しているように私には見えてとても興味深い。
 ―――一方その後の中森明菜は、というと、生々しくリアルで、そしてしょうもない私生活の断片を不本意に暴露されながら、歌手活動を続けるわけであるからこちらも象徴的といえる。
 80年代のトップ歌手がほぼ同時期にこうした「私生活」をテーマに象徴的な写真集を出し、その内容が今後の示唆に富んでいるというのもまた不思議な因縁を感じる。


2004.07.13
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