中森明菜 「無言坂」
聖なる狂娼婦、しーちゃん (『艶華』/2007.06.27/ユニバーサル/UMCK-9181) |
中森明菜の歌う「無言坂」を聞いた。 わたしは驚いた。 彼女はいつどこで、しーちゃんを知ったのだろう。 ◆ 「無言坂」の詞を額面通りに読み込めば香西かおりが歌ったように水商売の女の黄昏時の哀感を表現するのが正しい。 しかし、本当は違うのだ。 あまり知られていないけれども、本当は「無言坂」は「ごろざか」と読む。 「ごろ」は富山の方言では「唖(おし)」の意味。 もう今は廃寺となった尼寺、その最後の庵主は聾唖者だったそうだ。だからその寺に続く石ころだらけの坂道を土地のものは「無言坂(ごろざか)」と、そう呼んでいた。 「無言坂」を作詞した市川睦月――別名を久世光彦という。 演出家・作家として有名な彼の、あまり有名でない小説「早く昔になればいい」にこの「無言坂(ごろざか)」は出て来る。 小説の主人公である初老の<わたし>は、数十年ぶりにかつて戦中疎開で訪れた富山の南はずれの街に訪れる。 そこで呼び起こされるひとつの記憶。 しーちゃん。 彼女は、美しく、無垢で、暖かで、恐ろしい狂女だった。 14歳の<わたし>は、しーちゃんに恋をしていた。 しーちゃんはまるで女神のようだった。 だから<わたし>は、真夜中、薄暗い神社の社殿で、仲間たちとともにしーちゃんを陵辱した。……――。 この物語のヒロインは、戦後直後の富山の素封家に生まれた、20歳過ぎの白痴、しーちゃんである。 いつも赤い椿の銘仙を着て徘徊するしーちゃん、 車の行き交う往来の真ん中で堂々と座り小便をするしーちゃん。 機嫌のいい時はシルクハットを被るしーちゃん。 秋茱萸と鳩笛の音色が大好きなしーちゃん。 少女のころは、賢く、清楚で、周囲の憧れだったしーちゃん。 それが突然、不幸に見初められ、静かに狂いだしたしーちゃん。 頼まれれば嬉しそうに着物の裾をからげてその場で誰とでも寝るしーちゃん。 けれども、実の兄だけは泣いて拒んだしーちゃん。 ある夏の暑い日、誰の種とも知れない子を産んだしーちゃん。 台風の日、神社の裏手の細い水路にはまって死んだしーちゃん。 ――兄に殺されたしーちゃん。 ◆ 中森明菜の歌う「無言坂」。 舌足らずでいとけない、むしろどこか足りない子のような、しかし清らかで艶治な歌唱――。 これは、あのしーちゃんを知らなければ、絶対出てこないはずだ。 だって、歌詞の表にはそんなところひとつたりとも書かれていない。 しかし「無言坂」を歌う明菜はまぎれもなくあのしーちゃんだった。 秋の夕暮れ時、だらだらと続く無言坂の上で、ぽかんと口を開けて、ひとつひとつともる家の灯を数えるしーちゃん。 もしかしたら、尼寺でおん爺や自警団の男たちと寝たあとかもしれない。だらしなく銘仙を肩にかけ、内腿をつたい落ちる体液をそのままに、街の明かりをしーちゃんは見ている。 赤蜻蛉が、取れかけた大仰な髪飾りの上に気まぐれに止まる。 その絵しか、わたしには見えてこない。 狂女の悲しみと、明菜は「無言坂」を解釈している。 明菜はいつ「早く昔になればいい」を読んだのだろうか。 いや、漢字が苦手の彼女が小説を読むはずがない。 スタッフが教えた ? まさか。こんな誰も知らない小説を ? 「無言坂」の本当の意味、それは、久世光彦とその小説のファンしか、知るはずがないのだ。 なのに明菜はそれを引き出した。 作品の裏側に潜んでいる世界を直観力のみで手掴みしてしまう中森明菜、 それをファンの私は何度も見せつけられたが、これほどの力とは。 こんなとき、中森明菜という歌手が、正直、恐ろしい。 久世光彦もきっとあの世で驚いているだろう。 どうしてわかったの――と。 ◆ ※ 注 「早く昔になればいい」は、92年から94年にかけて総合誌の文芸特集号に連載された小説。94年に中央公論社から単行本化、98年には、新潮社から文庫化されている。 この小説を執筆中に久世光彦は「無言坂」を作詞、それにドラマ「キツい奴ら」以来久世の友人である玉置浩二が作曲し、香西かおりの歌として93年3月発売、その年のレコード大賞の栄誉に輝いた。 「無言坂(ごろざか)」は、しーちゃんの住まいである「椿屋敷」、少年時代の<わたし>たちの溜まり場であった廃尼寺「世尊院」、<わたし>たちがしーちゃんを陵辱した「神社」、しーちゃんが溺れ死んだ「地蔵川」などともに、 この物語を象徴する場所として何度も出てくる。 これは、しーちゃんと<わたし>の間に生まれた子供、寛二が聾唖者――ごろであったところともリンクしているのだろうか。 |