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The Best selection of Julie in Dokkiri channnel

森茉莉の沢田研二へのオマージュ


(森茉莉全集 5/6/7巻「マリアの気紛れ書き」「ドッキリチャンネル」/筑摩書房/1993)



ちょっと長い前書き。

今夏のNHKスペシャル「映像記録・昭和の戦争と平和」を見ていた(この作品自体はもちろん「傑作」だった)のだが、その中で日本が戦争に突入せんとする時期の映像に森茉莉の随想が挿入されていた。それが、なんともこれが私には奇妙に映った。
製作者がどういった意図でここに森茉莉の言葉をのせたのか、それはわからない。
彼女は明治大正昭和の激動の時代を生き抜いた女性であるのは事実である。ただ、どうも私の中でしっくりいかないのだ。
父・鴎外の思い出、「お茉莉は上等」、「茉莉のパァパ」、ジャンクロード・ブリアリと若きアランドロンの切りぬき、フィリップ・モォリス、武蔵野の永遠の黄昏、十月の枯れた薔薇、父のような三島由紀夫、鰻を食べている室生犀星、池田満寿夫、白石かず子、……。彼女のエッセイや小説にたびたび出てくる人々や言葉達にすっかりやすりがけされてしまって、あれ、森茉莉って「戦争体験者」なの??、という気分になるのだ。

そんな彼女の不思議な佇まいのことを思い出し、「父子相姦」と「幼児退行する老女」と「自己神話化」というテーマで森茉莉とその友人黒柳徹子についてなにか書こうと思い立ち、ひとまず、一連の小説や「贅沢貧乏」など初期のエッセイは持っているからいいとして「ドッキリチャンネル」がねぇなぁ、と図書館にいって借りて、久しぶりに読んだわけだが。
たら、もうこれが面白い面白い。
すっかり読みふけって、「あれ、俺、なに書こうとしていたんだっけ」
完全にプロットが飛んでしまった。

テレビや舞台、映画などの批評、また森茉莉の個人的に思い出などがごった煮のエッセイ――それが「ドッキリチャンネル」で、79年から85年まで「週刊新潮」で連載されていた。彼女の最晩期の作品集である。
さまざまなタレントがまな板の上に乗ってお茉莉に捌かれているのだが、この捌き方がなんとも痛快なのだ。
例えば第1回、徳光和夫を「つまりはいやな顔でいやな腕を振りまわして「ズーム、イン」とわめかれると朝の気分が壊れるのだ」とばっさり。

癇にさわる人への厳しさはもちろん彼女の贔屓のタレントなど森茉莉独特のキャラクターゆえか、面白い見立てをしていて、お茉莉最高よ、と私などは思わず読みながらつい、笑ってしまう。
桃井かおり、萩本欽一、青島幸夫、研ナオコ、など彼女の贔屓タレントのなかで一等沢田研二に関しては私もファンのせいか、これなどはなんともいえない。
「こいつぅ、ジュリーマニアじゃねぇかよっっ」
ということで、埋め合わせといってはなんだが、「ドッキリチャンネル」で森茉莉がジュリーへ贈ったオマージュをここに列記してみようを思う。



(「太陽を盗んだ男」感想)
どこがどうというのではないが怪しげな、何を考えているのかわからないムウドは沢田が天然に身につけているもので、それに加えて沢田には底抜けに暢気なところがある。
その一種の不可思議な、泉鏡花の小説の中に立ち迷っているような妖気のようなものと、暢気でずぼらな感じとが役者としての沢田の個性で、誰が企画したのか、その沢田の得意な個性が、三億円犯人に模したドラマ(※「悪魔のようなあいつ」のこと)の場合と同様にこの映画でも発揮されている。


或る日テレビで、藤本義一が沢田に(君は歌手にならなかったとしたら何になっていたと思いますか)と聞いた。 沢田は暢気な顔で(やくざというか、ひもというか……)と応えた。 藤本義一が重ねて(ひもになるのは難しいですよ)というと、(はぁ、難しいですか)と、一向に反応がない。
……(中略)……
また、大原麗子との対談で「いつも何考えてますか」ときかれ「俺莫迦だからなんにも考えてないよ」といっていた。
さも利巧そうに何か言うのが多いなかでこういうこというのがこれまた逆に賢さを感じさせる。


(長谷川和彦監督の「四谷怪談」がぽしゃった事に関して)
伊右衛門を沢田でやれば巴里の観客はその美に搏たれるだろう。これはビアズレエだ、というだろう。 沢田をドラマに使うという長谷川和彦の言を容れたのが大体奇蹟だったのである。日本の映画界には私は既う匙を投げている。


(子供が大勢集まってタレントに質問する番組(※「歌謡ドッキリ大放送」か??)に出ている沢田を見て)
沢田にどうしてそんないい顔なのですかと、言った子供があったのが面白かったが、カメラが沢田研二のほうへ行った時、いつものサーヴィス精神が消したようになくなっている顔をしている瞬間があった。
……(中略)……
三十を一寸出たばかりなのに人生に厭きた男のようで(はてさて俺は、歌も、芝居も、映画も、テレビも、あらずもがな対談も、悉く演りつくして、そうしてここにこうしている、気の毒な、莫迦な俺だな)という感じで、まるでゲエテのファウストである。


いつか沢田研二が(僕にはもう、あなたしかない)という歌(※「ダーリング」)を、情緒たっぷりに歌ったが或日、そう歌った後で、小声だが聞こえるような声で、「僕にもうあなたしかない、なんて莫迦々々しい」と呟いた。
キーキー言う娘たちはたしかに莫迦莫迦しいが、その一人一人が、小さい胸の中で一心に沢田に憧れているのだ。そういう事を聞こえよがしに言うのはよくない。
……(中略)……
本場の伊太利のオペラ歌手なら、観客が多かろうが、少しだろうが、そんなことは頭におかないで歌うのはいいが、人気稼業の歌手としては、そうは行かない。舞台では莫迦莫迦しいキーキー娘たちに、微笑を浮かべなくてはいけないだろう。
沢田は歌手としては単なる人気歌手に過ぎないが、彼はドラマにすばらしい素質を持っていて、いつかの三億円犯人に擬した役を演った時は一人の名優で、私は褒め称えた。だから役者としての沢田は莫迦娘たちにやさしい様子などしなくていい。伊太利のオペラ歌手、英国のシェクスピア役者のように誇り高くたっていいが。


沢田研二との対談の中で私がいつもの私を発揮して、こういう事を言った。(沢田さんはピーナッツのお一人と結婚なさったそうですが、多分沢田さんは大変燃え上がったというより、この人と結婚しようと、そうお思いなったのでしょう?)と。その時沢田は一寸苦笑の混じった微笑いをしていた。当たったようである。



(「悪魔のようなあいつ」感想)
最近藤岡弘といふ役者が、癌に冒されてゐる刑事役で、タクシーの中で洋杯だか、壜だかの中へ多量の血を吐く演技をやったが、その下手な演技と、紅い多量の血とが莫迦げたリアリズムを感じさせるだけだったのに比べて、Julieが、階段の中途でへたばって何かを吐き、又起ち上がって階段を上がる演技は、どこか癌に冒されてゐる犯罪者をよく出していた。
白々と明るい真昼の、人影のない街を、カンカン帽を阿弥陀に被り、いくらか背骨が彎曲した格好でふらふらと、黒く細い影を落として漂ふやうに歩いていた犯人の姿は、マリアの頭の中に強い印象を残した。
元来、Julieは大きく、形もいいが、ガラスを嵌めたやうな、どこか果敢ない目を持ち、体つきも大きいわりには繊弱なところがある。さういふ柄があの役に適ってゐたこともあるが、芝居といふものを飽きるほど見ているマリアの目で見て、あの犯人役は傑出してゐた。



最後のは「ドッキリチャンネル」の前のエッセイ「マリアの気紛れ書き」から。
うーん、お茉莉ったら、ジュリーマニア。
(しかし、これ、中島梓版と久世光彦版も作れるな。)

ま、このエッセイは他にも面白いところはいろいろあって、特に傑出していたのが、美輪明宏のはなし。
森茉莉の「枯葉の寝床」と「恋人たちの森」のストーリーをまぜこぜにした舞台を美輪明宏は自ら脚本と演出をして上演したのだが、これを観て気を悪くしたお茉莉、ものすごい勢いで美輪明宏を否定する。
美輪明宏のことを「彼もなにか書くこともあるが、書く人間ではない。それで彼のものを見る目には狂いがある。」とまでいいきる。
こ、こわーー。お茉莉、そんなこといったら美輪先生に呪われるってば。
ま、細かい顛末については読んでもらいたいけど、いやー、笑える。

もいっこうけたのが、ここ。今暖めているストーリーについて。
私は「恋人たちの森」と「枯葉の寝床」で、三十七八歳の美丈夫と、ナルシスのような美少年とを描いたが、大人同士の男の、そういう物語を描きたいと思っているが、(一人は文学部の教授で、片方は実験心理の教授)難しくて描けない。
文学部の教授に妻君がいて仲のいい心理学の教授が三日あげずくるのを喜んで迎えていたが、ほんの一寸した仕科(鉛筆を投げてやる、というような)になんとなく何かを感じるが、無論疑ってはいない。
それが或日留守にしていて帰ってくると書斎に二人の声がするので紅茶を淹れて持って行く。扉を開けた途端に夫が長椅子に横になり、心理学の男が、胸に手を当てている夫の掌を軽く抑えて顔を覗くようにして笑っているのを見て不意に動悸がし掌に持っていた紅茶茶碗の載った盆を落とす。
そういう箇所はいいが、文学部の教授と心理学教授では、「恋人たちの森」のギドオとパウロ、「枯葉の寝床」のギランとレオのような会話では済まない。
後にそういう小説を書くのがわかっていたら、夫と矢田部達郎の会話を附ききりで傍にいて書き取っておくのだった。

お茉莉、腐女子精神爆裂です。
元旦那とその友人をカプにして小説を書こうとするその根性……。
いや、なんともはや……。
やおいの道は長く厳しいぜっっ。
ということでジュリーの話なのか森茉莉の話なのかいい加減どうでもよくなってきた頃なので終わる。


2003.09.15


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