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メイン・インデックス歌謡曲の砦>中森明菜 「Moonlight Shadow 〜月に吠えろ〜」

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中森明菜 「Moonlight Shadow 〜月に吠えろ〜」

(1996.08.07/MCAビクター/MVDD-10024)


96年はまさしく小室哲哉の時代だった。 安室奈美恵『SWEET 19 BLUES』330万枚、華原朋美『LOVE BRACE』250万枚、globe『globe』410万枚。 オリコンシングルチャートの第一位から第五位まで全ての作品が彼のプロデュース、というそんな週もあった。 この時期の小室哲哉は御三家の安室・華原・globeの他にも、前年からのTRF、hitomi、観月ありさ、内田有紀もプロデュース、さらにdos、大賀埜々など新たなアーティストも次々始動、 まさに百花繚乱、小室哲哉というプロデューサー・アーティストにとって、この世の春であった。

その小室哲哉の元に中森明菜が自ら訪れ生まれたのがこの「Moonlight Shadow 〜月に吠えろ〜」である。 当時のインタビューによると、人気投票でトップになった93年の小室作品「愛撫」のリアレンジを小室哲哉に申し入れたところ、再録音ではなく新曲、という話になったのだそうだ。 もちろんこの僥倖に、中森サイドは一大プロモーションを敢行。「目指せミリオン」を旗印に、バラエティー・音楽番組の区別なくテレビ番組を中心に中森明菜はプロモーションにまわった。 が、セールス結果は最高位14位/11.2万枚。当時の中森明菜にとってきわめて平凡な成績に終わった。 それを"小室哲哉でも売れない中森明菜"とゴシップ誌はこぞって彼女をからかった。

ここで当時の個人的な感想を今言うのも後だしじゃんけん的でいやらしいかもしれないが、とはいえわたしもはじめて聴いた時に「悪いとは言わないけれども、100万ってのはないだろうなぁ」と思ったのは事実。 中森明菜の文脈としても、また小室哲哉の文脈としても、ヒットの方程式にのっとっていないしなあ。と。 中森明菜はこの曲をもらった時「一番最初に聞いたときは、『ん?』という感じでさらっと流れてしまったけれども」といっていたが、 これはこの曲をはじめて聞いた人の多くが持つ感想だったと思う。 中森明菜でなら「DESIRE」や「飾りじゃないのよ涙は」のような、小室哲哉でなら「Get Wild」や「恋しさとせつなさと心強さと」のような、 イントロの瞬間で人の耳をつかむような、キャッチの強さはここにはない。



小室哲哉の様々な見知らぬ女性歌手をスターダムにのし上げる手法を当時マスコミは「小室マジック」と称えたが、 実はその「小室マジック」は新人、あるいはまったく無名のタレントにのみに適用する魔術であった。 華原朋美、西野妙子は小室に見出される直前はマニア以外誰も知らないB級アイドルだし、trfのYuki、globeのKEIKOはまったくの新人。 安室奈美恵だけ小室プロデュースの半年前に「Try Me」でブレイクしているが、まだ世間の認知を得る途中という段階。 つまりまだなにも色のついてない海のものとも山のものともつかない歌手を徹底して小室色に染め上げる、というのが、この当時の小室の手法だったわけである (――もちろん、観月ありさ、内田有紀といった他のアーティストからの楽曲提供も多く受け、既にマスへの認知を受けているアイドルへの提供でも成功しているが、 彼女らのシングルヒットは小室効果もあるが、そこにドラマやCMとのタイアップという要素も多分に含んでいて、小室のみの成果とはいい難く、文脈的に多少ずれる)。 当時の小室系のヒット歌手というのは、匿名性に拠っている部分が大きかったわけだ。

中森明菜のように、歌手としてキャリアも名声も既に十二分に得、自分の色を強烈に持っている歌手と小室哲哉というアーティストは「ヒット」という側面ではまったく持って相性が悪かったといっていいだろう。 この中森明菜と同じような失敗を二年後、小室哲哉は甲斐よしひろでも繰り返すことになる。 甲斐と小室は「Tonight I need your kiss」「HEY! MONOCHROME CITY」「KI-RA-ME-I-TE」と 3枚のシングルをほぼ一ヶ月ごとにリリースしたが、ランキングチャートは最高位80〜90台と惨敗、小室プロデュースの甲斐のソロアルバムのリリースの予定もあったが、中止となっている。



また中森明菜の作品の作家陣を洗い出してみると、実に無名の作家によるヒットが多いことが見てとれる。 ブレイクシングルの「少女A」からして当時はまったくの無名であった売野雅勇・芹澤廣明である。 売野・芹澤コンビのように都志見隆、玉置浩二など明菜への楽曲提供後メジャーに踊り出た作家も多いし、国安わたるや関根安里(EUROX)、FUCCI QUMICOなどその後名前をあまり聞かない作家もいる。 もちろんNM系を中心に有名な作家による作品もあるのだが、松岡直也、加藤登紀子、久保田真琴、高中正義、忌野清志郎、吉田美奈子など、アイドルへの楽曲提供に積極的でない作家の作品が目立つ。 細野晴臣、竹内まりや、井上陽水、来生たかお、タケカワユキヒデなど、当時からアイドルへの楽曲提供を盛んに行い、作家としてもバリューのあるアーティストの作品のヒットというのは明菜の場合はアイドルとしては珍しく少ない。――このあたりは松田聖子とまったくもって対照的で面白い。 この傾向は自身が楽曲プロデュースを行うようになった86年以降からより明確なる。

中森明菜は作詞、作曲者の作家性の神輿に乗ってヒットをもぎ取るタイプではなく(――アイドルのヒット曲というのは、こういう面が多分にしてある)、 どれだけ作品を自分に近づけ、血肉化したかでヒットを得ていく歌手といえるかもしれない。 誰が作ったとか、そういうのは問題ではなく、そこにある曲が、自分にとってどういった意味があり、自分の心理のどこに呼応し、それを表現することによってどういう世界が生まれるか、それが問題、という。 そんな中森明菜にとっては、有名作家であるが故の「くせ」というのは、時には邪魔なものになってしまうのかもしれない。

実際、中森明菜は「愛撫」レコーディング時に 「この歌はどれだけ自分の色に染め上げようとも、下から小室さんの色が出てくる。最後はほとんど格闘で、スタジオに小室さんがいるみたいだった」といった発言をしている。



小室哲哉も、中森明菜もここで手を抜いた仕事をしているわけではもちろん、ない。
自分の詞では「中森明菜という存在」の重さを表現できないと、小室哲哉はわざわざ友人高見沢俊彦に詞作を依頼しているし、高見沢俊彦の詞は中森明菜のそれこそ「1/2の神話」以来の強がりとその裏の弱さを表現して手堅い。 曲も高音偏重、サビ偏重のカラオケナイズドな当時の小室プロデュースにあって、渋い作り。「愛撫」と比べて露骨な小室メロディーも避けているし、中森明菜という歌手をきちんと自分の手札の中から誠実に演出しようという意図は見てとれる。 中森明菜も、おそらく小室哲哉からのディレクションであろうが、フラットに歌いながらも要所要所で軽く張って歌っており、ボーカルの絶妙なさじ加減が窺える。「UNBALANCE+BALANCE」以来の明菜節からの脱却、というのもここに感じられる。 特に〆めの「愛した日々も」「見果てぬ夢も」「あなたの影も」「叶わぬ恋も」「届かぬ夢も」「全て、Moonlight Shadow」で「届かない幻影(マボロシ)」だと畳み掛ける部分は中森明菜だからこそ、という 虚無的な部分が仄見えてとてもいい。「飾りじゃないのよ涙は」の何事も醒めていて俯瞰で世の中を見ている、けれども本当は人恋しくてたまらない明菜がここでチラッと見える。

ただ、元々が個性の強く、何事も相手を自分色に染め上げてしまう中森明菜と小室哲哉というふたりのアーティストの本質からいって、お互いが歩み寄っての作品、というのは内容はともあれ、セールス面では必然的な失敗だったのかもしれない。 また歌唱に関しても、このCDに収められたトラックよりも、近年コンサートで歌われるモノの方が、実は優れている、と私は感じる。 2002年コンサートツアーDVDに収録されているこの曲は、歌い方を微妙に明菜唱法的なビブラート強め唱法に変え、長い髪を無造作にばっさばっさと振り乱しながら歌い踊っているのだが、 フリは男性的に荒っぽく衣装はちょっとやくざ者のような粋があり、歌には淋しさの向こうに怒りの感情が交っている。これがいい。あ、これがこの歌で表現したかったことなのかな、とはじめて私は気づいた。 このシングルが完全な小室プロデュースではなく、「愛撫」のように小室の楽曲提供のみで、全体のプロデュースが中森自身の手に委ねられていたら、どうなっていたか、という片鱗がここに見えた。

2005.11.03
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