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裕木奈江 「水の精」

松本隆、渾身の一撃

(1994.11.02/ソニーレコード/SRCL-3027)

1. 月夜のドルフィン 2. 宵待ち雪 3. 恋人たちの水平線 4. めかくし 5. 空気みたいに愛してる 6. 鏡の中の私 7. すっぴん 8. サーブ・アンド・ボレー 9. 時空の舞姫 10. 風の音


ステレオのプレイボタンを押してまず聞こえる海潮音、とそこにリバーブ深めの「不思議なアメジストの夜」と細い少女の歌声。もうこれだけで既に世界ができてしまう。 これでもう、勝負決まった、というかんじ。
真冬、人知れない山奥にひっそりとたたずむ美しい湖、その凍りつく寸前の冷え切った湖水を手のひらで掬い、一飲みする。手のひらに残る熱いような痛いような感触、喉を過ぎるすがすがしさ。全体で聞いて、そんな印象を残すアルバム。

今のいままで裕木奈江に関する長いテキストを書いていたのだけれど、どうにも話が広がりすぎてとっ散らかってきてうまくいかない。 ということで気持ちを変えるために、ひとまずイントロダクションとして彼女の一番いいアルバムをさらっと紹介したいと思う。

このアルバムのプロデュースと全作詞は松本隆。作曲、編曲家陣は彼との親交の深い細野晴臣、鈴木茂、矢野顕子、筒美京平、大村雅朗、井上鑑などが担当している。
90年代に入ると松本隆はいわゆるヒット曲の作詞家という立ち位置からは勇退するのだが、ゆえに数少ない彼の作品は、その分より文学的にというか、彼の作家性が強く出た作品が目立って前に出てくる。 このアルバムもそんなハイクオリテイーのアルバムのひとつといえる。

タイトルが表すとおり、このアルバムは水づくし。「月夜のドルフィン」や「恋人たちの水平線」などのようにタイトルに既にガジェットが組みこまれているものはもちろん、そうでない作品などにもさりげなく水に関するアイテムが作品内にそれぞれ忍んでいて、それを探すのも、楽しい。 ―――ちなみに松本は薬師丸ひろ子の「花図鑑」というアルバムも86年にプロデュースしている。こちらは花づくしでこれも名盤。松本はこのアルバムをある程度念頭に入れて「水の精」を制作したのではないだろうか。

それでは、アルバムの各曲に関して思いつく限り。



月夜のドルフィン

月夜の浜辺、水に戯れる恋人たち、彼のクロールはドルフィンのよう。わたしは人魚の竪琴を弾く。透明な水の底、あなたと水中の楽園まで一緒に泳ぎたい。

アメシスト、三日月、葡萄酒、人魚の竪琴、薔薇の花粉……、松本的少女趣味的なガジェット満載。「うわっ、松本」という一曲。
詞からいって夏の歌なのだろうが、どこかトラックといい、裕木奈江の歌といい、不思議とどこか冷えたところがある。 海には粉雪がはらはらと降っているのでは、海面は冷たく冷えているのでは、という気がする。
冷たい海のなかで戯れる2人。
と考えるとこの曲はただの平凡な若者の恋ではなく、どこか幻想世界の恋の歌ではという気がしてくる。 このイメージはそのまま次の曲に続く。


宵待ち雪

なにかの不義理があったのだろう。男は女からの手紙を焼き、その炎にかじかむ手をさしのべ、束の間の暖をとる。 外は宵待ち雪、ちらちら。

いやぁ、いいよ。この歌、いい。これが松本隆ですよ。
ほとんど現代詩ともいえるほど硬質に不条理に聞き手をつっぱねていているようで、要所要所で聞き手を掴んでくる詞。
宵にはらはらと降る雪がまるで蛍火のようにほの明るい。それは二人を見送る送り火、―――ということがわかる。こういう、詞にないところがイメージできる。つまり詞にイメージの喚起力があるってことだ。
もちろん、作曲の細野晴臣も負けちゃいない。というか、細野だからこそ松本がここまで本気でやれるってこと。「銀河鉄道の夜」のように硬質なロマンチシズムが溢れた細野のソングライティング。やっぱり松本ー細野コンビは永遠に不滅ですな。
ちなみに冬、暖炉で恋人の手紙を燃やすというシチュエーションは佐藤隆に提供した「霧のスカンジナビア」を、さらに「紅茶茶碗の真ん中で泣く」という部分ははっぴいえんどの「かくれんぼ」を連想しました。
「かくれんぼ」は意図的に持ってきたでしょ、松本先生。だって裕木奈江、以前のコンサートではっぴいえんどの「かくれんぼ」カバーしてたもの。


恋人たちの水平線

海沿いのレストランかカフェか。テーブルの珈琲を前に相対する男女。二人の間に会話はない。微妙な緊張感が漂っている。窓の向こうは冷たい冬の雨。
斜めにふりそそぐ雨、それは二人を分ける斜めの水平線。はみ出すことのできない二人の点線。

うまいなぁ、うまい。絵画的にイメージが広がっていく。
硝子の向こうには気まずい男女がひと組み、そのまえに斜めの点線のように雨が降っているわけだ。で、その点線は切り取り線。つまりお互いがお互いをびりっと音を立てていつでも切り離せるような状態、というわけだ。


めかくし

この歌も絵画的なイメージが強い。 真ん中に公園の噴水がある。季節は夏。その後を恋人と一緒の楽しげな少女が右から左へと歩いていく。と、噴水の水飛沫が彼女を隠した瞬間、夏の景色が冬ざれた光景に変わる。水飛沫の向こうから表れた彼女は今度はひとりきりで冬の公園をとぼとぼと歩いていく。こんなイメージが広がる。 公園というひとつの場に「過去」と「現在」という2つの時間の軸のあるような感じがあって、平凡な詞に見えて、結構トリッキー。
それにしても枯葉を「夏のなきがら」と見たてるというところはあいかわらずナイス。


空気みたいに愛してる

冒頭の台詞がちょいとむず痒い。ともあれ「路地を曲がれば春の海 波の頁をめくったら 人魚が眠っている」の部分はすごい。 ダリの絵のような鮮やかな色彩感を感じずにはいられない。それにしても「薄荷」「銀紙」などの言葉のセンスがいかにも松本的。


鏡の中の私

恋人との別離の後、淋しげな少女が鏡の中の見知らぬ人のような自分の姿をみつめる。
谷山浩子でいったら「月日の鏡」のような歌で、すり減らすように消えていく自らの少女性を静かに見つめている。ただ、 「魂も解放された」のくだりはちょっと堅すぎて咀嚼できてないような気がする。


すっぴん

歌い出しいきなりで「私不幸な女の子」と宣言しちゃう大胆さに驚く。
今まで化粧もしたことない海辺のすすけた工場の街で暮らす少女―――京浜工業地帯のどこか、というところだろうか。ちなみに裕木奈江の出身は横浜市であるが、詳しくは内陸にある瀬谷区なので、このイメージとはちょっと違うが、いわゆるハマっぽいイメージのある娘ではある。
そんなすっぴんでいままで生きてきた少女が最後「口紅を買いたいからどこか別の街につれてって」とゆきずりの男に告げる。
ドラマの立て方が上手いよな、と感心。


サーブ・アンド・ボレー

これは「長過ぎた春」モノだな。大学時代の恋愛。大人のフリをして幼い恋を育んだあの日々、卒業したら全てが散り散り、というアレね。 こういう後向きな青春追想モノはやっぱり彼か売野雅勇なわけですよ、という磐石さ。 佐藤隆の「スチューデントライン」とか、ユーミンでいったら「LATE SUMMER LAKE」を思い出したぞ。


時空の舞姫

空の高みから、千年の時空をかけぬけて姫が舞い降りてくる。狂おしい恋人を求めて。恋人は武者、姫を恋う笛の音が聞こえる。その音を頼りに、姫は都へ舞い降りてゆく。

これは平安京遷都1200周年記念イベントとして行なわれた演劇「時空の舞姫」のメインテーマ。 こういう和モノで天空モノで伝奇調でっていったら、もう細野先生しかないわけで。星が明滅するようなあえかなメロディーに陶酔。裕木奈江のはかない歌声がこれまたよい。


風の音

これは日渡早紀著「僕の地球を守って」の植物と会話できる少女、アリスのイメージか。
松本隆の自然讃歌路線といえるが、木陰でキスする恋人にやきもちを焼いて木の神様がざわざわと葉が鳴らすというイメージがなんとも可愛らしい。


それにしても松本隆渾身の楽曲が並ぶいいアルバムだ。
溜息を落とすようにポツリポツリと歌う言葉に説得力のある彼女の唱法もこの歌の持つ世界とベストマッチングだし、 裕木奈江の総合プロデューサー、星野東三男もこのアルバムを彼女で一番やりたかったもの、と後に述懐しているようで、彼女のキャラクターを十全に表現しきった作品といえる。
ほの淋しく、影が深い、どこか人を信じきれないような、心に他人には決して見せない闇を抱えている少女の、ひとりつぶやきのようなアルバムだ。

しかし、制作スタッフの意気込みとそして出来あがった作品の完成度とはうらはらに、これがちっとも売れなかった。
裕木奈江バッシングの最中という最悪の状況下でのリリースというのもあったし、星野氏曰くレコード会社のソニーも「アートっぽい趣味の世界」ということであまり宣伝費を出さなかったのだそうだ。
この結果に松本隆は静かに萎えたという。ま、いい作品の顛末なんてそんなもんだよね。
とはいえ通好みの人には是非とも聞いていただきたいアルバムであるので、今回紹介した。これは聞くべきですってば。

少女趣味という言葉が否定的な意味合いになってしまった90年代に作られたのがこのアルバムの最大の不幸であると思う。
そしてそれは裕木奈江というアイドルにとっての不幸とまったく同質であった。
彼女が不必要なまでにゴシップ誌にバッシングを受けたその詳しい理由はわからないが、彼女が持つ少女性は既に女性にとって忌避すべき女性のありようであったのだろう。
ともあれこの「水の精」はわたしのなかでは南野陽子「VERGINAL」、斉藤由貴「風夢」、銀色夏生presents「バランス」などともに「アイドルポップスの極北にある名盤」の位置にそっと置いてある。

2004.11.12
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