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LIVE FOR LIFE in ASAKA 2006

本田美奈子.追悼展

〜あなたを忘れない〜

(06.04.22〜23/朝霞市民会館)
1.舟唄  2.朝霞音頭 (以上 02年 朝霞市民会館コンサートにて)  3.誰も寝てはならぬ   4.Amazing Grace (04年 STB LIVE より)  5.Oneway Generation  6.孤独なハリケーン  7.CRAZY NIGHTS (以上 「ミュージックステーション」より)  8.あなたと熱帯  9.命をあげよう  10.On My Own  11.十二夜  12.FRIENDS  13.アヴェ・マリア  14.ニュー・シネマ・パラダイス  13.Time To Say Goodbye  14.つばさ  15.ジュピター  16.1986年のマリリン(以上 「Act Against Aids 2004」より)  17.新世界


 先日、本田美奈子のふるさと、朝霞市の朝霞市民会館で「LIVE FOR LIFE in ASAKA 2006 本田美奈子.追悼展〜あなたを忘れない〜」が開催された。
 本田美奈子は、幼少の頃朝霞に越して以来、亡くなるまで朝霞から離れることはなかった。 「朝霞」という場所は、まさしく彼女のホームグラウンドなのだろう。 彼女はタレントになって以降も、生まれ育った地元だからと屈託なく朝霞で生活していたようで、 実際、近所で畑を耕していた、とか、買い物をしていた、とか、生前、朝霞での彼女の目撃情報は多かったようだ。
 朝霞市民会館は会場のスペック、立地場所などから、ポップスやクラシックなどのLIVEで使われることがほとんどない(――かわりに隣町の和光市民会館が使われることが多い)。 あえてこの場所を選ぶ、というところに地元を愛した彼女を尊重しようとするスタッフを心意気を感じる。 ちなみにこの会館の隣にある朝霞市立朝霞第六小学校は彼女の母校でもある。
 ここで本田美奈子は生前一度だけコンサートをしたことがあった。 02年の9月の「本田美奈子コンサート 〜Wonderfull People〜」。わたしはこのLIVEを事前に知りながらも逃してしまった。 そのことに悔いながら、わたしは会場に向かった。

 薄曇りの午後。美奈子のポスターが駅から会場へ続く道に要所要所で配され案内しているが、会場へ向かう人の波はまばらだった。 帰りにつく人波をながめながら、会場にたどり着くと、人ごみが会館からまけ出ているほどのなかなかの盛況ぶり。外ではジュースやパンの販売も行っている。

 客層は、20代後半から60、70代まで。親と一緒の子供も多い。男女比はほぼ1:1。 彼女のアイドル時代を知る同世代がメインかと思ったら、意外とそれだけでもなく、 ミュージカル好きっぽい若い女性もちらほらいるし、なによりシニア層が驚くほど多い。
 「美奈子ちゃん歌うまかったのに。可哀相にねぇ……」などとおばぁちゃんがパネルを見ながら連れの友人と一緒に嘆いている。 「ミス・サイゴン」以降の彼女の活動は、CDセールスという面では形に出なかったけれども、確実に彼女のファン層の幅を広げていたようだ。 それにしてもCD購入のメイン層の10代〜20代前半がごっそり抜け落ちていて、それ以外の層はすべて会場に集っているというのも、ある意味すごい。



 追悼展は、大ホールでのフィルムコンサートと、ロビーでの展示物に大別されていた。 フィルムコンサートまで時間のあった私は、展示を先に拝見することにした。
 追悼展に訪れることのできなかった方のため、展示物の概要を中心に表記する。 混雑した中での閲覧だったので覚え違いなどあるかもしれないが、容赦願いたい。

【 パネル展示 】

 ・アイドル時代・ミュージカル時代・クラシック時代・プライベート の四パートに分けて展示。

【 パネル展示・アイドル時代 】

 「1986年のマリリン」「Oneway Generation」「Crazy Night」などのジャケットの撮影で使われなかったものや、 またハワイ・オーストラリアでのグラビア撮影でのショットなど。 18歳の時、篠山紀信撮影による一枚は、本人のお気に入りとのキャプションがあったが、黒のジャケットに伏目がちな感じで大人っぽい。ちょっと中森明菜の「BITTER AND SWEET」のジャケットっぽくもある。

 【 パネル展示・ミュージカル時代 】

 「ミス・サイゴン」「屋根の上のバイオリン弾き」「レ・ミゼラブル」「十二夜」「王様と私」など、東宝提供による舞台のスチールが中心。 また「レ・ミゼラブル」「ひめゆり」などで使った美奈子の手作りの特製楽屋プレートも展示。 さらに置き場所がなかったのか、このパートに東芝EMIからビッグヒット賞ということでいただいた「M' シンドローム」「Lips」「MINAKO COLLECTION」のGOLD DISCも展示してあった。

【 パネル展示・クラシック時代 】

 15周年記念コンサート「歌革命」で、ファンからの花束を受け取るショット。感動して涙ぐむショット。 近年のカレンダージャケット撮影からものが展示。

【 パネル展示・プライベート 】

 ピーポ・プライソン、ブライアン・メイ、岩谷時子らとのそれぞれのツーショット写真、 マイケル・ジャクソン、ラトーヤ・ジャクソン、バブルス、と一緒に写した写真、 朝霞で畑を耕している写真、ファンや関係者に自筆で年賀状を書く為にずらりと並んだ年賀状の前で(――アイドル時代から、送られてきたファンレターにわざわざ自筆で返事するというエピソードがあったけれども、ずっと続けていたんだね、彼女)、などなど。 またデビュー前の幼い頃の数々のスナップも多く展示。

【 衣装展示 】

 「1986年のマリリン」の赤の衣装(―――へその部分が斜めにカットされて黒のメッシュになっているパターンのもの)、 アルバム『時』で使用した純白のドレス、05年カレンダー撮影で使用した金色のドレス、 薄緑のドレス、04年「STB LIVE」で着たピンクのドレス、などなど。どれもこれもわかってはいたが、改めてみるに小さい、小さすぎる。まるで子供の衣装のようだ。 こんな小さな体では、病魔に打ち克つには容易でなかろう。
 そして、20周年記念用に作られ、彼女が袖を通すことのなかった豪華衣装が哀しい。 小豆色で、刺繍や模造宝石が細かいロココ調のベルベットのドレス――南野陽子の「秋からも、そばにいて」風という感じ。 「これ着れなかったのねぇ。もったいないないねぇ」という言葉が会場からも、聞こえた。

【 ゆかりの品・展示 】

 アイドル時代のレコードに彼女が表紙を飾ったオリコン(――あまり、豊富ではない)。 アイドル時代に音楽賞で彼女が獲たトロフィー、楯(――日本歌謡大賞、レコード大賞、日本テレビ音楽祭、銀座音楽祭、横浜音楽祭、など。金色のトロフィーがくすみ、ところどころに青カビがついていたりするところに、時代を感じる)。 「題名のない音楽界」での「つばさ」楽譜。
 化粧道具と、17歳の頃から使っていたというヴィトンの化粧入れ、さらに仕事で外泊の時に使っていたページュの革のボストン、黒のトランクとカート。 資料・勉強用として使っていた「えとせとらテープBOX」(――93年頃に編集したものが多かった。なかにはなにが入っていたのだろうか)。デビュー以来使っていたというミニラジカセ。 「天国からのアンコール」で使われた自筆の詩の現物。などなど。
 美奈子は、物を大切に使う人だったようだ。私物は、アイドル時代から亡くなるまで使いつづけたものが多い。

【 寄せ書き 】

 「レ・ミゼラブル」スタッフ・観客から病魔と戦う美奈子への2枚の大判の寄せ書き(――二階から垂れかけられていた)。 病室で迎えた20周年にスタッフ・ファンからの彼女への寄せ書き(――「時」のジャケットが中央にはりつけられたもの)。 「Dream Live 2005」出演者からの寄せ書き。02年、朝霞コンサート時のファンからの寄せ書き。

 混雑し、人の流れが交錯するなか、わたしは、閲覧した。 遺物を見てさほど感動するタイプの人間ではないのだが、もっと色々なものが見たいな、と感じた。 小さなホールのロビーを使っての展示なので、展示数が少なかったが、仕方なかろう。


【 フィルムコンサート 】

 フィルムコンサートは各回ごとに整理券を配って入れ替え方式の観覧をとっていた。 私が見た回は、客電が落ちる頃で、8〜9割ほどの入り。

 フィルムコンサート前に、コロンビアの岡野博行プロデューサーの挨拶があった。
 03年にクラシックアルバムを制作するにあたっての経緯(――「このアルバムに命賭けている」といっちゃう美奈子。昔と変わらないよなぁ)。 さらに、この追悼展が、本田美奈子の果たされなかった20周年記念イベント――ノージャンルでさまざまな歌を歌って、今までの感謝をファンのみんなに伝えたい、という意を汲んだ「一年遅れの20周年記念」だということ。 また、彼女の朝霞への里帰りでもあること。などなどが語られた。




 フィルムは、02年9月の朝霞コンサート直前のインタビューからはじまった。 同級生や近所の知り合いなどなど、みんな集まってのコンサートに、嬉しさと緊張とやる気の満ち満ちた美奈子の姿。 地元への愛着を語りながら、「工藤美奈子は、大人になって、歌手としてこんな風に成長しましたよ」というのを、知って欲しい。と。 そのまま、朝霞コンサートへの映像へと続く。
 この朝霞コンサートの映像は、おそらく資料用として録画していたものだろう。画像も音声も荒い。ワンカメで、きっと家庭用のもので撮ったものだな。 「舟唄」「朝霞音頭」と、地元ならではリラックスした本田美奈子だ。

 そして、04年「STB LIVE」からの「誰も寝てはならぬ」「Amazing Grace」へ。 これは彼女の死去のニュースに最も使われた素材で「Amazing Grace」のDVDにも収録されている。覚えている方も多いだろう。
 この流れの後、一気に時代を巻き戻して87年頃の「ミュージックステーション」での本田美奈子へと飛ぶ。 冒頭の岡野氏の挨拶からの「20周年は、ノージャンルで」という本田美奈子の意志を汲んで、フィルムは歌手・本田美奈子のすべてをみせる、ということなのだろう。
 「Oneway Generation」「孤独なハリケーン」「CRAZY NIGHTS」と、アイドル時代の、必死な姿が微笑ましい。 ミュージカル・クラシック時代しか知らないファンには、驚きの世界だろうな。
 飾りのもののいっぱいついた上下デニムで決めた「CRAZY NIGHTS」、奇抜なすけすけアーミールックにマイクスタンド振り回しまくる「孤独なハリケーン」などなど。 「ミュージックステーション」なら、総レースのゴスロリ風衣装でぎんぎんに踊りまくるアンバランスさがいかにも美奈子という「キャンセル」とか、 イントロの意地っぱりな過剰ロングトーンが「つばさ」の予感を感じる「Stand Up」あたりも良かったよね――って、マニアックすぎ?
 さらにおよそ封印されがちなワイルドキャッツ「あなたと熱帯」へと(――これはPVだろうか、見た覚えがない)続く。 これは今見てもちょっとファニーだな、さすがに。



 「命をあげよう」から「Friends」のパートは、それぞれの舞台からの映像。 このフィルムのひとつの山場だろう。本田美奈子の、表現力の高さを最も見せつけられる場面だ。
 誰だ「美奈子、歌、そんなに上手くないよ」って言った奴は。すごいじゃないかっっ。
 このフィルムの「On My Own」の訴求力は特にすごい。ぐいぐいくる。不覚にも涙がこぼれた。 「心を込めて…」の音源が中途半端だっただけに、きちんとCDで残っていれば、と残念。
 「Friends」の歌唱も、嵐の海のようにこころをぐらぐら揺さぶられる。
 本田美奈子は、生の舞台でこそ最も映えるタイプの歌手だったんだな。ほんとうに活きがいい。

 そして、クラシカルクロスオーバー時代へとコマは進む。
 この時代の映像は少ないのだろう。 コンサート風景、レコーディング風景(――岩谷時子や、井上鑑の姿も)、さらにさまざまなスナップを織り交ぜながら、 「Ave Maria」「ニューシネマパラダイス」「Time To Say Goodbye」と進む。 「Time To Say Goodbye」はやはり泣ける。
 洟をすするような音も、このあたりから会場でちらほら聞こえてくるようになる。



 美奈子の詩「ありがとう」の朗読をブリッジに、ラストパートは80、90、00年代からそれぞれ代表曲を各一曲となる。
 90年代の美奈子の代表曲「つばさ」は、阿蘇の野外ライブから。服部克久のピアノとオーケストレーションをバックに大自然の中、朗朗と美奈子は歌い上げる。 鮮やかな陽光と映える緑、爽やかな風――。これは、これ以上ないほどこの歌にあったロケーション。  いつの時代の映像だろうかわからないが、ポニーテールに化粧の薄い彼女の姿は、「殺意のバカンス」デビュー時とまったく変わっていない。 ちょっとテンポを落したオケに、美奈子の歌唱も磐石で、これは、ホントいい映像だな。

 さらに「ジュピター」〜「1986年のマリリン」へと連投。 これ、もう、すごくいい。「Act Against Aids 2004」からの映像だが、美奈子の本領発揮。 これこそが、本田美奈子だ、という。本田美奈子そのもの。
 「ジュピター」を力強く、全身で歌い、かつ踊りまくる美奈子。
 ホルストの「ジュピター」で踊るんですよ。 「Oneway Generation」を歌うときのように、ちょっと可愛らしく、そして自信満々に、正のオーラをびんびんに漂わせて、がんがんに踊るんですよ。 こんなの、美奈子しか、ありえないっすよ。
この聴衆への、てらいのないまっすぐなアピール。 うっわ――、美奈子節全開だよ。
 と、にまにましていたところ続いたのがアイドル時代の代表曲「1986年のマリリン」。 これが、もう、久々に本域の「マリリン」。
 「ミス・サイゴン」以降、かつての肩肘張った自分が恥ずかしいのか、わりとさらっと「マリリン」を歌うパターンが多かった美奈子だけれども、 もう、これ、出力100%。本気汁でまくり。やればまだ全然やれるんじゃん。

 この「ジュピター」〜「1986年のマリリン」連投で違和感のない、ごった煮をすべて「うた」でまとめあげてしまう、 これこそが本田美奈子なんですよっっ――と、大炎上。それをクールダウンするように「新世界」とともにエンディングクレジットが流れてフィルムは終わった。



フィルムの完成度は、ものすごく高かった。 「本田美奈子」を本田美奈子たらしめる、決定的な一枚。本田美奈子の集大成といえる一枚。――それは残念ながら、生まれなかったけれども、このフィルムがその代わりになるんじゃないか、と私は感じた。 多岐にわたった彼女の活動の、エッセンスとなる部分がすべてつめ込まれていて、そして完成度が高い。 是非ともこのフィルムのDVDでの発売、あるいは、テレビでの放送を希望わたしはする――って、これだけの完成度の映像作品を、ただでファンや美奈子の地元の人に見せるだけで作ったなんて、到底思えない。 出してくれるんでしょ、コロムビアさん。

 フィルムコンサートの出来の良さと、彼女の歌唱の力強さにあてられた私は意気揚揚とした気分で、会場を離れた。 彼女に、涙は似合わないだろう。



 今はちょっと長いライブツアーに出ている、本田美奈子。
 「MINAKO Live tour in HEAVEN」では、きっとジーザスクライストを相手に最高にかっとんだライブパフォーマンスをみせているだろう。
 いつか私もそのツアーに参加するだろうけれども、それまで、さようなら。

2005.04.24
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