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MARC 『Ciao,l'amour... 恋にさよなら』

仏的二枚目半男性の含羞


(1991.10.30/東芝EMI/TOCT-6293)

1.INTRODUCTION 2.Les Feuilles Mortes 3.Alles Vien 4.パラソルと腕時計 5.リベルテ 6.Autour de Minuit 7.Sous le soleil de l’ete 8.Saying Hello 13 9.Un Homme et Une Femme


今となっては3人組のおまけの子担当としてすっかり影の薄いglobe―――え、globe本体の陰も薄いって!?……まぁよいではないか、 のマーク・パンサーであるが、彼のリーダーアルバムが過去リリースされていたという事実を知る人は案外少ない。 91年発売のMARC名義のアルバム『Ciao,l'amour... 恋にさよなら』はglobe結成以前に作られた彼の今のところ唯一のソロアルバムである。
彼と小室が出会う以前の時代のものであろうか、このアルバムのプロデュースは小室哲哉ではない。 では誰がプロデュースしているかというと、なんと加藤和彦が彼のプロデュースを担当しているのである。
マーク・パンサーという人間の出自が私にはよくわからないので、なぜ加藤和彦がプロデュースするに到ったのか、という経緯はわからない。 が、このアルバム、結構聞けるのですよ。



この作品はちょうど同じ時期に彼が高岡早紀に対して行なっていたプロデュースのノウハウをそのまま用いているといった作品―― 『パパ・ヘミングウェイ』から『ベネチィア』に到るヨーロッパ4部作の成果をそのままポップスに落とし込むという作業によってアルバムは成り立っている。
まあ、そういった意味で手堅いことは手堅いのだが、悪く言えばこなれ過ぎていて、安易といえなくもないのだが、とはいえ、正直いってglobeでは感じることが出来なかったマーク・パンサーという人間の魅力がこの盤を聞いて私ははじめて感じることが出来たので、そういった面ではとても興味深いものでもあると思う。
globeではぺらっとして厚みのない安っぽい男にしか映らない彼だが、この盤ではその彼の軽さが、実にいい魅力なっているのだ。 おちゃらけ感、いい女を見たらすぐに口説きそうな節操のなさ、身のこなしのいい加減さ、がいい形で二枚目半の魅力に変じているのである。

一番よくわかりやすいのが、このアルバムのジャケット写真。 歌詞カードで彼は一人七変化をしている。こんなだ。

     
     

 
時には野球選手、時には謎の美女、時にはロシアの兵隊、時には謎のアラビア人、時にはダリ風の紳士、時にはスーパーモデル、時には陽気なスイマー、時には愛想のいいギャルソン、その正体はMARC。ということなのだろうか。
ここで、彼は自身の本業であるモデルという仕事をパロデイ―しているといってもいいし、この衣装をとっかえひっかえして、コスプレで盛り上がっている感じ、というのが、個々のペルソナの上を身軽に浮遊している感じがあってとてもいいとわたしは思うな。
その裏をひっくり返すと、電車のつり革に掴まっている9人のサラリーマン。ある者は車内でカフェを飲み、ある者は落ちつきなく車内を見渡し、ある者は鹿爪らしく朝刊を広げ、ある者はパンツを穿き忘れたまま車内に乗りこみ、それに気づいた隣の者はそれに驚き、―――という全てをマークが演っている。 これらは、そのままボードビリアンのような表情といっていいんじゃないかな。
ペルソナをとっかえひっかえしたり、日常の退屈をおちゃらけてみたり、いい意味で現実感を畳返しているその姿はトリックスターといったら大袈裟だけれども、小気味いい。
なるほど、軽さも突き詰めれば、かのように表現することも出来るのか、と私は思わずはたと膝を叩いてしまいましたよ。 この盤での彼はこのジャケットのように結構役者なのである。



冒頭がイブ・モンタンのおシャンソン「枯葉」、ラストがフランシス・レイの「男と女」というあんまりにも王道のわかりやすさで、この並びでこのアルバムが「冗談ですよ」というシグナルを聴く者に与えているのだが――「枯葉」ではマークはオカマ声で「あっはーーん、トレビアーーン」などと悶えている、 その2曲にサンドイッチされた中身はわりと直球のまともな作品でなのである。
作家陣は加藤和彦の他はかしぶち哲郎、高橋幸宏、ニック・デ・カロなどと、加藤プロデュースでは王道の布陣――細君の安井かずみは珍しく参加していない。
マークのボーカルは定まっていずガイドボーカルが透けて聞こえてくるかような歌い方、―――かしぶち作品ではかしぶちっぽく、ユキヒロ作品ではユキヒロっぽい歌い方になるのはご愛嬌であるが、決して悪くはない。 表面上の軽さや冗談ぽさの中に、軽さを演じる者の含羞や男っぽさ、二枚目感などがちらちらしている。 聞いていると、こいつはなかなか面白い、いい奴だ、という気分になるのである。
またラップっぽい「イントロダクション」などからは現在の彼の系譜を感じたりも出来る。 上手いプロデュースだなぁ。
加藤和彦の洒落た京都人感覚とMARCのおフランス的エスプリが自然にマッチした偶然の佳作といえるだろう。
小室哲哉が今後彼にスポットを当てることは多分ないだろうが、もしやるというのなら、このやり方を是非とも参考にしていただきたいな。

2004.02.17

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