ピンク・レディー「ラスト・プリテンダー」
1.ラスト・プリテンダー 2.AMENIC
(1981.01.21/SV-7080/ビクター) |
Pretender、「詐称者、僣王(身分を超えて王の名を称する者)」という意味。では「ラスト・プリテンダー」とはどういう意味なのか。 今回はピンク・レディーの解散決定後にリリースしたこのシングルの話。 つい最近、この曲を歌詞カードをじっくり見ながら聞きなおし、この曲の真意を始めて読み取り、驚愕に打ち震えた。 糸井重里作詞、高橋幸宏作曲、もろテクノ・ポップである。 別にこの曲が当代先端のテクノポップの早期取り入れという点で優れているというわけではもちろんない。 もちろん、都倉のPLサウンドはテクノポップ登場以前のプレ・テクノサウンドという側面もあるので(YMOはブレイク直後、思いがけずに数年前まではPLを聞いていたであろう、ちびっ子のファンが大挙してあらわれたというエピソードや、結成直後のコンサートでPLの「ウォンテッド」をYMOが演ったという事実もある)解散という最後の段階でたどり着いた音と言うこともできるがそれは今回の話ではない。 相変わらず、私が着目するのは作詞である。 一見、ある恋の終わりと恋人との別れの歌と見える。 が、ユニットの解散という事情のもと、この作品を見たとき様相はがらりと変わる。 なくしたものはいつも きらきらのダイヤモンドに思えるの これはそのまま、ファンやマスコミ、ピンクレデイーにまつわる周囲の解散後を示唆しているのだろう。 つまり、解散し、幾年か経ち、振り返ってみるとPLとその記憶は「ダイヤモンド」に思えるかもしれない。 が、所詮実態は「ちっぽけなガラス玉」みたいなものだ、とPLはファンの甘いノスタルジーを残酷につっぱねる。 だから、それは探してはいけないものなのだ、とも歌う。 それはそれで素敵だけど ダイヤに見えるガラス玉でも、それは素敵なのかもしれない。 が、それは二人の部屋を飛び出し、つまり実体としての根本美津代、増田啓子、を飛び越えてどこまでも逃げていってしまう。 なぜならそれはPLを体験した個々がそれぞれの記憶を無意識に改竄し、無限に彼方へと広げてしまうのだから。 そしてそれはため息ひとつでも壊れてしまうほど儚いものだ、ともいう。 そして次の段で驚倒する。 作り笑い 二人似合い 作り笑いに飽き飽きしたといい放ち、それを「偽り」とまで言う。 二人がハードスケジュールにぼろぼろになりながらも悲愴なまでの笑顔でブラウン管に向かっていたということは敢えてここで書くこともなかろう。 その偽りのやさしさにひとりで勝手に酔っていればいいとまで言いきる。 ラストはこの言葉で締められる。 だから最後の一言は 最後にケイの声と思われる「Sorry,I have to go now」と言う言葉と共に扉を閉めるSEが入り曲は唐突に終わる。 ここにあるのは徹底的な異化だ。 「解散=お涙頂戴」というわかりやすい筋道を絶ち、まるでファンを悪し様に蹴倒すように、居直り、聞くものの覚醒を促している。 こんな曲聞かされては陶酔から醒め、思わずはっとせざるを得ない。 それにしても「愛するために 手を離して」だなんて、こんな言葉アイドルに言われたら純情なファンはいたたまれないよ。 ほとんど死して屍拾う者なし状態。 ま、前作「Remember 〜Fame〜」でも「やるだけやった すがすがしいほど後悔はない」とぶっちゃけてしまっているだが、それよりもまして凄い。 こんな解散・引退ソングなんてあるのかよ、と思ってしまう。 「可愛い人ね 素敵な恋が見つかるはずだわ」(「不死鳥伝説」)と歌い、涙に暮れるファンに「また次のご贔屓が見つかるわよ」と言い放った山口百恵(と阿木耀子)も凄いが、ファンに「ひとりで勝手に酔ってれば」「手を離して」とまで言ってしまうPLはそれ以上だ。 もう、ほとんど非情といってもいいかもしれない。 ただ、歌うアンドロイド、というコンセプトとしてピンクレディーを見たとき、こうした無機質で情を絶ち切った乾いた様というのは、実に本義に適っていたりもする。 どういうことかよ、と、B面に裏返すとここでもまた一発応酬を食らう。 「AMENIC(逆回転のシネマ)」。 こちらは作詞は同じく糸井氏で作曲が梅林茂。 タイトルからそのままテーマは逆回転のシネマ。 映画を逆回転してみればラストシーンは心踊るプロローグだ、と。 だから「さよなら」は「ハロー」だ。と。 そんなわきゃない、時間は不可逆のリニアだと。 しかし、無機的で機械仕掛けのピンクレデイーにかかれば、さながら吾妻ひでおが描いたように、時間は滝のように雪崩をうってそこでたまっているのだ。 戻したいと思えば逆回転すればいい。それだけのものだ、と。 これが彼女たちのファンへの解答なのだろう。 「Sorry,I have to go now」と二人が扉を閉めた瞬間ピンクレディーの時間は逆回転する。 そして、時をさかのぼり、「KISS IN THE DARK」を経て、「UFO」を経て「ペッパー警部」をへて、「スター誕生」までたどり着く。 そこから先は??? また順送りにすればいいのである。 以下、順送り逆回転の繰り返し。 この歌を認めた瞬間、袋小路的な円環的時間にファンは飲み込まれる。 そしてこれは80年代の予兆でもある。 袋小路の馬鹿騒ぎ、いつか来るXディの恐れ、未来なき世界のかりそめのパーティ。爛熟する胎児の夢。 それは冷戦という天蓋におさえされ、あるいは守られながら、場つなぎ的にやってきた戦後日本の辿りついた期間限定のその場限りの奇形的繁栄の時代である。 糸井重里はこの曲のちょうど1年前、「TOKIO」の一曲のみで70年代を振りきり、80年代の沢田研二を一気に構築し、最強のワンポイントリリーフぶりを見せた。 (実際、井上堯之バンド(=大野克夫作曲)との決別がここで起こり、沢田研二の音楽史はここで段落が変わる) スタッフもこの時の技量を買っての糸井登板だったのかもしれない。 たった一曲で今までのピンクレディーでありながら、今までをひっくり返すような楽曲。 見事にその役を糸井氏は遂げたと思われる。 しかし、ピンクレディーに対して周囲は冷たかった。 「ラストプリテンダー」成績。最高位85位、売上0.8万枚。 解散以前にとうに彼女らのシステムは死に体になっていた。 であるから、このPL最後の狂気も(一部のファンを除いた)誰にもとどかなかったのである。 そしてどうでもいいような駄曲「OH!」と史上最悪の解散コンサート(泉麻人は「捨てられた人形が雨ざらしで必至に踊っている」といい、平岡正明は「まるでSMショーだ、彼女らはまるでさらし者だ」といった)で彼女たちの歴史は幕を下ろすのである。 |
2003.10.20